2026年10月10日土曜日

書経

 

天學傳概 李祖白 Li Zubai


康熙の暦獄
以下仮説。
徳島はずっとユダヤである。歴代の呼称、伊の国、阿波、徳島は全部ヘブル語に由来がある。
イはヘブル語で島の単数形(伊予は神の島の意)、阿波は父という意味のABBA、徳島の徳はユダヤという意味で徳川時代にマテオ・リッチが世界地図で使った如徳亜から。粟は脱穀を意味するタミル語説が強いが、神=太陽=父は意味的に交差する。稲は??。 大和は山の民と言われるが、ヤー(神=太陽)の元という意味であろう。マテオ・リッチの弟子筋の中国人天文学者が中ユ同祖論を唱えて1665年に死罪になった。
岡山のアバは古い呼び方が方言周圏論的に残った。
マテオ・リッチの世界地図は蜂須賀家は知っていただろう。 
ユダヤ理解には信用貨幣理解(ゾンバルト)が欠かせない。 
徐福は古代イスラエル系、複数の地点に上陸した。



A
《書》
①★★曰:「昭受上帝,天其申命用休。」『尚書』虞書・益稷 第五

②曰:「予畏上帝,不敢不正。」『尚書』(別名:『書経』)商書・湯誓 第10 新釈25:98
「(夏の桀王には多くの罪がある。)私は天上を統べる最高神(上帝)を敬い畏れている。それゆえ、その命に背いて彼の罪を正さない(討伐に行かない)わけにはいかないのだ。」





③★曰:「惟皇上帝,降衷於下民。」 商書・湯誥 (とうこう)
《大いなる天の上帝は、心の正しさという性質を人々にお与えになった。》角川文庫 書経

④★曰:「上帝妥佑下民。 :「惟簡在上帝之心。」 商書・湯誥 (とうこう) 26:404

上天は真心をもって下々の民を助けて下され、

 故に、子は天から命ぜられた明らかな成を行って、決して枚すことはないとしたのである。敢えて黒い牡牛を性にささげて、敢えて明らかに上天の神々に申し上げて、夏に罰を加えることを願ったのである。そこで、大いなる空人を求め、その伊武をえて、ともに力を合わせ、その上で改たち家人のために命の安んぜられることを願ったのである。上天は真心をもって下々の民を助けて下され、罪ある夏王は退けられた。天命には食い違いが起こることはなく、あたかも爆然として草木に花の咲くように、数限りない家民は本酒に繁栄した。天は子に命じて汝たちの国や家を安んじさせたのであるが、この際、眠は罪を天地の神々から得ることになりはしないかと、恐れおののいて危ぶみ、あたかも深に落ちてしまうかのように感じているのである。

昭岡〇台小子台は予に音が近く、上注の子一人に


大いなる上帝はよき道を下なる民に降された。  


湯王は夏の紫王に野って、そこから帰って来て都の者に着くと、万邦の家に向かって大いに賞告をされた。玉はい

った。「ああ、波たち万の家人よ。一生懸命に手のいう話をきいてほしい。大いなる上布はよき道を下なる民に降された。きゅりのある与えられた性に離って、よくその道を安定するようにさせていくことこそは、君主というものである。

ところが、夏の築王は君主としての徳を失って力の方を振るい、店政を改たち万邦の人々の上に広く行った。数たち万

邦の人々はその害悪を受けて、ひどい苦しみに堪えきれず、広く無実の罪を天地の神々に訴えたのである。天の道理というものは、善なるものには幸いを与え、間違ったものには横いを与えるものである。そこで、天は災禍を夏に降すことによって、その罪を明らかにしたのである。

湯王の都。今の河南省商路県の東南。•








「惟簡在上帝之心。」 商書・湯誥 (とうこう) 26:405

それをみてきめることは、すべて上帝の心のままなのである。


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V026P0049&scale=0.51632&top=2px&left=-111px&angle=0&mode=0


