2024年2月14日水曜日

【阿波で読解く】神域 眉山の秘密・誓約の謎編(徳島県)  神社ねこ

  【阿波で読解く】神域 眉山の秘密・誓約の謎編(徳島県) https://youtu.be/MpfQh26RyrE?si=ZVvkuecwEmTmZa2q @YouTubeより

https://youtu.be/MpfQh26RyrE?si=ZVvkuecwEmTmZa2q


古事記では、

《そこで速湏佐之男命が天照大御神に申していうことには、「私の心が潔白であったので私は女神を成し得たのです。このことから言えば、このウケイは当然私の勝ちです」》中公文庫


日本書紀では、

《そこで天照大神はまた、 「もしその言葉が本当なら、お前の潔白な心を何で証明するのか」 と尋ねられた。素戔嗚尊は答えて、 「ではお願いがございます。姉上と一緒に誓約(神意をうかがう所作事)をいたしましょう。その方法として誓約の中〔誓約之中、これを宇気譬能美儺箇という〕で子を生むことにしたらいかがでしょうか。もし私の生んだ子が女の子ならば、私に邪心があるからだと思し召されて結構です。しかし、反対に男の子だったら、私の心は清浄潔白であると思し召してください」 と仰せられた。》中公文庫


古事記:

中公

邪心など無いのです」と答え申した。これに、天照大御神は、「それならば、おまえの心が潔白であることはどうしたら分かるであろうか」と仰せになった。それに答えて速湏佐之男命は、「それぞれにウケイという誓いをたてて、子を生しましょう」と申した。

  こうしたことがあって、それぞれ天の安の河を間に挟んで誓い言をした時に、天照大御神がまず建速湏佐之男命の腰に帯びる十拳の剣を求め取って、三つ折りに折って、その折った剣を玉の音もさやかに響かせ、天真名井の中に振り滌いで、それを口中に含み、嚙んではまた嚙みして勢いよく吐き出した息の霧に出現した神の御名は、多紀理毗売命。別の御名は奥津島比売命という。次に市寸島比売命。別の御名は狭依毗売命という。次に多岐都比売命。三神。続いて速湏佐之男命が、天照大御神の左側の御髻に巻いておいでの、大きな勾玉を多数貫き通した数珠状の玉を求め取って、玉の音もさやかに響かせ、天真名井の中に振り滌いで、口中に含み、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した息の霧に出現なさった神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。また右側の御髻に巻いておいでの数珠状の玉を求め取って、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した息の霧に出現した神の御名は、天之菩卑命。また髪飾りにお巻きになっている玉を求め取り、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した息の霧に出現なさった神の御名は、天津日子根命。また左の御手にお巻きの玉を求め取って、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した息の霧に出現なさった神の御名は、活津日子根命。また右の御手にお巻きの玉を求め取って、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した息の霧に出現なさった神の御名は、活津日子根命。また右の御手にお巻きの玉を求め取って、嚙みに嚙んで勢いよく吐き出した霧に出現なさった神の御名は、熊野久湏毗命。合わせて五神。 

 ウケイが終わって、天照大御神が速湏佐之男命にお告げになったことは、「この、後から生まれた五神の男子は、素が自分の物から成った。だから、おのずから我が子です。先に生まれた三神の女子は、素があなたの物から成った。だから、あなたの子です」と、このように子の区別を決めて仰せになった。 

 こうして、先に生まれた神、多紀理毗売命は胸形神社(宗像大社)の奥津宮に鎮座していらっしゃる。次に市寸島比売命は胸形神社の中津宮に鎮座していらっしゃる。次に田寸津比売命は胸形神社の辺津宮に鎮座していらっしゃる。この三神は胸形君らがお祭りする三座の大神である。そして女神たちの後から現れた五神の子たちの中の、天菩比命の子建比良鳥命、これは出雲の国造・无耶志の国造・上菟上の国造・下菟上の国造・伊自牟の国造・津島の県直・遠江の国造らの祖先である。次に天津日子根命は、凡川内の国造・額田部の湯坐連・木の国造・倭の田中直・山代の国造・馬来田の国造・道尻岐閇の国造・周芳の国造・倭の淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖先である。


