中国・大国の威信をかけた都・長安 ~世界最古の文明の地!都市国家から世界帝国へ~
新石器時代から農耕・牧畜の開始、定住生活による集落の形成、
そして大集落の中から都市国家へ発展するものが現れる。「四大文明」の誕生である。
なかでも世界最古の文明を生んだ地と言えば…、中国。
黄河と長江、二つの大河に育まれた文明は、6500年の時を経て、世界帝国になった・・・。
シルクロードの最重要拠点となった長安は、世界各地から様々なものが伝わり、
各国の人々が留学し行きかう一大国際都市であった。
長安にあった世界に類を見ない都市機能。
自然発生的に大きくなった「ローマ」や「ギリシャ」とは違い、最初から「巨大都市を建設する」という目標のもとに造られた、世界最初の「計画都市」でもある。
その古代都市を舞台に繰り広げられるドラマ。
隋王朝の文帝、その息子・煬帝が作り上げた長安の都にやってきた小野妹子、
また、唐の時代の遣唐使たちが見た長安は、日本のすべてのお手本がつまっていた。
則天武后という女帝が統治していた周の時代、倭の国と呼ばれ続けた国は、
初めて「日本」という国名を名乗ることを許され、国際デビューを果たす。
そして玄宗皇帝の時代、楊貴妃に心を奪われた賢帝は、長安の都を衰退させてしまう。
世界を席巻した古代国際都市の設計・建設から、勃興と衰退の歴史の謎を追う!
当時、世界最大の都の一つでもあった平城京。
それは唐の都「長安」を驚くほど完璧にコピーしたものだった。
だが中国が一千年をかけ完成させた都をなぜわずかな年月で模写できたのか?
その答えは「遣唐使」にあった。 だが一体なぜ、この地に都が築かれたのか?
藤原京をあっけなく捨て遷都した「平城京」。この都を造るにあたって、
日本は「長安」をお手本にした。都市の設計・整備、律令制の制定、そして仏教の普及。
その情報を持って帰ったのは「遣隋使」「遣唐使」という、
日本から派遣された「国際留学生」たちであった。
隋の煬帝に「日出処の天子、日没処の天子に・・・」と聖徳太子の手紙を読んだ小野妹子、
則天武后に「倭の国」から国名を「日本」と認めさせた粟田真人、
玄宗皇帝の時代に長安の衰退に立ち会った阿倍仲麻呂、
その阿倍仲麻呂と一緒に唐へ渡り、儒教など学問を多く持ち帰った吉備真備。
彼らの持ち帰った情報を元に平城京を造らせ、藤原氏を歴史の表舞台に出し、
その後1300年藤原支配の基礎を作ったのが「藤原不比等」である。
藤原不比等は「乙巳の変」で蘇我入鹿を討った中臣鎌足の二男。
彼が作り上げたのは「平城京」のみならず「日本書紀」「大宝律令」・・・。
そしてなんと「聖徳太子」は、不比等の作り上げた架空の人物だというのだ。
平城京の成り立ち、遷都の謎、日本国建立の時代に「歴史を裏から作り上げた男」
藤原不比等の野望の全貌と彼が作り上げた「日本書紀」と「聖徳太子」の謎に迫る!
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