天學傳概 李祖白 Li Zubai
昭岡〇台小子台は予に音が近く、上注の子一人に
湯王は夏の紫王に野って、そこから帰って来て都の者に着くと、万邦の家に向かって大いに賞告をされた。玉はい
った。「ああ、波たち万の家人よ。一生懸命に手のいう話をきいてほしい。大いなる上布はよき道を下なる民に降された。きゅりのある与えられた性に離って、よくその道を安定するようにさせていくことこそは、君主というものである。
ところが、夏の築王は君主としての徳を失って力の方を振るい、店政を改たち万邦の人々の上に広く行った。数たち万
邦の人々はその害悪を受けて、ひどい苦しみに堪えきれず、広く無実の罪を天地の神々に訴えたのである。天の道理というものは、善なるものには幸いを与え、間違ったものには横いを与えるものである。そこで、天は災禍を夏に降すことによって、その罪を明らかにしたのである。
湯王の都。今の河南省商路県の東南。•
すべてわが更めて作った国においては、常道に反したことには従ってはならぬ。慢心と運供に陥ってはならない。
各人は汝たちの法則を守って、天のよきものを受けるようにせよ。液たちに華行があるときには、予はすことなどはせずに明らかにするし、罪が手自身に当たるときには、自身をすことなどはせずにする。それをみてきめることは、すべて上帝の心のままなのである。もしも汝たち万に罪が生じたならば、それは子自身の責任であるし、子自身に罪が生じたならば、それは改たち万邦に及ぼすことのないようにしたい。ああ、願わくはどうかよく真心をつくしたいものである。そのようにすれば、終わりを全うすることができるであろう。
B
見之《詩》
★曰:「文王在上,於昭於天;…文王陟降,在帝左右。」「詩経」大雅・文王篇 第6章
(文王の神霊は天上にあり、あの天に輝きを放っている。[周は古い国ではあるが、国運に新しい気運が現れた。周の前途は実に輝かしく、天の意志は阻むことができない。]文王の神霊は昇り降りし、いかなる時も天帝の傍らにいる。) 112:56,58
文王の御霊は天に居り、ああ天に輝く。周は古い国であるが、天命を受けて周を新たにした。周の国威は大いに明
らかに、その天命はいとも長けり。文王の御霊は天地を昇下し、上帝の側に仕える。
勤め励む文王は、善き誉れがと絶えない。周に恵みを積み重ねた。文王の子孫、文王の子孫は、本末百世までも栄えた。
すべての間のおば、大いに輝き世々栄えた。
代々輝ける土はかくも多けり。偉大なる多き土はこの国に生まれた。この国によくぞ生まれし、これぞ周の支え。偉大なる多き土よ、おかげで女王も安心なされる。
★曰:「維此文王翼翼,昭事上帝。
天鑒在下,有命既集。
上帝臨女,無貳爾心。」詩経・大雅・大明
( 文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願った。
[その結果、周に多福をもたらした。])
(天は下界をみそなわし 今ぞ天命は下された。)
(上帝女<音汝>に臨めり、爾の心に貳[うたが]い無かれ。)
★曰:「皇矣上帝,臨下有赫。」大雅 -文王之什 -皇矣
(皇[おお]いなるかな上帝、下を臨[み]ること赫[あき]<叶黑各反>らかなること有り)
★ 「敬天之怒,無敢戲豫;敬天之渝,無敢馳驅。」 詩經 -> 大雅 -> 生民之什
(天の怒りを敬んで、敢えて戲れ豫[やす]んずること無かれ。天の渝[か]<音兪>われるを敬んで、敢えて馳せ驅すること無かれ。)
★曰:「蕩蕩上帝,下民之辟。天生烝民,其命匪諶。」詩経 / 大雅・蕩之什・蕩
(広大な徳を有される天帝は
天下の民に君臨される。
そのはずの天帝が下す命には、
民を苦しめるものがこうも多い。
天は民をお産みになりはしたが、
天命は常に民を守りはしない。
人は、始めこそ慎ましくおるものの、
それを最期まで貫き通せる者は
実に少なきこと。)
