宣長は、和歌史の上での「あはれ」の用例を調査して、先ず次の事に読者の注意を促す。
https://www.amazon.co.jp/本居宣長〈上〉-新潮文庫-小林-秀雄/dp/4101007063
https://www.amazon.co.jp/本居宣長〈上〉-新潮文庫-小林-秀雄/dp/4101007063
「阿波礼といふ言葉は、さまいひかたはかはりたれ共、其意は、みな同じ事にて、見る物、きく事、なすわざにふれて、情の深く感ずることをいふ也。俗には、たゞ悲哀をのみ、あはれと心得たれ共、さにあらず、すべてうれし共、おかし共、たのし共、かなしとも、こひし共、情に感ずる事は、みな阿波礼也。されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あはれといへることおほし」(「石上私淑言」巻一)
「あはれ」と使っているうちに、何時の間にか「あはれ」に「哀」の字を当てて、特に悲哀の意に使われるようになったのは何故か。「うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、たゞかなしき事、うきこと、恋しきことなど、すべて心に思ふにかなはぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故」(「玉のをぐし」二の巻)である、と宣長は答える。「石上私淑言」でも同じように答えて、「新古今」から「*うれしくば 忘るゝことも 有なまし つらきぞ長き かたみなりける」を引用し、「コレウレシキハ、情ノ浅キユヘナリ」と言っている。この考えは、彼の「物のあはれ」の思想を理解する上で、極めて大事なものと思える。彼は、ただ「あはれ」と呼ぶ「情の感き」の分類などに興味を持ったわけではない。「阿波礼という事を、情の中の一ッにしていふは、とりわきていふ末の事也。その本をいへば、すべて人の情の、事にふれて感くは、みな阿波礼也」(「石上私淑言」巻一)
問題は、人の情というものの一般的な性質、更に言えば、その基本的な働き、機能にあった。「うれしき情」「かなしき情」という区別を情の働きの浅さ深さ、「心に思ふすぢ」に、かなう場合とかなわぬ場合とでは、情の働き方に相違があるまでの事、と宣長は解する。何事も、思うにまかす筋にある時、心は、外に向って広い意味での行為を追うが、内に顧みて心を得ようとはしない。意識は「すべて心にかなはぬ筋」に現れるとさえ言えよう。心が行為のうちに解消し難い時、心は心を見るように促される。
0 件のコメント:
コメントを投稿