なぜ宮様は碁盤から飛び降りられるのか07.6.10
その「日置盤」なるものは、罫線が通常の碁盤と同じ19×19路ではなく、21×21路になっていました。升目でいうと20×20の400マスです。
暦における八節(春分・秋分・夏至・冬至・立春・立夏・立秋・立冬)に当たる位置が盤上に記されているほか、陰陽道にいう九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)を表す碁石が置かれていました。
http://www.nihonkiin.or.jp/lesson/knowledge/index.htm
日本棋院のHPでは、囲碁の起源について、
「碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、カレンダー、占いに使ったという話があります。」
とも書いています。
これはわたしの想像ですが、碁石を盤上に置き、日々双六のように進ませて、その位置によって暦を表わしたのではないでしょうか。
そうだとすれば、何が起源か、どういう使い方が先だったかはともかくとして、少なくとも日本においては、碁盤(様のもの)をカレンダーとして使うことがあった、と言えることになりましょうか。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18397_22466.html 青空文庫
民俗学者の折口信夫は、「天皇は、日置暦といふものを持つてゐられた」と書いています。
具体的にどういうものかはわかりません。
http://www.city.nagoya.jp/kankou/sansaku/shiseki/naka/betu/nagoya00000408.html 名古屋市HP
名古屋市に「日置神社」があります。
「"日置"の名は古代、暦象をつかさどった日置部にちなむもの」とあります。
日置部(ひおきべ、ひきべ)は朝廷に仕えた職能集団の一族で、各地に派遣されたらしく、全国に日置という地名や人名が残っています。
http://www.weblio.jp/content/%E5%AE%89%E4%BA%95%E7%AE%97%E5%93%B2
囲碁と暦、という関連では、二世安井算哲が想起されます。
御城碁での初手天元で名高い碁打ちでしたが、日本で初めて採用された和暦「貞享暦」を作成し、幕府の初代天文方に転じました。
地球儀の作成や、経緯度の測定も行っています。
碁方の家元である安井の姓を捨て、渋川晴海と改名。
代々渋川家が天文方を世襲しました。
http://www.maezawa-goban.co.jp/rekishi/2007.2rekisi.html
前沢碁盤店のHPに戻ります。
「碁盤を最終的に検分する東宮御所囲碁指南役・長谷川章7段」という記載があります。
近年の皇室の方々は囲碁よりも将棋がお好きで、天皇陛下もなかなかの腕前と聞き及びますが、将棋の指南役がいたとは聞きません。
それともこういうことは隠しておくものなのでしょうか。
http://homepage3.nifty.com/gororo/shogisasi.html 将棋FILE by gororo
大橋本家十二代・大橋宗金について、
「東宮御所から出仕するようにと恩命を受けたが、堅く辞退して受けなかった」とあります。
明治時代のことです。
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