2026年5月29日金曜日

【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がなぜ阿波に?「伊比良咩神社」

【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がなぜ阿波に?「伊比良咩神社」

【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がなぜ阿波に?「伊比良咩神社」

阿波の神社を行く!

「いびらめじんじゃ」と読みます。

延喜式内社でもないこの神社、誰が祀られているのかを知らなければ、「ふ~ん。変わった名前の神社やなあ。」で終わっていたかもしれません。

徳島県神社誌によれば、祭神は、阿比良比咩命、大己貴命、素戔嗚命となっています。

阿比良比咩命とは?

阿比良比売は、古事記によると、初代神武天皇が、日向国に居て、まだ神倭伊波禧毘古命(かむやまといわれひこのみこと)といわれていたころ、妻としていた女性です。古事記では、阿多小橋君の妹となっています。

阿比良比売は、神倭伊波禧毘古命との間に、多芸志美美(たぎしみみ)と岐須美美(きすみみ)を産みました。多芸志美美はのちの神武東征に参加しています。阿比良比売については何も書かれていませんから、日向国に残ったものと思われます。

日向国の阿比良比売が、なぜ、阿波で祀られているのでしょうか?

しかも、阿比良比売が神社名となっている神社は全国でここだけなのです。

伊比良咩神社の社殿

延喜式外社ではあるものの、三代実録によると、阿比良比咩神は、872年に従五位下を授かっています。つまり、その歴史も古く、それなりの格式をもっていたということになります。

境内の由緒によると、もとは東中富に鎮座していましたが、いつの頃か現在の地に移されたようです。近世になり、この地が藍生産で栄えるようになってから、この地の氏神として崇敬を受けるようになり、社殿などが改築されたそうです。

拝殿から東に向かって参道が延びており、その先に、その先には阿波の青石とよばれる緑泥片岩を用いた珍しい鳥居が立っています。

緑泥片岩を用いた鳥居

阿比良比売が、神武天皇の兄の五瀬命のように、東征に同行し、途中で命を落としたのなら、日向から大和の間のどこかで祀られていても不思議ではありません。しかし、阿比良比売が日向をでた形跡はありません。

つまり、阿比良比売が阿波で祀られる所以がないのです。

そこで、導き出された妄想が、阿比良比売は阿波にいたのではないかということです。

日向は、日向国を指すのではなく、「日向=ひむか」で日に向かうところ、つまり朝日の昇る方角のことだという説もあります。

かつての海岸線は、伊比良比咩神社のある藍住町近辺まできていたと考えられます。四国の東の端にあたります。日向ともいえないことはないところに位置しているのです。

まあ、しかし、とはいっても、阿波に祀られる所以のない阿比良比売が阿波で祀られているから阿波にいたというのは、さすがにどうかと思います。

しかし、兄の阿多小橋君も阿波にいたかも?

ということになると「ひょっとして?」という妄想がはたらいてしまいます。

阿比良比咩命の兄 阿多小橋君って?

藍住町から約25kmほど上流に吉野川市山川町があります。山川町には、村雲と流という地区に、延喜式内社の天村雲神社があります。

山川町村雲の天村雲神社
山川町流の天村雲神社

この天村雲命が、阿多小橋君ではないかという説があります。

詳細を見る

ビーチ、島

地理資料

東アジア系コミュニティ

豊受大神宮禰宜補任次第に、天牟羅雲命が瓊瓊杵尊の天孫降臨の時に、天から水を地上に持ってきた功績で、天二上命と後小橋命の2つの名を賜ったと、に書かれています。(※ちなみに、豊受大神宮禰宜補任次第は国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できます。)つまり、阿多小橋君=後小橋命だというのです。

天村雲命は、古事記や日本書紀には登場しません。

先代旧事本紀では、饒速日命の孫、海部氏系図では、天火明命の孫として、天村雲命が登場します。また、瓊瓊杵尊の天孫降臨にお供した32人の中に、天牟羅雲命がいます。この天村雲命と天牟羅雲命が同一人物なら「阿多小橋君=後小橋命」説もありかなと思います。

さらに、先代旧事本紀は、天村雲命の別名を天五多手命と記しています。天村雲神社のある辺りには、忌部郷(いんべごう)と射立郷(いたてごう)があったとされています。射立の郷名は、天五多手命に由来するのではないかという説もあります。

阿比良比咩命の夫 神倭伊波禧毘古命も・・・。

初代神武天皇は、奈良県橿原神宮で祀らていますが、神武天皇となる前の神倭伊波禧毘古命を祀る神社も阿波にあります。

あっちこっちから引っ張り出してくると、一つの妄想ができあがってしまいます。

神武東征の出発点は、阿波だったかも?

