歴史上初めてイスラエルの名前が記録された石碑・メルエンプタハの戦勝碑 : カイロ~天使たちの暮らす街~
http://blog.livedoor.jp/angelofcairo/archives/52470765.html
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歴史上初めてイスラエルの名前が記録された石碑・メルエンプタハの戦勝碑
元旦に友人と訪れたエジプト考古学博物館。1階の大広間に展示されている像や石碑を見ていた時に、友人が「歴史上初めてイスラエルの名前が出てくる石碑があるんだけど、どこだったかな~。」と、つぶやいていたのですが、おばさん、それ初めて聞きました~。
その日はその石碑がどれだったか覚えていなくて、おぼろげながら多分これか、これ、って言う石碑を教えてもらったものの、それ以上の事は分からず、家に帰ってからネットで検索してみました。
検索したら、一発であった~!!
どうやら有名な石碑だった様です。おばさん、まだまだエジプトマニアにはほど遠いですね。
で、後日またまたエジプト考古学博物館へ見に行ってきました。

場所は、ネットで探していた時にちょうどこの角度の写真で紹介されていたので、おばさんも同じ場所から撮影してみました。
大きなアモンホテプ3世と王妃ティイの像の右側、柱の隙間に展示されている石碑がそれです。
歴史上初めて、イスラエルの名前が出てくる唯一の石碑の割には、扱いがぞんざいで、目立たない場所に置かれているのは、政治的な理由だから?と言う訳で、上から確認後、石碑の所へ。

友人がこれか、これって言っていたのですが、これの方でした。(どっちやねん。笑)
写真を見てもお分かりの様に、ひどい扱いでしょ。

とりあえず、これがそうか~って感慨にふけるおばさん。
この石碑は、新王国時代第19王朝のファラオ、ラムセス2世の息子のメルエンプタハ王のもの。

歴史上、イスラエルと言う言葉が最初に刻まれたものなので、【イスラエル碑】と呼ばれていますが、実際はリビアや西アジアとの戦いに勝利した記念に作られた【メルエンプタハの戦勝碑】とか【リビア戦勝碑】と言うらしいです。

石碑の上の方に神々とファラオの姿が刻まれていますが、高い場所にあるので神様の名前が確認できませんでした。
恐らくその姿から、真ん中の背中合わせの2人の神様は アモン神、アモンの前にいるのがケペルシュ冠を被ったメルエンプタハ、そして右がラーで、左はアモンの妻の女神ムトだと思います。
(もしかするとですが、アモンとムトだとしたら隼頭の神様は2人の息子のコンスかも。)

ヒエログリフがびっしりと書かれています。
ヒエログリフが読める方の為に、とりあえず上から適当に写真を撮影してみました。
え、おばさんですか?おばさんはさっぱり分かりませんよ。笑

石碑の真ん中~下辺り。
で、下の方はガラス板で覆われていたので、ここら辺にイスラエルの名前があるんだなって、探してみたら・・・

あった~!!
ガラスに覆われていたので、反射してしまい見づらいですが真ん中の行の文字がそうです。
で、ヒエログリフでは村や町、土地の名前には、ニウトと呼ばれる丸の中に交差した道を表した決定詞が、そして外国の地名の場合は砂漠や山を表すカセトと言う決定詞がつくので、おばさんはこの決定詞を目印にして探していたのですが、この石碑のイスラエルの文字には、町や村、そして外国を表す決定詞ではなくて、人々=民衆を意味する決定詞が刻まれていました。
なんでだろう?と、博物館に行く前はサイトをちらっとしか見なかったので、家に帰ってから、この疑問について更にネットで検索してみました。
石碑にはメルエンプタハが征服した土地の名前がたくさん刻まれていて、それらは土地や外国を表す決定詞がついているのに、イスラエルの文字の部分にはその決定詞はなく、人々=民衆=民族を表す決定詞が、何故つけられているのか。
その理由は学者の方の間でも研究されたようで、どうやらイスラエルの人々は当時、まだ定着した場所にいなかったので、土地の名前としてではなくて、【イスラエルの民衆】と言う民族名として、人々を表す決定詞がついている・・・のではないか、だそうです。
(定着している民族の住む土地の場合は、決定詞が土地や国に、そしてイスラエル以外にも、スーダンなどの非定着の民族にはこの人々の決定詞がついていて、土地名ではなく民族名となっているそうです。)
ただ古代の碑文は間違いも良くあり、実際にこのメルエンプタハの碑文にも史実と異なる事が書いてあるので、結論ではない、ということらしいです。(戦勝碑には【イスラエルの民の種は絶えた】と書いてあるが、実際には滅ばされていないので、古代特有の誇大表現)

何枚も写真を撮影してみましたが、ガラスが反射していてキレイに撮れません。

ヒエログリフの向きは右から左に書いてあり、右の赤い枠の部分にイスラエル、左の青の枠の部分に人々と刻まれています。
(男性と女性が並んで立てひざで座っていて、その下に複数を表す3本線がある文字が人々を表します。)

町の決定詞は、○の中に斜めの十字架みたいなのがあるのが、これが町や村、土地の名前の決定詞です。
これはヘリオポリス(イウヌゥ)かなー。

土地の名前が読める&分かる方用に、とりあえず目についたのを写真撮影しておいたのでどうぞ~。




これもヘリオポリス?


この日の博物館はこの石碑を見るのだけが目的だったので、石碑の前で長い間座り込んで見て&写真を撮っていたのですが、普通この石碑のある場所は、見学ルートになく、ガイドさんが説明する事も余りないと思うのですが、人の気配で後ろを振り返ったら、中国人グループを連れてきたガイドさんがいきなり説明をしだしました。
博物館の誰もいない部屋で1人だけで見ていると、良くこうやって普段説明しないでしょってものを、ガイドが邪魔をする様に観光客を連れてきて、説明を始める事が良くあったのですが、これってどういう心理なのでしょうか?毎回不思議です。
でも、この石碑は説明する価値のあるものだと思うので、もっとちゃんとした場所に展示して欲しいと思うおばさんでした。
で、イスラエルの民と言えば、モーゼと出エジプト。
出エジプトがあった時代がいつだったか、諸説色々とあるようですが、ヘブライ人に対して迫害を行った王はラムセス2世、そしてエジプトから逃れようとモーゼとヘブライ人達が割れた海を渡った後に追い掛けて、海に飲み込まれ溺死した王はメルエンプタハと言う説があります。
その証拠はメルエンプタハのミイラは他のミイラに比べて色が白く、それは海で溺死した為に遺体が白く変色からと、おばさんも教えてもらったので、ずっとそうだと思っていました。
で、参考にさせて頂いたサイトに書いてあるのを見て、なるほど~!!と思ったのが、メルエンプタハの征服した土地名と民族名の中にイスラエルの民がある、って事は、出エジプトはメルエンプタハの時代よりも前と言う事になります。
しかもメルエンプタハは征服した後も生きているって事なので、追い掛けた王はメルエンプタハではないですよね。(おばさん、ちょっと頭がこんがらがってしまいましたがそういうことですよね!)
博学でマニアな皆様のお陰で、すごく勉強になりました~。やっぱり古代エジプトの歴史って面白い!
※参考にさせて頂いたサイト(ありがとうございました!!)
ナイルストーリーさん【古代エジプトの戦い】
天童さん【突厥・ハザール興亡史論 4 非定住放浪民イスラエル】

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