https://oniwa.garden/tokyo-national-museum-tohaku/
本館の置くにある日本庭園は旧『寛永寺本坊』の庭園をルーツに持つとされる池泉回遊式庭園。お寺時代の庭園からはかなりの改修が重ねられていて、池泉や大名「有馬家」の墓石などその面影が残るのは一部のみですが、時代を経て回遊性も高められた庭園は多くの鑑賞者が散策する憩いの場となっています(2021年に通年公開にあたってバリアフリー対応や動線の再整備が実施)。以前は春・秋の限定公開だった通り、春の桜の時期や秋の紅葉時期が特に見頃。
庭園内には5棟の古い茶室/和風建築が移築されており、博物館の庭園ならではの「茶室の博物館」のような役目も。
■転合庵
本館から池を挟んで向かいにあるのが、大名茶人・小堀遠州が京都・六地蔵に建てた茶室「転合庵」。大原の『寂光庵』を経て1963年(昭和38年)にこの庭園に移築されました。
■春草盧
本館から見て池の右手側のほとりにある茶室「春草盧」は江戸時代~昭和時代の数寄者に好まれてきた茶室。江戸時代に摂津国の豪商・河村瑞賢により造営され、近代には横浜『三渓園』の原三渓、そして"昭和の電力王"と呼ばれ小田原や埼玉・新座に旧宅の庭園が残る"電力王"松永安左エ門が所有。1959年(昭和34年)に現在地に移築。
■六窓庵
転合庵と並びにあるこの茶室は5棟の中で最も古い時期、博物館(美術館)が上野に移った1877年(明治10年)の移築。元は奈良・興福寺にあった、大名茶人・金森宗和好みの茶室で、現在『奈良国立博物館』の庭園にある『八窓庵』と共に"大和三茶室"に数えられた名席。
トーハクの庭園に移ってからも一度解体・移築されたそうですが、近代に数寄屋大工の名工・木村清兵衛により再建されました。最も本格的な"露地庭"があるのはこの茶室で、水屋や腰掛待合は古筆了仲の設計。手水鉢も由緒があり、平安時代の関白・藤原忠平が建立した『法性寺』の石塔と言われます。
■九条館
元は京都の御所近く、現在『九条池・拾翠亭』となっている公家・九条家のお屋敷にあった建物で、明治時代の東京への転居に伴って移築された後、1936年(昭和11年)にこの地に移築されました。館の前には桜の木と枯山水庭園が作庭されています。
■応挙館(TOHAKU茶館)
九条館の並びにある和風建築「応挙館」は江戸時代の代表的な画家のひとり・円山応挙がかつて逗留したとされる書院建築。「日本最古の眼科」とも言われる愛知・名古屋の寺院『明眼院』に当初建てられ、近代の茶人としても有名な実業家・益田孝(益田鈍翁)が手に入れ屋敷に移築された後、1936年(昭和11年)にトーハクへと寄贈。
2024年2月~10月にかけてはカフェ『TOHAKU茶館』としても活用されています。
0 件のコメント:
コメントを投稿