【阿波の神社を行く!】神武、橿原に立つ!神武天皇像が阿波にあるその理由に迫る!「阿波樫原神社」

徳島県のシンボルとなっている眉山。その眉山の中腹に、神武天皇像があります。神武天皇の銅像は、九州の日向国(宮崎県)と四国の阿波国(徳島県)の2体しかないと銅像横の説明板に書かれています。日向国は、日本書紀に記された神武東征の始まりの地、いわば、神武天皇ふるさとです。そこに、神武天皇の銅像があるのは理解できます。では、全国に2体しかない神武天皇の銅像の1体がなぜ阿波国にあるのでしょう。

2026年5月28日木曜日

阿波AVA

 


とても興味深い話です。

ところで宣教師の証言は地図の表記以外に具体的に残されているのでしょうか?

モレッリ『歴史大辞典』に阿波AVAの項目があると読みましたが…

岡山、茨城に関してはどなたが説を述べているのでしょうか?

阿波の語源とされる粟はタミル語の叩くや脱穀を意味するAvaからきているという大野晋氏の説が有力ですが、自分としては阿波は父親を意味するアラム語ABBAを語源にしているという説も充分あり得ると考えています。

マルコ伝14:36でキリストが使用しているアバです。

中国四川省やネイティブ・アメリカンにABBA=父の使用例が残ります。

アバヨ・シャロームが日本語のアバヨ、さようならになったという中島尚彦氏の説もあります。

アラム語、ヘブル語説は置くとして、

自分は岡山、茨城に関しては方言周圏論的に古い言葉が残ったと考えています。

この場合の中心は徳島です。あくまで仮説ですが…


。。。

とても興味深い話です。

ところで宣教師の証言は地図の表記以外に具体的に残されているのでしょうか?

モレッリ『歴史大辞典』に阿波AVAの項目があると読みましたが…

岡山、茨城に関してはどなたが説を述べているのでしょうか?

阿波の語源とされる粟はタミル語の叩くや脱穀を意味するAvaからきているという大野晋の説が有力ですが、自分としては阿波は父親を意味するアラム語ABBAを語源にしているという説も充分あり得ると考えています。

マルコ伝でキリストが使用しているアバです。

中国四川省やネイティブ・アメリカンにABBA=父の使用例が残ります。

アバヨシャロームが日本語のアバヨ、さようならになったという説もあります。

アラム語、ヘブル語説は置くとして、

自分も岡山、茨城に関しては方言周圏論的に古い言葉が残ったと考えています。

この場合の中心は徳島です。

あくまで仮説ですが当初阿波では日当たりのいい中洲、現善入寺島を阿波と呼んでいたので岡山、茨城も川があり日当たりのいい場所をアバと呼んだのではないか?思います。

まだ現地で確かめていませんが。


https://www.threads.com/@taki_111/post/DY4QasRj5Bo?xmt=AQG0P1eiEgjUYGRKe4JsHfSdWI4xad2A00ca2QxR43L2psGbCvU_alSgDXZl_rCd0sjkwGrS&slof=1


戦国時代のポルトガル宣教師によると「阿波」の発音は「Ava」だったらしい。

岡山や茨城での「阿波」地名の方(アバ・アンバ)が当時の発音を色濃く残しているということだ。


面白いですね。当時の日本語では、ハ行がファ、フィ、フ、フェ、フォと発音されてその濁音のバビブベボは、詳しくは[β]でvでもbでもないです。バ行のB音が摩擦でブルブル震える音です。摩擦の音が聞こえるのでvとされたんでしょうね。


