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解説 納富信留
現代に『パイドン』を読む意義
だが、英米の明晰な研究で見落とされた側面は大きい。近年はその反動として、それらの宗教的背景を正当に顧慮しようとする研究が出始めている。私自身も、次節で示すように、この対話篇を「死」をめぐる神秘の論究という方向で捉えている。「神秘主義mysticism」を過剰に嫌悪し哲学史から排除する者は、この世界と宇宙が神秘に満ち溢れ、私がここに生きてあることそれ自体が神秘であるという現実感覚を失っている。無論「神秘」と言う言葉の意味が問題であり、軽々に使うべきではないが、現代のそうした不感症を見直し、私たちを目覚めさせてくれる哲学の言論として、『パイドン』は読まれるべきかもしれない。
対話篇の場面は「ソクラテスの死」である。私が「死」をどう迎え、そこで「私がある」ということをどう語ることが可能か、それを正面から問うのが『パイドン』である。そこで対話し、死んでいくソクラテスこそ、「知を愛し求める者(フィロソフォス)」、つまり哲学者の究極モデルであり、私たちに絶対を顕現する存在である。この対話篇が、ソクラテス裁判を舞台にした『ソクラテスの弁明』の言論を完成させる。プラトンの哲学は、まさにこの二つの対話篇の間で始まった。その内容を確認していこう。
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