2025年4月18日金曜日

鳥の一族 19 - ① 賀志波比売命  - 空と風

鳥の一族 19 - ① 賀志波比売命  - 空と風

鳥の一族 19 - ① 賀志波比売命

式内社 阿波國那賀郡 賀志波比賣神社

阿南市津乃峰町東分の津峯神社が当社に当たりますが、同見能林町柏野にもその元社と伝わる賀志波比売神社が鎮座します。

御祭神・賀志波比売命を主祭神とする日本唯一の式内社ですが、唯一であるがゆえ、この賀志波比売命という女神がどなたのことなのか?は不確定であり、現在までにおよそ三つの説があります。

その壱 天照大御神

阿波式内神社考 長谷川貞彦著

御祭神賀志波比売命を天照大御神の幼名とする阿波古事記研究会が唱える一説が有名で、論拠は、黄泉帰った伊邪那岐命が穢れを祓うために禊した「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」が当地である、とする神話地比定によります。

神話と史実は100%イコールではありませんが「神話の舞台」としての「橘の小門の阿波岐原」は阿波の橘湾の小門であろう、という点は私も同意します。

その「地を代表する神」として式内社で祀られる女性が、他に存在し得るか?という「土地と神格の一致性」がポイントになるといえます。

史料としては上記画像『神祇全書 第5輯』明治41(1908)年刊に収録の「阿波式内神社考」長谷川貞彦(文化文政年間・1804年~1830年ころの人)に「祭神 天照皇大神ㇳ云う」とあり、主語がありませんが、おそらく江戸時代の宮司か土地の人は、賀志波比売を天照大御神と認識していたようです。

その弐 夏之売命(夏高津日神) ※羽山戸神と大宣都比売の娘

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『阿波誌』(1815)に「賀志波比売神社 夏之売命を祭る 見能潟に在り 俗に津峰権現と号す」とあり、江戸時代の伝承として夏之売命説があったことが史料上で確認できます。

ただ、その根拠(伝承なのか、社伝や何らかの史料があったのか、当時の考察なのか)は不明です。※江戸時代の文献は根拠を記さないものが多い。

神社の立地と「夏高津日」というイメージの一致も感じられますが、夏之売(なつのめ)命を夏之売(かのめ)命と読み(かしはのめ)との共通感を持ったのかもしれません。日本各地の御祭神不明の古社で「御神名のが社号に似ている」ことだけを根拠に御祭神を推す説が数多見受けられます。

と、書いた後、さらに調べていると『阿波國式内略考』文化12(1815)年 永井精古(1772-1826)著、に上記の私見と同様の見解を発見しました。

夏之売(ナツノメの)神を(カシノメの)神と訓み改めて社号「賀志波比賣」神にこじつけるであり、信じがたいと述べています。私の考察も"まんざらでもない"ですね。(自画自賛)

その参 石長比売命

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津峯神社の南方明神山に木花之佐久夜比売命をお祀りする峯神社が鎮座するのですが、その社伝には「猶(なお)北方ニ望ム津乃峰ニハ、姉君賀志波姫命ガ祀ラレシコト、洵(まこと)ニ奇ナルベシ」と記されているとのことです。


木花之佐久夜比売(コノハナノサクヤビメ)は、日本神話に登場する女神で、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の妻です。別名として、神阿多都比売(カムアタツヒメ)や神吾田鹿葦津姫(カムアタカアシツヒメ)などがあります。彼女は、美しい桜の花のように形容されるほど美しいとされています。また、産婆の神様としても知られています。

つまり、木花之佐久夜比売の姉=石長比売が賀志波姫であるとの伝。相殿に大山祇命(二比売の父)が祀られることと相まって説得力を持ちます。

疑問があるとすれば、この社伝がいつからの伝承なのか?という点ぐらいです。「静岡富士山ニ祀ル浅間神社ハ此ノ神社ノ本宮ニ當リ」「亦タ西方ノ愛媛大三島ニ祀ル大山祇神ハ父君ニ當リ」などの記述から、これも明治期以後の伝だとは思われますが、もちろん、その伝承をいつまで遡れるかは不明です。

ただ、そもそも「石長比売」とは本当に木花之佐久夜比売の姉なのでしょうか?

