2026年10月11日日曜日

蒼天の拳

 https://x.com/judas_touch_jp/status/2108286995420312007?s=61

《しょうじき日ユ同祖論とかアホらしいと思ってるけど、これは巧いこと繋げたなぁと思ったよ。》


https://rekishi-love-history.blogspot.com/2025/11/blog-post_75.html


「『蒼天の拳』における10部族の設定」




【北斗の拳 流派紹介】西斗月拳
https://hokutosite.com/ougi/other/seito/list.html

【北斗の拳 流派紹介】西斗月拳

 1800年前、月氏の民にのみ伝えられていたという秘拳。当時、経絡秘孔に操ることに最も進化していた拳法であり、この拳と北斗宗家の拳の融合によって、最強の暗殺拳、北斗神拳が創始されたとされている。

 かつて門下に迎えたシュケンが、西斗月拳の高弟を全て葬ったため、歴史から抹殺されたとされていた。しかしその怨念は永々と生き続けており、後に月氏の血を引くヤサカの手によって現代に蘇ることとなった。1800年経った今でも、北斗神拳への憎しみを忘れることなく、北斗に関わる者全てを抹殺する事を信念に掲げている。だが後にその憎しみは、ヤーマの「シュケンに会いたい」という強すぎる思いが怨念へと変わったものであることが分かり、ヤサカ自身も、シュケンとヤーマの間にできた北斗の血を引くものの末裔であることが明らかとなった。

 一撃必殺の北斗神拳とは違い、複数の秘孔を突いて必殺の技とすることを奥義としている。その最後の一撃は、自らの背に拳を隠して間合いを計らせない秘奥義「相雷拳」によって完成する。これは、達人同士の戦いの中では必殺の一撃を狙う事など出来ないという「戦場の拳」ならではの考えに基いている。しかしヤサカによると、その真価は戦場の中でこそ発揮されるものであり、本来は一対一の戦いには不向きな拳であるらしい。

 死んだフリで敵を油断させようとしたり、漁夫の利によって二人を始末しようとしたりするなど、勝つためには時に手段を選ばない事もある。だが、女を殺すことだけは月氏の神が許さないらしい。

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蒼天の拳 15
星5つ中5つ
西斗月拳
2006年11月5日に日本でレビュー済み
フォーマット: コミック (紙)
フォーマット: コミック (紙)


太湖幇の御大である杜天風は西斗月拳なる謎の拳法の使い手を刺客てして送り込む。しかしこの西斗月拳こそが北斗神拳の源流となった拳法であり、宗家の天才シュケンが西斗月拳と融合させ編み出したのが北斗神拳だったという。北斗神拳の誕生秘話がここで明かされます。

天授の儀
てんじゅのぎ




 北斗神拳伝承者が、真の伝承者となるために行わねばならない儀式。

 「北斗神拳に伝承者なき場合は、これを劉家拳より出す」という掟が存在することからも判るとおり、北斗劉家門は、北斗の一門の中でも北斗神拳の直系に次ぐ立場にあり、北斗神拳伝承者は、北斗劉家拳の者にその力を認められなければ真の伝承者になることが出来ないとされている。女人像の御前で劉家拳の伝承者と闘い、勝利した北斗神拳伝承者は、その後、聖母より北斗神拳の秘奥義を授けられる事で、初めて真の伝承者と認められることになる。この闘いこそが、天授の儀と呼ばれるものである。しかし劉家拳を北斗神拳の下とみなすこの掟は、劉家拳を学ぶ者にとっては屈辱的なものであり、それゆえに魏瑞鷹や劉宗武といった者達は、北斗神拳に対して強い対抗心を抱くに至っている。

 霞拳志郎は天授の儀の事を知らなかったものの、何かに導かれるように寧波へと訪れ、そこで北斗劉家拳の劉宗武と再会。女人像のある泰聖院にて天授の儀に臨み、北斗神拳究極秘奥義である蒼龍天羅による無想の拳の撃ち合いに勝利し、名実共に真の北斗神拳伝承者となった。また、この戦いに勝利した後、丹田から女人像の腕を呼び出し相手を攻撃するという奥義を会得しており、これこそが胡潤の言っていた「聖母から授けられる北斗神拳の秘奥義」の一部ではないかと思われる。

 かつて先代伝承者である霞鉄心もまた天授の儀のために寧波へと訪れたが、既に北斗劉家拳の劉玄信が高齢すぎた事、またその玄信の娘である月英と恋仲に落ちてしまい、このままでは愛する者の父を殺してしまうとして、闘わぬまま日本へと戻った。

 北斗の拳においては、リュウケンやケンシロウもそれぞれ北斗琉拳(北斗劉家拳)の使い手と闘っているが、これが天授の儀にあたるものかどうかは不明。


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