This paper is forthcoming as a book chapter. Please cite as follows: Weber, Isabella M. (forthcoming). China's Ancient Principles of Price Regulation through Market Participation: The Guanzi from a Comparative Perspective. In: Schefold, Bertram and Iwo Amelung (Eds.), European and Chinese Histories of Economic Thought. Abingdon: Routledge, pp. 246-258).
参考:
Hu, Jichuang: A Concise History of Chinese Economic Thought. Beijing: Foreign Language Press, 2009.
Keynes, John Maynard: Review: The Economic Principles of Confucius and his School by Chen Huan-Chang. The Economic Journal, 22(88), pp. 584–88, 1912.
Keynes, John Maynard: The General Theory of Employment, Interest and Money. New York: Harcourt, Brace and World, 1936.
Rickett, W. Allyn: Kuan tzu f T: In: M. Loewe (ed.): Early Chinese Texts:A Bibliographical
Guide. New Haven, CT: Birdtrack Press, pp. 244-51, 1993.
Rickett, W. Allyn: Guanzi: Political, Economic and Philosophical Essays from Early China. Vol.II. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1998.
孔門34
王制第九
孔門117
是礼的主要方面。还有其他许多细节,我们将在其他章节予以研究。
(一)欲望的满足
礼的第一个功能是人类欲望的满足。荀子极为清楚地指出:
“礼起于何也?日:人生而有欲;欲而不得,则不能无求;求而无度量分界,则不能不争;争则乱,乱则穷。先王恶其乱也,故制礼义以分之,以养人之欲、给人之求,使欲必不穷乎物,物必不屈于欲,两者相持而长。是礼之所起也。故礼者,养也。刍豢稻梁,五味调香,所以养口也;椒兰芬苾,所以养鼻也;雕琢刻镂,黼黻文章,所以养目也;钟鼓、管磬、琴瑟、等笙,所以养耳也;
疏房、檖貌、越席,床笫、几筵,所以养体也。故礼者,养也。”①
从荀子的论述中我们知道礼的基本目的是满足人欲,礼不是源于宗教或伦理意义,而是出于经济的欲望。②因此,经济欲望是文明的基础。
孔子学说体系的一个特点是他将人欲作为自己哲学的基础,将经济
和伦理因素合为一条原则。他说:
“夫礼必本于天,动而之地,列而之事,变而从时,协于分艺,其居人也日养,其行之以货力、辞让、饮食、冠昏、丧祭、射御、朝聘。故礼义也者,人之大端也,所以讲信修睦而固人之肌肤之
