2024年2月17日土曜日

なぜ宮様は碁盤から飛び降りられるのか07.6.10

なぜ宮様は碁盤から飛び降りられるのか07.6.10
なぜ宮様は碁盤から飛び降りられるのか07.6.10
http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/26447926/

なぜ宮様は碁盤から飛び降りられるのか07.6.10

 その「日置盤」なるものは、罫線が通常の碁盤と同じ19×19路ではなく、21×21路になっていました。
 升目でいうと20×20の400マスです。
 暦における八節(春分・秋分・夏至・冬至・立春・立夏・立秋・立冬)に当たる位置が盤上に記されているほか、陰陽道にいう九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)を表す碁石が置かれていました。
 

 http://www.nihonkiin.or.jp/lesson/knowledge/index.htm
 日本棋院のHPでは、囲碁の起源について、
「碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、カレンダー、占いに使ったという話があります。」
とも書いています。

 これはわたしの想像ですが、碁石を盤上に置き、日々双六のように進ませて、その位置によって暦を表わしたのではないでしょうか。
 そうだとすれば、何が起源か、どういう使い方が先だったかはともかくとして、少なくとも日本においては、碁盤(様のもの)をカレンダーとして使うことがあった、と言えることになりましょうか。

 http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18397_22466.html 青空文庫
 民俗学者の折口信夫は、「天皇は、日置暦といふものを持つてゐられた」と書いています。
 具体的にどういうものかはわかりません。

 http://www.city.nagoya.jp/kankou/sansaku/shiseki/naka/betu/nagoya00000408.html 名古屋市HP
 名古屋市に「日置神社」があります。
「"日置"の名は古代、暦象をつかさどった日置部にちなむもの」とあります。
 日置部(ひおきべ、ひきべ)は朝廷に仕えた職能集団の一族で、各地に派遣されたらしく、全国に日置という地名や人名が残っています。
 
 http://www.weblio.jp/content/%E5%AE%89%E4%BA%95%E7%AE%97%E5%93%B2
 囲碁と暦、という関連では、二世安井算哲が想起されます。
 御城碁での初手天元で名高い碁打ちでしたが、日本で初めて採用された和暦「貞享暦」を作成し、幕府の初代天文方に転じました。
 地球儀の作成や、経緯度の測定も行っています。
 碁方の家元である安井の姓を捨て、渋川晴海と改名。
 代々渋川家が天文方を世襲しました。


 http://www.maezawa-goban.co.jp/rekishi/2007.2rekisi.html
 前沢碁盤店のHPに戻ります。
 「碁盤を最終的に検分する東宮御所囲碁指南役・長谷川章7段」という記載があります。

 近年の皇室の方々は囲碁よりも将棋がお好きで、天皇陛下もなかなかの腕前と聞き及びますが、将棋の指南役がいたとは聞きません。
 それともこういうことは隠しておくものなのでしょうか。

 http://homepage3.nifty.com/gororo/shogisasi.html 将棋FILE by gororo
 大橋本家十二代・大橋宗金について、
「東宮御所から出仕するようにと恩命を受けたが、堅く辞退して受けなかった」とあります。
 明治時代のことです。

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