2026年10月24日土曜日

中国古典入門メモ

 


中国古典入門メモ


日本の元号は

易経、

書経から取られてきた。

自分の祖父の名も元吉で易経からだ。

令和も元々は中国古典から。


新釈漢文大系が月々2200円で読み放題になっている。

高いと感じる人もいるだろうがこれをきっかけに中国古典入門を書いてみたい。

リンクも貼るようになるべくする。

 


老子

何よりまず老子だ。

これはタルコフスキー 『ストーカー』で引用されている。

荘子

老荘思想ということであれば

『乱』のラスト

邯鄲の夢

ゴダールの遺作『シナリオス』は荘子の朗読で終わる。これはサルトル経由だろうが

ドゥルーズ器官なき身体の趣もある。この引用の後朝三暮四が出てくる。



 古事記に影響を与えたのが淮南子


ただ一神教が中国で支配的だったという説がある。

1664年天学伝概



書経

礼經

論語

中庸

詩経


ラフカディオハーン

サンドニ侯爵


杣浩二

ライアン




アダム・シャール マテオ・リッチ



経済学

孔門理財学




ケインズ



孟子



耿寿昌


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V020P0314&scale=0.51632&top=-126px&left=-49px&angle=0&mode=0


20十八史略304

西漢*第二

四年に、太司農の取寿昌が建白して、都を離れた辺部な各郡にみな倉庫を造らせ、米穀の相場が安いときは、値段を高く買い入れて農民をたすけ、相場が高いときは、値段を安く売り出して、一般人民の福利を計ることにした。この倉庫に名づけて常平倉といった。

*

前漢(ぜんかん、紀元前206年 - 8年)は、中国の王朝である。









イザベル・ヴェーバー

管子


ライプニッツ



。。。。


李克


https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html



21. 十八史略(下) P277 

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殺し、廃立を謀る 昭宗皇帝 昭宗皇帝、前烈と恢復するの志あり 銭鏐、杭州を領す 董昌、僭号す 李克用、行瑜を斬る 

新釈漢文大系

22. 十八史略(下) P286 

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群雄割拠 朱三、汝天子と作るか 蜀主王建、帝と称す 楊行密、呉王と為る 李克用、晉に王たり 李茂貞、岐に王たり 

新釈漢文大系

23. 十八史略(下) P287 

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薛阿檀 存孝 存信 汴の兵、再び晋陽を囲む 李克用卒す

新釈漢文大系

24. 中国名詞選 人名索引 

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新釈漢文大系 第84巻

新釈漢文大系

25. 中国名詞選 P67 

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五胡十六国 沙陀 突厥(けつ) 王衍 黄巣 朱邪赤心 朱全忠 朱友珪 朱友貞 唐の昭宗 李国昌 李克用 李存勖 

新釈漢文大系

26. 中国名詞選 P70 

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十三、醉妝詞 前蜀 王 衍 酔妝詞 王衍 黄巣 徐賢妃 龐勛 煬帝 李克用 李存勖

新釈漢文大系

27. 白氏文集 全巻総目次 

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新釈漢文大系 第109巻

新釈漢文大系

28. 白氏文集(六) P397 

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鄭滑院官李克恭可二試大理評事一。獨孤操可二衞佐一。並依二前知院事一。同制 六册 卷三十五 中書制誥 五 知汴州院官・侍御史盧濛可二檢校倉部員外郞一。陝府院官盧台 



易経 書経



老子

荘子


淮南子


書経

礼經

論語

中庸

詩経



論語

孟子


管子



常平倉1912

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/1912.html

ケインズと論語

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/1912-httpsfreeassociations2020.html@

作業中

https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/06/blog-post_19.html

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwen-eight-legged-essay-8-1902-282_60.html

礼記

https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2020/06/wikipedia-httpsja.html

孔子関連:「萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」(『近思録』他)

http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_5.html

ケインズ孔門理財学書評1921脚注

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwen-eight-legged-essay-8-1902-282_60.html



管子 Guanzi 法家?

https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2023/02/wikipedia_17.html


孟子

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/07/blog-post_93.html


参考:

NAMs出版プロジェクト: バンコール(経済学)1940~2

http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html

ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年)

http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html


Chen Huan-Chang 陳煥章 1881~1933(康有為の弟子らしい)

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/chen-huan-chang-18811933.html