歴史大辞典 全3巻


出版年1694
著者モレッリ
出版地アムステルダム
言語フランス語
オランダ
分類図書

本書の著者モレッリ(Louis Moréri, 1643 – 1680、モレリとも)は、フランスの神父で本書の編纂によって名を残しました。この辞典は18世紀を通じて広く利用された著作で、当時ヨーロッパで知られていたあらゆる世界の歴史、地理に関する事項、また著作とその著者、偉人の伝記などをアルファベット順に項目を配列して収録しています。基本的にカトリックの立場から編纂されていることから、項目の選択や記事内容については後年の批判を呼ぶこともありましたが、1674年に初版がリヨンで刊行されると瞬く間に好評を博し、モレッリ没後も増補改訂が重ねられて、最終版となった1759年版は全10巻にもなる大部の百科辞典となりました。当センターで所蔵しているのは1694年に刊行された第7版とされている全4巻(2冊)と1716年に刊行された補巻(1冊)で構成された3冊本です。

本書には日本に関する地名や人名も多数収録されていて、当時のヨーロッパにおいて日本の情報がどの程度、またどのように伝えられていたのかを知ることができます。例えば「A」の項目だけでも、「ACEQUI」(明智、第1巻27ページ)、「AMACUSA」(天草、第1巻133ページ)、「AMIDA」(阿弥陀、第1巻145、146ページ)、「ARIMA」(有馬、第1巻253ページ)、「AVA」(阿波、第1巻300ページ)といった項目を見つけることができます。これらの地名や人名はイエズス会を中心とした宣教師の報告集において頻繁に登場することから、モレッリがこうした書物から日本の地名や人名を抜き出したことがうかがえます。




最近阿波、粟の語源について考えてみました。
出発点は以下の動画↓です。

(136) https://youtu.be/aH3z_ZaF-x8?t=12m
《…元々、アワと呼ばれていた国で多く食されていた穀物なので粟と呼ばれるようになった。》(ANYA本175頁の説明とは違うので新説?)

大野晋の説では日本語のaf-a粟はタミル語のav-ai臼で打つ・棒で打つから来ているそうです。
《タミル語では動作として表現することばを日本語では、その動作によって生じるものとしてとらえた…》(大野晋『日本語はどこからきたのか』中公文庫99,102頁)
av-viは古語。サンガムで使われる。同じタミル語起源説でも『日本語の真実』(田中孝顕)では少し違う説明。
タミル語辞書サイト:
https://dsal.uchicago.edu/dictionaries/burrow/

脱線:
上ではわからないが
我々を意味するタミル語の語幹がava-(新説)
父、我々、粟
ヘブライ語、タミル語で三つ説があることになる。
avaはourにつながる。

ヤマトも
山の民
アラム語の神の民
タミル語の日の本
三つ候補がある
タミル語は日本につながる


https://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/app/burrow_query.py?qs=aval&searchhws=yes&matchtype=exact

田中孝顕によるタミル語ヤ-マト=太陽の中心説は日本との連続性があり面白いが、自分では検証出来なかった。タミル語説全体は正しいと思うが。
『日本語の形成』もいいが歴史全般に興味があるのなら同じく専門的だが総合的な大野晋『弥生文明と南インド』2004↓がおすすめ。甕棺墓は南インドと北九州に共通するようだ。

https://www.dropbox.com/scl/fi/tcl526fufeyt0gd0g1oe4/ohno2004.pdf?rlkey=jazhkxn5idwzm2x4w71c10b2j&st=b7msamem&dl=0


上を読んでわかったのは怪しいシュメール本で有名な岩田明は実験考古学的に評価されているということ。


許黄玉の子供が日本に行ったという都市伝説が韓国にはあるらしい。

真説仏教伝来⑤ 許黄玉という女性。(佐藤達矢稿)  - オーシャンサイドカンパニー



https://ocean4540.com/essay/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%80%83/takuya-satou/%E7%9C%9F%E8%AA%AC%E4%BB%8F%E6%95%99%E4%BC%9D%E6%9D%A5%E2%91%A4%E3%80%80%E8%A8%B1%E9%BB%84%E7%8E%89%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%80%82%EF%BC%88%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%81%94%E7%9F%A2/

