2025年8月14日木曜日

サブロジーの日々是ずく出し 加瀬英明著『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』

サブロジーの日々是ずく出し 加瀬英明著『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』

加瀬英明著『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』

ブックオフに陳列された一冊の新書の背表紙に、目が留まりました。
祥伝社新書の『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』です。興味あるタイトルに引かれて思わず手に取ってしまいました。

著者の加瀬英明氏は、穏やかな話しぶりながら信念をもって主張する国士の論説者だという印象をもっていましたので、氏の論説の依って立つ所と、あのビートルズのジョン・レノンというのが、異質な組み合わせのように感じて、これはどおいうことなんだろう、と関心を抱いたわけです。

20180926 (1)
祥伝社新書

表紙カバーの折り込みに目を通して、疑問が解けました。「私は従姉(いとこ)の小野洋子――オノ・ヨーコを通して、ジョンと親しかった」と書かれているんです。えっ、ジョン・レノンの妻のオノ・ヨーコが、あの加瀬氏の従姉なの!ってちょっと驚いちゃいました。

さらに、表紙カバーの折込には、「私は、ジョンが1971年に発表した『イマジン』は、神道の世界を歌っているに違いないと思った。ジョンとヨーコは靖国神社と伊勢神宮を参拝している」。このように書かれています。
それならば、ジョン・レノンがどのような体験から神道に関心を持ち、神道をどのように理解し、神道は彼の生き方あるいは作品にどのような影響をおよぼしたのか、といったようなことについて知りたくなります。そこで、さっそく購入し、読了しました。

読み終えての感想は、本書は加瀬氏のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教と神道を比較して論じた文化比較論であって、期待していたジョン・レノンと神道のかかわりについては、ほとんど論述がありませんでした。
著者の従姉がオノ・ヨーコだという関係から捻り出したであろうタイトルに、一杯食わされちゃいました。

20180926 (2)
祥伝社新書

ジョン・レノンとオノ・ヨーコ二人のプロデュースによる『イマジン』の歌詞の一部、

Imagine there's no heaven, it's easy if you try
No hell below us,
・・
And no religion, too, oh
Imagine all the people living life in peace,

が、著者が神道についてジョン・レノンに説明してやった「神道には、空のどこか高いところに天国があって、大地の深い底の方に地獄があるという、突飛な発想がないし、私たちにとっては、山や、森や、川や、海という現世のすべてが天国であって、人もその一部だから、自然は崇めるものであって、自然を汚したり壊してはならないのだ」ということの主旨を反映しているに違いないのだそうです。

20180926 (5)

神道とジョン・レノンの係わりに触れた部分はこのくらいで、あとは、宗教をベースとした文化比較論が展開されます。ジョン・レノンのイマジンの歌詞が平和的であり、靖国神社と伊勢神宮に参拝したことをもって、彼が神道に惹かれていたと言ってしまっていいんだろうか、とちょっと疑問を感じちゃいました。

筆者の主張は、内容的には、かなり神道に傾倒しており、共感できる部分も多々あるのですが、キリスト教やイスラム教などの一神教については、かなり批判的な論調が感じられます。宗徒たちの怒りを買うのではないだろうかと、心配になってきます。

お断りしておきますが、サブロジーは一神教の信者ではありませんし、神社にお詣りし、お寺にもお参りするので、個人的にはトラディショナルな日本人的スタイルの宗教観を持っているんだと思ってます。したがって、どの宗教の肩を持つという立場ではありません。

20180926 (4)

読了後、いくつかの氏の主張と想いが印象に残りました。これらの中には、独善的解釈ではないか、と批判を買いそうだな、と感じるものも見受けられます。それをいくつか列挙して、終わりたいと思います。

・日本文化は独特なものである。日本人は古代から和の心を保ってきた。この和の心は世界の中で、日本人だけが持っているものだ。そこから、全世界が驚嘆した自制心、克己心、利他心、同胞愛が生まれてくる。日本人の和の心は、日本の2000年以上にわたって民俗信仰であってきた神道に発している。

・神道は信仰するものではなく、他の宗教と違って、心のもち方であるから、宗教ではない。神道は人と山や、森や、川やあらゆる生物と国土をいのちとしている。すべての宗教に「教」がついているが、古道と呼ばれた神道は、いのちの尊さを説くものだから「道」なのだ。

20180926 (3)

・一神教の神は、自分を絶えず称えることを要求し、人々を独裁者のように絶え間なく監視して、人々の心や、生活の細かいところまで干渉する。

・神を真理とか真実という言葉によって置き換えたとすれば、それ以外の真実はいっさい語れられない。一神教は独善的なのだ。キリスト教は「愛の宗教」だと言われるが、和をともなわない愛である。

・神道には、全能の神も、絶対神もいない。それぞれの神が役割を分担している。民主的である。それに対して、一神教は、独裁政治の萌芽を孕んでいる。

・イスラム教は武力によってイスラム圏を大きく拡げた。キリスト教は、西洋の帝国主義とともに、剣によって全世界に広まった。ユダヤ教も神道も長い時間をかけて自然に成立した部族信仰である。だから、ユダヤ教にも神道にも宣教師がいない。

など。如何ですか?

0 件のコメント:

コメントを投稿

なぜ伊島が綿津見宮だと考えられるのか?地理と伝承から読み解く

なぜ伊島が綿津見宮だと考えられるのか?地理と伝承から読み解く youtu.be https://youtu.be/aMd0-ADBzXs?si=tDDvnWPKk3qI5sQg