2024年10月31日木曜日

双ヶ丘 - Wikipedia

双ヶ丘 - Wikipedia

双ヶ丘

双ヶ丘(ならびがおか)は、京都府京都市右京区御室双岡町に所在する古生層[注 1]孤立丘、国の名勝に指定されている。京都盆地北西部にあり、標高は116メートルである。徒然草の作者である兼好法師が晩年を過ごした地とされている。

表記

双ヶ丘のほかに、雙ヶ岡、双ヶ岡、双岡、並岡、雙丘、双岳など、様々な表記が存在する。

双ヶ丘
「京都市立双ヶ丘中学校」、「双ヶ丘交差点」、京都市バス「双ヶ丘バス停」などが使用している。
雙ヶ岡
名勝指定名称。また、京都市、京都観光Navi、きぬかけの道などが使用している。
双ヶ岡
「双ヶ岡古墳群」など。また、角川日本地名大事典などが使用している。
双岡
「京都双岡病院」、丘が存在する「右京区御室双岡町」などが使用している。

地理

双ヶ丘とは南北に並ぶ3つの丘の総称であり、北から順に一の丘(標高116メートル)、二の丘(標高102メートル)、三の丘(標高78メートル)と呼ばれる[2]。付近の標高は、JR山陰本線(嵯峨野線)花園駅付近が約40メートル、嵐電北野線御室仁和寺駅付近が約70メートルであり、双ヶ丘は付近の低地より40-50メートル突出している。山域の総面積は18.9ヘクタールである。山麓の南側を東西に丸太町通が、それに並行してJR山陰本線(嵯峨野線)が通り[2]、西麓を南北に国道162号(周山街道)が走っている。双ヶ丘の東麓には妙心寺、北麓には仁和寺が存在し、また三の丘の東側にある五位山の南麓と中腹に五位山法金剛院がある。その五位山には五位山古墳が存在するが、墳丘は既に破壊されていて詳細は不明である。三の丘と五位山古墳の間(現花園内畑町・花園段ノ岡町)にはかつて双池(ならびのいけ)と称された大きな天然池があり、双ヶ丘と双池はいずれも歌枕として広く和歌に詠まれた[3]。双池の水面標高は約45メートルであり、南北80-90メートル、東西40-50メートル程度だったと推測されている[3]。『続日本後紀』には、冬季には水面に水鳥が群をなしていたことが記されている[3]。双池は江戸時代までに水が枯れて田となり、現在では住宅地となっている[3]ものの三の丘と五位山との間は池の名残からか周囲と比べて窪んでいる。

平安京の基準点説

国語学者の吉田金彦藤原京大和三山と対比させるように、船岡山(北区)、吉田山(左京区)、双ヶ丘を平安京の「葛野三山」と名付けている[4][2]。一般に船岡山の正中線が平安京の中心線とされるが、平安宮大極殿は双ヶ丘と吉田山を結ぶ直線状にあり[4]、吉田は双ヶ丘と吉田山が大極殿の位置の基準となったのではないかと考察している[4]。平安京遷都の詔には「三山が鎮をなす」とあり、この三山はいずれも孤立丘である船岡山、吉田山、双ヶ丘だとする説がある[5]

歴史

双ヶ岡古墳群

双ヶ丘には6世紀後半から7世紀前半に築かれた24基の古墳があり、総称して双ヶ岡古墳群と呼ばれる[6][7]。一の丘の頂上付近にある1号墳は直径44メートル・高さ8メートルの円墳であり、全長15.8メートル・玄室長6.8メートルの石室は、右京近辺では太秦面影町の蛇塚古墳の石室に次ぐ大きさである[6]。一号墳以外は直径10-20メートルの小型の円墳であり、一の丘と二の丘の間の谷筋、二の丘と三の丘の間の谷筋に集中している[6]。双ヶ丘の南西には秦氏の本拠地である太秦があることから、双ヶ岡古墳群は秦氏の首長の墓であるとされる[6][7]。副葬品はほとんどが失われているが、須恵器土師器、鉄製品、石棺の破片などが出土している[6]

