2025年7月3日木曜日

敦賀駅前の都怒我阿羅斯等像(敦賀市) | 神社ぢからと寺ごころ

敦賀駅前の都怒我阿羅斯等像(敦賀市) | 神社ぢからと寺ごころ

敦賀駅前の都怒我阿羅斯等像(敦賀市)

各自治体には、その地の英雄的な人物が当然いますよね。

そして駅前とかにのその銅像が建っていたりしますが、徳川家康とか伊達政宗とか戦国武将であったり近代の著名な人物であることが多いです。

それらは有名な人物なので、なるほどなと思えますよね。

しかしながら、JR敦賀駅前にに建っているのがこの人。

誰かわかります?

都怒我阿羅斯等ですよ。

敦賀といえばもちろんこの人って、僕ですら言われるまで思いつきませんでしたけど、市民はみんな誰かわかってるのだろうか。

都怒我阿羅斯等は『ツヌガアラシト』と読みまして、『ツルガ』の語源になったとも言われています。

日本書紀では、崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したと書かれています。

そしてこれが『角鹿(つぬが)』の語源であり、のちに敦賀に転訛されたと言われています。

もちろん本名ではなく『ツヌガアラシト』って『角がある人』ってことと安易に考えられますがら実際に角があったとは思えませんので、角のような被り物をしていたと推測したいところです。

『角鹿』という漢字を当てている点から推測するに、鹿の角のついた兜を被っていたとしましょう。

本多忠勝の兜のようなものですよ。

銅像でも一応角の生えた兜被ってますよね。

都怒我阿羅斯等が自国にいた時、黄牛の代償として得た白石が美しい童女と化したため、まぐわいをしようとしたら、童女は都怒我阿羅斯等のもとを去って日本に行き、難波並びに豊国の国前郡の比売語曽社の神になったといわれています。

比売許曽神社の御祭神は下照姫ですが、赤留比売の伝説と似通っている点から、天日槍と同一人物であるとも言われています。

この伝承いつも思うのですが、都怒我阿羅斯等も天日槍もキモいです。

天日槍も本名ではなく、大君から賜った名だと思います。

異国人に『天』という天津神に繋がるであろう称号を贈られていることや、都怒我阿羅斯等が帰国の時には、垂仁天皇より、御自身の諱を国につけるようにと贈られたことからも、破格の待遇によって迎えられたことが推測されます。

観光客も誰も写真を撮ろうとしないので、哀愁おびた後ろ姿も。

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悪石島ボゼ祭り|各地のまつり|まつりと

悪石島ボゼ祭り|各地のまつり|まつりと

悪石島ボゼ祭り

まつり動画配信中私たちの祭り探検

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お盆の最終日にあたる旧暦の7月16日に、ボゼという来訪神が現れ、悪霊や穢れを払ってくれる伝統行事です。長い鼻とギョロッとした目は、南方系の神らしくユニークな姿。赤い土をつけようと観衆を追い回し、実際につけられるとご利益があるといわれます。

まつりにまつわる物語

ボゼは仮面をかぶった神で、トカラ列島の各島に現れました。その名残が悪石島のみに残ったとされています。由来については、お盆の終盤に現れることで先祖の霊を新たな生の世界へ蘇らせるためだという説や、悪霊を追い払うためだという説などさまざまです。

あわせて楽しみたい

悪石島はボゼだけでなく、島内各所に神々がまつられていて、島民は日々の平穏への祈りを捧げています。また、島内は温泉に恵まれています。海を眺めながら入ることができる温泉や、冷たい海水と海底から湧く熱い湯が混ざり合って適温になる海中温泉、無料で利用可能な地熱を利用した砂蒸し風呂などが楽しめます。

3体のボゼから赤土をつけられると無病息災、女性は良縁・子宝に恵まれるとされる
まつりが終わるとボゼの仮面は邪気とともに朽ち土に還る

地元の方からひとこと

子供のころから親とともに見てきたまつりなので、自分の子供にも大切に伝えていきたいと思っています。

ユダヤ

https://instagram.com/p/DLo-6YbM5YO/

2025年7月1日火曜日

賀立神社(かだちじんじゃ) | Resurrection Of Awa

賀立神社(かだちじんじゃ) | Resurrection Of Awa

Resurrection Of Awa

賀立神社(かだちじんじゃ)