すべてわが更めて作った国においては、常道に反したことには従ってはならぬ。慢心と運供に陥ってはならない。

各人は汝たちの法則を守って、天のよきものを受けるようにせよ。液たちに華行があるときには、予はすことなどはせずに明らかにするし、罪が手自身に当たるときには、自身をすことなどはせずにする。それをみてきめることは、すべて上帝の心のままなのである。もしも汝たち万に罪が生じたならば、それは子自身の責任であるし、子自身に罪が生じたならば、それは改たち万邦に及ぼすことのないようにしたい。ああ、願わくはどうかよく真心をつくしたいものである。そのようにすれば、終わりを全うすることができるであろう。









⑤曰:「顧諟天之明命。」 泰誓上
《あの天帝の明らかな命令を目ではっきりと見て、天地の神に仕えられたのです。》太甲

⑥★曰:「天佑下民,作之君,作之師,惟其克相上帝。」泰誓上
《天は、地上にいる人々を助けようと、私をその君主とし、指導者とされました。さてそこで、私は天帝とともに、(天下四方を統べて安らがせようと思うのです。)》泰誓上

⑦★曰:「我亦不敢寧於上帝命,弗永遠念天威。」君奭(くんせき)
《私がこの位に止まっていることをよしとして下さいませ。私とて、敢えて天帝が降される天命に安んじているわけではございません。永く天の威光を念じ、我が王朝の人々が過つことがないようになさらないのですか。…》


B

見之《詩》

★曰:「文王在上,於昭於天;…文王陟降,在帝左右。」「詩経」大雅・文王篇 第6章

(文王の神霊は天上にあり、あの天に輝きを放っている。[周は古い国ではあるが、国運に新しい気運が現れた。周の前途は実に輝かしく、天の意志は阻むことができない。]文王の神霊は昇り降りし、いかなる時も天帝の傍らにいる。) 112:56,58


文王の御霊は天に居り、ああ天に輝く。周は古い国であるが、天命を受けて周を新たにした。周の国威は大いに明

らかに、その天命はいとも長けり。文王の御霊は天地を昇下し、上帝の側に仕える。

勤め励む文王は、善き誉れがと絶えない。周に恵みを積み重ねた。文王の子孫、文王の子孫は、本末百世までも栄えた。

すべての間のおば、大いに輝き世々栄えた。

代々輝ける土はかくも多けり。偉大なる多き土はこの国に生まれた。この国によくぞ生まれし、これぞ周の支え。偉大なる多き土よ、おかげで女王も安心なされる。




★曰:「維此文王翼翼,昭事上帝。

天鑒在下,有命既集。

上帝臨女,無貳爾心。」詩経・大雅・大明

( 文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願った。

     [その結果、周に多福をもたらした。])

(天は下界をみそなわし 今ぞ天命は下された。)

(上帝女<音汝>に臨めり、爾の心に貳[うたが]い無かれ。)





★曰:「皇矣上帝,臨下有赫。」大雅 -文王之什 -皇矣 

(皇[おお]いなるかな上帝、下を臨[み]ること赫[あき]<叶黑各反>らかなること有り)




★ 「敬天之怒,無敢戲豫;敬天之渝,無敢馳驅。」 詩經 -> 大雅 -> 生民之什 

(天の怒りを敬んで、敢えて戲れ豫[やす]んずること無かれ。天の渝[か]<音兪>われるを敬んで、敢えて馳せ驅すること無かれ。)



★曰:「蕩蕩上帝,下民之辟。天生烝民,其命匪諶。」詩経 / 大雅・蕩之什・蕩

(広大な徳を有される天帝は

 天下の民に君臨される。

  そのはずの天帝が下す命には、

  民を苦しめるものがこうも多い。

 天は民をお産みになりはしたが、

 天命は常に民を守りはしない。

  人は、始めこそ慎ましくおるものの、

  それを最期まで貫き通せる者は

  実に少なきこと。)




