天皇の遊猟地と貴族の山荘地

中世には天皇の遊猟地であり、高位貴族の山荘地でもあった。8世紀には大納言の清原夏野が双ヶ丘の南東部に山荘を営んだ。夏野は後に双岡大臣(ならびがおかのおとど)と呼ばれ、『類聚国史』によれば天長7年(830年)に淳和天皇北野を行幸した折には夏野の山荘を訪れている[1][2]。夏野の死後に山荘を寺に改めたものが法金剛院の前身とされる。承和15年(848年)には、「天皇遊猟の際に四望する地」として東墳(現在の五位山古墳)が従五位下を授けられている[1]。9世紀には左大臣の源常も山荘を構え、『続日本後紀』によれば仁明天皇が常の山荘に行幸したという[2]菅原孝標女は『更級日記』に「南はならびの岡の松風、いと耳近う心細く聞こえて」と記し、双ヶ岡丘近の寂しさを描写している。兼好法師は『兼好法師家集』に「契り置く 花とならびの岡の辺に 哀れ幾世の 春をすぐさむ」という歌を残している。兼好は双ヶ丘西麓の庵で余生を過ごし、この地で『徒然草』を執筆したため、一の丘の東麓にある長泉寺には兼好の墓や歌碑が建てられているが[1][2][8]、これは兼好を偲んで江戸時代に建てられた記念物であるとされる。17世紀後半に黒川道祐が書いた山城国の地誌『雍州府志』には「雙の岡」として登場する。

日本キネマ撮影所

1928年にはマキノ・プロダクションを退社した河合広始田中十三が、双ヶ丘南麓にレンタルスタジオとして日本キネマ撮影所(別名 : 双ヶ丘撮影所、現常盤一ノ井町)を設立した。片岡千恵蔵プロダクションの設立第1作『天下太平記』(稲垣浩監督)は1928年5月に日本キネマ撮影所でクランクインし、翌月に公開されている。1928年に設立された嵐寛寿郎プロダクションは5本のサイレント映画を、武井龍三プロダクションは3本のサイレント映画を、山本礼三郎プロダクション山口俊雄プロダクション市川小文治歌舞伎映画プロダクションはそれぞれ1本のサイレント映画を日本キネマ撮影所で製作している。1950年には宝プロダクションが日本キネマ撮影所を使用していたが、宝プロは1953年に宝プロ撮影所を建設し、双ヶ丘撮影所は閉鎖された。

戦後の開発計画と自然保護活動

1941年11月13日、双ヶ丘は「京都盆地における卓越した展望地点」として国の名勝に指定(指定名称は雙ヶ岡)された[9]。1949年には東麓に京都市立双ヶ丘中学校が開校し、1954年には南西麓に十全会精神科京都双岡病院(現:新生十全会グループ京都ならびがおか病院)が開設認可(翌1955年には医療法人としての『医療法人十全会精神科京都双岡病院』の設立が認可)された。しかし所有者の仁和寺が経済的事情から売却を図り、1964年に土地の購入希望者がホテル建設などの観光開発を計画したが、国の名勝指定がなされていた事や、都市計画法の風致地区であった事、更には建築基準法の住宅専用地区であった事などから問題となり行政と市民の反対でこれはすぐに流れてしまった。しかし今度は別の人物が「京都工科大学」[注 2]なるものを建設しようとし、国会でも取り上げられる騒動になり[10]、衆議院決算委員会で質疑が行われたが、結局大学が建設されることはなかった。なおこの際に第三国人の手に移り破壊されると言う噂[要出典][注 3]があったともされる。

これら高度経済成長期における双ヶ丘での騒動は、若草山でのレクリエーション施設建設開発や旧東大寺境内のホテル建設計画などとともに、国が1966年に古都保存法を制定するきっかけのひとつとなった[11]。その後は国の援助を受け、1976年には京都市が仁和寺から山域を一部買収して保全活動を行っている[5][9][6]。1996年には「御室・衣笠」の一部として古都保存法における歴史的風土特別保存地域に指定された[12]。また、都市計画法の風致地区でもある[5]

アクセス

鉄道

バス[注 4]