- 《荀子•礼论第十九》,意为:礼是在什么情况下产生的呢?回答说:人生来就有欲望;如果想要什么而不能得到,就不能没有追求;如果一味追求而没有个标准限度,就不能不发生争夺;一发生争夺就会有祸乱,一有祸乱就会陷入困境。古代的圣王厌恶那祸乱,所以制定了礼义来确定人们的名分,以此来调养人们的欲望、满足人们的要求,使人们的欲望决不会由于物资的原因而不得满足,物资决不会因为人们的欲望而枯竭,使物资和欲望两者在互相制约中增长。这就是礼的起源。所以礼这种东西,是调养人们欲望的。牛羊猪狗等肉食和稻米谷子等细粮,五味调和的佳肴,是用来调养嘴巴的;椒树兰草香气芬芳,是用来调养鼻子的;在器具上雕图案,在礼服上绘彩色花纹,是用来调养眼睛的;钟、鼓、管、磬、琴、瑟、等、笙等乐器,是用来调养耳朵的;窗户通明的房间、深邃的朝堂、柔软的蒲席、床上的竹铺、矮桌与垫席,是用来调养躯体的。所以礼这种东西,是调养人们欲望的。
- 儒家称为礼的东西实际就是满足欲望的消费规则。孔子用!“礼”一词而不用经济术语
的原因只是因为他不是一个纯粹的经济学家。
礼儀の主要な側面です。他にも多くの詳細があり、他の章で検討いたします。
(一)欲望の満足
礼の第一の機能は人間の欲望を満たすことです。荀子は極めて明確に指摘した:
礼は何から始まりますか?日:人生に欲がある;欲が得られなければ、めないことはできない;求めるが度量の境界がなければ争わずにいられない;争えば乱れ、乱れれば貧しくなる。先王はその乱を嫌い、したがって礼義を制定して区分し、人の欲を養い、人の欲求を与えることで、欲が物に尽きず、物が欲に屈せず、両者は相持ちして長く続く。それは礼儀の所である。したがって礼とは、養うことである。稲の梁を耕し、五味の香り
を調和させ、口を養う;椒蘭の芳しい落は、鼻を養う:彫刻や彫刻、黼蔵
の文章は、目を養う;鐘鼓、管、琴誌、等は、耳を養う。
疎房、貌、越席、第、几筵、
だから体を養う。したがって、礼とは、養うことである。
1
荀子の論述から、礼の根本的な目的は人の欲望を満たすことであり、礼は宗教的または倫理的な意味に基づくものではなく、経済的な欲望に基づくものであるこ
とが分かります。2したがって、経済的欲求は文明の基礎です。
孔子の学説体系の特徴の一つは、人間の欲望を自らの哲学の基礎とし、経済を
倫理的要因と結合して一つの原則となります。彼は言いました:
礼は天に本くべきであり、動くべき場所、列すべき事、変化は時に従い、分芸と調和し、その居人は日々養われ、その行いは貨幣力、辞譲、飲食、冠
昏、喪祭、射、朝聘を通じて行う。
したがって礼義は人の大端であり、ゆ
えに信を語り、和を修め、人の肌を固める。
耍翻䛏
1『荀子・礼論第十九』は、礼はどのような状況で生じるのかという意味です。答えて申し上げます:人生は生まれつき欲望を持っています:欲しいものが得られないのであれば、追求しないわけにはいきません:もし一方的に追求し、標準的な限度がなければ、争いを起こさないわけにはいきません;争いが起こると災いが生じ、災いが生じれば困難に陥ります。
古代の聖王はその災応を嫌悪し、礼義を制定して人々の位分を定
これにより人々の欲望を調養し、要求を満たすことで、人々の欲望が物資のために満たされなくなるこ
とはなく、物資が人々の欲望によって枯渇しないようにし、物資と欲望が相互に制約し合う中で増大するようにした。。これが礼の起源です。したがって、礼というものは、人々の欲望を養うものです。牛・羊・豚・犬などの肉食や米や栗などの細粒穀物は、
口の調子を養うために用いられます;胡椒
鼻の調養に用いられます:器具に模様を彫り、礼服に彩色の模様を描くことは、目
の調養に用いられます:鐘、太鼓、
管、、琴、、等、生などの楽器は、耳を調養するための:窓が明
るい部屋、深い朝堂、柔らかな蒲敷、ベッド上の竹敷き、低いテーブルと敷物は、身体を調養するために用
いられます。したがって、礼というものは、人々の欲望を養うものです。
2儒教が「礼」と呼ぶものは、実際には欲望を満たす消費の規則です。孔子用!「礼」という語を用い、経済その理由は、彼が純粋な経済学者ではないからです。
:117
荀子
礼論篇第十九(1)
