仏友会/聖書外典解体/俺のトマスによるイエスの幼時物語
たぶん、トマスという人がイエスの話を書いたんでしょうね。イエスの幼時ばなしってのは、4つの福音書にはそれほど書かれてませんでしたからねえ。
<しかしイエスの幼時に関する興味と伝説はかなり早くからあった>(講談社文芸文庫『新約聖書外典』475頁)
そりゃまあそうでしょう。んで、正典にだって幼時のことをまったく書いていない福音書もあれば、誕生とかガキのころとかを書いている物がある。
< したがってイエスの幼時物語の出発点はすでに正典福音書が書かれた時代にさかのぼるわけである。>(同頁)
そういうこってすわな。
んで、これから読んでいく「トマスによるイエスの幼時物語」なわけです。
<これは二世紀の終り頃に書かれたと思われ、イエスが五歳から十二歳の間に行なった奇蹟や神童ぶりをまことに大袈裟に叙述した伝説である。>(476頁)
いいですね。たいへんおもしろそうです。
<モチーフは屡々(しばしば)正典福音書からとられているので、結果として幼いイエスが、後に公生涯において行なったとされるさまざまな奇蹟を暗示するようなことを、既にやってのけた形になる。>(同頁)
それはいかんですなあ。オリジナリティをもって創作してくれないと、正典には入れてもらえませんですよ。
そんなわけで、福音書にはない奇蹟も載っているようなんですが、それだって当時存在した奇蹟伝説などからとられているとされるそうです。
ますますだめだな。パクりまくりだ。
<だから歴史のイエス再構成のための史料としての価値は全くない。>(同頁)
でしょうね。ま、当時のイエス信仰の一端を知ることはできなくもないかも知れないですけど。
<内容的にもかなりひどいもので、正典福音書でのイエスの奇蹟は人助けのためになされるという性格が強いが、ここではそういう奇蹟がなされるだけではなく、少年イエスのお気に召さない人物はあっさり呪い殺されてしまう。>(同頁)
まあ、実のないぶどうに枯れろと命じた福音書のイエスもいるんですけどね。
<イエスらしさなどはほとんどない、悪魔的で高慢な少年が描かれている。こんな話をつくり出した人々は、もし自分達が奇蹟能力を持っていたら、こんなことしかしないのではないかと疑わせるような内容である。>(同頁)
わはは。
でもまあ、そんなむちゃくちゃな物語でも、読者の支持は得たようで、いろんな言語に訳されていたそうです。
で、著者のトマスですが、外典のひとつ「トマスによる福音書」の著者とは別だろう、と。
<結局著者は不明で、ユダヤ人ではないであろう。>(477頁)
まあ、俺は誰が書こうがどうだっていいんですけど。
んで、この文庫に載っているのは、やはり全文ではありませんでした。
<紙数の都合上、直接イエスを語らない、教師ザカイの嘆き(七)と、ルカによる福音書2・41以下に誌されている『十二歳のイエスの物語』と大体一致する部分(十九)を省略した。>(同頁)
そういうことだそうで。ま、俺にもとりたてて必要な部分ではないでしょう。なんにせよ、わざわざギリシア語を訳してくれてんだから、感謝の気持ちで読ませていただきます。
つうか、解題の人にこれだけつっこまれて、俺のつっこむ余地があるのか。
さて、本編にいきましょう。
ぜんぶで18章が載っています。
訳したのは八木誠一。
第1章。
< 私イスラエル人トマスは異邦のすべての兄弟に、私達の主イエス・キリストの幼時のころのこと、またその大いなる業(わざ)、イエスが私達の国に生まれて行なったすべてのことを語らなくてはならないと思います。>(1)
まあ、ほんとはユダヤ人ではないんでしょうが。こう書いたほうが信憑性があるんでしょうね。
第2章。
イエスが5歳のときのエピソード。
雨で濁った川の水に命じたら、水がきれいになったそうです。
それから、河原の泥をこねて12の雀をつくったんだそうです。ただの遊びっちゃそうなんですが、安息日にはものをつくる、ということをしちゃいかんのだそうで。
父ヨセフのもとに、それを見た人からチクリが入ります。
あわててヨセフは川に行き、イエスに注意するんですね。なに安息日にもの作ってんだ、と。
<するとイエスは手を拍[う]って、(泥で作った)雀に叫んで言いました。「行ってしまえ」。すると雀は羽をひろげて鳴きながら飛んでいきました。>(2:4)
さっそく奇蹟ですね。12っつうのは、やっぱり、使徒の数と対応させてるんですかね。
第3章。
噂を聞いた律法学者アンナスの息子がそこへやってきて、イエスがせき止めておいたその澄んだ水を流してしまいます。
やなやつだな。
イエスは怒ります。
「不義にして不虔にして愚かなる者よ。この穴と水がお前に何の不正をなしたというのか。みよ、今やお前は木のように枯れる。そしてお前はもう葉も根も出さず実も結ばない」(3:2)
アンナスの息子はみるまに枯れてしまったそうです。枯れたってのは、エロ本とか見てもケッとか言って興味を示さないとかか。
枯れた子の両親はヨセフのところにいって、文句を言ったそうです。そりゃそうだ。
