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テロップが怪しい箇所は、
磐境神明神社の御祭神についてで、多分白人神社と同じで、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
邇邇芸命(ににぎのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
豊秋津媛命(とよあきつひめのみこと)
でいいと思いますが、確認が取れてません。wikiではまた違います。完全版を作りたいのですが…
賢見神社
秦 剛平 (翻訳)
前三世紀頃、アレクサンドリアの七十二人のユダヤ人長老たちがヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳しはじめた。この通称「七十人訳」こそ、現存する最古の体系的な聖書であり「イエス時代の聖書」である。本書では当時の聖書解釈までを含めて翻訳・注解、ヘブライ語版との相違も明示する。歴史、哲学、文学、美術……すべてに通底する西洋文明の基礎文献。
第1章 イスラエルの子らの繁栄 1 以下は、彼らの父(2)ヤコブ(3)とともにエジプト(4)に入って行ったイスラエル(5)の子らの名前(6)。それぞれは、自分たちの一族をあげて(エジプトに)入った(7)。 2 ルベン(8)、シメオン(9)、レビ(10)、ユダ(11)、3 イサカル(12)、ゼブルン(13)とベニヤミン(14)、4 ダン(15)とナフタリ(16)、ガド(17)とアシェル(18)。5 ヨセフ(19)は(すでに)エジプトにいた(20)。ヤコブから出た者たち(21)は全部で七五人(22)だった。6 ヨセフもその兄弟たちもみな、そしてその世代(の人びと)もすべて亡くなっていた。 7 イスラエルの子らは(その数が)増えて溢れんばかりとなり(23)、このうえなく(24)優勢となった。(エジプトの)地は、彼らを(増し)加えた(25)。
2017:
出エジプト記 1 1 さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。 2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。 3 イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。 4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。 5 ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。 6 それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。 7 イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。
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上で紹介したように、『マソラ写本』は『七十人訳』と多くの点で一致しません。その中でもとくに有名な相違点は、出エジプト記1章5節です。ヤコブの子孫を『マソラ写本』は「70人」、『七十人訳』は「75人」としています。
この部分を『死海写本』で見ると、「75人」となっています。『七十人訳』を読んでいただろう筆者によって書かれた『使徒行伝7章14節』では、ヤコブの子孫は「75人」となっています。
また、使徒行伝7章の中には、『サマリア五書』からの引用もあり、この部分は『七十人訳』と一致していますが『マソラ写本』とは一致しません。
https://note.com/mamechido/n/nb4f28135e6daマソラ写本とサマリア五書

ヘブライ語聖書(旧約聖書)の写本については、ユダヤ教のマソラ学者の作った『マソラ写本』が信頼され、『ビブリアヘブライカ』として多くの聖書の底本に利用されてきました。
マソラ学者たちは優れた写本製作技術を持っていました。ヘブライ語によって記され、かつ、欠けなくそろっている最古の写本は、彼らの製作した『レニングラード写本』(11世紀)として知られています※1。
また、『マソラ写本』の最古の断片は、2世紀までさかのぼることができます。これはヘブライ語聖書の正典が決定されたとされる時代とほぼ合致します。
この『マソラ写本』とよく比較されるのが『サマリア五書』(最も古い断片で11世紀)です。要するに「ユダヤvsサマリア」という構図なわけですが、『サマリア五書』はサマリア人への偏見から、信頼のおけない写本であると考えられていました。
「考えられていました」と言うのは、さまざまな学術的調査によって、『サマリア五書』が見直されてきているからです。
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ヘブライ語聖書のギリシャ語訳として権威のある『七十人訳(セプトゥアギンタ)』(4〜5世紀・紀元前までさかのぼれる)と『マソラ写本』・『サマリア五書』を比べてみると、面白い点が浮かび上がってきます。
(書くまでもないのですが、五書の部分だけです。)
まず、『マソラ写本』・『サマリア五書』では、章節の違いも含め、約6500カ所相違している個所があります。
その約6500カ所ある相違を『七十人訳』と比較すると、その内、約1600カ所が『マソラ写本』と一致しませんが、約1900カ所は『サマリア五書』と一致しています。
写本の信憑性を計るのに利用される『死海写本』(前5世紀~)と比べてみると、『マソラ写本』だけではなく『サマリア五書』もこれと一致しているということが認められています。
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上で紹介したように、『マソラ写本』は『七十人訳』と多くの点で一致しません。その中でもとくに有名な相違点は、出エジプト記1章5節です。ヤコブの子孫を『マソラ写本』は「70人」、『七十人訳』は「75人」としています。
この部分を『死海写本』で見ると、「75人」となっています。『七十人訳』を読んでいただろう筆者によって書かれた『使徒行伝7章14節』では、ヤコブの子孫は「75人」となっています。
また、使徒行伝7章の中には、『サマリア五書』からの引用もあり、この部分は『七十人訳』と一致していますが『マソラ写本』とは一致しません。
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『マソラ写本』と『死海写本』には大きな相違点があり、この点は『七十人訳』が『死海写本』と一致しています。
『七十人訳』の本文は『マソラ写本』系以外のものが採用されたことは明白であって、それは『サマリア五書』にも同様の事が言えます。
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さて、これでも『マソラ写本』だけが正統な聖書であって、『サマリア五書』が少数の人たちによる改竄聖書であると言えるのでしょうか?
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勉強をするのに参考にしたサイト
・イザヤトドさんの「キリスト教 千夜百話」
・和田幹生さんの「旧約聖書の本文」
※1 実際には『アレッポ写本』(10世紀)が最古の写本だったのですが、いろいろあって創世記~申名記の28章16節まで紛失してしまっています。この部分には、あとの記事に続く、ゲリジム山やモリヤの地に関係する部分がまるまる含まれています。
「聖写本を巡る『犯人は誰だ?』」
創世記46:8-27 エジプトに移住したヤコブの子らの記録
https://thomasluke.cocolog-nifty.com
>blog
>post-d757
2017/2/19 -エジプトでヨセフに生まれた子らはふたりで、エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった。」 ... 合計は70人になります。 この中には、嫁 ...
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