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市川染五郎 中村七之助 五月花形歌舞伎『椿説弓張月』新橋演舞場
https://youtu.be/EptQwjwyhDA?si=JcUxDJrh56b0qYOg
椿説弓張月 三島歌舞伎 W12
12日、歌舞伎座夜の部「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)を見に行きました。
「椿説弓張月」のあらすじ
強弓と武勇で知られる源為朝(鎮西八郎)は崇徳上皇方に加わって保元の乱を戦ったが、捕らえられて伊豆の大嶋へ流罪となる。それから十余年がたち、今日は上皇の命日。そこへ為朝征伐の軍がやってくる。為朝は敵である、この地でめとった妻簓江(ささらえ)の父を討つ。簓江は娘と一緒に入水し、息子の為頼は勇敢に戦って討ち死する。為朝と家来の紀平治や高間夫婦は船でおちのびる。その後を裏切り者の武藤太が追う。
為朝は讃岐へ渡り、祟徳上皇の御陵の前で自害しようとするが、その時上皇や父為義やの霊が烏天狗を伴って現れ「十年たてば平家は滅びる」と予言。さらに「肥後の国で旧知にあえる」とさとす。気がつくとそこに上皇達が交わしていた天杯が落ちていた。そこで為朝は肥後へと向かう。
肥後の山中で為朝は巨大な人食い猪を素手で退治する。そこで猟師に痺れ薬入りの酒を飲まされ連れて行かれた館で、為朝は長い事行方不明だった妻の白縫姫と息子の舜天丸に再会する。姫は源氏の再興を図って武士を集めていた。そこへ連れて来られた裏切り者の武藤太は腰元たちに竹釘を打ち込まれて成敗される。
為朝たちは平家を討つ為に船出する。だが大嵐にあい一人又一人と波にさらわれる。そこで白縫姫は嵐をしずめるために生贄となり海に飛び込む。すると姫の霊は黒揚羽蝶になりとびたつ。海をただよう息子の舜天丸と紀平治が大きな魚に襲われた時も現れて魚を静かにさせ、魚は背中に二人を乗せて陸に送り届ける。一方小さな岩にたどり着いた高間夫婦は主人を失ったことをはかなみ、二人して自害する。そこへ大きな波が覆い被さり、あとかたもなく二人は海へ消える。
嵐で為朝一行は琉球へと流される。琉球の王家では王寧女(わんねいじょ)と家来の陶松壽(とうしょうじゅ)が王子の乳母阿公(くまぎみ)の悪巧みによって窮地に陥れられている。為朝が助けに行くが一足遅く王寧女は殺されてしまう。するとそこに白縫姫の霊である蝶が飛んできて王寧女は白縫姫としてよみがえる。
一方阿公はひそかに「夫婦宿」を営みやってくる旅人を殺して金品を奪っていた。鶴と亀の兄弟は母親を殺して胎子を奪った阿公を討ちに夫婦に化けて乗り込んでくる。ところが実は阿公は二人の祖母、殺された母は阿公の生んだ娘、王子は阿公の実の孫だった。そして阿公の初恋のその相手は昔日本に行った時会った為朝の家来、紀平治だったのだ。阿公は自分の罪を悔い、二人の孫に討たれ瀕死の内に過去を述懐する。
七年がたち、平家は滅亡、為朝の働きで琉球にも平和が戻った。人々の「王になって欲しい」との願いを辞退して、その代わりに息子の舜天丸(すてまる)を舜天王(しゅんてんおう)と名づけ王位につけた為朝には、もう上皇の元へ逝きたいと言う願いしかなかった。すると海から天杯をくわえた白馬が現れ、それにまたがって為朝は天空へと去っていく。
三島由紀夫作、原作は滝沢馬琴。義太夫歌舞伎の様式で構成されているお芝居です。 「大嶋の場」の最初では為朝(猿之助)と高間(勘九郎)、紀平治(段四郎休演で歌六)が人形のように坐っていて、竹本の呼び出しではじめて動き出すのが「忠臣蔵」の「大序」の様でした。この他にも割り台詞、モドリ、大小の船、汐見の見得等が次々と繰り出されるのがこのお芝居の特徴です。
ここで為頼役の清水大希君が大活躍。台詞こそ例の一本調子の子役独特の台詞まわしですが、中心になってこなすかなり長い立ち回りもあり、最後は一の谷の敦盛のように首を打たれて死んだりする、大人でも大変な役どころですが、見得も形良く極まり、芝居に対する良いセンスを感じました。
上手な子役がそのまま良い役者になるとは限らないでしょうが、少なくとも門閥外の優秀な人材を歌舞伎はいつも受け入れる用意をしておいて欲しいと思います。その意味でも今回の猿之助劇団と勘九郎、玉三郎の共演は歓迎すべき事で、これからもドンドンこういう機会を増やすべきだと考えます。
閑話休題。花道、上手舞台中央と分かれておちのびる為朝と紀平治、高間夫婦(勘九郎と福助)、追う武藤太(猿四郎)がのる三艘の船が、船だんまりのようで歌舞伎ならではの美しさを感じました。そのほかにもこの芝居には海の場面がとても多いので、一階席より上から見たほうが良く見えて面白いかも知れません。