    賀立02

 徳島県阿南市椿町蒲生田に波の上を跳ぶ兎をみごとに彫っている彫刻のある賀立神社(かだちじんじゃ)が御座います。

 「大穴牟遲神に袋を負せ、從者として率て往きき。ここに氣多(けた)の前(さき)に到りし時、裸(あかはだ)の兎伏せりき。」と古事記に書かれるように、大国主命(大穴牟遲神)は、「氣多の前」で兎に会います。

 「氣多の前」とは、"橋げたのような岬"と連想され、徳島県阿南市蒲生田岬から沖の伊島の間には「橋杭の瀬」と呼ばれる岩礁群が連なっています。
 
 そしてその蒲生田には、「岬の橋杭」伝説が残っており、「燈下録」という江戸時代(文化九年・1812)の書物に書かれ、阿波の民話集「お亀千軒」飯原一夫著にも収録されています。

 『伊島と蒲生田間に連なる、橋杭の瀬と呼ばれる岩礁は、昔、神様が伊島まで橋を架けようと思い、山から大岩を運んできて、海の中に橋の杭を立て始めた。
 そこに通りかかった天邪鬼(あまのじゃく)に「倒れんように番をしとれ」と言って、また、山に大岩を運びに行った。
 天邪鬼は、神様がいない間に大岩でできた橋の杭を海の中に倒してしまった。
 帰ってきた神様は、今度は倒れないようにと頑丈に作ったが、天邪鬼は、神様がいない間に端から倒していった。
 とうとう神様は、根負けして橋を架けるのをやめ、何処かに行ってしまった。
 それで残った伊島と蒲生田間に連なる岩礁群を橋杭の瀬と呼ぶようになった。』
 とあります。

 蒲生田岬から伊島へと続く岩礁群の図

              賀立11

 実は椿町周辺の神社には、「波の上を跳ぶ兎の彫刻」が彫られており、一つは、阿南市椿泊町にある佐田神社の拝殿の柱の礎石に彫られた二羽の兎。前の兎が、後の兎を導いているように彫られています。

                     佐田神社 椿泊町

 もう一つは、阿南市福井町土佐谷の金刀比羅神社の境内の後世山遙拝所の拝殿に彫られた「波の上を跳ぶ兎」。後ろ足を跳ねて波の上を跳んでいます。

                     金比羅神社 福井町

 そして、蒲生田岬突端の浜にある賀立神社本殿内にある波兎ですが、兎の後ろ側に彫られた大波などもみごとに彫られています。

                 賀立10
 
 他にも兎の彫刻を彫った神社は時々見ることがありますが、「この地区のように波の上を跳ぶ兎をみごとに彫っている彫刻を他の神社では見たことがない。とあり、蒲生田岬周辺は、稲羽の素兎の話を彷彿とさせる所である。」(阿波古事記研究会)としています。

 ちなみに、上板町神宅に鎮座する「葦稲葉(あしいなば)神社」(祭神:倉稲魂命、創祀年代不詳)があり、あの有名な伏見稲荷大社の元社と思わしき神社があります。

 この「いなば」も阿波にあったのです。

 柿本人麻呂曰く、阿波は隠国「言挙げせぬ国」、ルーツが阿波にあったとしてもそういわなかったという地なのです。
 また、古事記原文には 「稻羽之素菟」 と記載されておりますが、通説では、稲羽は鳥取県の旧因幡国とされています。

 さらに、「蒲生田」という地名ですが、大国主神がうさぎに「真水で体を洗い"蒲(ガマ)"の花粉の上で寝転がるといい」と言ったとされたとあり、やはりこの地がそうだったのでは!?…などと想像が膨らみますなぁ~。