明治書院『新釈漢文大系5 荀子』(藤井専英著、昭和四十一年)
sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/礼論篇第十九/reiron01/
礼とは、どこから発生したのであろうか?それは、人間とは生まれながらにして欲望があり、欲求して得ることができなければ、それでも求め続けずにはいられない性質がある。もしその求めるところに程度と限界が置かれなければ、必ず争うことになる。争いが起こればカオスとなって、カオスとなれば困窮するだろう。わが文明の建設者である先王たちはそのようなカオスを嫌ったので、礼義を制定して人間に区分を授け、これを通じて人間の欲求をうまく充たしてやり、人間の求めるものを与えて、人間の欲望が財物を己のものに奪い尽くしてしまわないように仕向け、財物が人間の欲求を無限に高揚させてしまわないように仕向け、欲求と財物の両者がバランスを保ちながら成長するように仕向けたのであった。これが、礼の発生した由来である。ゆえに、礼とは人間の欲求をよく養うものである。家畜の肉に穀物、五味に香辛料は、口の欲求を養う財物である。椒(さんしょう)に蘭、香草のたぐいは、鼻の欲求を養う対象である。器物調度の模様や衣装礼服の文様は、目の欲求を養う財物である。大鐘(おおがね)に管(ふえ)に磬(けい。大小の石板を並べて音階をつけた打楽器)、琴瑟(こと)に笙竽(しょうのふえ)は、耳の欲求を養う財物である。風通しのよい部屋に奥深い宮室、越席(かつせき。蒲のむしろ)に牀笫(しょうし。寝台の上に敷くすのこ)に几(き。ひじかけ)に筵(むしろ)は、身体の欲求を養う財物である。(これら礼が取り扱う財物は、すべて人間の欲求をよく養うものである。ゆえに、)礼とは人間の欲求を養うものなのである。
www.sidneyluo.net/h/h02/19.html
荀子
sorai.s502.xrea.com/website/xunzi/礼論篇第十九/reiron01/
礼とは、どこから発生したのであろうか?それは、人間とは生まれながらにして欲望があり、欲求して得ることができなければ、それでも求め続けずにはいられない性質がある。もしその求めるところに程度と限界が置かれなければ、必ず争うことになる。争いが起こればカオスとなって、カオスとなれば困窮するだろう。わが文明の建設者である先王たちはそのようなカオスを嫌ったので、礼義を制定して人間に区分を授け、これを通じて人間の欲求をうまく充たしてやり、人間の求めるものを与えて、人間の欲望が財物を己のものに奪い尽くしてしまわないように仕向け、財物が人間の欲求を無限に高揚させてしまわないように仕向け、欲求と財物の両者がバランスを保ちながら成長するように仕向けたのであった。これが、礼の発生した由来である。ゆえに、礼とは人間の欲求をよく養うものである。家畜の肉に穀物、五味に香辛料は、口の欲求を養う財物である。椒(さんしょう)に蘭、香草のたぐいは、鼻の欲求を養う対象である。器物調度の模様や衣装礼服の文様は、目の欲求を養う財物である。大鐘(おおがね)に管(ふえ)に磬(けい。大小の石板を並べて音階をつけた打楽器)、琴瑟(こと)に笙竽(しょうのふえ)は、耳の欲求を養う財物である。風通しのよい部屋に奥深い宮室、越席(かつせき。蒲のむしろ)に牀笫(しょうし。寝台の上に敷くすのこ)に几(き。ひじかけ)に筵(むしろ)は、身体の欲求を養う財物である。(これら礼が取り扱う財物は、すべて人間の欲求をよく養うものである。ゆえに、)礼とは人間の欲求を養うものなのである。
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禮論篇第十九
