2025年3月10日月曜日

【衝撃?】邪馬台国丹波説がでました~(@_@) - 刮目天(かつもくてん)のブログだ!

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【衝撃?】邪馬台国丹波説がでました~(@_@)

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衝撃!邪馬台国は丹波にある説|伴とし子
神社チャンネル@YouTube

興味ある話題を有難うございます。丹波説が出ましたか(#^.^#)

邪馬台国問題が解決しない理由は、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国への行程記事がどのようにでも解釈できるので、自分が思う場所をなんとか理屈をつけて主張しても、他の方たちから受け入れられないからなのです。つまり行程記事はある政治的な理由で作られたようなのです。

ですから、行程記事は一旦横に置いて、倭人伝に書かれた邪馬台国の記述に合う場所を候補として見つけ出し、複数の候補でどこが一番可能性が高いのかを議論すればいいのです。

まず地理的な条件ですが、女王国の東側の海を約千里渡るとまた倭人の国が在るとあります。范曄後漢書にはその倭人の国が狗奴国とあります。范曄の時代は五世紀ですから倭の五王の使者の情報を基にして正しく書いたと考えられます。范曄の時代は千里は約450kmですからこの条件に合う場所は日本列島の中では限られています。
残念ながら、丹波説は邪馬台国の地理的条件にあてはまらないと思います(^^;)

九州説なら東側が海で約450kmの場所は纏向遺跡となり、そこが狗奴国で、女王国は逆に瀬戸内海を西に行った宇佐市周辺です。

そして、倭人伝に卑弥呼の墓は「径百余歩の冢(ちょう)」つまり、直径約150mの円形墳墓です。卑弥呼の死の前後の記事から短期間に作られたと分かり、ただ土を盛っただけの、墳頂に棺を置いた墓のようです。

宇佐市周辺で探すと宇佐市安心院町「三柱山古墳」を発見しました。その西側の地名が「血野(現在は知野)」とあり奴婢約百人を殺して殉葬したことを示しているようです。そして東側には宗像三女神を祀る三女神社があり、日本書紀の一書にある三女神降臨の伝承地になっています。西側にV字溝があり、その中から銅鏃が見つかっていますから、兵士によって護られた城柵があったと考えられます。そこに弥生後期から古墳初期の集落「宮ノ原遺跡」があり卑弥呼のものよりも一回り小さな直径約120mの円墳などがあり、周辺に石棺群が多数見つかっています。その他にも墓の遥拝所として同名の神社があり、三女神の墓石のような三基の石塔が「三柱山古墳」に正対して置かれ、スサノヲの子孫を祭神とする摂社が在ります。しかし「三柱山古墳」を直接目視できないように土が高く盛り上げてあり、横穴が掘られていて馬頭観音などが置かれていますが、そこの地名が「ヒカケ」なのです。卑弥呼が日食が原因で殺されたことを暗示した地名のようです。他にもいろいろと面白い伝承がありますので、今のところ邪馬台国の有力な候補と考えられます。詳しくは「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」をご参照ください。

ですから、このような候補地を探して議論しないと邪馬台国問題は解決しないと思います(;^ω^)

そうだそうだ、一番大事なことを忘れていました。記紀が「天皇の歴史書」だとほとんどの方は洗脳されていますが、記紀に卑弥呼が登場しないのは藤原不比等による「勝者の歴史書」だったからです。

卑弥呼は不比等にとって都合が悪い存在なので隠しましたが、アマテラスとスサノヲの誓約で生まれた宗像三女神の市杵島姫だと分かりました。宇佐神宮の主祭神といってもいい、真ん中で祀られている比売大神です。日本全国で祀られています。

不比等が律令制度を作って神社行政まで握ったので、ほとんどの神社伝承は記紀神話に従う伝承になっていますし、神社名や祭神名まで変えられています。

丹後半島はヤマト王権成立で活躍したスサノヲの子孫の根拠地なので、周辺にたくさん神社伝承をなどを創作していますので誤魔化されます(詳細は「【刮目天の古代史】出雲・丹後王国の謎!(@_@)」参照)。

卑弥呼とその弟赤坂比古(和邇氏の祖、日本書紀の日触使主)を祀っていた近江八幡市日牟礼八幡宮に不比等が実際に訪れて社名を変更させた歌が残っています。詳しくは「卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう(@_@)」をご参照ください。

長々とお邪魔しました(;^ω^)

【関連記事】

巨大円墓は卑弥呼の一族和邇氏のもの( ^)o(^ )

卑弥呼は古代豪族和邇氏の祖ですが、和邇氏は縄文系ムナカタ海人族で宗像氏・宗形氏などと同族ですです。天理市和邇坐赤阪神社の祭神が市杵島姫命です。ムナカタ系の古墳は巨大円墳なので、4番目に大きな奈良市富雄丸山古墳が応神天皇の皇太子で日触使主の娘宮主宅媛(みやぬしやかひめ)が母である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が被葬者だとと分かりました。宇治天皇に即位していたのですが、仁徳天皇に暗殺されたと推理しています。不比等はその史実を隠したかったので、応神天皇の崩御後の皇子たちの内紛とそっくりな、あり得ないような話を初代神武天皇でも創作しています。そこまでして不比等が隠したかった理由が分かりました。詳細は「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?」参照してください。

神話が隠した不自然な史実

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