    賀立12

 少し写真では読みにくいのですが、湿地植物群落として、蒲生田大池の北東部一帯にヒメガマ、アンペライが生茂り、いわゆる蒲生田の地名の由来となっている。とあります。


 ここからはほぼ写真日記です(笑) 

 蒲生田岬付近到着、賀立神社の標識発見!
 そういや小さい頃は蒲生田のことを「がもうだ」ってずっと言っていたし思ってました。
 周りの人にもそれで普通に通じました(笑)
 実は「かもだ」のようです(´・ω・`)

    賀立01

 扁額

    賀立03

 地神塔(通称おぢがみさん)、五角形の石柱で、正面に天照大神、左周りで大己貴命、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命となっている徳島独特の祭礼ですね(´ω`)

    賀立04

 ここにも阿波古事記研究会の看板発見。
 コアな古事記ファンからすれば、若干場の雰囲気から察するにチープ感が否めませんが、ライト層にはよいかも…(´▽`A``

    賀立05

 「撫でうさぎ」: 撫でると、良縁、健康長寿、病気平癒、いじめ封じのご利益。

    賀立06

 賀立神社の狛犬

    賀立07

 若干ダウンタウンの浜ちゃんっぽいチョット独特な狛犬ですなー。

    賀立08

 本殿です。中の木彫りに兎が彫られているらしい。

    賀立09

 そこから徒歩で400m程海岸沿いを行くとかもだ岬に到着。

    kamoda01.jpg

 何かオブジェがあったのでそこから覗く伊島とパシャリ。

    kamoda02.jpg

 快晴だったため、伊島と更に奥に薄っすらと見える和歌山県が確認できました!

    kamoda03.jpg

 かもだ岬灯台上から伊島―和歌山方面を眺望。
 すごくいい眺めですなー。素兎も飛んできそうです(笑)

    kamoda04.jpg

 ふと横のジャングルに見えるのは…

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 朱塗りが綺麗な鳥居が…
 しかしどうやって行くんだろうな…
 気になりましたが、体力が尽きていたので今回調査できず。。。

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 以上、「稲葉の素兎in阿波」の舞台でした!

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神名考察 大宜都比賣

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 古事記の国産みに書かれた神々の中で、古事記に何度も現れるのは、実は阿波国の大宜都比賣(おおげつひめ)のみです。

 ここでは国産みにおける大八島の国名及び神名から考察したいと思います。

 ⦿ 産まれた順番

 ① 淡路島:(淡道之穂之狭島(あはぢのほのさわけのしま))
 ② 四国:伊予之二名島(いよのふたなのしま):(愛比売(えひめ)・飯比古(いよりひこ)・大宜都比売(おおげつひめ)・建(たけよりわけ))
 ③ 隠岐島:隠伎之三子島(おきのみつごのしま):(天之忍許呂(あめのおしころわけ))
 ④ 九州:筑紫島(つくしのしま):(白日(しらひわけ)・豊日(とよひわけ)・建日向日豊久士比泥(たけひむかひとよじひねわけ)・建日(たけひわけ))
 ⑤ 壱岐:伊伎島(いきのしま):(天比登都柱(あめひとつばしら))
 ⑥ 対馬:津島(つしま):(天之狭手比売(あめのさでよりひめ))
 ⑦ 佐渡:佐度島(さどのしま):なし
 ⑧ 近畿:大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):(天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ))

 漢字に注目してください。漢字には意味があります。
 「依」:頼りにする
 「別」:一緒にいたものから離れ離れになる
 という意味です。

 まず淡路島は、淡道之穂之狭別島であり、この場合、穀物の「穂」の狭い島の別れた国ということで、記紀では一番先に産まれたのも関わらず、その実は何かから別れた国ということです。
 よってこれは古事記という物語を作るにあたり、国産みするときに施した構成上のネタであると考察ができます。

 また、隠岐島、筑紫島なども神名は全て「別」が付くのです。

 次に壱岐島は、魏志倭人伝で紹介されている「一大国」であり、天比登都柱は、天一柱と解釈できます。
 この地が当時外交の重要拠点であったことがわかります。
 何故ならこの島は「別」ではないのです。