  • 京都市バス 「花園扇野町」「双ケ丘」「御室仁和寺」などから徒歩すぐ
  • 京都バス「双ヶ岡」などから徒歩すぐ

脚注

注釈

  1. 古生代に形成された地層
  2. 京都市下京区にある専門学校YIC京都工科大学校(現:専門学校YIC京都工科自動車大学校)とは異なる。
  3. これまでの版でこの記述がありそれを少し文章を変えた上で残しましたが、参考文献に該当の記述がありませんので出典をご存知の方の明示を求めます
  4. 京都市バスも京都バスも読みは「ならびがおか」だが、「ケ」と「ヶ」、「丘」と「岡」というように表記が異なる。

出典

  1. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂委員会1982、pp.1058-1059
  2. ^ a b c d e f 京都地名研究会2007、pp.216-218
  3. ^ a b c d 京都地名研究会2005、pp.270-272
  4. ^ a b c 吉田1987、pp.60-67
  5. ^ a b c 京都新聞出版センター2010、pp.128-129
  6. ^ a b c d e f 双ヶ岡一の丘の首長墓リーフレット京都、268号、京都市埋蔵文化財研究所、2011年
  7. ^ a b "雙ヶ岡(双ヶ丘)ならびがおか". きぬかけの道公式サイト. 2014年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月23日閲覧。normal
  8. "雙ヶ岡". 京都観光Navi. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月23日閲覧。normal
  9. ^ a b 名勝 雙ヶ岡京都市
  10. 衆議院会議録 第051回国会 決算委員会 第14号国会会議録
  11. 古都指定都市の概要国土交通省
  12. 歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区指定状況国土交通省

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典〈26〉京都府』、角川書店、1982年。normal 
  • 京都新聞出版センター『中村武生とあるく 洛中洛外』、京都新聞社、2010年。 
  • 京都地名研究会『京都の地名検証』、勉誠出版、2005年。 
  • 京都地名研究会『京都の地名検証2』、勉誠出版、2007年。 
  • 吉田金彦『京都滋賀古代地名を歩く』、京都新聞社、1987年。 

外部リンク

[編集]

①(前半)10/27オンラインサロン

https://youtu.be/qp7N_F5CpJI?si=YIET5iRGaG95N4iN
26:54
徐福(及びその玉石)に関してはkii chinチャンネルが更新されていないのが残念です。
ちなみに淡路島のホテルの古代イスラエル?遺構から出たのも楕円形とはいえ玉石ですし、自分は三木家の御神体も玉石の可能性があると考えています。
中国船のバラストは元寇の時には玉石ではなく煉瓦を使うようになっていたそうです。


参考動画:

蓬莱の徐福船団 講話 オリエンテーション総合 https://youtu.be/qLk5C-DJE2g

蓬莱の徐福船団 足柄市塚原現地レポート20130807 https://youtu.be/3RPZtMLP2fM

2024年10月30日水曜日

紫式部と椿餅 | 歴史上の人物と和菓子 | 菓子資料室 虎屋文庫 | とらやについて | 株式会社 虎屋

紫式部と椿餅 | 歴史上の人物と和菓子 | 菓子資料室 虎屋文庫 | とらやについて | 株式会社 虎屋

虎屋文庫の本が発行されました

表紙:饅頭喰人形(川崎巨泉・画)

このたび山川出版社より『和菓子を愛した人たち』を刊行しました。

平成12年(2000)より、当HPで連載してきたコラム「歴史上の人物と和菓子」をもとに100人を選び、大幅に加筆・修正したものです。

気難しそうな森鴎外が饅頭茶漬けを好んだなど、歴史上の人物の意外な一面にも触れていただけるような、百人百様の物語を収録しました。

菓子の写真も豊富に掲載したオールカラーの一冊で、全9章からなり、どこから読んでも楽しんでいただける内容となっています。

是非、ご一読下さいませ。

虎屋文庫『和菓子を愛した人たち』山川出版社

四六判 オールカラー 304頁 1,800円(+税)

【構成】

1章 文学の名脇役

2章 あの人の逸話

3章 心が通う贈り物

4章 徳川将軍をめぐる人々

5章 江戸の楽しみ

6章 旅で出会う

7章 我、菓子を愛す

8章 茶人の口福

9章 思い出は永遠に

【購入方法】

全国の書店、インターネット書店にてご注文ください。
とらや東京ミッドタウン店でも販売しています。

※虎屋文庫での販売はございません。

https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko/historical-personage/bunko-historical-personage-004

