2025年3月3日月曜日

べらぼうとは?語源と意味、使い方/ホームメイト

べらぼうとは?語源と意味、使い方/ホームメイト

べらぼうとは?語源と意味、使い方

「べらぼう」の意味と由来
2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは、「蔦屋重三郎」(つたやじゅうざぶろう)の生涯を描く「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(つたじゅうえいがのゆめばなし)です。蔦屋重三郎は版元として江戸の文化を牽引した偉才で、「江戸のメディア王」と呼ばれています。ドラマタイトルにある「蔦重」とは、もちろん蔦屋重三郎のこと。では、メインタイトルの「べらぼう」にはどんな意味があるのでしょうか。「べらぼうとは?語源と意味、使い方」では、NHK大河ドラマのタイトルに着目し、その意味と言葉の由来について探ってみました。

「べらぼう」は江戸っ子の口ぐせ?

べらぼうの語源は「穀潰し」または芸人の名

威勢のいい江戸っ子が言い放つ、「べらぼうめ!」。時代劇などで見たことがあるという方は多いのではないでしょうか。

この、「べらぼう」の語源は、穀物を潰す「箆棒」(へらぼう)にあり、「穀潰し」(ごくつぶし)の意味も持っていると言われています。「穀潰し」とは、働ける状態にあるにもかかわらず働かず、遊び暮らして食べることだけは一人前という者をののしって言う言葉です。

また、べらぼうは1661~1673年(寛文年間)の末頃に見世物小屋で評判になった芸人に由来するという説もあります。滑稽な様子で人を笑わせるこの芸人は、「便乱坊」(べらんぼう)、「可坊」(べくぼう)と呼ばれていたことから、やや馬鹿にする意味でべらぼうという言葉が使われるようになりました。

意味は広く「常識的ではないこと」を指す

もともとは人をののしる言葉だったべらぼうですが、一般的ではない者に対して用いられていたことから新たな意味が生まれることになり、「程度が桁外れなこと」、「はなはだしい様子」、あるいは「常識では考えられないばかげたこと」を意味する江戸方言として使われるようになります。

同じ江戸の方言で「何を言っているんだ」という意味の「てやんでぇ」と一緒に使われることが多く、「てやんでぇ、べらぼうめ!」で、「何を言ってやがる、この馬鹿者が!」という意味になるのです。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があります。木造家屋の密集する江戸の町では火事が多く、またそれに対処する火消しの活躍が華やかだったこと、さらに江戸っ子は気が短いため派手な喧嘩が多かったことから生まれた言葉です。「てやんでぇ、べらぼうめ!」と言い合って喧嘩がはじまったであろうことは想像に難くありません。そして火事の現場では、「べらぼうめ! 早く逃げやがれ!」と火消しが怒鳴って避難を促したこともあったに違いないのです。

そんな「べらぼう」は、現代でも東京の下町方言として残っています。

蔦屋重三郎の活躍はまさに「べらぼう!」

既成の枠を超える江戸のメディア王

べらぼうの意味だけを見ると過激な印象になりますが、実際には「ばかだなあ」くらいのくだけたニュアンスだったとのこと。さらには反語的に誉め言葉として使われることもあり、「誰もなしえないような型破りなこと、または人」を指しています。

「型破り」とは、まさしく蔦屋重三郎の生き方を指しているのではないでしょうか。

蔦屋重三郎は、吉原遊郭(現在の東京都台東区千束辺り)に生まれました。そして吉原大門の前に店を構えることで本の販売・出版業をはじめます。

吉原の遊女を紹介する案内書「吉原細見」(よしわらさいけん)の出版を足掛かりとして、斬新な企画をかたちにした洒落本黄表紙(絵入りの娯楽本)、狂歌本(風刺を盛り込んだ短歌集)、絵本を次々と刊行。「山東京伝」(さんとうきょうでん)、「曲亭馬琴」(きょくていばきん)、「十返舎一九」(じっぺんしゃいっく)など才能豊かな作家達と親交を深め、さらには「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)、「葛飾北斎」(かつしかほくさい)、「歌川広重」(うたがわひろしげ)といった浮世絵師達とタッグを組んで出版界を席巻します。

蔦屋重三郎の企画力・プロデュース力は他の追随を許さず、「江戸のメディア王」として大成することになったのです。

蔦屋重三郎が仕掛けたべらぼうな企画

ところが、時世の流れは変わり、文化の自由な気風を尊重した江戸幕府の権力者「田沼意次」(たぬまおきつぐ)が失脚。代わって「松平定信」(まつだいらさだのぶ)が老中となり「寛政の改革」がはじまると、厳しい風紀の取り締まりは浮世絵や読本を含む娯楽へも及ぶこととなったのです。

そんな中、蔦屋重三郎が出版した山東京伝の洒落本・黄表紙が江戸幕府によって摘発され、蔦屋重三郎も財産の半分を没収という処罰を受けてしまいます。

その後も江戸幕府からは厳しい監視の目を向けられることになりますが、蔦屋重三郎が屈することはありませんでした。蔦屋重三郎は前代未聞のエンターテインメントを打ち出します。それは、無名の新人浮世絵師「東洲斎写楽」(とうしゅうさいしゃらく)の大々的なデビューでした。

東洲斎写楽が描く役者絵(歌舞伎絵)は、それまでの役者を美化するという形式にとらわれず、役者自身の特徴を強調していたため賛否両論あったものの、その卓越した才能は疑いようがなく、江戸庶民に強烈なインパクトをもたらします。

蔦屋重三郎の思惑通り、東洲斎写楽のデビューは大当たり。文字通り「べらぼう」な企画です。ところが、東洲斎写楽はデビューからおよそ10ヵ月後に忽然と姿を消してしまいます。

突然の消息不明が蔦屋重三郎の仕組んだ計画かどうかは定かではなく、真相は分かっていません。しかし、東洲斎写楽が短期間の活動のみで姿をくらませたことは、結果的にふたたび話題をさらうことになったのです。これもまたべらぼうな出来事でした。

「べらぼう」は、常識はずれな行動を起こす者へのののしりである一方、既成概念を打ち破り時代に新風を吹き込む風雲児への誉め言葉でもあります。そこには親しみと尊敬の念が込められており、2025年(令和7年)のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」がどれほど「べらぼう」な物語を紡ぎ出して見せるのか、視聴者はすでに興味津々です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

アテルイと坂上田村麻呂と清水寺 | WEB歴史街道|人間を知り、時代を知る

アテルイと坂上田村麻呂と清水寺 | WEB歴史街道|人間を知り、時代を知る https://rekishikaido.php.co.jp/detail/2318 アテルイと坂上田村麻呂と清水寺 この記事の画像(全 1 枚...