神話はエッセンスで見なければいけません。(史実を元とした神話の場合)

抽出すると

①石長比売は大山祇神の娘、または血縁、一族の者。

②邇邇藝命によって「拒絶」「御役御免」とされた。

③寿命を司る・延命の神格を持つ。

といったところでしょうか?

そしてまた「石(イワ)」の意が「岩のように永遠のもの」という神話上の説明を真に受けていいものでしょうか?

イワとは「伊和大神」のイワと同じ。発語における「ア」「イ」同義説を当てはめると「アワ」となります。

そもそもこの徳島は「イ(ア)ワ + ナガ」の国。イワナガ比売とは「阿波の長の比売」「阿波と長の比売」なのではないでしょうか?

阿波国図 文政13(1830)年

賀志波比売神社が鎮座する一帯の浜を「長浜」(現在も字名で残る)といいます。

日本各地に長浜という地名は数多くありますが、「中」「長」地名は「中ほど」「長い」という地理地形を表すものの他、古代からの「ナカ」「ナガ」地名を移したものが複数あります。「那珂・那賀」グループの別表記なのです。この地は阿波の「長国」→「那賀郡」の一部であり、「長浜」は「長の国の浜」の意です。(その先に「長島」という決して長くはない島もあるのが確認できると思います)

さらに、この「長浜」が在るのは見能林町。元は「那賀郡」見能方村。『阿波志』には「賀志波比売神社、見能潟に在り」とあり、地名としては「見能」+林・方・潟、で「ミノ」がベース地名だと分かります。

阿波においてミノに祀られる女神といえば、

三野町(和名抄に三好郡三野郷とあり)加茂野宮に鎮座します「下加茂神社

御祭神 玉依姫命

です。

そして面白いことに日本各地の「長浜」地名を探ると「那賀・那珂」や「鴨・加茂」地名とセットになっていたりするんですね。こわいですね。いや、わくわくしますね。

石長比売は大山祇神の娘というのですが、大山祇神といえば「三島神」です。

三島といえば「賀茂建角身命」(三島溝咋)ですね。

もちろん、玉依姫命はその娘です。

ちなみに、津峯神社の相殿神は大山祗大神ですが、末社には「恵比須大神 」と「大國主大神」が祀られております。

一部、すでに私が何を言いたいか?を察して、にんまりされている方もいそうです。

三島一族の賀茂建角身命とは、大国主命であり、その娘・玉依姫の夫が息子の事代主命(恵比須大神)(三島明神)です。何を言っているのか分からない方は、当ブログの「鳥の一族」、できればその数回前から暇を見つけてお読みください。

では、次回後編で結論、

賀志波比売命とは本当はどなたなのか?

に迫りたいと思います。

(続く)

鳥の一族 19 - ② 天豊足柄姫命

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次回で答えを書く、と息巻いたものの、脳内で下書きし始めた段階で「とても無理」という結論に達しました。大目に見てやってください。

前回書いた「長浜」という地名について、全国に点在する長浜のうち、阿波国に関係ありそうなものをいくつかピックアップしたいと思います。

石見国 那賀郡 長浜

島根県西部の旧国名、石見国。ここに那賀郡があり、その一部の海岸が長浜でした。

那賀郡図 左の入江に長浜村・長浜浦の文字 天保9年(1838)

この那賀郡の地名由来については「石見国の中ほどにあるという意味で、常陸国の那賀郡などと同じ」という解説を見ましたが、よくわからないからと安易に結論づけるのは感心しません。この那賀も茨城の那珂(元表記は那賀)も「阿波の那賀」地名の移しです。
※茨城に関しては「中臣のナカ」説もあり。

『那賀郡誌』によると石見郷を「石見、濱田、長濱、三階の一部」としています。

石見国那賀郡の式内社は11座。うち3社を見てみましょう。

大麻山神社

御祭神 天日鷲命 猿田彦命 大麻彦命(太玉命)

寛平元年(889)阿波国の忌部神社及び大麻彦神社を勧請し、宇多天皇の勅許により社殿を建立。

つまり、御祭神は天日鷲命と猿田彦命で間違いなく、大麻彦命(太玉命)というのは元社大麻彦神社の近代以降の御祭神解釈に合わせてくれているわけです。阿波国から大麻比古命に率いられて忌部族が移住してきたという伝説もあります。伝説自体は眉唾ですが「忌部族の移住」はその通りでしょう。後裔氏族が祖神・氏神を祀るというのが古代の神祀りの姿だからです。