さて玉三郎の出世芸「山塞の場」の白縫姫。初演の時玉三郎はまだ10代だったそうですが、今回33年間ぶりにこの役を演じます。裏切り者の武藤太を、腰元達に竹の釘を打ち込んでなぶり殺しにさせるという血みどろの残酷場面が、お琴を弾きながら「薄雪」を歌う玉三郎の洗練された硬質な美しさと対照的でそれこそ作者の狙いだったのだろうと思われます。
この場の玉三郎は赤姫の拵えに毛皮の肩掛けを斜めに背負っています。腰元の芝のぶや笑野といったきれいな女形が、まるで鼓でも打つように優雅に竹釘を打ち込んでいました。ふつう残酷な事をする腰元は立ち役が演じるので不細工なのですが、これはいわばあだ討ちなので別ということでしょう。この場にちょっとだけ出てくる白縫姫の家来越矢を演じる段治郎、立ち姿が綺麗だなぁと思いました。
「薩南海上の場」は前から楽しみにしていた場でスペクタクルに満ちたところです。平家征伐に向かう為朝一行の乗る船を嵐が襲う場面、初演のときは大きな船がパカッと二つに割れたりしたのだそうです。昭和62年第二回上演の時は船は割れず、沈みそうな船をカラス天狗たちが助けに来て、水をくみ出したりしたのだとか。前の二回は国立劇場で行われたのですが、今回歌舞伎座ではセットをおく所が無いせいか、そういう演出はありませんでした。
嵐を鎮めるために人身御供となって死んだ白縫姫の霊は80センチくらい?ある大きな蝶になります。これを黒子が差し金で使うのですが、重くてさぞ大変だろうと思いました。嵐をしのいだ為朝は、回り舞台で正面にむいた大きな船の上で「毛剃」と同じような「汐見の見得」をします。
ちなみに初演時は舳先が下手に向いていましたが、今回は最初上手に向いていて「汐見の見得」で正面に回ってきた後下手の方へ向きます。つまり180度回転するわけです。
船から落ちた高間夫婦は大きな岩にたどり着きますが、死んだと思った主の後を追って自害します。するとそこに大きな波が覆いかぶさって跡形も無く二人の姿は海へと消えてしまいます。この時とても大きな浪布が後ろに立ち上がるのですが、これは考えていたより規模が小さくて、ちょっと期待はずれ。なんだか柏餅を連想してしまいました。
この時高間が血糊を使うのですが、初演の時高間を演じた猿之助が血の飛び方を日に日にエスカレートさせるので、三島由紀夫が「いい加減にするように」と注意したのだとか。三島は血を見ると震え上がるほど気が弱かっただけに、翌年の事件は本当に信じられなかったと織田絋二著「歌舞伎モノがたり」に出ています。大波がかぶさった後、高間夫婦と岩がセリで下がって、何もない海原が広がっているだけになるのは実に効果的だと思います。
一方海に落ちた為朝の息子らは鯨のように大きな魚に救われるのですが、この芝居の中に登場する生き物たちは概してとても大きかったです。牛のように大きな猪や座布団サイズの蝶々など。
この後話は琉球へ飛びますが、今回大分補綴がされたそうで、初演時は分かりにくかったと言う筋がとても理解しやすいものになっていました。ここで花道の鶴(笑也)と亀(亀治郎)の兄弟と、本舞台上の阿公の割台詞があります。一ツ家伝説のような阿公(くまぎみ)のエピソードで勘九郎が阿公のもどりを熱演。「沼津」の平作のようなヨレヨレのものすごい拵えですが、こちらはおばあさん。筋としては脇筋ですが役者としてはやりがいのある役かもしれません。
最後は為朝が白馬にのって天空に去っていくのですが、これは今回だけの演出ということ。為朝は主人公とはいっても、あまりしどころが無い役なのでこれは良い演出です。宙乗りの猿之助、ゆったりとした風格がありました。
全部見終わって、三島由紀夫が歌舞伎の魅力的な手法をありったけ使って作ったお芝居といった感じを持ちました。三島由紀夫は晩年には歌舞伎に大分失望していたと聞きますが、この作品は今回判りやすく補綴されたこともあって、楽しんで見ることが出来ました。三島の歌舞伎は他に「鰯売恋曳網」しか残念ながら見たことがありませんが、歌舞伎の魅力、楽しさをよく理解していた人だったようで、もっと長生きしていれ面白い芝居が書けただろうにと残念に思いました。
基本的に掛けている方は一人しかいませんでした。でも一人しかいないとどうしても出席簿読み上げ状態になり、風情がありません。せめて2~3人いれば・・・。最後には何人か同時に掛けていらっしゃいましたが、どうせ掛けるなら遠慮しないでもっとハッキリ掛ければいいのになぁと思ってしまいました。
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