紫式部と椿餅

椿餅

光源氏も食したお菓子

いつのまにか見かけることの少なくなった二千円札。お持ちの方は、ぜひ改めてご覧下さい。今回ご紹介する紫式部は、このお札の片隅に描かれる麗しき女性、古典文学の傑作『源氏物語』の作者です。

紫式部が誕生したのは、今から1000年ほど前の平安時代中期。京都でみやびやかな王朝文化が花開いた頃にあたります。一条天皇の中宮彰子に仕えた紫式部は、文筆に優れ学問に秀でた才女でした。その類まれなる才能は、54帖からなる大作『源氏物語』にあますところなく発揮されています。

光源氏を中心としたこの恋愛小説は、登場人物の心理描写がすばらしく、時代を超えて人々の心をひきつけます。四季折々の自然の変化や、当時の貴族たちの優雅な生活が描かれているのも魅力といえるでしょう。

まれとはいえ、お菓子も登場するのですからおもしろいもの。遣唐使が伝えた唐菓子をはじめ、いくつかありますが、ここでとりあげたいのは椿餅。「若菜上」という帖に、若い人々が蹴鞠のあと、梨・柑橘類や椿餅などを食べる場面があります。

椿餅といえば、椿の葉の間に俵形の道明寺生地 (餡入り) をはさんだもの。2月頃の季節菓子としてよく目にしますが、すでに平安時代にあったとは驚きです。しかし当時は甘い小豆餡などはまだなく、甘味は生地に甘葛 (あまづら:つたの汁を煮詰めたもの) をいれる程度で、現在とは違う味だったと考えられます。

とはいえ、紫式部が私たち同様、椿餅を賞味していたことを想像すると、平安貴族たちの生活がより身近に感じられるのではないでしょうか。

二千円札が幻となってしまっても (?)、椿餅は末永く愛されるよう、願いたいものです。

※この連載を元にした書籍 『和菓子を愛した人たち』(山川出版社・1,800円+税)が刊行されました。是非ご一読くださいませ。(2017年6月2日)

2月の季節菓子「椿餅」と春のイベント情報 | 三五夜 JR奈良すぐの隠れ家サロン 茶道、煎茶道、いけばな教室・古美術、骨董、アンティーク展示

2月の季節菓子「椿餅」と春のイベント情報 | 三五夜 JR奈良すぐの隠れ家サロン 茶道、煎茶道、いけばな教室・古美術、骨董、アンティーク展示

2月の季節菓子「椿餅」と春のイベント情報

おくた みたらし団子 奈良 なら nara 三五夜 三五屋 さんごや 隠れ家 茶室 茶会 お茶 サロン イベント 春の奈良 茶道 椿餅 つばきもち つばいもち 源氏物語 山本義博 陶芸家 やきもの 個展 ギャラリー尾山 帝国ホテル大阪 ギャラリー 作陶展 和菓子 道明寺 椿 ツバキ 椿の葉 濃茶 薄茶 蓬莱堂茶舗 丹頂 赤膚焼 銘々皿 各服点 茶道具 お茶 香道 雅楽 ならまちミレー 光を辿る煎茶会 青洋 茶道教室 華道教室 表千家 山村御流 笙 篳篥 鳳笙 竜笛 組香 泉山御流 泉涌寺 つまみ細工 糊こぼし 奈良市 奈良県 JR奈良駅 近鉄奈良 駅前 徒歩圏内 徒歩2分 三網田

