をしへて! 倉本一宏さん ~伝説の陰陽師・安倍晴明は、実際にはどのような人?
藤原兼家(段田安則)の陰謀の一翼を担うかのように、怪しく立ち回る安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)。数々の伝説を残している安倍晴明が実際にはどのような人物であったのかを、大河ドラマ「光る君へ」で時代考証を担当する倉本一宏さんに伺いました。
――実際の安倍晴明は、どのような人物だったのでしょうか。
安倍晴明は官僚です。世代としては、紫式部や藤原道長よりもずっと上になります。小説や映画などをご覧になってものすごい術士のように思われている方もいると思いますが、彼は陰陽博士になったことはなく天文博士なんです。そして後年には陰陽寮から離れて、左京権大夫(さきょうのごんだいぶ)や穀倉院別当などを歴任し、組織の長官として働いています。ですから、実際には優秀な官僚です。
――伝説で語られているような人物像とは大きく違うのですね。
『大鏡』ができたのが11世紀後半から12世紀前半といわれていますから、小説や映画などで描かれているような晴明のさまざまな伝説は、彼が亡くなってから百年くらいの間に生まれたと考えられます。晴明の死後、朝廷では晴明の子孫が陰陽寮の仕事を引き継いでいきましたが、それとは別に町中では民間の陰陽師が台頭し、占いなどを行うようになります。そしてこの人たちが、「私たちの始祖は晴明だ」と言ったようなんです。陰陽師に限らずさまざまな職業で同じようなことがあるのですが、始祖にはなるべく有名で、しかも身分の高い人物が求められます。晴明は従四位下(じゅ しいのげ)まで昇りましたので、有名で身分もそれなりに高いということで選ばれたのだと思います。そして徐々に伝説が増幅していき、現在の安倍晴明像となっています。
――晴明が占いをするシーンがドラマでもありましたが、晴明は実際に占いをしていたのでしょうか。
していました。晴明の占いのセンスは良かったと思います。というのも、彼は依頼主に頼まれたら、依頼主が望んでいるような結果を出すんです。当時の彼らの占いは、例えば式盤(ちょくばん)と器具を使い、そこで得られた情報を中国の古典などと照らし合わせて結果を導き出すような手法があるのですが、それを素人が見てもよくわからないんですね。そして相手が望むようなことを察してそれを言えば、依頼主は喜びます。実際の安倍晴明という人物は、そういうことにも長(た)けていた、とても優秀な官僚だったと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