2025年4月10日木曜日

白山の伝説(5)/羊と密教とキリスト教 | パオンのブログ

白山の伝説(5)/羊と密教とキリスト教 | パオンのブログ

白山の伝説(5)/羊と密教とキリスト教

前の記事は、白山の「咩」の字からキリスト教を紐解いてきました。

ちょっと飛んだ紐解きだったですね。

しかし、中国では、唐の時代にキリスト教が「景教」として広まり、「大秦

寺(だいしんじ)
」と言う教会が各地に建てられました。

この事から、日本にも伝播する環境であった事は確実です。

私が知らなかっただけかも知れませんが、日本の歴史には、表には出

てきていないように思われます。


[大秦寺(だいしんじ)]

白山信仰は、秦氏とのつながりも見え隠れしますが、その中で、
「大秦

寺(だいしんじ)」と言う教会の名前を見て、何か感じませんか?

昔は、「大神宮」を「太神宮」と書かれたりしていました。

「大」は、「太」と同じ使われ方をする事から、
「大秦寺(だいしんじ)」=

『太秦』になります。

秦氏の居住地域「太秦(うずまさ)」が見えてくるのは、私の妄想でしょう

か?

大秦寺は、比叡山や、輪王寺のように、教会の総称で、東ローマ帝国

を中国では「
大秦国」と呼んでいて、中国が、東ローマ帝国の宗教だと

認知した事により、この名称が用いられました。

中国の唐の時代の書物だったと思いますが、日本にも「秦王国」が存

在したと書かれていたように記憶しています。

前に、それを取り上げた時、北九州ではないかと推測しましたが、加賀

の白山も、可能性があるのではと思ってしまいます。

そして、この「秦王国」は、東ローマ帝国に関わった場所であり、キリス

ト教を表していたのではないでしょうか。

何故なら、秦氏は、日本での身分は、権力から疎外された位置にあ

り、政界の中枢に登りつめた人は、秦河勝一人であり、「秦王国」と呼

ばれるには、少し違和感を持つからです。

景教は、宗教会議で、異端の烙印を押された一派が、ローマを追い出

され、シルクロード沿いに布教活動をして中国に来ました。

秦氏の故郷が中央アジアだとすると、白山に見え隠れするキリスト教の

痕跡も現実味を帯びてきます。


[日本の密教との繋がり]

空海と、最澄が生きた時代と、唐でのキリスト教の広がりが重なる事か

ら、密教にキリスト教が関わっている事も否定できないのではないでし

ょうか?


私と同じ考えを持った方が、明治末期に日本にいました。

その方は、イングランド人のE・A・ゴルドン夫人です。

キリスト教も、仏教も根本は同じだと確信を持っていた方で、キリスト教

との繋がりを、中国、朝鮮、日本に行き調査して回り、高野山奥の院に

「景教碑」を建てた人です。

彼女は、亡くなった時、仏式で葬儀を行い、この
景教碑の隣にお墓を

建てたのです。

明らかに、キリスト教と真言密教との繋がりを表しています。

彼女にとって特別な場所だったはずです。

私の妄想ですが、高野山も、それを認めていたから、この様な碑や墓

を、奥の院近くに建てる事ができたのではと思ってしまいます。

彼女は、早稲田大学に所蔵品を寄贈され、その中でもひと際目立つの

が高田図書館前にある、朝鮮王朝の王陵を囲むように置かれた石の

です。

これは、仏教もキリスト教も元は一つの証として贈られた物なのです。

私も先月この王
陵を記事にしたばかりでした。

本当に不思議です。

白山の
「咩」の字の羊を追って来たら、また羊で、先月追っていた事柄

にも結びつくのです。


彼女の調査が正しいとしたら、私が、琵琶湖・七夕信仰・
白山と馬との

繋がりを見出すために、この
王陵に辿り着いた事もハズレてはいなか

ったと言うことです。

もし、この方が生きていたら、必ず訊ねたと思います。

ゴルドン夫人は何故、羊を証としたのでしょう?

東京へ行った時は、是非、高田図書館に行って、彼女が収集した資料

を見たいです。



[景教の勃興と、日本の宗教]

唐への伝来と、日本の宗教的出来事を箇条書きにしてみました。

景教                   日本の宗教
635年  唐へ宣教団が来た。 
638年  唐から公認。
650年頃 鎮国大法主を賜る
698年 仏教界から攻撃され衰退
700年前期 国からの庇護     714
年 各地にて国分寺を建立。
800年代 衰退            804年 空海、唐へ渡る

このように、中国で景教が護国の役割を与えられてから、日本の護国

の国分寺が建立されるまでの年代の推移が、七重塔との共通点も含

めて流れがスムーズに見えます。

日本の国分寺に建てられた七重塔は、聖武天皇の命によるものです。

と言うことは、国の中枢にも景教が入り込んでいたともとれます。


空海が唐へ渡った時期も、中国での景教が衰退していった変わり目と

重なります。日本に光を見出して、中国での弾圧の二の舞が起こらな

いように、静かに日本の仏教に入っていったとする、推理が浮び上がっ

て来ます。

しかし、それだけでしょうか?

思うに、私の不思議な出来事や、密教との絡みから、一般的に伝わっ

ているキリスト教とは異質な、神秘性を持ったものではなかったか
と推

測します。

               

またまた、「ぶっちゃけ寺」を見ていたら、この内容に重なる画面が現

れました。

それは、ヘビや、ヤモリを立て続けに踏んだ、
私の奇異な体験を紐解く

ような内容でした。次回は、それを白山と結びつけていきます。


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