 天之狭手「依」比売である津島こと対馬国は、狭手の島であり、一柱の国に依っているからであると解釈できます。
 ただ単に面積でいえば対馬の方が大きいのですが、壱岐島の方が九州側から近く、九州側の国を治めていた国主からすれば九州側国→壱岐→対馬(限界範囲)だったのでしょう。
  それは魏志倭人伝記述の副官卑奴母離(ひなもり)の管轄地(對馬國(対馬)・奴國・不彌國(福岡県))からもわかります。

 佐渡島に関しては当時の支配範囲の限界境であると推測され、神の名前すらまだ与えられていません。

 そして最後の近畿ですが、天御虚空豊秋津根別とあり、「豊秋」は穀物の穂のなる豊かな秋であり、「根別」は根から別かれた国ということなのです。
 こちらも「別」の国であり、更にいうと根元から別れた国ゆえに「根別」なのです。

 ここであえて順をすっ飛ばした四国に注目してください。

 阿波・伊予の二国の神名は「別」「依」がないのです。

 以前にも紹介しました、伊予之二名島の「二名島」は四国を大きく西側(予)と東側(伊)に分けて「伊」「予」之二名島とし、西側が、愛比売(麗しい女性の意味)と、建依別(雄々しい男性の意味)でその容姿を表しているのに対し、東側が、飯依比古(飯を産する男性の意味)大宜都比賣(五穀を産する女性の意味)穀物から産する食の神々であることに気付くのです。
 そして更に東に移動すると淡路島に至り、穂のなる狭い「別」の島になり、また更に東に移動して、秋に豊かに実る穀物の穂のなる「根」から「別」れた国(天御虚空豊秋津根別)に至るのです。

 このことは、本来は四国から始まる物語であると考察でき、またメッセージとして稲作が東に伝播し、大和(奈良)に至ったということです。

 これは以前にご紹介した銅鐸文化の発展経路と同じコースを意味します。
 要するに稲作の分布域の移動を意味し、より良い地に波及し、移動していったのです。

 古事記では、淡路島を物語で最初に出現させることにより、起源の中心地であった四国を見事にカムフラージュさせたのです。
 
 また、土佐の神である建依別は「依」「別」であり、隣国から「別」れたが「依」っていることです。
 そして飯依比古も「依」ですから飯(米)に「依」比古(男の名)なのです。

 これも五穀の女神である、阿波の神「大宜都比賣」に依存しているのです。

 このことにより古事記の話は実は、何も「別」のない伊予国(愛媛)側の「予」と阿波国(徳島)側「伊」をルーツとしたネタだったのです。

 そして国産みで出現した他の神々がその後全く出現しないのに対し、阿波の大宜都比賣は須佐之男命とのやり取りから、蚕と五穀(稲、粟、小豆、麦、大豆)が生まれた話を含め何度も登場します。

 阿波国の神である大宜都比賣(おおげつひめ)の「ケ」は、古語で食のことを「ケ」といい、後に、生きていく上で不可欠な「衣・食・住」のすべてを「ケ」で表現し、今日、「気」という言葉が、元気・勇気・やる気・気にする・気がない・気が早い・けがれ(気が枯れる)等々、日常にも使われ、物質的なものにとどまらず本源的エネルギーも含め「気」が使われています。

 日本書紀では、ツクヨミがウケモチを斬り殺す話にかわります。
 ちなみに神名のウケも豊受大神の「ウケ」、宇迦之御魂神の「ウカ」と同源で、食物の意味なのです。

 古事記の話は、阿波を意図的に隠しているというネタであり、その実は阿波中心の話と考察できるでしょう。

 大和(根別)のルーツは、阿波(元)からなのです。

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阿波の波蹴りうさぎ - やくもとうずしおをがっつりと

阿波の波蹴りうさぎ - やくもとうずしおをがっつりと

阿波の波蹴りうさぎ

 2023年1月1日ということで、一部の方は私の年賀状を受け取っているはずです。

 このたび年賀状に使った画像について説明します。神社に飾られている木彫りなのですが、その神社を今回の記事で巡っていきます。

↑まずはこちら、徳島県東端の蒲生田岬にある灯台です。最東端となると、岬の沖合に伊島という島があります。蒲生田岬は、私を含めた徳島県民の多くが「がもうだ」と読んでいますが、実際は「かもだ」と読むそうです。知らんかったです。だけど、天気予報でも「がもうだ」と言ってる気がするんですけどねえ。