第4章。
イエスが歩いていると、走ってきた子供と肩がぶつかったんだそうです。
イエスは怒ります。
「お前はもう道を歩けない」(4:1)
その子は死んでしまいました。歩けなくなるだけじゃないのか。
死んだ子の両親はヨセフのところにいって、文句を言ったそうです。そりゃそうだ。
第5章。
ヨセフはイエスに言います。
「どうしてあんなことをするんだ。あの人達も困るし、それに私達を憎んで迫害しているぞ」(5:1)
イエスはまったく意に介す様子もなく。
「こうしたお言葉があなたのものでないことは解っています。でもあなたのために黙っていましょう。しかしあの人達は(やはりある)罰を受けるのです」(5:1)
するとまあ、イエスを黙らせろと言ってきた人たちはみんなめくらになってしまったそうです。
まあヨセフは怒りますよ。耳を引っ張って怒ったそうです。耳を引っ張って怒る、って動作が、こんな昔から行なわれてたんですね(訳者の意訳でなければ)。
イエスは怒ります。
「あなたはものを探してもみつけないのがいいのです。あなたはほんとうに賢からぬ振る舞いをした。私があなたのものだということが解らないのですか。私を悲しませないで下さい」(5:3)
ほんと、すげえ子供だな。
第6章。
たまたまザッカイという教師がそのようすを見ていまして。
そんなイエスも、わたしが教育すればいい子になるはずですよ、なんてヨセフに言い、イエスにアルファからオメガまで、文字を教えだしました。
イエスは言います。
「あなたはアルファの本性も知らないくせに、どうして他の者にベータを教えるのです。偽善者よ、先ず知っているものなら、アルファを教えなさい。そうしたら、ベータについてもあなたを信用しましょう」(6:3)
本性ってなんだよ、って思いますが、教師は答えることができませんでした。まあそうでしょう。
そしてイエスは文字について解説を始めます。
「先生、第一の文字(A)の構成をお聞きなさい。そしてここで次のことに注意しなさい。この字は(二本の)直線と一本の中間線を持ち、これはご覧の通り(ふたつの)一緒になる直線を渡っている。そして(ふたつの)直線は一点に集り、上にあがり、輪舞し、ぐるりとまわって来る。Aという字は三部分の、同種の、同じ長さの直線を持っているのです」(6:4)
びっくりするほど意味がわかりませんけども、訳者の註を引用します。
<以上は字形の説明というよりAに関する寓喩であるらしい。しかしテクストはこわれているようで、意味は明白ではない。>(47頁)
テクストがこわれたせいにしちゃってますけど、イエスって往々にしてこういう意味不明なことを言う人だと思いますけどね。俺なんかにすりゃあ、ガキのころから意味不明なこと言ってたんだなあ、みたいな。三つ子の魂なんとやらで。
第7章。
省略されてます。ザッカイの嘆き、らしいです。
第8章。
まわりにいた人たちが、ザッカイを慰めていると、イエスは大笑いして言いました。
「今度はお前の方が実を結び、心の盲なら見えるようになるべきだ。私は上から来たもの、それはお前達のために私を遣した方が私に命ずる通りに、人を呪っては天へと呼ぶためなのだ」(8:1)
あんた、死神じゃないのか。
と思いきや、これまでイエスが呪いまくって死なせたりした人たちが復活しました。
それ以来、イエスを怒らせる人はいなくなったんだそうです。まそりゃそうだ。
第9章。
数日後。
<イエスは屋根の上の露台で遊んでいました。>(9:1)
露台つうのは広辞苑によるとバルコニーみたいなものらしいです。2階のベランダ、でいいのかな。3階でもいいけど。
まあ、友人と遊んでいたんですけど、ひとりが落っこちて、死んじゃったんです。
ほかの子どもたちはみな逃げてしまい、イエスがそこに立ちすくんでいると、死んだ子の親がやってきて、お前が突き落としたんだろ、と。
この親も、自分の子供が死んだからとはいえ、勇気のいる行為ですよこれは。
あんまりしつこく親が言うので、イエスは飛び下りて死んだ子のそばに立ちました。
「おいゼーノン──というのはその子はこういう名前でした──起きて言っておくれ、ぼくが君を突き落としたのかい」(9:3)
さあ、するとその倒れていた子供が起き上がりました。
「いいえ、主よ、あなたは突き落としたのではなく、生き返らせたのです」(9:3)
それでまあ、両親はありがたがってイエスを拝んだそうです。
第10章。
数日後、木を切っていた若者が、あやまって自分の足を切っちゃいます。そして出血多量で死んでしまいました。
ひとだかりのなかイエスがあらわれ、若者の足をつかみました。
すると治ってしまったそうです。
「すぐ起き上がるんだよ。木を割ったらぼくのことを思い出してね」(10:2)
なんて恩きせがましいことも言ってますけども、まわりにいた人たちはイエスを拝んで言いました。
「まことに神の霊がこの子の中に住んでいる」(10:2)
そういうこと言うとまた調子に乗るから。
第11章。
また別の奇蹟。
イエスは母親にいわれて、水瓶をもって水汲みに行ったんですね。
