神道作法における「いただきます」と「ごちそうさま」 これらは『玉鉾百首』に収録された本居宣長による和歌であるが、後に食前食後の作法として採用された 自然の恵みを神々の恩徳に象徴し、それに対する恭敬の姿勢を通じて、神(自然)と人とが一つの環の中に連なる、神道的な世界観が描出されている pic.x.com/cFbz1U1J4D | |||
2025/11/23 20:11 |
春日大社などで使われた本居宣長の和歌の再解釈が明治、愛国教育、戦後放送で広まった。
「たなつもの百の木草も天照す日の大神の恵みえてこそ」(いただきます)
「朝宵に物くふごとに豊受けの神の恵みを思へ世の人」(ごちそうさま)
この歌は本居宣長が詠んだ『玉鉾百首』の中の一つで、宣長は食事の際、箸を止めて「このご飯がたべられるのも神様のおかげではないか、なぜみんなそのことを感謝しないのかなぁ」と、ふっと出た宣長の独自の歌であろうと思います。
https://www.oosaki-hachiman.or.jp/letter/no29.htm
【食前感謝詞】 頂きますの意味のことば
先ず、先導役が「静座、一拝一拍手」と言ってから、全員で一拝一拍手をします。
次に、先導役がフシを付けて「たなつもの」と詠い、それを合図に全員で、「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」という和歌を詠います。
詠い終わると全員が一斉に「頂きます」と言い、食事を頂きます。
《和歌の大意》
五穀や全ての木草の育みは天照大御神の御加護のお蔭であるのですから、毎朝毎晩の食事のたびに、神の恵みを思い起こしましょう。
(人間の力だけで食べ物ができるわけではありません。)
【食後感謝詞】 御馳走さまの意味のことば
先ず、先導役が「端座、一拝一拍手」と言ってから、全員で一拝一拍手をします。
次に、先導役がフシを付けて「朝よいに」と詠い、それを合図に全員で、「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」という和歌を詠います。
詠い終わると全員が一斉に「御馳走さまでした」と言い、この作法を終えてから席を立ち、食器を片付けます。
《和歌の大意》
毎朝毎晩の食事のたびに、豊受大御神の恵みを思い起こしましょう。
(人間の力だけで食べ物ができるわけではありません。)
「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の めぐみえてこそ」と「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」というこの二首は、どちらも、短歌集『玉鉾百首』の中で本居宣長が詠んだ歌です。
神社関係団体が主催する神職を対象とした各種研修会に於いて、食事を頂く際と頂いた際には、必ず全員がこの作法に従って和歌を唱和し、食前感謝と食後感謝のお祈りをしています。
900年欠かさず行われてきた春日大社「旬祭」神道の基本を凝縮した祭典を体験
2017/10/11(水) 12:40配信
【「食事前後の感謝」してますか?】|dr_kohjimiyazaki - note
2024/11/20 -また、戦後1951年に給食制度が始まった後も、「食事の前後に挨拶する」様にと言う指導内容はありますが、特に「いただきます/ごちそうさま」の表記は無い ...
食前の挨拶「いただきます」の発声がいつ頃始まったか関しては定かでない。1983年から始められた国立民族学博物館の共同研究「現代日本における家庭と食卓 ── 銘々膳からチャブ台へ ── 」[52]では、当時70歳以上(1913年前後以前の生まれ)の計284人(女性259人、男性25人)にアンケートを行っており、貴重な証言を得ている。これによれば、対象者らが若かったころ、箱膳で食していた時代には、「いただきます」は決して一般的とは言い難いものであった。ほとんどの家庭において食前に神仏へのお供えがあった一方で、食前の挨拶はないことが非常に多く、またあったとしても様々な挨拶の言葉が存在した。それがやがて必ず言うようなものとなり、その文句(「いただきます」に限らない)も統一されてきたのは、軍国主義化していった時代ごろからのしつけや教育によるものであると推測されている[53][54]。民俗学者の柳田國男も1946年の著書のなかで「いただきます」が近頃普及したものだと言及している[8]。
- 柳田国男 (1946), 「毎日の言葉」, 『柳田国男全集 第15巻』(1998) に再収, 筑摩書房, 249-250頁.
