諏訪大社の七不思議のひとつに「耳裂けの鹿」がありますが、供物に必ず耳の裂けた鹿がいるというもので、これはイサクの代わりに供物にした鹿のイメージではないかという説もあります。諏訪には山羊がいなかったので、代わりに鹿(75頭)が捧げられたと考えられます。
しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。
そもそもユダヤ人は紀元前にローマに敗れてから、あらゆる地に離散した民族。迫害された一派が流れに流れて日本にやってきて留まり、自分たちの信仰の依り代として山を「モリヤ」と名づけ、祭りを行っていたとしても不思議ではありません。
四国徳島の白人神社には奥社があり、その奥社こそ、古代祭祀形態の形を残す神社。磐境神明神社。
この磐境神明神社こそ、ニニギノミコトの御陵という伝承があります。
古代より現在まで、忌部の宮人75人によって守られています。
忌部の宮人(くにん)。75人。
このワードは掟のように他の誰もそこに入れず、現在も踏襲されているのです。これって凄くないですか。
忌部氏というワードもですが、75人という数字も。
実はこの磐境神明神社。
古代イスラエルの祭祀スタイルとあまりにも似ているそうです。
イスラエル国駐日大使が訪れ、その類似性に驚かれました。
また、古代ユダヤ教では、75という数字もとても重要な数字なのだとか。
徳島県名西郡石井町にある多祁御奈刀弥神社にも「元諏訪」伝承がある。社伝によると、『古事記』に書かれている「州羽」は当社の事を指し、長野県にある諏訪大社はこの神社から宝亀10年(779年)に移遷されたものであるという。
多祁御奈刀弥神社でも75個の御膳が本殿にお供えされる。
使徒の働き
7:14
14 そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。
しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。
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