★曰:「口我來牟,上帝率育。」《詩經.周頌.執競》:「貽我來牟,帝命率育。」
「口我來牟,上帝率育」 は、かなり近い形で
「貽我來牟,帝命率育」
という『詩経』の句に見えます。(ctext.org)
https://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&char=來牟&remap=gb
「來牟」は古注で小麦や大麦を指す語として扱われています。(ctext.org)
「帝命率育」は、天帝の命によって広く養い育てるという意味で解されています。(ctext.org)
✨ 全体の意味
自然な日本語にすると、だいたい次の意味です。
(麦を与えられ、上帝の命によって人々が広く養われる。 )
★曰:「赫赫姜嫄,其 德不同。上帝是依......『無貳無虞,上帝臨女。』」閟宫(ひきゅう)
https://www.guwendao.net/mingju/juv_9ddc918fda14.aspx
《赫赫(かがや)かしきは姜嫄、その徳たがうことなければ、 上帝もここに依りたもうて、(周の先祖后稷をみごもらせたもうた)。…
(武王は言った)「ふたごころあるなかれ、虞(はかりごと)するなかれ。上帝汝を見守りたもうゆえに」と。》角川文庫 詩経
C
《魯論》「魯論(ろろん)」は、孔子の言行録『論語』の異本の一つで、現在伝わる『論語』の底本となった系統。
★曰:「獲罪於天,無所禱也。」「論語」八佾第三13
(天に対して罪を犯せば、祈っても無駄ですよ。)
★曰:「予所否者,天厭之,天厭之。」「論語」雍也第六26
(もし私によくないところがあれば、天の神様は見限るだろう。天の神様は私を見捨てるだろう。)
★曰:「丘之禱久矣。」述而第七34
(もし私によくないところがあれば、天の神様は見限るだろう。天の神様は私を見捨てるだろう。)
★曰:「畏天命。」季氏第十六 8
(天命を畏れ敬う。)
D
《中庸》
★曰:「郊社之禮,所以事上帝也。」中庸第十九章:武王周公其達孝 中庸19 3:2:2 新釈2:251頁
(郊外で典禮を行うのは天帝を祭ること)
https://blog.udn.com/hgprint/9183556
★曰:「上天之載,無聲無臭,至矣。」詩経(大雅文王篇)中庸33 6:3 新釈2:322頁
(「上天のことは声もなく臭いもない」と言うが、
実に聖王の徳をもって民を化するに、声もなく臭いもなくて、
民は自ら感化することを形容している。至れり尽くせりというべきである。)
E
《孟子》
★曰:「樂天者,保天下。畏天者,保其國。」梁恵王下 新釈4:50(3)
(天のことわりを楽しむ者は、天下を保ち、天に畏敬の念をいだく者は、国家を保つことができます。)
★曰:「順天者存,逆天者亡。」離婁上 4:248(7)
(天の理法に従う者は存続して栄え、天の理法に反する者は滅びる。)
★曰:「雖有惡人,齋戒沐浴,則可以事上帝。」卷之八 離婁章句下 中間部 4:301(25)
(どんなに醜い人であっても、斎戒沐浴して心身を清めたならば、上帝(天の神さま)もその人の祀(まつ)りを受け入れてくださるだろう。)
★曰:「存其心,養其性, 所以事天也。妖壽不貳,修身以俟之,所以立命也。」 卷之十三 盡心章句上 177節 冒頭 4:442(1)
(誰もが心の中に持っている理義を極めつくせば、人の本性が本来善であることが分かる。本性が善であることを知れば、それを与えてくれた天をも知ることになる。己の心を常に省みて察し、善なる本性を養うことが天に仕える道である。短命か長命かなどと気に掛ける事無く、ひたすら身を修めることに務めて天寿を待つ、それが立命乃ち天命を守る道なのである。)











































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