天の石屋 

 そこで速湏佐之男命が天照大御神に申していうことには、「私の心が潔白であったので私は女神を成し得たのです。このことから言えば、このウケイは当然私の勝ちです」と言って、勝ちにまかせて、天照大御神の作る田の畔を断ち切り、田に引く水路の溝を埋め、また天照大御神が新穀を召し上がる大嘗祭の御殿に、糞を撒き散らした。湏佐之男命がそれほどにひどいことをしても、天照大御神は咎めだてをせずに、「あの糞のようなものは、我が弟の命が酒に酔って吐き散らし、こんなことをしたのでしょう。また田の畔を断ち切り、溝を埋めるのは、稲種を撒く土地を惜しんで、我が弟の命は、こんなことをしたのでしょう」と、罪がなかったことにする詔り直しということをなさったのに、それでも湏佐之男命の荒々しいしわざは止むことがなく、ますますひどくなっていった。天照大御神が聖なる服織屋においでになって、祭りの神衣を織らせていらっしゃった時、その服屋の棟に穴をあけ、天の斑馬を尻の方から皮を剝いで落とし入れた時に、服織女がそれを見て驚き、機織具の梭に陰部を突いて死んでしまった。このことを天照大御神は見て恐れ、天の石屋の戸を開き籠ってしまわれた。このために天上世界高天原はまったく暗黒となり、地上世界の葦原中国も真っ暗闇となった。こうして夜ばかりが続いた。すると万物の神々の騒がしい声は、五月頃の蠅のように満ち拡がり、万物のわざわいが一斉に起こった。そこで高天原の八百万の神が、高天原の安の河原に集まり集まって、高御産日神の子の思金神に思案させて、天の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の安の河の川上の堅い石を金床用に取り、天の金山の鉄を取って、鍛冶の天津麻羅を探し求めて、伊斯許理度売命に命じて鏡


日本書紀:

中公

両親の伊奘諾・伊奘冉尊が子供たちに命じておのおのその境を分けて領分を決められた。それなのになぜ自分が赴くべき国を棄ておいて、ここを窺窬しようとするのか」 と仰せられて、戦いの準備にかかられた。その様子は、まず、髪を結んで髻になし、裳のすそを縛って袴にしたて、八坂瓊の五百箇の御統(大きな玉をたくさん連ねた連珠の飾り)〔御統、これを美須磨屡という〕を髻や鬘(髪飾り)や腕にまきつけ、また背には千箭(たくさんの矢)〔千箭、これを知能梨という〕の靫(矢入れの道具)と五百箭の靫を負い、腕には稜威〔稜威、これを伊都という〕の高鞆を装着し、弓筈を振りたて、剣の柄を握りしぼって、股までめりこむほど力強くしこを踏み、沫雪をふきとばすように蹴散らかし〔蹴散、これを倶穢簸箇須という〕、稜威の雄誥〔雄誥、これを嗚多稽眉という〕の声をあげ、稜威の嘖譲(責めなじること)〔嘖譲、これを挙廬毗という〕の声をあげて、素戔嗚尊を面と向かってなじり問われた。すると素戔嗚尊が答えて、 「私にはもともと邪心はありません。ただ父母の神の厳しい御命令をうけましたので、これから永久に根国に出発するところです。けれども姉上にお目にかかってお暇乞いをしないことには、どうして退ることができましょう。そんなわけで雲や霧を跋渉して遠路はるばる参上した次第です。それなのに姉上は、喜んでくださるどころか、反対に立腹しておられようとは、思いもかけませんでした」 と仰せられた。そこで天照大神はまた、 「もしその言葉が本当なら、お前の潔白な心を何で証明するのか」 と尋ねられた。素戔嗚尊は答えて、 「ではお願いがございます。姉上と一緒に誓約(神意をうかがう所作事)をいたしましょう。その方法として誓約の中〔誓約之中、これを宇気譬能美儺箇という〕で子を生むことにしたらいかがでしょうか。もし私の生んだ子が女の子ならば、私に邪心があるからだと思し召されて結構です。しかし、反対に男の子だったら、私の心は清浄潔白であると思し召してください」 と仰せられた。そこで天照大神は、素戔嗚尊からその佩びておられた十握剣をもとめとって三つに折ると、それを天真名井でふりすすいで、然に咀嚼んで(かりかりとかみ砕き)〔然咀嚼、これを佐我弥爾加武という〕、それを口から吹き棄てられた。その吹き棄てる気噴の狭霧〔吹棄気噴之狭霧、これを浮枳于都屡伊浮岐能佐擬理という〕の中から生まれた神を名づけて田心姫と申し上げる。つぎに湍津姫が生まれ、つぎに市杵嶋姫が生まれた。合計三はしらの女神である。  こんどは素戔嗚尊の番である。尊は天照大神の髻や鬘、および腕にまきつけておられる八坂瓊の五百箇の御統を乞いとって、同じように天真名井にふりすすいで、かりかりとかみ砕いて、それを口から吹き棄てられた。その吹き棄てるいぶきの狭霧から生まれた神を名づけて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と申し上げる。つぎに天穂日命〔これは出雲臣・土師連たちの祖先である〕が生まれた。つぎに天津彦根命〔これは凡川内直・山代直たちの祖先である〕が生まれた。つぎに活津彦根命が生まれた。つぎに熊野櫲樟日命が生まれた。合計五はしらの男神である。そこで天照大神が勅して仰せられるには、 「この子神たちの生まれたもとになった物根をたずねると、八坂瓊の五百箇の御統は私のものである。だから、その五はしらの男神は全部私の子である」 と仰せられて、引きとって養育された。また勅して仰せられるには、 「十握剣は、そもそもおまえの所持品である。だから、それを物根として生まれた三はしらの女神は、すべておまえの子である」 とのことで、この女神たちを素戔嗚尊に授けられた。この女神たちは筑紫の胸肩君たちの祭る神である。  一書(第一の一書)にはつぎのように伝えている。  日の神はもともと素戔嗚尊が性質がたけだけしくて不逞の心のあることを知っておられた。その素戔嗚尊が天原(高天原)にやって来ることを聞かれて思われるには、弟が来るわけは決して善意からではあるまい。きっと私の治めている天原を奪おうと思ってのことであろうとて、戦士としての武装をととのえられた。身には十握剣・九握剣・八握剣を佩び、また背には靫を負い、また腕には稜威の高鞆を装着し、手には弓矢をつかんで、みずから迎え防がれた。そこで素戔嗚尊は申し上げた。 「私はもともと邪心などまったくございません。ただ姉上様にお目にかかりたくてちょっと参上しただけでございます」 と。そこで日の神は、素戔嗚尊とたがいに向かいあって誓約をして仰せられるには、 「もしおまえの心が潔白で、私の国を奪い取ろうという邪心がないのなら、おまえの生む子はかならず男神であろう」 と仰せられた。そう言いおわって、まず御自分の佩刀の十握剣をお食べになって生まれた子神を瀛津嶋姫と名づけた。また九握剣をお食べになって生まれた子神を湍津姫と名づけた。また八握剣をお食べになって生まれた子神を田心姫と名づけた。合計三はしらの女神である。  こんどは素戔嗚尊の番である。尊はその頚にかけておられた五百箇の御統の瓊を、天渟名井、別名去来之真名井にふりすすいで食べられた。こうして生まれた子神を正哉吾勝勝速日天忍骨尊と申し上げる。つぎに天津彦根命、つぎに活津彦根命。つぎに天穂日命、つぎに熊野忍蹈命。合計五はしらの男神である。このように素戔嗚尊は勝った証拠を得られたのである。そこで日の神は、素戔嗚尊にはまったく悪意のないことを知られたので、御自分の生まれた三はしらの女神を筑紫洲にお降らせになった。そして、 「おまえたち三はしらの神は道中(朝鮮半島への海路の中間)に降って鎮座し、天孫を助け奉って、天孫によって祭られよ」 と仰せ出された。  一書(第二の一書)にはつぎのように伝えている。  素戔嗚尊が天にお昇りになろうとしたとき、一はしらの神がおられた。名は羽明玉と申し上げる。