 先週末土曜日は午前中に煎茶体験のお客様、午後の部から3月29日に開催予定の香道泉山御流の組香と煎茶会の打ち合わせが終わってから、DMでご案内いただいていた陶芸家山本義博( @asukagama )先生の作陶展に行ってきました。山本先生は、以前源氏物語全五十四帖にまつわる茶碗を作っておられ、今回再び源氏五十四帖の新作を発表するとの事で、ならば椿餅を個展開催祝いのお持たせにと、奈良の椿餅では私のお気に入りのお店「おくた」さんに走りました。
椿餅は餡を道明寺生地で包んだものを椿の葉で挟んだ2月の季節菓子。その歴史は古く、源氏物語「若紫上」に若公達が蹴鞠の後、椿餅を食べるとの描写があり、生菓子の始まりともいわれています。源氏物語にまつわる茶陶の作陶活動をされている山本先生と源氏にまつわるお菓子を個展会場でお相伴していましたら、随分話し込んでしまい気づいたら閉廊まで、ついつい長居してしまい途中まで先生とご一緒に奈良方面に帰る事となりました。山本先生昨日は長時間ありがとうございました。
「山本義博 作陶展」は
2月24日(月)まで、大阪帝国ホテルプラザ2階のアート・ギャラリー尾山で開催されています(今後の在廊日は23日、24日。最終日は16時まで)。

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さて、その椿餅ですが17日(月)午後10時からNHK・Eテレで放送の『グレーテルのかまど』で「源氏物語のつばきもち」として紹介されたそうです。東京のお菓子屋さんではほとんどみる事がなかったこの和菓子も、テレビに取り上げられたことによって"下りもの"になるのでしょうかw
番組予告は,https://www4.nhk.or.jp/kamado/x/2020-02-17/31/732/1440034/ です。再放送もあるようなのでご覧ください。
そして翌日もまた、おくたさんへ椿餅を買いに行きました。奈良のお店でもおくたさんの椿餅が衒いがなく素朴なところが平安の昔を感じさせる気がします。今日は先日の2月の月釜でも挑戦した各服点にてまずは小服茶碗で濃茶を一人分練りました。各服点は茶碗や茶筅にお茶が持っていかれる事を計算に入れてお茶の量を決め、緩くならないようにお湯の量も注意しなければなりませんと、私の茶の湯の師匠であり三五夜の茶道教室もお願いしている堂後先生(@kibunegiku1008 )から教えいただきました。教わった通りにすると今日もうまく練る事ができ早速、椿餅とお濃茶(蓬莱堂詰「丹頂」)を一服、お濃茶の後にお茶碗に更にお湯を加えて薄茶を点てて頂きました。お茶会ではなく、一人気楽なお茶の時間なので作法はお許しあれw。

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さてここで唐突ですが、【今後の三五夜のイベント情報】です。

(2月)
23日(日)山村御流華道教室

(3月)
1日(日)表千家茶道教室山村御流華道教室
3日(火)表千家茶道教室
6日(金)表千家茶道教室
7日(土)つまみ細工のアクセサリー作りとにじり口のあるお茶室でいただくお茶会

8日(日)奈良町にあるギャラリーならまちミレーさんでの『光を辿る煎茶会』三五夜の煎茶会初の出張です。ステキな器と京都の若手お菓子作家、青洋さんの可愛い春のお菓子と特別に淹れる玉露をお楽しみ下さい。

11日(水)雅楽演奏教室『おけいこががく』三月度
15日(日)三五夜の弥生の月釜(後日詳細アップします。お問合せ下さい)。

奈良 なら nara 隠れ家 三五夜 さんごや 三五屋 煎茶道 煎茶体験 煎茶道体験 イベント 茶会 月釜 茶室 出張イベント 茶会 煎茶会 和室 和のイベント 春 ならまち 奈良町 ならまちミレー 西洋アンティーク 雑貨店 作家物 うつわ 器 ミレーの庭 原田譲 小林裕之・希 ガラス ガラス作家 やきもの 陶芸 京都 茨城県 城里町 定窯 陽刻 宋 白磁 白瓷 和菓子 青洋 わがしみせ せいよう 老松 吹きガラス 玉露 お茶 奈良県 奈良市 JR奈良 近鉄奈良 徒歩圏 徒歩2分 にじり口 三網田

 奈良町にある国内の話題の作家さんと西洋アンティークも買い付けて品ぞろえしている雑貨のお店『ならまちミレー』さんで開催される「光の道を辿る」展の記念イベントとして、出品作家さんの器を用いての煎茶会を開催します。当日はギャラリー奥の和風庭園の見える和室のテーブルにて、吹きガラスの小林裕之・希さん、中国・宋の時代の定窯白瓷を写した器で人気の高い原田譲さんの作品を使い、三五夜特製の玉露をお淹れし、京都の和菓子店青洋さんの春景色を愉しむ和菓子セットと召し上がって頂きます。(冒頭の写真のお菓子とは異なります。)
光の揺らめきを感じるうつわとお菓子お茶で、一足先に春を感じて頂けたらと思います。どうぞ、展示会と同時にお愉しみください。