比較的古い文献に食前の挨拶として現れる例を挙げる。
- 1891年 「箸を執る前「戴きます」とか」(子供のをしえ)[55]
- 1904年 「御飯をたべる前には、おとうさん、おかあさんに「戴きます」」(修身教科書)
- 1917年 「食事の終始に挨拶をなすべし「いただきます」「ごちそうさま」」(小学校に於ける作法教授法要綱及細目)[56]
- 1934年 「御飯はいただきますで始め、ごちそうさまで終わりましょう。」[25]
- 1937年 「(前略) お膳の前へ坐ると、頂きますとお辞儀をするし、お終いになると、御馳走さまといったり (後略)」[57]
- 1939年 「そして、その一味の婆さんが一緒に弁当をたべるとき、きっと私に向っていただきます、とあいさつをしたという世にも滑稽な話。」[58]
Jタウンネットが2015年に実施したネット上のアンケートによれば、食前に「いただきます」と言うと回答した人は合計して9割を超えている[59]。
毎日の言葉 柳田国男コレクション (角川ソフィア文庫) | Amazon
戦中、『婦人口論』に連載されたもので、柳田自身も若い女性のために書いたと述べている。本文のあちこちにも、日本語を乱していくのは女性であるという意識が垣間見えて、 ...
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イタダキマス イタダクは、しゃれて「頂戴する」といった人が多いのをみてもわかるように、元来は物を頭に載せることでありました。木でも山でも頂上がイタダキで、それらもみなこのイタダクという動詞にもとづき、人の頭をそう呼んだのが始めかと思います。また頭に魚の桶を載せて売りにあるく女たちを、北陸や四国の海近くで、イタダキと呼んでいるのもその証拠であります。以前は目上の人から衣服などを賜わった場合にも、纏頭といって頭の上にかつぎました。それをのちのちは少しずつ省略して、ただ両手に持って目よりも高く、ちょうど額のあたりまでさし上げてすぐにおろすのを、イタダクまたは頂戴するということにしたのであります。食べ物などをイタダクというようになったのは、おそらくはこの略式が普通になってからの後のことかと思いますが、あるいはこれさえもかつては頭のてっぺんに、のっける形をした時代があったかもしれません。小さな児が咽に魚の骨を立てた場合に、同じ骨の一部を頭の上にちょいと置くというまじないが、今でも残っておりましてなかなかよくききます。食べ物をイタダク場合というのは、もとは神様の前か貴人の前で、改まった式の日の食事として、同時に同じ物をごいっしょに食べる時で、昔はその共食を相饗とも、また直会ともいっておりました。この事実時だけはその食べ物を、頭へかまた額までか戴いていたものと思われます。中世に主従の階段が細かくゆき渡り、人が二人出会えば必ず一方は目上であり、そうでなくとも互いに相手を目上と同じように尊ぶのを、礼儀とするようになってからは、当然にこのイタダク場合が激増しました。そうでなくても、一種の哲理から、ふだん三度の食事でも、すべて君と神との御賜だという心持ちで、食後に箸を立て、または両手で膳を少し高く挙げて、目をつぶって黙念するという人がたくさんにありました。
イタダキマスという言葉の近ごろの普及も、大半はこの考え方に伴うもののようですが、同時に他の一方にはこれをただ女の言葉、または上品な言葉とばかり考えて、やたらに使う人の多くなったことも認めなければなりません。昔のとおりに頭の上にイタダク人はもうなくなったということ、ひどいのはごろりと寝ころんで、イタダイている人もあるという事実を、心づいて見なければなりません。イタダクという語の濫用の元祖は、料理法の放送者[*3]であったように私などは思っております。
