2025年9月24日水曜日

北条時頼が残した辞世の偈〜 実は中国禅僧の遺偈?〜 : とらっしゅのーと

北条時頼が残した辞世の偈〜 実は中国禅僧の遺偈?〜 : とらっしゅのーと
いっついださい
たいどうたんぜん

北条時頼が残した辞世の偈〜 実は中国禅僧の遺偈?〜 : とらっしゅのーと

 今回、何回かぶりに辞世の漢詩ネタを。取り上げるのは、鎌倉中期の政治家・北条時頼(1227- 1263)です。

 御存知の方も多いでしょうが、一応。時頼は鎌倉政権第五代執権(在職1246 -1256)で、泰時の孫、時氏の子。兄である経時の後を受けて執権となり、宝治合戦で有力者三浦氏を打倒、京から宗尊親王を将軍として迎えるなどの事績を残して体制安定を果たしています。また訴訟審理を改善するため引付を新設するなど公正を重んじた政治運営に励みました。そのためか後世からは理想の為政者として仰がれ、『太平記』『増鏡』や謡曲『鉢木』は諸国遍歴して民情視察したという伝承を伝えています。禅宗に篤く帰依し、蘭渓道隆を宋から招聘して建長寺を建立した事でも知られます。法名は覚了房道崇。最明寺殿とも呼ばれています。

 時頼の辞世が漢詩として伝えられるのも、この禅宗への信仰によるものかと。では、具体的に見ていきましょう。

 『吾妻鏡』第五十一巻、弘長三年十一月二十二日の記事によると。この日、時頼は死期を悟って袈裟を身につけて座禅し

業鏡高縣
三十七年
一槌打碎(※1
大道坦然
(正宗敦夫編『東鑑 第八』日本古典全集刊行会 205頁)

業鏡 高く懸ける
三十七年
一槌に打砕して
大道 坦然たり
〈超意訳〉
罪業を映し出すという鏡を高く吊り下げて生きた、三十七年間であったことよ。
今、この鏡を槌で一振りに打ち砕いたら、人として進むべき仏道が平らかに広がった。

※1 打の字は異本では撃。

という偈を残し、「手結印。口唱頌。而現即身成佛瑞相。」という状況で世を去ったそうです。実に格好良いですね。どこまでが事実か、勘ぐりたくなる位には。

 平仄及び押韻は下記の通り。が平声、が仄声、は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。韻脚は下平声一先「縣、年、然」。

●●○◎
○●●◎
●○●●
●●●◎

 以下、少し語句解説を。

・業鏡

地獄で死者の罪業を評価する道具として業秤や浄玻璃鏡といった物が知られる。人の罪を映し出すという浄玻璃鏡を指すか。

・大道

人の進むべき正しい道。優れた教え、仏道。

・坦然

平らか、穏やかな様子。裏表のない様子。

 なお、実のところ、この偈の元ネタは宋の阿育王山にいた禅僧・笑翁禅師(※2)が残した遺偈だという話があるようで。元々は「三十七年」のところが「七十二年」だったそうで、これは両者の寿命の差かと。なお、山城国は正伝寺開山・慧安の行状記『東巌安禅師行実』には時頼の偈は

業鏡高懸三十七年、一撃撃碎、大道湛然
(長沼賢海著『英雄の信仰』実業之日本社 35頁)

となってるんだそうで。ただまあ、長沼賢海氏は、別にこれは盗作とかではなく、後世の創作とも限らず、「時頼は日頃、笑翁禅師の偈を愛誦翫味して居たので、今はの臨終に、それが口を衝いて出たとすれば、何等差支はない」(同書 同頁)と弁護気味に述べています。実際、そんなところかもな、と。

 とはいえ、だとすると時頼の辞世、とこの偈を称するのは厳密には問題あるのかもですけれど。

※2 妙堪(1176 - 1247)の事か

【参考文献】

正宗敦夫編『東鑑 第八』日本古典全集刊行会

長沼賢海著『英雄の信仰』実業之日本社

『角川新字源改訂版』角川書店

菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス

『大辞泉』小学館

『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ

『世界大百科事典』平凡社

『精選版 日本国語大辞典』小学館

『大辞林』三省堂

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