禮起於何也?曰:人生而有欲,欲而不得,則不能無求。求而無度量分界,則不能不爭。爭則亂,亂則窮。先王惡其亂也,故制禮義以分之,以養人之欲,給人之求。使欲必不窮於物,物必不屈於欲。兩者相持而長,是禮之所起也。故禮者養也。芻豢稻梁,五味調香,所以養口也;椒蘭芬苾,所以養鼻也;雕琢刻鏤,黼黻文章,所以養目也;鍾鼓管磬,琴瑟竽笙,所以養耳也;疏房檖䫉越席床笫几筵,所以養體也。故禮者養也。
荀子
礼論篇第十九
礼はどこから始まりますか?曰く、人生に欲があり、欲が得られないのであれば、求めないことはできない。求めても度量の境界がなければ、争わずにはいられません。争うと乱れ、乱れれば窮する。先王はその乱を嫌い、したがって礼義を制定し、それを区別し、人の欲望を養い、人の欲求を与えるためである。欲は物に尽きることなく、物は欲に屈しない。両者が相持ちし、長く続くことは、礼の起り所である。したがって、礼は養うものです。稲の梁を芻葢し、五味を調香し、口を養う;胡椒と蘭の芳しい苾は鼻を養う;彫刻・刻み、黼軻�の文章は目を養う;鐘鼓管磬、琴瑟竽笙は耳を養う;疎房檖䫉越席床笫几筵、体養。したがって、礼は養うものです。
禮起於何也?曰:人生而有欲,欲而不得,則不能無求。求而無度量分界,則不能不爭;爭則亂,亂則窮。先王惡其亂也。故制禮義以分之,以養人之欲,給人之求、使欲必不窮乎物,物必不屈於欲、兩者相持而長。是禮之所起也。 禮、何くより起(おこ)るや?曰く、人生まれて欲有り,欲して得ざれば,則ち求め無きこと能はず。求めて度量分界無ければ,則ち爭はざること能はず;爭へば則ち亂れ,亂るれば則ち窮す。先王、其の亂を惡むなり。故に禮義を制し以て之を分かち,以て人の欲を養ひ,人の求めを給し、欲をして必ず物に窮せず,物をして必ず欲に屈さず、兩者をして相ひ持して長せしむ。是れ禮の起る所なり。
新釈
卷第十三
禮論篤第+九
礼の起原を論じて、人間の欲望を調節する必要からと述べ、天地・先祖・君師を礼の三大根源と論じて礼の用に及び、礼は性情と文節がこもごも備わって、その中道を行くべきものであり、礼のうちで、喪礼こそ最も厳粛につとめるべきものであると言って、本舗の半ば以上をこれにあてて詳説し、最後に祭礼を説いている。
禮起於何一也。 日、人生而有欲、
而不\得、則 不/能V無/求。求而無=度量分界一 則不V能/不/爭。 爭則亂、亂則窮。 先王惡=其亂一也。 故制禮義以分)之、. 以養一人之欲、給人之求、使T欲必不/窮=乎物、 物必不•屈於欲兩者
相持雨長。是禮之所以超一也。
故禮
者養也。 芻缘稻粱、五味調香、
感は何に起るや。皆く、バ生れながらにして欲有り、欲して
得されば、賦ち求むること無き態はず。求めて鹿量・外界無
ければ、賦ちばさることはず。第べば賊が職れ、嘘るれ
ば賊が窮す。先王は其の龍を悪む。故に遭裁をして出て立
をかち、出て心の欲を意び、心の来を結し、欲をして必ず物
をめず、物をして必ず欲を限ささらしめ、雨者相押して長
ぜしむるなり。是れ感の越る服なり。故に遭なる者は意な
り。、精、五味・調香は、日を養ぶ崩以なり。機酸・
以養P口也。 椒蘭芬芳、所H以 養7鼻 也。
彫琢刻鏤、 黼黻女章、所3以 養P目 也。
を煮る脳以なり。無数・管容、愛選・年は、形を服
鍾鼓管磬、琴瑟竽笙所H以 養°耳也。
6:下545(107)
礼は何のために起ったものか。日く、人間は生まれたままの姿において本能的に欲求する心があるのであり、欲求心があってその目的が達せられないと飽くまでも追求せずにおれぬのであり、その追求に一定の程度限界がないと(有限の物で無限の欲求を満たす事は不可能だから)必然的に争いを起さぬわけにはいかなくなる。相争う事となれば社会は混乱し、混乱すれば窮地に陥る事となる。そこで先王たる聖王は、その混乱を悪み嫌ったのである。故に礼義を制定して種種の分界を設け、それによって人々の欲求を適切に育て上げ、人々の追求心を満足させ、欲の方が無限に増大して物を添く己の手中に取り入れようとすることなく、物もまた人の欲求心を刺して際限なく生起させるような事をしない、というように、欲と物との両者がお互いに相俟って調和のとれるように育ててゆこうとするのである。これが礼の発生した起原である。随って、礼は人々の欲求を(ひいては欲望を)五官の面において適度に養う働きをなすものである。故に牛