でも落として割ってしまいました。
<するとイエスは着ていた上衣を拡げ、それに水を満たして、母親のところに運んで来ました。>(11:2)
おそらく当時の衣類は水を通すんでしょうね。
だから、これは奇蹟なんでしょう。
だけど、割れた水瓶は戻ってこないわけで、これから水を汲みに行くときはどうすりゃいいんだ。毎回イエスが行くのか。それをあの子が承諾するのか。
第12章。
また奇蹟。
こんどは父親といっしょに種蒔きに行ったんだそうで。
イエスが蒔いたのは一粒なんですけど。
<そして刈り入れて脱穀すると一〇〇コル(約四万リットル)の麦がとれました。>(12:1)
貧しい人にも分け与えてよかったね、って話なんですけど、それじゃ父親が頑張って蒔いた意味がないですね。
<この徴[しるし]を行なったとき、少年は八歳でした。>(12:1)
まあ、あまり年齢に意味はないと思いますけども。42歳がやったとしても、奇蹟ですから。
第13章。
もう奇蹟乱発です。
大工である父のもとに、寝台を作ってくれという注文が入りました。
<ところが一枚の板がそれと組み合わせる板より短くて、ヨセフがどうしたものかと困っていますと>(13:1)
ヨセフっちゅうのは、大工としては恐ろしく無能だったんでしょうね。
別の板を用意すりゃいいんじゃないかと思いますけど、イエスは言います。
「二枚の木を下に置いて、真ん中からみて片方の端を合わせるのです。」(13:1)
言われたとおりヨセフがやってみると、当たり前ですがかたっぽは端が合わない。
そこをイエスが引っ張ると、板が伸びて、長さが同じになったんだそうです。
イエスは、板を伸ばす能力は持っていても、同じ長さにする能力は持ってなかったんでしょうね。
第14章。
ヨセフは、息子イエスが賢くなってはいるが、まだ文字を知らないので、やはり教師につけたほうがいいんではないかと思って連れて行きました。
教師は、まずギリシア文字、ついでヘブライ文字を教えましょう、と言いました。
<それはその教師が少年の知識のほどを知っていて怖れたからでした。>(14:1)
Aの意味はなんだ、とか言われるのはいやですからね。
厭だけどしかたがない。いろいろ教えてみましたが、イエスはノーリアクション。
そしてイエスは言います。
「あなたがほんとに先生で、よく文字を知っておいでなら、私にアルファの力を言ってごらんなさい。そしたら私はベータの力を申しましょう」(14:2)
おいでなすったね、イエスさん。
俺もやっちゃいそうですが、教師は怒ってイエスの頭を叩いちゃったんだそうで。
<すると少年は痛かったので教師を呪いました。すると先生は忽(たちま)ち気を失って倒れ、頭を地面にぶつけました。>(14:2)
あー。
こりゃ、死んだでしょうね。
イエスは家に帰りました。ヨセフはマリアに、外へ出すとすぐ人を殺しちゃうから、イエスを外へ出すなと言いました。
もっとはやく気づけよ。
第15章。
厄介なこどもであるイエスですけども、教師としちゃあ、チャレンジしたい対象であるようで。
別の教師が、自分がうまいこと言えば教えられるでしょう、と。
ヨセフは「兄弟よ、もし勇気がおありなら、この子を連れていって下さい」なんて言って送り出しました。
そして教室に入ったイエスは、前に立って語りはじめました。
<口を開いて聖霊によって語り、まわりに立って聞いている人達に律法を教えはじめました。大勢の人が集まって来てそばに立って聞いていましたが、その教えの美しさと言葉の巧みさとに驚いてしまいました。>(15:2)
ほんとかよ。いや、あの、もっと、信憑性のある嘘つこうよ。
家で待っていたヨセフが心配になって学校に来てみると、誰も死んでいませんでした。しかも教師は、イエスのことを褒めてくれました。
その様子を見ていたイエスは言います。
「あなたは正しく語りまた正しく証言したから、あなたのために、あの打たれた教師もいやされるのです」(15:4)
まあほんとナニサマのつもりか、って話ですけども、こないだ死んだ教師も生き返ったんだそうです。
第16章。
<ヨセフはその子ヤコブに、木を束にして家に運ぶよう命じました。>(16:1)
そういえばヨセフは既婚なんでしたね。異母兄弟ということでしょうか。
そんなヤコブが蝮(マムシ)に噛まれてしまいました。
あわや、というときにイエスが現れ、傷口に息を吹きかけると、治ったんだそうです。
蝮は裂けて死んでしまいました。
第17章。
近所のアカンボが死んじゃったんだそうです。
さあイエスの登場です。
イエスはアカンボを甦らせ、こう言いました。
「この子を起こして乳をやり、ぼくを憶えて下さい」(17:1)
ほんと、なんだろ、この子。
第18章。
建築現場で死んでいた人がいたので、生き返らせました。
この本に載っているのはここまで。
まあ、みなにおもしろがって読まれたんでしょうね、これ。おもしろかったです。
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