阿波の語源にはもう一つ候補があります。ユダヤ教で父を表すアラム語のアバです。
タミル語ではアバは母ですが。家長ということなのか?叩く主体が母なのか?アラム語はタミル語より文字としては古いらしいので影響はシュメールを介して相互的かも知れない。

父を表すアバという言葉はアジア各地に伝わります。中国四川省の羌族、台湾、韓国など…。ネイティブ・アメリカンに伝わったという説さえあります。
岡山の津山市や茨城の地名阿波(アバ)は共に伝承では崇神天皇期に由来を持ち、その時のアバの発音が諏訪も含め方言周圏論的に残ったと思います(この場合中心は阿波です)。

長野県の伊那節のアバヨは中島尚彦氏が言うように、‎アバヨ・シャローム‎ אב יה שָׁלוֹם(父なる神よ平安あれ)の前半部分が残ったのでしょう。ヤיה、ヨは神の意味です。
アラム語のアバAbba אבאはキリストも磔刑の前日の祈りに使っています(《「アバ、父よ」》マルコ14:36)。(参考:https://www.historyjp.com/article/564/ https://youtube.com/shorts/Ea23X2YY2cw?si=glrJ7oSgY7hGD8BN)

阿波の直接の語源はユダヤ教のアバאב(父)でしょう。
大野説が正し意図してもこれは二つのシュメール起源の言葉が南北に分かれ1000年ぶりに日本で出会うという壮大な話になります。

さらに推察すると、アバは自分としては日本で太陽信仰、光への信仰と繋がったと考えます。

この阿波=太陽=光説を考慮すると、古事記、古語拾遺のアマテラス復活後の箇所の読みがスムーズになります(古事記では穀物の粟が紹介され、古語拾遺では、あはれ、アッパレの語句が説明されます。後者はアバを頂点とした光量の強弱と解釈可能です。アババイ↔︎あわい。大野本解説で古語拾遺の説は丸谷才一によって批判されているが)。
始皇帝の阿房(Afang Epan アーパン)宮は太陽ではなく北極星信仰ですが調べれば調べるほど阿房宮がアバ宮だった可能性はあります。

おまけ(主な関連ヘブル語及びアラム語):
イאִיは島、海辺の意味
ヨ、ヤーיהは神
伊予אי は神の島という意味(アレフ ヨード 川守田英二によれば縄文土器にあるという)
(参考:ヘブライ語縄文土器 https://youtu.be/Yhj-GGAWtBw?si=GyduFozcQ82rH7fp )

アヌ

אנו

(穴太)は我々
オッヘルאוֹהֶל(麻植)は天幕(正確には幕屋だがGoogle翻訳に従う)
ネギ נָגִיד(禰宜)、ネギッドはリーダー
イズモיצומו、出雲は最先端の意(進撃さん説)
ヤマトיה עומת は神の民
ヤットサーはヤマトサーで進め神の民よ
(サーには指導者説、喜び説もある サッソンששוןで喜び)
吉野川 ヨシュアיהושׁע川 (by香川宜子さん)

伊予は神の島
徳島もユダヤ如徳亜の島
阿波もアバ父
徳島はずっとユダヤ


追記(当時の船について):
タミル語を調べていたら紀元1世紀にインドから伽耶国へ嫁いだという許黄玉(ホ・ファンオク)の乗っていたという船が帆船だった説に突き当たりました。
少なくとも卑弥呼の年代でインド、ギリシア、インドネシアでは帆船が主流だったと思われます。
はやくて紀元前2世紀~遅くて紀元後3世紀の使われていた硬貨に帆船が描かれています。
アジアの帆船はギリシアよりは遅れるが古墳時代後期には日本の北九州でも確認されるくらいなのでそこまで遅くない。
許黄玉の遺跡にも後代の作である帆船の絵が飾られています。


Seafaring Archaeology of the East Coast of India and
Southeast Asia during the Early Historical Period
Sila Tripusti

https://www.researchgate.net/publication/318740957_Seafaring_Archaeology_of_the_East_Coast_of_India_and_Southeast_Asia_during_the_Early_Historical_Period


https://www.researchgate.net/publication/318740957_Seafaring_Archaeology_of_the_East_Coast_of_India_and_Southeast_Asia_during_the_Early_Historical_Period/fulltext/597af19d0f7e9b0469ebb8ad/Seafaring-Archaeology-of-the-East-Coast-of-India-and-Southeast-Asia-during-the-Early-Historical-Period.pdf?origin=publication_detail&_tp=eyJjb250ZXh0Ijp7ImZpcnN0UGFnZSI6InB1YmxpY2F0aW9uIiwicGFnZSI6InB1YmxpY2F0aW9uRG93bmxvYWQiLCJwcmV2aW91c1BhZ2UiOiJwdWJsaWNhdGlvbiJ9fQ


The Figure 13: Satavahana coins showing ship with masts.

