2025年1月14日火曜日

矢口壹琅 の ONE LOVE:失われた十支族について - livedoor Blog(ブログ)

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失われた十支族について

jjmark
紀元前1004年‐紀元前965年、ダビデ王の時代

統一イスラエル王国として12部族がひとつにされて暮らす。

紀元前930年、ソロモン王の死後、南北に分裂

サマリヤを首都にした10支族による北イスラエル王国と、

エルサレムを首都にした2支族による南イスラエル王国とに分かれた。

比較的、水が豊富な肥沃な土地に住む北イスラエル王国は、野菜や果物が豊富にとれ

人々の生活は豊かで、現在のユダヤ人のような一神教的宗教を奉じていなかった。

北王国の10支族は、ルベン、シメオン、イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、エフライム、マナセ、である。

それにくらべて、乾燥地帯である南イスラエル王国は作物があまりとれず遊牧や生活は豊かではなく

そのため、どちらかというとまじめで熱心な一神教宗教であった。

そのため、北の10支族と南の2支族とは仲が良くなかったといわれている。

南王国は、レビ、ユダ、ベニヤミン、である。

3支族なのだが、レビ族は祭司の家系ということで、継承する土地を持たず、12支族にはあたらないということだ。

やがて、北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、

10支族のうち一般人は殺され、指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。

そして歴史から姿を消した。10支族だから、大集団である。

アッシリア王サルゴンの年代記によれば、

「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した……」とある。

いっぽう、南王国のユダの方は、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。

指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となる(バビロン捕囚)

しかし、エルサレムの町や神殿を失った彼らは、逆に宗教的な繋がりを強め、律法を心のよりどころとし、団結をした。

そして、宗教としてのユダヤ教を確立したのだった。

ちなみに、「ユダヤ」の名は、南王国の2支族のひとつ、ユダ族のローマ帝国時代のユダヤ属州の名からきてる。

ユダヤ人というのはローマ側からみた『ユダヤ属州の民』であり、

南王国2支族の民からは、宗教的な意味でのアイデンティティーとして自らを『ユダヤ民族』あるいは『ユダヤ教徒』と呼んだ。

のちに金融業を軸とした商業を営みつつ団結したコミュニティーを作りつづけ世界に広がっていくことになるが、

このバビロニア捕囚時代に他民族の中においてユダヤ民族としての独自性を保つための基礎が作られた。

さて、紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ連行されていった北王国の人々はどこに行ったのか?

途中までは、南王国の人々は、把握していたのだが、突然、東へ移動し、消えてしまったという。

これにより『失われた10支族』といわれ、今でも、ユダヤ民族は血眼になって彼らを探している。

なぜなら、ユダヤ教の聖典である旧約聖書に、神の預言としてハッキリと書かれているからである。

イスラエル10支族が終末に姿を現し、再び12支族が揃うことが。。。


興味深いことに、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、

『イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっている』と記述していた。

少なくとも紀元1世紀くらいまでは、いわゆる今でいうイランあたりにたくさんまだいたわけだ。

そして、その後、東の果てへ移動する。

聖書外典の「第二エズラ書」は、

『イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指した』と伝えている。

「彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へ行こうと相談した。それは自分の国では守っていなかった律法をそこで守るためであった。」

歴史からいっても、日本の建国は、ちょうど

北イスラエル王国の10支族が、国を追われ、東に向かい、アジア各地に散ってから、約60年後のことであり、

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日本の天皇家の家系図があまりにも北イスラエル王国のリーダーであったエフライム族と酷似し、

日本の文化・風習が古代イスラエルのものとよく似ているものが数え切れないほどあるため、

失われたイスラエル10支族が日本にきて、エフライム族が日本を建国したのではないかという説が強い。

また、日本語の「帝(みかど)」の発音は古くは「ミガド」と発音され、

古代ヘブライ語でガド族の王と云う意味(ミ・ガド)であることなどが、その根拠ともされている。

神武天皇の名前は、カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコトであるが、

現在の日本語からでは理解不可能で、意味不明。でも、これは古代ヘブライ語で考えると意味を成す。 

古代ヘブライ語で、 カム・ヤマトゥ・イヴリ・ベコ・シュメロン・マクト、を訳すと、なんと、

「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」という意味になる。 

ちなみに、サマリヤは、古代ユダヤの北イスラエル王国の首都の名前である。

神道、宗教的行事、相撲、天皇家、カタカナ、言葉の音と意味、など、数限りない偶然の一致にあわせて

DNAが古代イスラエルの民と日本人の関連性をハッキリと物語っている。


私は、今までの長年の研究で、胸を張って、こう言える。


日本人は、古代イスラエルの失われた十支族の末裔であることは間違いない事実である!

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