孔門理財学

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/blog-post_12.html

目次

https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/blog-post_99.html




ウォレス国際版常平倉の元ネタをケインズは1912年すでに書評していた。

261

管子 軽重より

重農軽商

 桓公曰、吾欲殺正商賈之利、而益農夫之事。為此有道乎。管子対日、粟重、而万物軽。 粟軽、而万物重。

両者不衡立。故殺正商賈之利、而益農夫之事、則請重粟之価、釜三百。若是、則田野大辟、而農夫勤其事矣。

桓公曰、重之有道乎。管子对曰、請以令与大夫城藏、使卿諸侯蔵千鍾、令大夫藏五百鍾、列大夫藏百鍾、富

商蓄賈蔵五十鍾。內可以為国委、外可以益農夫之事。桓公曰、善。下令卿諸侯令大夫城藏。農夫辟其五穀、

三倍其賈。則正商失其而農夫有百倍之利矣。



 桓公(しょうこう)曰く、「われ、正商賈の利を殺ぎて、農夫の事を益(ま)さんと欲(ほっ)す。これをなすに道

あるか」。管子対(こた)えて曰く、「粟(ぞく)重ければ、万物軽し。栗軽ければ、万物重し。両者衡(こう)

立せず。故に正商賈の利を殺ぎて、農夫の事を益さんには、すなわち請う、栗の価を

重くして、釜(ふ)ごとに三百にせん。かくのごとくば、すなわち田野大いに辟(ひら)けて、農夫

その事に勧めん」。 桓公曰く、「これを重くするに道あるか」。 管子対えて曰く、「請

令をもって大夫とともに蔵を城(きず)き、卿諸侯をして千鍾(しょう)を蔵(おさ)め、令大夫をして五百鍾を

蔵め、列大夫をして百鍾を蔵め、富商蓄賈をして五十鍾を蔵めしめん。 内はもって国

委となすべく、外はもって農夫の事を益すべし」。桓公曰く、「善し」。令を卿諸侯、

令丈夫に下し、蔵を城かしむ。 農夫、 その五穀を辟き、その賈(あたい)を三倍にす。 すなわち

正商、その事を失いて、農夫、百倍の利あり。



 桓(かん)公が管仲にたずねた。

「大商人の儲けを減らして農民の懐(ふところ)をうるおしてやりたい。 よい策はないか」

「穀物の価格が上がれば諸物価は下がります。 逆に諸物価が上がれば穀物の価格

は下がります。このふたつは両立しません。ですから、大商人の儲けを減らして

農民の懐をうるおすには、穀物の価格を一釜三百円に上げてやることです。 そう

すれば農民はきっと耕作にはげむようになると思います」

「穀物の価格を上げるにはどうするか」

「まず諸侯、大臣、上大夫に命じて穀倉をつくらせるのです。そのあとで諸侯や

重臣には千鍾(しょう)、上大夫には五百鍾、中大夫には百鍾、豪商には五十鍾ずつ穀物を

貯蔵させます。 こうすれば、国庫の貯蔵をふやすことにもなりますし、農民の懐

をうるおすこともできましょう」

「なるほど」

 桓公はすぐさま、諸侯、大臣、上大夫に命じて穀倉をつくらせた。買い手が多

くなったために、農民は手持の穀物を高く売ることができ、価格は三倍にはね上

がった。その結果、大商人は打撃を受け、農民は莫大な利益をあげることができ

た。


*イザベラ・ウェーバーが参照

(倉への着目は儒学派よりはやい。価格論としても世界最古か。)


https://love-and-theft-2014.blogspot.com/2023/02/wikipedia_17.html


参考

無為=レッセフェール(laissez-fair)/ケネー 1758

http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/laissez-fair.html?m=0


イザベラ・ウェーバー

https://iitomo2010.blogspot.com/2023/02/weber-guonzi.html

https://iitomo2010.blogspot.com/2023/02/blog-post_679.html 



ケインズ書評


https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/06/baguwen-eight-legged-essay-8-1902-282_60.html


  • 3. 詩経(上) P256 
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    溱洧 洧の外は 維に士と女と 伊に其れ相謔し 之に贈るに勺薬を以てす 士曰く既にせり 士と女と 女曰く観せんか 溱と洧と 且に往きて観せん 洵に訏にして且つ楽し 
    新釈漢文大系
  • 4. 詩経(上) P257 
    登録する

    維に士と女と 伊に其れ将謔し 之に贈るに勺薬を以てす 士曰く既にせり 士と女と 女曰く観せんか 
    溱と洧と 且に往きて観せん 洵に訏にして且つ楽し 瀏として其れ清 


110上詩経

244

溱水と洧水とに、今、水は湛々と満ちあふれ、男たち女たちは、が間を手に今(上日の祭りに)興じる。女が言った「灌(みそぎ)しましょう」。男が言った「もうおわったよ」。「いっしょに港にいきましょうよ」。清水のほとりは、ほんとに広くて楽しいところ。そこで男と女とは、ともにたわむれちぎりあい、外薬を贈るのであった。

