自分の仮説は神秘主義を突き詰めると唯物論になるというものだが、ショーレムは中途半端だと思う。
第五章 ショーレムのメシアニズムが起こした「ブリストル・ヴェンチュア」との同質性に注目している。ネイラーが美声をもって自 らをイスラエルの王と宣したのは、シャブタイ・ツヴィの運動の数年前のことであった。 一六五六年一〇月二三日、ネイラー以下八名が雨の中をブリストルに向かって進み、ネイラーは馬 の背に揺られ、徒歩で歩む婦人たちは自分たちのマントを馬が歩む道に投げ出して、「聖なるかな、 聖なるかな」と唱えた。それはあたかもイエスのエルサレム入城を再現したような光景であった。ブ リストルに着くと、野次馬がぞろぞろ彼らの後について歩いたので、市当局は直ちに一行を逮捕し、 議会に送った。いわゆる、「ブリストル・ヴェンチュア」である(ネイラーの千年王国論については 469, 470 を参照)。
注目すべきは、キリスト教徒の側からもユダヤ人の側からも、黙示録的傾向を具えた、ユートピア 的で、革命的なメシアニズムが類似現象として現れたことである。個人的な幻視体験や旧約の預言が、 千年王国論者の霊感に感応していたのである(372/117)。
ロイヤル・ソサイエティ
シャブタイ運動の反響は、追放以来修道院に隠棲していたスピノザにまで達していた。スピノザは、 シャブタイ・ツヴィ騒動にどのように反応したか。ブレーメン出身の、帝国学士院の秘書官となって いたハインリッヒ・オルデンブルクが一六六五年一二月初め、最初のセンセーショナルな報告が届い た直後にスピノザに宛ててこう書いている。「政治の点で、ここロンドンでは至る所で、ユダヤ人が 散り散りになって以後、二〇〇〇年以上も経ってから、彼らが祖国に帰還するのではないかという噂 でもちきりです」。「私の方では、この説に最も頻繁に接している町コンスタンティノープルの信頼で きる人々によって確かめられない限り、この知らせを信じることができないのです。万一この知らせ が本当のことであると証明されるならば、それが世界を全く変えてしまうことは確実でしょう」 (372/ 605f.)。そして、あなたはどう思うかと訊ねている(404/178f.)。イギリスでは、多くのプロテスタント がシャブタイ信仰を共有していたことが、この手紙からうかがえよう。
ロンドンの帝国学士院でも、千年王国論的感情が優勢であった(479)。 オルデンブルクは、アムス テルダムのユダヤ教徒たちがマラーノという背景を持っているがゆえに、おそらくそこでのシャブタ イの影響は甚しいであろうと予想して、シャブタイ・ツヴィが近くユダヤ人の国家を樹立する噂のあ ることを知らせ、スピノザのシャブタイへの心情を探っている。
残念だが、これに対するスピノザの返書は失われている。だがショーレムは次のように解釈してい る。スピノザは『神学・政治論―聖書の批判と言論の自由』 (403/上146) の中で、暫定的な期間では 聖書の批判と言論の自由』(403/146)の中で、暫定的な期間では あれ、ユダヤ人による支配の再建が不可能だとは考えられないと述べている (372/606)。スピノザの 意見によれば、割礼の実践によってユダヤ民族のアイデンティティは時代を通じて守られてきた(そ して割礼は今後も保持されるだろう)。その割礼の永続的実践から考えて、「私はこれ一つだけによっ てもこの民族は永遠に存続するだろうと信ずるほどである。つまり、周知のように人の世は移ろいや すいものだから、チャンスさえあれば、彼らが自分の王国を再建し、また神は御自らあらためて彼ら を選び出すであろう、と」。文献学的に慎重なショーレムは、「ここで、スピノザが、神がイスラエル をあらためて選び出すことについてのコメントを文字通りに理解してもらいたかったのかどうか、あ るいはそれは単なる修辞的表現に過ぎなかったのかどうか、われわれの目的にとっては重要ではな い」と解している。
205 204
スピノザ
神学政治論
#3
[十二]だから今日のユダヤ人は、自分たちが他のあらゆる民族以上にそれに恵まれていると言えるようなものを何一つ持っていない。それなのに彼らが長い年月にわたり、国を持つことなく散らばった状態でも存続してこられたのは、奇跡でもなんでもない。彼らは既に、万人の憎しみを引きよせてしまうほどに、他のあらゆる民族と隔たってしまっていたのである。それは他民族のものと全く合わない外的な儀礼のせいだけでなく、きわめて熱心に守られている割礼のしるしのせいでもある。
それにしても、さまざまな民族から憎まれることは、かえってユダヤ人の存続を大いに助けている。これは彼らの経験したことから見ても十分明らかだろう。かつてスペイン王が国教を受け入れるか国外に逃れるか迫った時(34)、かなり多くのユダヤ人が教皇の宗教[=カトリック]を受け入れた。ところが改宗した彼らには元からのスペイン人の持つ特権がみな認められ、どのような名誉ある職にも就く資格があるとされたものだから、彼らは直ちにスペイン人たちと混じり合い、いくらも経たないうちにユダヤ人としての痕跡も記憶も失われてしまった。これに対し、ポルトガル王に国教への改宗を迫られたユダヤ人たちには、これと正反対のことが起きた(35)。彼らは改宗したにもかかわらず誰とも交わらずに暮らし続けたが、これは明らかに、王が彼らに名誉ある職に就く資格を全く認めなかったからである。
この点では、割礼のしるしの効力も大きいと思われる。これ一つだけでもこの民族を永遠にわたって存続させられるだろうと確信できるほどである。それどころか、彼らの心が普遍宗教的な諸原理によって和らげられるならともかく、そうでない限り、わたしはこう信じて疑わない。変わりやすい人の世の出来事の中で、いつかその機会が与えられるなら、彼らは自分たちの国を再び打ち立てるし、神は彼らを改めて「選ぶ」だろう(36)。
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