【日時】3月8日(日)

第一席:11時~12時半

第二席:13時~14時半

第三席:15時~16時半(定員あり。約90分程度)

【参加料】お一人様:4500円+tax

【お申し込み方法】①お名前②参加希のお時間・③参加人数④当日ご連絡のつく携帯電話番号をご記入の上、「ならまちミレー」さんにご連絡下さい。ならまちミレーのご連絡メールアドレスは、naramachimillet@gmail.com となります。

ならまちミレーInstagram→https://www.instagram.com/naramachimillet/

【作家紹介】

小林裕之・希・・・夫婦二人のガラス作家、シルクロードを通ってやってきた吹きガラスの製法を大切にし、どこか懐かしさを感じさせる光のゆらめきが美しいガラスの器を制作しています。京都在住

https://www.instagram.com/kobayashi_glass_works/

◆原田譲・・・1981年生まれ、茨城県窯業指導所成形科修了後、2009年茨城県城里町にて制作を始め、現在は中国「宋代」に河北省で栄えた窯場『定窯』を本歌に、そこから技法・原料を探りながらの制作をしています。陰と陽の光を彫り込んで流麗な美しい模様が浮かび上がる白磁の器が古都奈良の雰囲気とぴったり似合います。

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【和菓子店「青洋」紹介】

和菓子店 青洋(わがしみせ せいよう)は有職菓子御調進所老松で10年間修行をし、和菓子の美しさ、面白さ、美味しさ、可能性を多くの方に知っていただきたいと思い、2012年3月に工房を構えました。伝統の技法を生かし、匂いを残しつつ、現代の生活スタイルに合う和菓子をご提案していければと思っています。(青洋さんHPより抜粋)

http://wagasiseiyou.com/

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メルカバー - Wikipedia

飛鳥 そもそも祭りで登場するあの鉾、山車からして、キリスト教のメルカバー(神の戦車)なんですよ。   方向転換するときもあれ、車輪の下で竹板を上手に突くんですね。方向転換する仕組みがないんです。ですからこれ、メルカバーと構造がまったく一緒なんですね。それでも彼ら、うまいこと回すんです。

久保有政対談

https://ja.wikipedia.org/wiki/メルカバー



メルカバー(Merkabah)とは『戦車』、『天の車』、あるいは『聖なる神の玉座』ともいわれる。

エゼキエルの『エゼキエル書』1:4-26、10:9-14にメルカバーの4つのがある戦車の男性ライオン雄牛、およびワシの4つのについて言及されている。

カバラの用語

カバラ行者などが瞑想状態になり、神の戦車に乗り込み、神と直接接しようとする所謂、秘密修行・神秘修行のようなものとの関連性があるといえばわかりやすいであろう。護符を用いたり、呪文を唱えたりするなかで、悪魔から魂の辱めなどを受けるのを防ぐ役割を持つ天使と共に、神の玉座を囲むベールを突き抜けて最終目的地に達しよう試みるその行は、霊性や魂の純粋状態を要求され、非常に危険な行ともされる。

関連項目


メルカーバーメルカヴァ(מֶרְכָּבָה, merkava, merkābhāh)はヘブライ語の単語。

【若一調査隊】京都の繁華街「木屋町通」歴史的事件の現場・幕末の志士の住居跡など名所の数々を一斉調査 坂本龍馬も暮らした地

https://youtu.be/NppbkutZtvo?si=kd60-jan9fS7BwQp

2024年10月29日火曜日

万葉集 現代語訳 巻十九4260・4261 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

万葉集 現代語訳 巻十九4260・4261 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

万葉集 現代語訳 巻十九4260・4261

壬申の年の乱が平定したのちの歌二首
 ※「壬申の年の乱」672年。
4260 大君(おおきみ)は神にしいませば赤駒(あかごま)の腹這(はらば)ふ田居(たい)を都と成(な)しつ
 ※「赤駒」赤毛の馬。
 ※「田居」田んぼ。田舎。

