「兜率天の巡礼」
「兜率天の巡礼」この短編は、
『ペルシャの幻術師(司馬遼太郎著)』
という文庫本に収められています。
これは5世紀頃、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルでキリスト教の権力闘争に敗れたネストリウス一族が中国を経て日本に辿り着いたという想定の小説です。
1625年、中国の農夫によって大きな碑が発見されました。
そこには中国王朝にキリスト教を信じる人々が手厚い庇護を受けて栄えていた時代の事柄が書かれていました。
司馬遼太郎はそのことをサンケイ新聞記者時代に取材し、短編を書いたらしいのです。
物語は社会科学の学者が主人公で、少女のように従順な妻が病床で突然発狂し、主人公に向かって反逆の言葉を吐いて亡くなります。
彼は妻の発狂の原因を遺伝と考え、その係累の調査を始めます。
その過程で、ユダヤの血をひく人々が遠い昔、故郷を追われてはるか東方の日本に流れ着いた場所とその証拠に出会うのです。
前半は、ネストリウス一族が追われ、その支持者だった人々が長安の都にたどりついて暮らします。
後半は、太秦の広隆寺が出てきて、聖徳太子と帰化人の秦河勝の関係や、何故、広隆寺が弥勒菩薩なのかということも書かれています。
主人公が「兜率天の曼陀羅」の天女の壁画を求めて最後にたどり着いたのは、嵯峨野にあった上品蓮台院弥勒菩薩堂です。
その剥げ落ちて染だらけの壁画を照らす一本の蝋燭の光の中で、 主人公は川や海や山や樹、そして何処から来て何処へ行くのかもわからないのに動いていく人、 個を絶した人の姿を見ます。
彼はその中に妻の顔を見て呻くようにその名前を呼びます。
この弥勒堂は昭和22年8月31日に炎上し、中に一体の焼死体が発見されました。
史実と想像を巧みに組み合わせ、構成されている内容です。
「弥勒はキリストに当たり、天国は兜率天に似る」
これは司馬遼太郎の推論に依ります。
日本では末法と呼ばれた時代に、弥勒浄土から阿弥陀浄土に乗り換えてしまいましたが、それ以前は弥勒が信仰されていました。
これが本格的な歴史ロマンというべきでしょう。
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