★曰:「口我來牟,上帝率育。」《詩經.周頌.執競》:「貽我來牟,帝命率育。」

「口我來牟,上帝率育」 は、かなり近い形で
「貽我來牟,帝命率育」
という『詩経』の句に見えます。(ctext.org)

https://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&char=來牟&remap=gb

「來牟」は古注で小麦や大麦を指す語として扱われています。(ctext.org)
「帝命率育」は、
天帝の命によって広く養い育てるという意味で解されています。(ctext.org)

✨ 全体の意味

自然な日本語にすると、だいたい次の意味です。

(麦を与えられ、上帝の命によって人々が広く養われる。 )


★曰:「赫赫姜嫄,其 德不同。上帝是依......『無貳無虞,上帝臨女。』」閟宫(ひきゅう)

https://www.guwendao.net/mingju/juv_9ddc918fda14.aspx

《赫赫(かがや)かしきは姜嫄、その徳たがうことなければ、 上帝もここに依りたもうて、(周の先祖后稷をみごもらせたもうた)。…

(武王は言った)「ふたごころあるなかれ、虞(はかりごと)するなかれ。上帝汝を見守りたもうゆえに」と。》角川文庫 詩経


C

《魯論》「魯論(ろろん)」は、孔子の言行録『論語』の異本の一つで、現在伝わる『論語』の底本となった系統。

★曰:「獲罪於天,無所禱也。」「論語」八佾第三13

(天に対して罪を犯せば、祈っても無駄ですよ。)

★曰:「予所否者,天厭之,天厭之。」「論語」雍也第六26

(もし私によくないところがあれば、天の神様は見限るだろう。天の神様は私を見捨てるだろう。)

★曰:「丘之禱久矣。」述而第七34

(もし私によくないところがあれば、天の神様は見限るだろう。天の神様は私を見捨てるだろう。)

★曰:「畏天命。」季氏第十六 8

(天命を畏れ敬う。)


D

《中庸》

★曰:「郊社之禮,所以事上帝也。」中庸第十九章:武王周公其達孝 中庸19 3:2:2  新釈2:251頁

(郊外で典禮を行うのは天帝を祭ること)

https://blog.udn.com/hgprint/9183556

★曰:「上天之載,無聲無臭,至矣。」詩経(大雅文王篇)中庸33  6:3  新釈2:322頁

(「上天のことは声もなく臭いもない」と言うが、

実に聖王の徳をもって民を化するに、声もなく臭いもなくて、

民は自ら感化することを形容している。至れり尽くせりというべきである。)



E

《孟子》

★曰:「樂天者,保天下。畏天者,保其國。」梁恵王下 新釈4:50(3)

(天のことわりを楽しむ者は、天下を保ち、天に畏敬の念をいだく者は、国家を保つことができます。)

★曰:「順天者存,逆天者亡。」離婁上 4:248(7)

(天の理法に従う者は存続して栄え、天の理法に反する者は滅びる。)

★曰:「雖有惡人,齋戒沐浴,則可以事上帝。」卷之八 離婁章句下  中間部 4:301(25)

(どんなに醜い人であっても、斎戒沐浴して心身を清めたならば、上帝(天の神さま)もその人の祀(まつ)りを受け入れてくださるだろう。)

★曰:「存其心,養其性, 所以事天也。妖壽不貳,修身以俟之,所以立命也。」 卷之十三 盡心章句上 177節 冒頭 4:442(1)

(誰もが心の中に持っている理義を極めつくせば、人の本性が本来善であることが分かる。本性が善であることを知れば、それを与えてくれた天をも知ることになる。己の心を常に省みて察し、善なる本性を養うことが天に仕える道である。短命か長命かなどと気に掛ける事無く、ひたすら身を修めることに務めて天寿を待つ、それが立命乃ち天命を守る道なのである。)

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