タベルとクウ 食うをイタダクというようになった最近の変遷と、おおよそ同じ経路を通ってタベルという語は生まれました。タベルはおそらくタブという動詞の受身の形で、漢字をあてるならば給と被給、すなわち上に給与する人のある食物に限った語であります。自分で山野から採ってきた食物などは、タベルというべき理由はなかったわけですが、国民多数の者の大部分の食物が、実際は給与であったために、この語が普及したのであります。九
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ebf48fbc4adfaf9b5af8ff984d631c5498ce9cd?page=3
その後、2名の御巫によって社伝神楽が中門下で奉納されます。春日大社では巫女さんは御巫(みかんこ)と称され、紅白の襟を8枚交互に重ねた重厚な衣をまとい、額には春日大社のシンボルともいえる藤の花をあしらった簪を飾っています。扇を使った舞と、鈴を使った舞の2曲が神様に奉納されます。
春日大社の旬祭では献饌などで奏でられる雅楽も、奉納の神楽でも、毎回多くの曲が演奏されます。旬祭だけで様々な曲を聴くことができるので、雅楽好きな人には興味深いかもしれません。雅楽を演奏している伶人は、全て春日大社の職員です。
この後、「玉串奉奠」が行われ、先にお供えした神饌をお下げする「撤饌の儀」があり、神職一同が退下して旬祭は終了します。
神職は引き続き、御本殿から少し離れたところに鎮座する若宮で同様に旬祭を斎行します。
神道講話と神米粥
春日大社の神様にお供えしたお米を使った直会の「神米粥」。具は月替わり(写真:平松温子)
一般参列者のうち希望者は、11時半から「感謝・共生の館」で開催される神道講話「ためになる神職のお話」を聴講することができます。この日は、「お祓いについて」の内容でした。お祓いとは何か、祓うべき罪穢れとは何か、祭典にあたっての禊とは何か、どんなことをするのかといったことを事細かに教えて頂きました。中には春日大社独特の伝統や風習などについてのお話もあり、大変勉強になりました。
1時間ほどで講話が終わると、ちょうどお昼時ということで、朝の受付時に希望していた人のみですが直会の時間となります。ここでふるまわれるのは「神米粥」といって、神様にお供えされたお米を炊いたお粥のお膳です。
塗りの椀にたっぷりと盛られた温かいお粥には、月ごとに異なる具が入っています。筆者が参列した9月の旬祭の神米粥には小芋と枝豆が入っていて、香りづけに削った柚子が散らされていました。この他、3種類のお惣菜とお香の物、お茶がつきます。
直会の前にはみんなでそろって食前感謝の和歌を唱えてからお粥を頂きます。また、食後には全員揃って食後感謝の和歌を唱えます。
食前感謝の歌「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の めぐみえてこそ」
食後感謝の歌「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」
いずれも『玉鉾百首』の中で江戸時代の国学者・本居宣長が詠んだ歌です。
旬祭参列体験は以上で、午後1時頃に解散となります。
半日間みっちり、古来の伝統を守る古社での格式高い祭典に参列し、神道講話を聴いて、神様のお米のおすそ分けに預かるという貴重な体験でした。日々、生かされていることに感謝し、神様にお供え物をして、後にそれをお分かち頂くという神道の根本を凝縮体験できる春日大社の旬祭。是非一度、参列してみてはいかがでしょうか。
(文:平松温子)
国宝 大崎八幡宮:八幡さま便り 26号
■29号
鳩の声 子供の頃、誰もが一度は「いただきます」「ごちそうさま」をキチンと言うようにと、親や先生から「しつけ」を受けたことがあるかと思います。外国では言葉の代わりに、家族が揃ってお祈りを捧げています。「日々の食事をいただけることに感謝の気持ちを込める」こと、それはいつの世も、どこの国でも同じように語り継がれているのです。
現代の私たちの食生活は、核家族の増加、ファーストフードの供給によるスピード主義、或は塾や習い事などによる子供たちの生活様式の変化などにより、形式化、簡略化されてきています。「いただきます」「ごちそうさま」の心が少し薄れてきているようにも感じます。