羊・大・稲梁や五味の調和のとれた食物は味覚を快くする点において口を養うためのものであり、椒や開や香りよき香草は嗅覚を快くする点において県を養うためのものであり、玉石・金木の彫刻や服地の美しい色彩・文様は視覚を快くする点において目を養うためのものであり、鐘・管薯や琴速・は聴覚を快くする点において耳を養うためのものであり、明るく風通しのよい部屋や奥深く幽達な部屋や蒲のむしろ・寝台・すのこ・ひじかけ・敷物などは触覚を快くする点において体を養うためのものである。故に礼というものは人を養う働きがあるものである。君子はその養という働きを得たならば次には更に瓣別を設けたいと思うのである。(何となれば、すべての人を同様に養うという事は到底不可能であるからである。何を別というかというと、貴賤の間に等級があり、長幼の間に差別があり、経済的な貧富や社会的身分の軽重の間にも皆それぞれに適当したものがある。故に天子は大路に乗り蒲の席を敷くのは(無上に尊い者として)体を養うためであり、側に沢蘭や白正の香草を置くのは臭を養うためであり、車の前に美しく影刻文彩を施した横木のあるのは
目を養うためであり、車上の鈴の鳴る音は車が徐行する時は武や象の調に中り、旅行する時は部や漢の調に中るのは耳を養うためであり、九つのはたあし付の竜を画いた旗を立てるのは万人が遠く望んで至尊を知るがためであり、伏した児と一匹の虎を車輪に描いて飾りとし、較の形を描いた馬の腹帯をつけ、絹糸で織った車の覆い布をかけ、車の朝の末端を金で飾り竜首をつける事などは威厳を養うためである。故に大路の車に繋ぐ馬は極めてよく馴らされ数練も行き届き、その上でこれに乗るのは安泰を養うためのものである。(次に臣庶について見ると、先王の制作した礼によれば)あの進んで身命を捧げて節義を立てるという事は、実は体を受けてわが生命を養うためのものである事を十分にわきまえ、あの費用を出して社交上の贈答をなして親しくするということが、実はお互いの心を和やかにすることによってわが財産を養5(安全にする)ためのものである事を十分にわきまえ、あの敬辞譲である事が一見非常に繁労苦痛であるように受け取れるが、実は人より愛せられてわが身を安泰にするためのものである事を十分にわきまえ、あの礼義文理を守って勝手放題な行為はしないということが何か窮屈で人間の本性に戻るような感じがするが、実はそれによって欲を縦にして身を亡ぼすことがないから、わが性情を生養するためのものである事を十分にわきまえることとなるのである。故に人はもし徒に生にぱかりとらわれて(出死要節することに心をかけずに)いると、或は憎まれ或は罪を得て生命を失う結果となり、又もし徒に己の利益ばかりにとらわれて(費用を出すことに気を配らずに)いると、人から憎まれて損害を蒙る結果となり、又もし徒に怠開放縦をよきことと見て(敬酔議の努力を払うことを忘れて)いると、人から嫌われて身は危殆となり、又もし感情の赴くがままに淫乱放な生活をして楽しみとし(礼義文理を守ることを忘れ)ていると、ついにその身を滅ぼしてしまうこととなる。故に人は生・財・安・情を養うのに専ら礼義による時は礼義も情性も共に併せ得て満足させることが出来るが、逆に情性による時は礼義・情性の両方とも失うこととなる。故に儒者は礼義を尊ぶ者であるから、人にこの両者を併せて満足させようと心懸けるのであるが、墨者は礼義を軽んじあなどる者であるから、人をしてこの両方を共に失わせようとするものである。これが儒者と墨者との相異点である。




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