この神が素戔嗚尊を奉迎して、瑞八坂瓊の曲玉を献じた。そこで素戔嗚尊はその瓊玉を持って天上に到着された。このとき、天照大神は弟には邪心があろうと疑われ、軍勢を待機させたうえで素戔嗚尊を詰問された。素戔嗚尊はそれに対し、 「私が参上しましたわけはほかでもありません。姉上にお目にかかりたいと存じたからです。また珍宝である瑞八坂瓊の曲玉を献上しようと存じただけで、他意はありません」 と申し上げられた。そこで天照大神は、またお尋ねになって、 「おまえの言うことが本当かうそか、何で証明するのか」 と仰せられると、 「どうか姉上と一緒に誓約をさせてください。私が誓約の間に女を生んだら、邪心があると考えてください。反対に男を生んだら潔白であると考えてください」 と答えられた。そこで天真名井を三ヵ所掘り、二はしらの神は向かいあって立たれた。天照大神は素戔嗚尊に、 「私の佩びている剣をいまおまえにあげよう。だからおまえのもっている八坂瓊の曲玉を私に下さい」 と仰せられた。こうして約束して持ち物を交換された。さて天照大神が八坂瓊の曲玉を天真名井に浮かべて、瓊のはしをかみ切って、それを口にふくんで吹き出したとき、そのいぶきの中から化生した神を市杵嶋姫命と名づける。これは沖宮(宗像の)におられる神である。また瓊の中ほどの所をかみ切って、それを口にふくんで吹き出したとき、そのいぶきの中から化生した神を田心姫命と名づける。これは中宮におられる神である。また瓊の尾の部分をかみ切って、それを口にふくんで吹き出したとき、そのいぶきの中から化生した神を湍津姫命と名づける。これは辺宮におられる神である。合計三はしらの女神である。  そこでこんどは、素戔嗚尊が、持っておられる剣を天真名井に浮かべて、剣の末をかみ切って、それを口にふくんで吹き出したとき、そのいぶきの中から化生した神を天穂日命と名づける。つぎに正哉吾勝勝速日天忍骨尊、つぎに天津彦根命、つぎに活津彦根命、つぎに熊野櫲樟日命。合計五はしらの男神が化生したという。  一書(第三の一書)にはつぎのように伝えている。  日の神は素戔嗚尊と、天安河を隔てて向かい合って立たれ、誓約をして、 「おまえに、もし邪心がないのなら、おまえの生む子はかならず男であろう。そして、もしおまえが男の子を生んだら、私は自分の子として天原を治めさせよう」 と仰せられた。  こうして日の神が、まずその佩刀の十握剣を食べられて化生した子が瀛津嶋姫命である。別名を市杵嶋姫命という。また九握剣を食べられて化生した子が湍津姫命である。また八握剣を食べられて化生した子が田霧姫命である。さて、素戔嗚尊はその左の髻にまきつけた五百箇の御統の瓊を口にふくまれ、これを左の手の掌に置いて男の子を化生した。そこで大よばわりで、 「いまこそ私が勝った」 と仰せられた。そこで、この言葉によって名づけて勝速日天忍穂耳尊と申し上げる。また右の髻の瓊を口にふくまれ、これを右の手の掌に置いて天穂日命を化生した。また頚にかけた瓊を口にふくまれ、これを左の腕の中に置いて天津彦根命を化生した。また右の腕の中から活津彦根命を化生した。また左の足の中から熯之速日命を化生した。また右の足の中から熊野忍蹈命、別名熊野忍隅命を化生した。このように素戔嗚尊の生まれた御子はみな男であった。このため日の神は、素戔嗚尊ははじめから潔白な心をもっておられたことをおさとりになって、その六はしらの男神を迎えて日の神の御子として天原を治めさせたもうた。そして日の神の生まれた三はしらの女神は、葦原中国の宇佐嶋に降された。いま海の北の道中に鎮座しておられる。名づけて道主貴と申し上げる。これは筑紫の水沼君らが祭る神である。 〔熯は干の意味で、これを備という。〕 天の石窟  これからのち、素戔嗚尊の行状は乱暴をきわめた。まずつぎのようなことがあった。天照大神は天狭田・長田を御自身の田としておられた。ところが素戔嗚尊は、春になるとそこに重播種子(一度まいた上にまた種をまくこと)〔重播種子、これを璽枳磨枳という〕をしたり、田の畔を毀ってしまったりされるし〔毀、これを波那豆という〕、秋になると天斑駒を田の中に放牧したりして田をめちゃめちゃにし、耕作や収穫の妨害をされた。また天照大神が新嘗をきこしめすときをみはからって、ひそかに新嘗の御殿にくそをまかれた。さらに天照大神が斎服殿にましまして神衣を織っておられるちょうどそのときに、天斑駒を剥ぎにしてその御殿の屋根瓦に穴をあけて投げ入れられた。このため天照大神は仰天して機の梭で身体をついてけがをされた。このことがあって、天照大神はたいそう立腹され、天石窟にはいって磐戸をとざして幽ってしまわれた。このため世界は常闇となり昼夜の交代もわからなくなってしまった。そこで八十万の神は天安河のほとりに集まってその祈る方法を相談された。このとき思兼神は綿密なはかりごとをめぐらされ、そのあげく、常世の長鳴鳥を集めてきて、いっせいに長鳴きをさせた。また手力雄神をあらかじめ磐戸のわきに中から見えないように立たせておいた。中臣連の遠祖である天児屋命と、忌部の遠祖である太玉命が天香山の五百箇の真坂樹を根ごと掘ってきて、その上の枝には八坂瓊の五百箇の御統をかけ、中の枝には八咫鏡〔ある本には真経津鏡という〕をかけ、下の枝には青和幣(ぬさ)〔和幣、これを尼枳底という〕と白和幣をかけて、一緒に祈祷した。また猨女君の遠祖である天鈿女命は手に茅を纒いた矛をもちながら天石窟の戸の前に立って、たくみにしぐさ















































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中居屋重兵衛 - Wikipedia

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