溱水と水とは、深く清らかに流れる。男たち女たち、大勢でにぎわう。女が言った「灌しましょう」。男が言った「もうおわったよ」。「いっしょに灌にいきましょうよ」。浦水のほとりは、ほんとに広くて楽しいところ、そこで男と女とは、ともにたわむれちぎりあい、外薬を贈るのであった。

黒題•湊与浦湊水と水。の国を流れる二つの河の名(毛伝)。〇



ウォレス国際版常平倉の元ネタをケインズは1912年すでに書評していた。


https://baike.baidu.com/item/%E9%99%88%E7%84%95%E7%AB%A0/9998390

梅纳德·凯恩斯《孔门理财学》书评

有一次,孔子感叹道:“庶矣哉!”冉有曰:“既庶矣,又何加焉?”曰:“富之。”曰:“既富矣,又何加焉?”曰:“教之。”


在另一场合,孔子说“日省月试,既廪称事,所以劝百工也”,这实际上阐明了他的工资理论。还有,孔子不允许土地成为私人所有的对象。孔子认为取息没有错;因为资本是母亲,息是她的孩子。[1]在关税事务方面,孔子是一位极端的贸易自由论者。


ある時、孔子は「民はすでに繁栄しているな!」と感嘆した。冉有が「すでに繁栄しているのに、さらに何を加えるのでしょうか」と尋ねると、孔子は「富ませるのだ」と答えた。冉有が「すでに富んでいるのに、さらに何を加えるのでしょうか」と再び尋ねると、孔子は「教育するのだ」と答えた。」


新釈1:288


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V001P0300&scale=0.51632&top=-48px&left=78px&angle=0&mode=0


孔子が衛の国へ行ったとき、舟有がお供をして馬車を御していた。孔子が車上から衛国の様子を見て、「さても人口が多いことだなあ」と、感嘆の声を出した。有は、「はい、なかなか人口が多くて、にきやかでございますが、この上は何をしたらよろしゅうございますか」と質問した。孔子は、「民を富ましめて、国民生活を豊かにすることだ」と答えた。舟

有は更に、「人民が富んでゆたかになり、生活が安定したら、この上何をつけ加えましょうや」と質問した。孔子は、「民を教育して、人たるの道をふましめることだ」と教えた。


孔子#8,e:95,c:60 教育

http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note1309


13-09 先生が衛の国へ行かれたとき、冉有が御者であった。先生が「[衛の人口は]多いね。」と言われたので、冉有は「多くなったら、さらに何をしたものでしょ う。」と言うと、「富ませよう。」と言われた。「富ましたら、さらに何をしたものでしょう」と言うと、「教育しよう。」と言われた。




また別の機会には、孔子は「日省月試、既廪称事、所以勧百工也」と述べたが、これは実質的に彼の賃金理論を明らかにしている。


中庸#18,e:316,c:195 工


さらに中庸(9or20or21章訳不定)から

新釈2:268


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V002P0280&scale=0.51632&top=-53px&left=-9px&angle=0&mode=0


日ごと月ごとにその工作を点検し 、仕事ぶりに応じた扶持米を与えるようにすると 、それがもろもろの工人たちをはげますことになる 。(岩波文庫)


日々その仕事ぶりを観察し月々に仕事の出来を試験して 、月給が仕事と釣り合うようにするのが 、技術者を励ます方法である 。(角川文庫)


日々月々に、製作者の精度・出来高などを検査するとともに、その仕事の能率に応じて扶持米を与えるようにする、これがつかさつかさの工人たちに精出させる方法である。

新釈













さらに、孔子は土地が私有の対象となることを認めなかった。孔子は利子を取ることに何ら過ちはないと考えていた。なぜなら、資本は母であり、利子はその子だからである。[1]関税問題に関しては、孔子は極端な貿易自由主義者であった。


这就是《孔门理财学》这本书的特色。不过,上述这些并不是陈焕章这一非常有趣之作的基本内容,而更多地是作为一些由头。其基本内容一部分属于中国经济史;一部分是世代相传的诗篇和格言,其所涉话题只与最广义理解的“经济”有关。其章节标题虽为“生产要素”、“分配”、“公共财政”等等,但装入这一牵强框架的是大量讨人喜欢的教诲性内容。为了证明在中国男女之防不是一开始就有的,他竟引用了《诗经》中的这样一节(孔子是将之作为淫猥风俗的坏例子的):


