土圭とは
小林一夫氏が主張しているように、歴代中国王朝は会稽で日影長を測っていたかもしれない。
1) 土圭 (とけい)
土圭 (とけい)とは、中国周代に用いられた、立てた棒の影の長さを測る粘土製の緯度測定器である。
2) 圭表儀
添付図に「圭表儀」を示す。北京古観象台にある、郭守敬(かく しゅけい、拼音:Guō Shǒujìng、1231年 - 1316年)は、元朝に仕えた天文学者・暦学者・水利事業家)製作による圭表のレプリカ(石製)。もとになったものは銅製で、紫金山天文台が所蔵している。
基本的には水平な地面に垂直の棒を立てたもので、「影の長さ」より太陽の南中時刻・太陽高度・季節推移などを測定して、緯度を割り出したり、太陽南中高度が最小になる時点(冬至)の到来を観測して太陽年を計測したりした。中国では周の時代より用いられ、『史記』司馬穰苴伝にも登場している。
日本でも観測に用いられ、江戸時代には大型の圭表儀、小型の小表儀、目盛環が取り付けられた太陽南中高度を測定するために工夫された測午表儀などが制作されていた。
国立天文台によると、「圭表儀」とは
『圭表儀は、太陽の南中時における影の長さを測る装置です。
縦棒の部分が「表」、目盛りのついた水平部分が「圭」です。
とても単純で、もっとも古くから使われている観測装置といえます。』
勾配術を用いると、その瞬間~冬至・夏至の時刻を推定することは可能であり、そこから1年の長さを知ることもできます。
そもそも、冬至・夏至前後における影の長さ~太陽の赤緯はあまり変化しませんから、冬至・夏至の決定は原理的に困難といえます。
表を高くすることで影を伸ばし、測定精度を上げることはできます。
一般的には8尺の表が用いられましたが、授時暦では40尺の巨大な表が用いられました。
周髀算経以来、少なくとも宋の時代まで日影長が測量されていたことを示す証である。その目的は下記の4つであるが、歴訪の改良のために、長く使われていた。当然、緯度の測量にも長く使われていたことであろう。
❶冬至と夏至の特定: 圭表儀を用いて、太陽の影の長さが最も長くなる日(冬至)や最も短くなる日(夏至)を観測しました。これにより、季節の変化を正確に把握することができました。
❷1年の長さの測定: 太陽の影の長さを日々記録し、冬至から次の冬至までの期間を計測することで、1年の長さを求めることができました。
❸緯度の計算: 圭表儀を使って太陽の南中高度を測定し、そのデータを基に観測地点の緯度をを計算することが可能でした。
❹暦法の改良: 圭表儀で得られたデータは、暦法の改良や新しい暦の作成に活用されました。例えば、江戸時代の寛政改暦では、圭表儀の補助器具「景符」や「景筐」を用いて観測精度を向上させる試みが行われました。
《周禮》( 公元前300年-公元前100年)に下記の記載がある。
67
凡建邦國,以土圭土其地而制其域:
諸公之地,封疆方五百里,其食者半;諸侯之地,
封疆方四百里,其食者參之一;
諸伯之地,封疆方三百里,其食者參之一;
諸子之地,封疆方二百里,其食者四之一;
諸男之地,封疆方百里,其食者四之一。
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「国家を建設するにあたり、【土圭】を用いてその土地を測量し、その領域を定める。
諸公の領地は四方に五百里で、その土地の半分が食料生産に使われる。
諸侯の領地は四方に四百里で、その土地の3分の1が食料生産に使われる。
諸伯の領地は四方に三百里で、その土地の3分の1が食料生産に使われる。
諸子の領地は四方に二百里で、その土地の4分の1が食料生産に使われる。
諸男の領地は四方に百里で、その土地の4分の1が食料生産に使われる。」
この文は、『周礼』に記された古代中国の土地測量と領地制度に関する規定を示している。それぞれの階級に応じて土地の広さと利用方法が異なることが分かる。土地の測量には土圭という道具が使用されており、測量技術が国家運営において重要な役割を果たしていたことがうかがえる。
[注]:「疆(きょう)」という漢字は、領地、境界を意味する漢字である。
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つまり《周禮》では、国家を建設するにあたり、諸公之地を五百里から百里までランクづけして与えることを示している。この一里が長里だとすると五百里四方の地は200km四方の地となり、広大な中国領土とはいえ、広すぎる。この一里は禹歩に基づいた短里を示していると考えられる。
礼記王制篇は『史記』封禅書をもとに前漢の文帝の時に編纂されたものです。
即ち、貴兄は「六尺、歩となす。」(史記、秦始皇本紀)と始皇帝が度量衡の統一をした後のことを貴兄は言及しているのです。周の時代は公里など定めてられてなかったので、地域によってバラバラだったのです。ですので、始皇帝が統一したのです。それ以前は、一里は300歩であり、一歩の定義として、禹歩が使われていた場合があったということです(統一されていたわけではありません)。
《禮記》《王制》
【古者以周尺八尺為步】,今以周尺六尺四寸為步。古者百畝,當今東田百四十六畝三十步。古者百里,當今百二十一里六十步四尺二寸二分。
《周髀算經》
20 打開字典 卷上:
三分里之一,即為百步。
御参考
土圭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土圭 (とけい)とは、大辞林によると、中国周代に用いられた、立てた棒の影の長さを測る粘土製の緯度測定器[1]。大辞泉によると、方角や日影を測るための磁針を指す昔の中国の表現[2]。
日本の辞典『精選版 日本国語大辞典』では、その中国の器具を指して、方角、あるいは土地の暑さ寒さを(日影(にちえい)太陽の影(すがた)や陰)を使って測定する器具[3]、あるいは太陽を使い時間を測定する器具(つまり日時計)といったこと、を説明[3]。
中国の『周礼』に土圭という言葉は見られ、日本の『菅家文草』(900年ころ)にも見られる[3]。
なお機械時計は土圭とは表記しない。そちらの表記はあくまで時計である。中国で機械式で鐘を打って時を知らせる装置が現れた時にはあくまで自鳴鐘という表記が用いられた。日本でも方角を測る機能でなりたつ日時計を指すには土圭という表記でよかった。だが1551年にフランシスコ・ザビエルによって機械式で鐘を鳴らす時計、いわゆる「時打ち時計」をもたらされたとき、それを指すのには土圭という表記は使われなかった。それらは別物だからである。あくまで機械式時計の表記には当時「時器」「時辰儀」「時辰表」などが使用されたにすぎない[3]。やがて機械式時計は時計と表記されるようになっていった。つまり日本語の選択の経緯をふまえても、土圭と時計はしっかりと別物だと考えたほうがよい。
脚注
- 大辞林
- デジタル大辞泉
- ^ a b c d 精選版 日本国語大辞典【時計・土圭】
関連項目
- 表 (道具) - 緯度を観測するための道具。
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