そんな今の世の中だからこそ、もう一度「感謝」の念を考えてみるべきではないかと思います。食物連鎖の頂点に立つ私たち人間は、あらゆる動植物の生命をいただいて、その命をつないでいることを決して忘れてはならないのです。
「たなつもの百の木草も天照す日の大神の恵みえてこそ」(いただきます)
「朝宵に物くふごとに豊受けの神の恵みを思へ世の人」(ごちそうさま)
この歌は本居宣長が詠んだ『玉鉾百首』の中の一つで、宣長は食事の際、箸を止めて「このご飯がたべられるのも神様のおかげではないか、なぜみんなそのことを感謝しないのかなぁ」と、ふっと出た宣長の独自の歌であろうと思います。
始めの歌は、たなつもの(五穀)や全ての木草の育みは、天照大御神(皇室の御祖神であり、私たちの総氏神。太陽神)の御加護のお蔭であるという意味です。次の歌は、朝夕の食事の際には豊受大御神(お米をはじめ衣食住の恵みを与えてくださる産業の神様)からの恵みを感謝せよという意味です。
食前食後には必ず全員で合唱し、神様に感謝の念を捧げてからご飯をいただくと言う、古来からのしきたりのひとつです。必ず声に出して読まなくとも、心の中で唱えてから日々の美味しい食事を頂きます。
どうか皆様も「いただきます」「ごちそうさま」の意味を考えていただき、毎日の食事をいつも通りいただける、そんな当たり前の幸せを思いなおしてみてはいかがでしょうか?
表紙について
御鎮座400年記念事業の一環として平成17年11月に建立。平成19年夏には朱の漆塗りを施し、本年9月15日篇額が掲げられた北参道鳥居。篇額の題字には、仙台藩五代藩主伊達吉村公が揮毫した『八幡宮』の文字に倣っており、その周りには伊達家の家紋と吉村公正室冬姫の実家、久我家の五つ竜胆車の家紋があしらわれています。
Q:水無月の大祓や年越の大祓に「罪穢」という言葉がでてきますが、これはどういった意味ですか。
A: 罪や穢れと言うと、一般的には刑法上の罪や見かけの汚れと誤解されやすいのですが、日本人が神道でいう「罪穢」とは、災厄が起こる原因と考えられている諸々の「罪」と、神事を行う時に忌み憚られる「穢」という二つの意味に分けて考えることができます。
「罪」については、「延喜式」(昔の制度集)八巻に収められている大祓詞に「天津罪・国津罪」(あまつつみ・くにつつみ)として、二十以上に及ぶ罪が述べられています。これによると、天津罪は主として農耕を妨害する行為が、国津罪は傷害や不倫姦淫、他人を呪うことなどという反社会的行為が挙げられています。これらは律令が制定されるまで、具体的な罪名とされてきたことであり、この「罪」に対する代償として贖(あがな)いものを差し出すという「祓」が義務づけられていました。
「穢」とは、「浄明正直」の言葉であらわされることとは異なるものが自らの身につく状態を指します。これらは自らの行為による「罪」と異なり、死、病など日常とは異なる諸事によって、受動的に起こる現象と考えられてきました。「穢」は神事への関与が憚られるほか、他人に災いを与えるものとされ、対処として水などよりこの「穢」を流し去る「禊」(みそぎ)が行われてきました。
一般的には、「穢」の中に「罪」が含まれるという考えがあるため、祓詞(はらいことば)のように「罪穢」として同一に用いられることも多いようです。「禊」と「祓」とが、「禊祓」(みそぎはらい)と混同されるのもこのためです。神道には、キリスト教のように人が生まれながらに負っている「原罪」(げんざい)という考え方はありません。誰もが日常的な生活の中で知らず知らずに犯してしまう恐れのある「罪穢」に対して、常に慎みの心を持ち、身体を清浄な状態に保つために、八幡宮においては六月・十二月に「大祓式」を執り行っております。この大祓式にて半年間又、一年間の「禊祓」をおこなうことが、基本的な考え方といえます。
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