2025年5月3日土曜日

川守田英二


川守田英二
第6章 日本ヘブル語の諸問題
第二節 文字入縄紋土器の発見とその意義

一、発見の事情

 最近日本のある方面では古代文字の有無論が再燃している。公平なベースボールのアンバイャーになった積りで、その有無論を批判すれば、どうも無いという方が論拠が強いようだ。ところが、今より十八年前、私は東北民謡現地踏査中、はしなくもカルデャ文字 「アーレフ」「ヨード」二字を浮彫させ縄紋土器を発見したのである。同地方に行わるる「ナニアド ナサレ アエノ ナニアドレャー」(彼方へわれらアエノ族を追払わんとす、前方へエホバ神進み給え)という簡単な歌詞を追究して行ったら、段々複雑になって、遂には紀元前一四四六年(三四〇〇年の昔)に起った、イスラエル民族の出埃及の軍旅の歌にまで遡ってしまった。学究の責任上、現地踏査のため帰朝したが、己が郷土岩手県一戸町へ帰ったら、少年の頃、矢の根石を拾い漁った桑畑の中から、ザクザクと縄紋土器が出土し、その大部分は久慈という素封家に保存してあるとの事だ。行って見せて頂き、その検分中、「ア、大変なものがある」と私は叫んだ。立会の人々は、巧妙無比な土偶のことでもあろうかと目を見張っている際、私は片隅に無雑作に放り出してあった、蓋様のカワラケを拾い上げた。皆んなが呆気にとられているところで「この蓋はやがて国宝となる時が来る」と預言した。
案の如く、次回、今一度この土器を見せて貰いに行った時には、黄色の布につつまれ桐の箱に納められ、当に国宝待遇を受けていた。後に高松宮殿下にもお目見得したという。


二、何と読むべきか

 三四〇〇年前イスラエルの民族が雲の柱、火の柱に導かれながら歌った古謡の保存せらるる地帯で、カルデャ文字入の縄紋土器を発見したのだから、たったそれだけでも外部的証拠を挙げた喜びで満足すべきである。 所がこの二字を何とよむべきかということは一層興味深いことであらねばならない。

①最初この二字を、そのままゲゼニアスの辞書で索引し、その二項に従って「オイ」と読んだ。その意味は「嗚呼」または「禍なる哉」の語義なので、納骨棺の蓋でもあろうかと思った。

②ところが、地中海のパレスチナに再建されたイスラエル国の郵便切手にこの二字が印刷され、「エーレッツ 「イスラエル」と読ませ、「イスラエル国」の略字に用いられている。

③ しかしこれは「エーレッツ ャウーダ」と読んで「ユダャの国」の略字にもなる。日本は北朝イスラエル(失われた十族)よりも南朝ユダャ (失われざる二族)と関連しているからである。 

④更にこれは日本で発見された以上、「エーレッツ ャアマド」と読んで 「ヤマド(天壊無窮の意の国」とも解される。 「ヤマド」の解説は別に一論文に価するからここに省く。

⑤更に「ヤマト」の国の主権者の名を借りて、「エーレッツ イワレ」即ち「磐余(伊波礼)日子の国」とも読まれる。日本ヘブル詩歌の大半は神武天皇に関連しているからだ。

⑥ 何れにしても、少なくも「エーレッツ ャーエ」即ち「エホバ(神)の国」と解すれば、右の一切を包容する釈明を得るのである。神功皇后の新羅征伐の時、日本は外国に神の国として知られていた。「吾聞く、東に神の国あり、ヤマトという。またヒヂリのキミあり、天皇という、必ずその国の神兵ならん」云々。

⑦こうなると、この二字を「イ・ヨ」(伊予の地名を連想せしむる)と読んで、英語で「アイランド・オブ・ヤーエ」 (N)と訳し、日本語の「エホバの島国」という解釈もつく。この島国という語の複数形「イイム」はイザヤ書に頻々と出て来て、大抵日本列島を指示している。即ち二四章一五節、四一章一節、四二章一〇節『海にうかぶもの海の中に充つる者、もろもろの島およびその民よ、エホバに向いて新しき歌をうたい、地の果よりほまれをたたえまつれ』 『この故に汝ら東にてエホバを崇め、海の島々にてイスラエルの神のみ名を崇むべし、われら地の極より歌をきけり』。

三、土器の重大性
この土器の持つ重大性は多々ある。

①縄紋土器はアイヌ土器に非ず、如何となればそれはアイヌ民族掃盪の歌を高唱した固有日本人祖先の遺物なればなり、と結論されるからだ。従来の考古学では、縄紋土器をアイヌ土器と見做し、彌生式土器のみを固有日本人々祖の遺物と鑑定して来た。しかるに、 右の土器が出土したことによって、縄紋土器も彌生式土器も共に固有日本人祖先の異なる文化過程の遺物であることが明示されたからである。

② 日本に先住した諸民種を統合せる天孫民族は文字の知識を包含していたが、文字の普及よりも諸民種に通用する大和言葉の大成の方が当時刻下の急務であった。「言霊の幸はう国」というのは、文字の国に対する自慢の種ではなく、 事情止むを得なかったのである。通用する言葉さえ出来ていない国では、文字の普及は意味をなさない。

③模様化されたる文字 私がこの文字入縄紋土器について発表するに至らしめた一つの刺戟
は、秋田県北秋田郡沢口村出土の縄紋土器にも、鮮やかに「アーレフ」 「ヨード」の二字が花文字で浮彫にされてあるからである。一般に普及の出来なかった文字は、象徴化され、模様化されて、装飾の役目を果す外に途がなくなった経路を思わしめる。神社の護符などにある記号なども同一轍の経路を経て、次第に原型から遠ざかったものであろう。

④古代文献古代天孫民族はヘブル語で書いた文献を持っていたに相違ない。
しかし、それは皮や紙に書いた巻物であったに相違ないから、湿気の多い日本の国土では長く保存せられなかった

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