The Satavahana (2nd century BC to 3rd century AD), 
Salankayanas (AD 300-440) and Pallava period (6th to 9th century AD) coins (Figs. 13 and 14) depict ships with masts (Sarma, 1980) which pro- vide evidence of use of wind in open sea navigation. 



後者の方がわかりやすいが後者はそこまで古くない。

紀元前からインド、東南アジア(ミャンマーインドネシア)は100km毎に港があり、
紀元前2世紀?のコインには帆船が描かれている。
1世紀にはインドアユタヤから伽耶へ許黄玉ホファンオクが皇后として嫁いでおり、
遺跡が一応ある。

後藤明論考:

https://rci.nanzan-u.ac.jp/jinruiken/publication-new/item/3935230b4b4130671c6efd14ec1ad906f2fa512e.pdf



ーーーーーー

素人考えではハングルの方がタミル語からの影響は少し強い。
だから朝鮮経由でタミル語は日本に来た。

ヘブライ語は徐福経由が第一候補だが応神天皇期に下るかも知れない。
黒潮で朝鮮を経由せずに淡路島、阿波に来たかも知れない。
タミル語もヘブライ語も沖縄は経由しているだろうが、これは朝鮮経由はないだろう。
ヤマトもヤがタミル語で太陽という説を見たが多分違う。
ヤマトはヘブライ語、アラム語説がしっくりくる。


一方でタミル語で父はappaです。少し似ています。語源は違うでしょうが、粟と父、この二つの系統は自分の考えでは日本で混同されているのです。
自分は阿波の場合、宗教的意味がヘブライ人によって付け加えられた父が語源と考えます。

以下
タミル語の箴言集『ティルックラル』(東洋文庫)冒頭より

《文字がアを始めとするように、世界は神を始めとする。》

《注 タミル語の字母表の配列は、他のインド諸語同様にサンスクリット語のそれ(サンスクリット語の字母表をもとに作られたわが国の五十音図を想起すればよい)と
ほぼ同じで、アから始まる。》

17 第1章
第一篇 法
アラム
第一章 神への讃歌
一文字がアを始めとするように、世界は神を始めとする。
あが
ニ純粋なる智をもつ者(神)の良き足を人が崇めないとしたら、
学んで得たことにいったい何の意味があろうか。
[蓮の] 花の上を渡りゆく荘厳なる[神の] 足下に身を寄せる人は、
天界において長く生きるであろう。

205 第1篇第1章
訳:
第一篇 -全体は三八章からなる。 Parimel によると、第一~四章は「序説」、第五~二四章は
「家庭生活」、第二五~三七章は「離欲(苦行)」、そして最後の第三八章は「運命」をそれぞれ
扱っている。
一文字がアを始めとするタミ ル語の字母表の配列は、他のインド諸語同様にサンスクリット語
のそれ(サンスクリット語の字母表をもとに作られたわが国の五十音図を想起すればよい)と
ほぼ同じで、アから始まる。なおタミル語の字母には、サンスクリット語を書写するときに用
いるグランタ文字を除けば、母音を表す一二 (a, i, u, e, o の長短、および二重母音の ai, au)、
一八の子音 (k, c, t, t, p, r およびそれらの各々に対応する鼻音,,,n,m,n, さらに y, r, 1,
v, !, !)、 それらの一八の子音各々に一二の母音を掛け合わせた二一六がある。 タミ ル語には、
サンスクリット語のように有声子音 (g,jなど)や無声・有声気息音 (kh, ch gh, jh など)
を表す字母はないが、位置によって有声音や若干の気息音が現れる。
五 暗闇と結びついた二種の行為暗闇とは迷妄。 善、悪の二つの行為とも迷妄より生ずる。
六五官―五種の感覚器官、すなわち仏教で言う目、耳、鼻、舌、身の五根で、身根とは皮膚感覚