大祭天石門彦神社

御祭神 天手力男命

阿波忌部氏の一族が氏神として祀ったと伝わる。特殊神事として贄狩祭があり、12月から1月までに狩猟で獲った鹿肉を供えて地域の平穏弥栄を祈願した。

う~ん。諏訪大社を思い出すな。と思ったら、配祀・建御名方命でした。しかも境内社・足王神社の御祭神は猿田彦命です。また、有名な『玄松子の記憶』では「(神紋から見て)あるいは諏訪と忌部は関連する、ということかも」と解説されています。鋭い。

多鳩神社

御祭神 積羽八重事代主大神

つまり、猿田彦命のこと。さらに当社には、八咫烏伝説があり、八咫烏を招くためという「神饌代」があります。当ブログの読者なら、その意味がわかるでしょう。そもそも式内社で事代主神社と本名で祀られるのは阿波国の二社のみ。神社名とは「御祭神名」+「社」が本来の名のりなので、この違いは大きいのです。

この三社の例だけを持って、石見国の那賀郡が阿波国の那賀郡と関係があるという意見には頷けない人も多いと思いますが、同様の例が他国にも散見されるのであり、それを知れば、まず最初にその可能性を考えないほうがおかしいくらいに普通の仮説です。

では、この長浜のちかくに祀られる女神がいるのか?というと、

石見天豊足柄姫命神社

という式内社が在ります。地図の中央部に四角で囲まれた場所が浜田城。神社はそのすぐ下(南)あたりに鎮座します。『玄松子の記憶』によると「元和六年(1620)、吉田大膳太夫重治が、伊勢国より浜田へ入部し、浜田城を築城、城下町経営を開始するにあたり、城郭内に祀った」ということで、元社は別の場所にあった模様。

御祭神は、天豊足柄姫命(あめのとよたらしからひめのみこと)。配祀 豊受姫命です。

当地では、衣食の道を教えた女神、と伝わります。

国学者・神道学者の藤井宗雄(1823~1906)の『濱田鑑』(1899)では「岩上は今の石神にて岡田氏の邸やかて其舘の跡ならんと想はる。此の邸内に式内の石見天豊足柄姫命神社あり今は懸社にて郷社を兼ぬ。是は穀麻に就て大麻三宮同時に祀られ給ふ

※石神(石見天豊足柄姫命神社の別名)

※大麻三宮は大麻山神社と大祭天石門彦社

『神祇全書 第5輯』」(1971)収録の「石見国式内神社在所考」では

大麻山神社

祭神天日鷲命にて、天石門彦神社と由緒ありて、同時に祀られ賜ひし社なるべし。在所は室谷村にて、大麻山といふ是なり。

石見天豊足柄姫命神社

石見は地名なり。祭神世襲足媛命といふは採らず。是は天石門彦神社の攝社ともいふべき社にて、彼神に由緒ある神に坐す。在所淺井村にて、濱田郭内に鎭座す。世に石神と稱する社なり。

大祭天石門彦神社

祭神は天石門別命にて、手力男神と同神なり。此所に祀られ給ふは、大麻山神社と共に、穀麻に由緒ありてなり。在所は黑川村にて、世に三宮という社なり。

と記され、上記3社は御祭神と穀麻において関係を持つ、としています。つまり、それは三柱の御祭神がみな阿波忌部系ということになります。「祭神世襲足媛命といふは採らず」というのは、江戸時代に諸説あった御祭神のうち、主流だった世襲足媛命説を否定するものです。

※参考にさせていただいたブログ いわがみさん――天豊足柄姫命: 薄味

阿波の国の那賀郡の長浜に祀られる賀志波比賣神社

その御祭神・賀志波比売命には石・長比売命という説がありました。

見国の那賀郡の見郷の長浜に祀られる天豊足柄姫命は無関係なのでしょうか?

藤井宗雄が阿波と天石門別命に由緒ある神という足柄姫命とはどなたのことなのでしょうか?

そういえば、阿波には 天石門別 豊玉比売 という女神がいらっしゃいました。

そして、もうひとり、有名な 天石門別神の娘 と云われる女神がいらっしゃいます。

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