宗像大社:古い神社の形 高宮斎場 ②
わたしは、何か見えないものがみえたりするような能力や霊感などは、全くない人間なのですが、そんな私でも、他とは違う特別な空気感を感じてしまったのが(そんなふうに思えるのが)高宮斎場です。参拝の際に真っ黒な雨雲から、とつぜん射してきた木漏れ日が、そう感じさせたのかもしれません。
高宮斎場は、社殿が建立される以前の祭祀が行われていた場所で、三女神が降臨した場所であるといわれているところ。神社とは文字どおり神(かみ)のよりつく社(やしろ)ですので、元々は高宮斎場が神社であったとも言えます。
神籬:ひもろぎ(樹木)を神様を招くための依代:よりしろ(神霊がよりつく対象物)としています。
神籬:ひもろぎは、神を招くために巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲った場所で、常緑樹(常磐木)が用いられています。
ですから、現代の住宅新築の際の地鎮祭も神籬なんです。(榊や竹を使用しますが・・・)
日本の古神道の根底には、あらゆる物に神・精霊や魂が宿ると考える自然崇拝があって、その対象として巨石や岩に対する磐座(いわくら)や樹木にたいする神籬(ひもろぎ)、島や山自体があるので、その場所が神社の起源になっている場合が多いです。
高宮斎場は、現存が珍しい神籬の斎場(樹木なのでそのままの状態で残るのは難しいですよね)で、宗像大社奥宮の沖ノ島は島自体が信仰の対象とされています。沖ノ島の沖津宮の社殿は、17世紀に建立されたもので、それ以前は巨石群(磐座)が密集する黄金谷で、古神道の形で祭礼が行われていたそうです。
ここ辺津宮の社殿は宗像 氏貞(むなかた うじさだ:戦国大名 宗像大社第79代大宮司)が1578年に再建したそうなので、最初の建立が何時なのかは定かでありません。また、三女神が降臨するのは神話の時代ですが、それ以前から、この場所に斎場(神籬)があったのかもわかりません。
そこに斎場(神籬)があったとすると、そこには元々、その土地の神様がいたということですから、その神様はどこに行ってしまったのか?など・・・考え出すと興味深いことがたくさんあります。
「高宮」をいう名の通り、周りのなかでは唯一高台になっていて、参道の階段を登って行く途中振り返ると、釣川に沿った平地の先に突然、玄界灘を見ることができるので、この場所に斎場をつくった理由がよくわかるような気がしました。
金比羅山の階段をがんばって登っていって、瀬戸内海が見えた時の感覚とよく似ていました・・・。
高宮斎場
高宮斎場
玄界灘が見えます・・・
弟(スサノヲ)が、自分の国を奪いにきたと誤解した(姉)アマテラスにたいして、自分の身の潔白を証明しようと子供を産むことを提案。その結果、最初にアマテラスがスサノヲの三柱の女神を、次にスサノヲがアマテラスの勾玉から五柱の男神を生みました。
その三柱の女神が、タゴリ姫、タギツ姫、イチキシマ姫の宗像三女神です。
アマテラスとスサノヲは、イザナギから生まれた姉弟なのですが、高天原を追放されたスサノヲはその後、出雲国に移り住んで治めていきます。(ヤマタノオロチ伝説など・・・)
出雲大社の神様、オオナムヂ(後の大国主:オオクニヌシ)は、スサノヲの6代目子孫にあたります。
この大国主さま、正妻として出雲に、スセリビメ(これまたスサノヲの娘なんですが)がいるのですが、各地に遠征などで出かけた際に、奥さんをたくさん作ってしまう恋多きオトコ・・・。因幡(鳥取)のヤガミヒメ、古志国(福井)のヌナカハヒメ、トトリノカミ、カムヤタテヒメ・・・・。出雲大社が縁結びの神様だと言われる所以でもあります・・・・。
その中になんと、宗像三女神の一人、タゴリ姫がいるんです。なぜかは、さっぱりわかりません。長女のタゴリ姫は沖ノ島の沖津宮の神様。元々、お父さんもスサノヲ(正妻のスセリビメもスサノヲの娘なのですが・・・)なので、出雲とは、何かしらの関係性があることはわかります。
出雲国の九州侵攻による国同士の戦いなのか、貿易による友好関係なのか、詳しいところはよくわからないのですが・・・・。
私自身、山陰地方出身なので、すごく気になるところでもあります。
以前、知り合いの女性に大国主さまの話をしたら、その方が「今までわからなかったけど、NHK BSの[にっぽん縦断こころ旅]を見ていると、火野正平がなんで、女性にモテるのかよくわかる。オオクニヌシは火野正平だ!」というようなことを言って笑いました。
確かにそうかもしれません。
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