参考:https://x.com/fumihiko1214/status/2001093627079221442?s=61
《…阿をウーと発音するのは、北方民族由来である。南部(洛陽・長安)などは、阿(ア)で間違いない。》

参考:宇山チャンネル
中国史最大のタブー。三国志を"民族構造"で読み解くと見えてくる事実…【東洋史入門⑦】 https://youtu.be/OUzXPi-jyns?t=8m20s

簡単に言えば叩く主体が父になり、叩かれて生まれたものが粟になったのです。

つまりタミル語説もヘブライ語説も両方正しいのです。
二系統で日本に伝わり、特に徳島県では後から来たヘブライ語系が強いということです。
例えばタミル語だとヤマトのヤは太陽らしいが(『日本語=タミル語 接触言語説』田中孝顕189頁)うまく説明できていると思えない。ただしヤマトから日本への表記の移行をうまく説明している。


阿→波
↓🌞↑
房←安
ここに何かつながりを感じないわけにはいきません。

おまけ(主な関連ヘブル語及びアラム語):
イאִיは島、海辺の意味
ヨ、ヤーיהは神
伊予אי は神の島という意味(アレフ ヨード 川守田英二によれば縄文土器にあるという)
(参考:ヘブライ語縄文土器 https://youtu.be/Yhj-GGAWtBw?si=GyduFozcQ82rH7fp )

アヌ

אנו

(穴太)は我々
オッヘルאוֹהֶל(麻植)は天幕(正確には幕屋だがGoogle翻訳に従う)
ネギ נָגִיד(禰宜)、ネギッドはリーダー
イズモיצומו、出雲は最先端の意(進撃さん説)
ヤマトיה עומת は神の民
ヤットサーはヤマトサーで進め神の民よ
(サーには指導者説、喜び説もある サッソンששוןで喜び)
吉野川 ヨシュアיהושׁע川 (by香川宜子さん)
バイבַּיִתは家
家の光オールバイ、
אור בית で灯台。父の家アババイאב בית でも灯台?
家の父が光っている?
https://youtu.be/gMPdNBlTpZ8?si=KSpvhnNvatTXI70V
バイvayはタミル語で尖る(大野本99頁)という意味合いなので再考が必要。
放射線状の光はタミル語の方が説明が容易かも知れません。

アワの語源は二つあると思います。二つともシュメールからですが、一つはユダヤ教によって変容しています。ただしアラム語はタミル語より古いらしいので影響は相互的です。
前者が粟で後者が阿波の語源です。


アラム語は文字としてはタミル語より古いらしいので影響は相互的かも知れません。

新異国叢書 - 第 3 巻

https://books.google.co.jp
1968 · ‎スニペット表示
つ征信信長シナ征服を企織田信雄織田信孝信孝宣教師を四国に招かんことを約とし、毛利を征服して日本六十六カ国の領主と ... 阿波 Ava に赴くが、これを平定した後、教を弘むるため卿等の同地に来らんことを期待し、これがため収入を与へ、他の方面 ...
https://books.google.co.jp
Takeo Yanagiya · 1969 · ‎スニペット表示
Takeo Yanagiya. 信長シナ征服を企織田信雄織田信孝信孝宣教師を四国に招かんことを約とし、毛利を征服して日本六十六ヵ国 ... 阿波 Ava に赴くが、これを平定した後、教を弘むるため卿等の同地に来らんことを期待し、これがため収入を与へ、他の方面 ...
1965 · ‎スニペット表示
... 阿波 Ava 国である」(モレホン、イエズス会本、二四裏)。〈原注〉 ( 7 )その頃尾張の領主信長の. たが、遂に己の野望をとげる ... 宣教師を京都から追放、のち実権は家臣の松永久秀に握られ、後年将軍足利義昭に属して織田信長に反抗して攻められ河内 ...

