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イエスとマグダラのマリアは実際にはどのような関係だったのでしょうか。
実はこの問題はナグ・ハマディ文書発見以前から世界中で多くの議論を呼んできました。
正典以外の最古の伝承群を集成した『フィリポによる福音書』には、二人の知られざる関係について以下のように記述されています。
「[主は]マ[リヤ]を[すべての]弟[子]たちよりも[愛して]いた。[そして彼(主)は]彼女の[口にしばしば]接吻した。他の[弟子たちは]彼が[マリ]ヤ[を愛しているのを見た]。彼らは彼に言った、「あなたはなぜ、私たちすべてよりも[彼女を愛]されるのですか。救い主は答えた。彼は彼らに言った、「なぜ、私は君たちを彼女のように愛さないのだろうか」(『ナグ・ハマディ文書Ⅱ』、大貫隆訳、p.76)
ちなみにグノーシス関連文書の表記法では、引用文中の[ ]は写本の損傷部分が激しいために原文校訂者(あるいは訳者、この場合は大貫隆先生)が推定復元したことを表します。
この場面の「接吻」がグノーシス主義最大勢力のヴァレンティノス派における「聖なる接吻」(洗礼式の一環で行われていた儀礼)を意味しているということはすでに定説になっています。
問題は、なぜここでイエスとマグダラのマリアの関係がこれほど前景化しているのかという点ですが、これについても近年は教団内の男女構成比の観点から以下のような仮説が提唱されています。
つまり、『フィリポによる福音書』、『マリアによる福音書』、『ピスティス・ソフィア』において二人の親密さが強調されているのは、これらが成立したセクトの指導層が女性たちであり、文書自体も女性たちの周辺で成立した可能性が高いからであると(フィオレンツァ、ブロック、グッドらの解釈)。
ルドルフも『グノーシス』の中で、男性中心的な初期教会に較べてグノーシス諸派では総体的に女性が多かったと述べています。
『フィリポによる福音書』はまさにその象徴的な場面を特徴付けており、マリアはイエスと共にプレーローマに挙げられ、「正統派」の指導者ペトロは彼女に対して激しい嫉妬を抱く存在として描かれています。
※アレクサンドル・アンドレエヴィチ・イワノフ《私に触れるな》(1835年)
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