    天皇陛下は現人神で
    おいでになるから赤駒が
    腹ばうような泥田でさえも
    立派な都になさったよ


原注
この一首は、大将軍贈右大臣大伴卿(大伴御行)の作。

4261 大君(おおきみ) は神にしいませば水鳥(みずとり)のすだく水沼(みぬま)を都と成(な)しつ〈作者未詳〉
 ※「すだく」集まって騒ぐ。群がる。

    天皇陛下は現人神で
    おいでになるから水鳥が
    群れ騒いでいる沼地でさえも
    立派な都になさったよ


原注
以上の二首は、天平勝宝四年(752年)二月二日に聞いて、そのままここに載せたものだ。


万葉集 現代語訳 巻一雑歌36・37・38・39 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

万葉集 現代語訳 巻一雑歌36・37・38・39 : 讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ

万葉集 現代語訳 巻一雑歌36・37・38・39

持統天皇が吉野離宮に行幸されたときに、柿本人麻呂が作った歌
36 やすみしし わが大君の 聞こしをす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内(こうち)と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡り 舟競(きお)ひ 夕川渡る この川の 絶ゆる事なく この山の いや高知らす みなそそく 滝のみやこは 見れど飽かぬかも
 ※枕詞:やすみしし、御心を、花散らふ、ももしきの、みなそそく
 ※「聞こしをす」お治めになる。
 ※「河内」川の流れを中心として、その両岸一帯の地域。
 ※「御心を」〈み心を寄す〉で吉野の〈よし〉に掛けた枕詞。
 ※「太敷きませば」〈太〉接頭語。尊い。立派な。いかめしく。〈敷きます〉お治めになる。〈ば〉確定条件。
 ※「滝」急流。
 ※「都」天皇の居場所。

  わが天皇がお治めになる
  天下に国はたくさんあるが
  中でも山や川の景色の
  きれいな川の流域として
  心をお寄せになっておられる
  吉野の国の秋津の野辺に
  立派な御殿を建てられたので
  御所に仕える官人たちは
  船を並べて朝川渡り
  船を競って夕川渡る
  この川の水絶えることなく
  この山高く聳えるように
  いつも変わらず高く聳える
  吉野の滝の離宮の御所は
  見ても見飽きることがない


反歌
37 見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の絶ゆる事なくまたかへり見む
 ※「見れど~常滑の」〈絶ゆる事なく〉の序詞。
 ※「常滑」水苔などがついて滑らかな岩。

  見ても飽きない吉野の川の
  その川底の滑らかな
  岩のように絶えることなく
  帰って来てはまた見よう


38 やすみしし 我が大君 神(かむ)ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 やまつみの 奉(まつ)る御調(みつき)と 春へには 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみじ)かざせり 行き沿ふ 川の神も 大御食(おおみけ)に 仕へ奉ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
 ※枕詞:やすみしし
 ※「鵜川」鵜を使って魚を追わせて獲る漁法。
 ※「小網」すくい網。

  わが天皇が神として
  ご意志のままに神らしく
  お振舞いになるために
  吉野の川の急流の
  谷間に立派な高殿を
  お建てになって登り立ち
  国見なさると幾重にも
  連なる山の峰々は
  山の神がこれですと
  差し出す貢ぎ物として
  春には花を髪に挿し
  秋になると色づいた
  紅葉を飾り立てている
  離宮に流れ沿う川の
  神も帝にお食事を
  さし上げようと上流の
  瀬で鵜飼いして下流では
  網で魚をすくい獲る
  山や川の神までが
  従い仕えるありさまは
  神の帝の御代である


反歌
39 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
 ※「依る」服従する。
 ※「神ながら」神でおありになるままに。神の本性のままに。
 ※「たぎつ」水が激しい勢いで流れる。
 ※「河内」川の流れを中心として、その両岸一帯の地域。

  山や川の神々までが
  仕え従う神として
  帝は川の速い流れに
  船をお出しになることだ

slowslow2772さんによるXでのポスト 白馬寺

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