↑蒲生田岬の浜辺に落ちていたらダメなものを見つけました。船のレーダーじゃないですか。事故ってませんかね。

↑賀立神社。蒲生田岬にあります。

↑賀立神社の境内に飾られている撫で兎。

↑ふーん、かわいいじゃん。

↑撫でるといいらしいですよ。

 このうさぎの由来ですが、因幡の白兎伝説と同じお話です。大国主命が蒲の穂を敷いて、皮をはがれて赤膚になったうさぎが蒲の穂の上に寝転んで体を癒した、さらに大国主命がそのうさぎを撫でたというお話です。

 この兎を撫でるとご利益がありますよ、ってことです。皆さん、ぜひいらっしゃいませ。ところで、蒲生田岬は、蒲が生えている田と読み替えることもできますが、由来は岬にある湿地帯の蒲ではない別の植物から来ているようです。

 さて、賀立神社のうさぎはこの撫で兎だけではありません。

↑こちらが賀立神社本殿の中にある波蹴り兎です。左から見ています。

↑右から見ています。

 なぜこんなものが彫られているのか、わかりません。

 蒲生田岬の賀立神社は徳島県阿南市にありますが、同じ阿南市の別の神社にもうさぎがいますのでそちらも見ましょう。

阿南市椿泊にある佐田神社。椿泊は漁港でして、水産物を運ぶ大型車もいますが、普通車ですら通過困難な両側に軒先が迫る道路を進んでいくとこの神社へ着きます。私は椿泊郵便局前のL字カーブで見事にこすりました。地元の方はどうやって通過しているのでしょうか。不思議です。おまえが下手なだけだろうって思うでしょう? ぜひ自分の車で行ってみてください。郵便局のL字をこすらずに通過してみてください。かなりキレてます。

佐田神社の階段を上がっていくとこんな看板がありました。白ヘビがいるということですか? 文字がよくわかりませんが、「在宅」という文字が見えます。

↑こちらが佐田神社の正面です。ここにうさぎがいます。両側に柱がありますよね。その柱の根元をよくご覧ください。

↑柱の根元を拡大してみました。一匹のうさぎが棒でもう一匹のうさぎを引っ張っているような?

↑もう一方の柱の根本もほぼ同じ絵です。

佐田神社の裏へ回るとモンキッキがいました。

↑見事な彫刻です。

↑網がかけられているのでよくわかりませんが、見事な彫刻があります。

↑金がかかっている神社です。さすがは椿泊です。漁業で栄えているだけのことはあります。

佐田神社を離れて、同じく阿南市金刀比羅神社へやってきました。ここにもうさぎがいます。金比羅というだけあって、徳島県内の船主さんが安全祈願に訪れている神社です。貨物船の写真などが飾られています。

↑こちらが金刀比羅神社の波蹴りうさぎです。私が年賀状に使ったのはこちらです。

 なぜこんなうさぎが彫られているのか、やっぱりよくわかりません。海が少し荒れているときに白波が見えますよね。あの白波が波を蹴る白兎に見えるのですが、そういう関係なのでしょうか。

金刀比羅神社には三本足の博学狸、松雲斎が祀られています。

↑神社といえば絵馬です。神社で絵馬を見学するのも醍醐味です。この絵馬については、「怒られてしまえ」とだけ言っておきます。

 というわけで、年賀状の画像についての解説でした。ぜひ徳島県阿南市へいらっしゃいませ。

 ちなみに、徳島県西部の美馬市にも波蹴りうさぎがあるらしいです。どこにでもあるのかよ。山形にも白兎という地名と駅名がありまして、修験者を兎が道案内したという伝説が残っているようです。全国に兎の伝説がありますね。

邪馬台国関川尚功講演

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