これこそが『孔門理財学』という本の特色である。しかし、上述した内容は、陳煥章によるこの非常に興味深い著作の基本的な内容というよりは、むしろ導入部としての役割を果たしている。その基本内容の一部は中国経済史に属し、一部は代々受け継がれてきた詩篇や格言であり、そこで扱われるテーマは、最も広義に解釈された「経済」にのみ関連している。各章のタイトルは「生産要素」「分配」「公共財政」などとなっているが、この無理やりな枠組みに詰め込まれているのは、多くの魅力的な教訓的な内容である。中国において男女の隔てが最初からあったわけではないことを証明するために、彼はなんと『詩経』の次の節を引用している(孔子はこれを淫猥な風習の悪い例として挙げていた):


上244


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V110P0256&scale=0.51632&top=-127px&left=-30px&angle=0&mode=0


溱与洧,

方涣涣兮。

士与女,

方秉蕑兮。

女曰“观乎?”

士曰“既且。”

“且往观乎!”

洧之外,

洵訏且乐。

维士与女,

伊其相谑,

赠之以勺药。








在“经济组织”一章中,我们读到《诗经》中的另一首诗,针对的是一名要他新婚不到三个月的妻子做女红的官员:


纠纠葛屦,

可以履霜。

掺掺女手,

可以缝裳。

要之襋之,

好人服之。

好人提提,

宛然左辟。

佩其象揥,

维是褊心。

是以为刺。


  • 2. 詩経(上) P296 
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    魏風 葛屨 
    糾糾たる葛屨 摻摻たる女手 以て霜を履む可し 以て裳を縫ふ可し
    新釈漢文大系

上284


よれよれの(夏ぐつの) 蔦のくつ、それで霜が踏めるという。かぼそき新妻の手、それではかまを縫いなさいという。腰帯びをつけよ、えりを縫えよと。(出来た服は)尊い方がおめしになる。

尊いお方は落ち着き払った身のこなし。道を譲っては作法どうりに身を左に避けなさる。象牙のかんざし差して立派なお姿。ただ心はしわくせこせこと、だから(この詩を作って)そしるのよ。







在对待老人方面,孔子规定:妇女五十岁无子,由政府供给衣食,并作为采诗的使者。按照陈焕章博士的说法,这说明孔子认为妇女可以胜任公职。“养老”是孔子的一条特别的原则。“按照《礼记·王制》,

五旬老人食用的是细粮,不同于给年轻人的;六旬老人常备肉食,以便随时取用;七旬老人一天有两次可口的肉食;八旬老人美食佳肴不断;九旬老人饮食不离寝室,无论他们闲逛到哪里,都要有可口的肉食、汤水相随。”


高齢者への対応について、孔子は次のように定めた。50歳で子供のない女性は、政府から衣食の支給を受け、さらに「採詩」の使者として派遣される。陳煥章博士によれば、これは孔子が女性が公職に就く能力があると認めていたことを示している。「養老」は、孔子の特別な原則の一つである。『礼記・王制』によれば、


五十歳の老人は若者とは異なる上質な穀物を食し、六十歳の老人にはいつでも食べられるよう肉料理が常備され、七十歳の老人には一日に二度、美味しい肉料理が振る舞われ、八十歳の老人には絶え間なく美食が供され、九十歳の老人には寝室で食事をするほか、どこへ出かけても美味しい肉料理やスープが付き添うことになっていた。



27上216


https://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=81510V027P0224&scale=0.50629&top=-111px&left=-74px&angle=0&mode=0


唯紋給衾員、死而后制。

て昼にす。

  • およそ老人をいたわる礼法として、有氏(帝)の世には燕礼が用いられ、夏后氏(夏王朝)の世には響礼が、殿の世には食礼が用いられた。そして周の人はこれまでの方法をみな学んで、その長所を兼ね用いている。
  • 五十歳(の台)の人に対する(養老の)礼は郷校で行なわれ、六十の人の礼は国学で行なわれ、七十(以上)の人の礼は大学で行なわれるが、この定めは(天子から)諸侯に至るまで同様である。
  • 八十(以上)の人は、君の仰せに対して拝礼をするのに、一回ひさまずき、頭を二回だけ地に触れればよろしい。この作法は盲人も同様である。そして九十になれば、拝礼は代わりの人にしてもらう。


  • 五十になると(かて・常食物)を良い物にする。六十になると肉をかさない。七十になると我の膳つきにする。八十になると常に美味を取り、九十になると飲食も寝室で取り、外出のおりは人が飲食物を持って供をする。


•六十になると、製作に一年を要する物(棺)を用意する。七十になると製作に一時(三個月)を要するところの喪葬品を用意する。八十になると、製作に一個月を要するところの喪葬品を用意する。九十になると、毎日のように、かねて用意の品じなの修理をする。ただし遺体に用いる衣料の作り易いものは、その時になってから調えればよい。






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