最近阿波、粟の語源について考えてみました。
出発点は以下の動画↓です。

(136) https://youtu.be/aH3z_ZaF-x8?t=12m
《…元々、アワと呼ばれていた国で多く食されていた穀物なので粟と呼ばれるようになった。》(ANYA本175頁の説明とは違うので新説?)

大野晋の説では日本語のaf-a粟はタミル語のav-ai臼で打つ・棒で打つから来ているそうです。
《タミル語では動作として表現することばを日本語では、その動作によって生じるものとしてとらえた…》(大野晋『日本語はどこからきたのか』中公文庫99,102頁)
av-viは古語。サンガムで使われる。同じタミル語起源説でも『日本語の真実』(田中孝顕)では少し違う説明。
タミル語辞書サイト:
https://dsal.uchicago.edu/dictionaries/burrow/

脱線:
上ではわからないが
我々を意味するタミル語の語幹がava-(新説)
父、我々、粟
ヘブライ語、タミル語で三つ説があることになる。
avaはourにつながる。

ヤマトも
山の民
アラム語の神の民
タミル語の日の本
三つ候補がある
タミル語は日本につながる


https://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/app/burrow_query.py?qs=aval&searchhws=yes&matchtype=exact

田中孝顕によるタミル語ヤ-マト=太陽の中心説は日本との連続性があり面白いが、自分では検証出来なかった。タミル語説全体は正しいと思うが。
『日本語の形成』もいいが歴史全般に興味があるのなら同じく専門的だが総合的な大野晋『弥生文明と南インド』2004↓がおすすめ。甕棺墓は南インドと北九州に共通するようだ。

https://www.dropbox.com/scl/fi/tcl526fufeyt0gd0g1oe4/ohno2004.pdf?rlkey=jazhkxn5idwzm2x4w71c10b2j&st=b7msamem&dl=0


上を読んでわかったのは怪しいシュメール本で有名な岩田明は実験考古学的に評価されているということ。


許黄玉の子供が日本に行ったという都市伝説が韓国にはあるらしい。

真説仏教伝来⑤ 許黄玉という女性。(佐藤達矢稿)  - オーシャンサイドカンパニー



https://ocean4540.com/essay/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%80%83/takuya-satou/%E7%9C%9F%E8%AA%AC%E4%BB%8F%E6%95%99%E4%BC%9D%E6%9D%A5%E2%91%A4%E3%80%80%E8%A8%B1%E9%BB%84%E7%8E%89%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%80%82%EF%BC%88%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%81%94%E7%9F%A2/

阿波の語源にはもう一つ候補があります。ユダヤ教で父を表すアラム語のアバです。
タミル語ではアバは母ですが。家長ということなのか?叩く主体が母なのか?アラム語はタミル語より文字としては古いらしいので影響はシュメールを介して相互的かも知れない。

父を表すアバという言葉はアジア各地に伝わります。中国四川省の羌族、台湾、韓国など…。ネイティブ・アメリカンに伝わったという説さえあります。
岡山の津山市や茨城の地名阿波(アバ)は共に伝承では崇神天皇期に由来を持ち、その時のアバの発音が諏訪も含め方言周圏論的に残ったと思います(この場合中心は阿波です)。

長野県の伊那節のアバヨは中島尚彦氏が言うように、‎アバヨ・シャローム‎ אב יה שָׁלוֹם(父なる神よ平安あれ)の前半部分が残ったのでしょう。ヤיה、ヨは神の意味です。
アラム語のアバAbba אבאはキリストも磔刑の前日の祈りに使っています(《「アバ、父よ」》マルコ14:36)。(参考:https://www.historyjp.com/article/564/ https://youtube.com/shorts/Ea23X2YY2cw?si=glrJ7oSgY7hGD8BN)

阿波の直接の語源はユダヤ教のアバאב(父)でしょう。
大野説が正し意図してもこれは二つのシュメール起源の言葉が南北に分かれ1000年ぶりに日本で出会うという壮大な話になります。

さらに推察すると、アバは自分としては日本で太陽信仰、光への信仰と繋がったと考えます。

この阿波=太陽=光説を考慮すると、古事記、古語拾遺のアマテラス復活後の箇所の読みがスムーズになります(古事記では穀物の粟が紹介され、古語拾遺では、あはれ、アッパレの語句が説明されます。後者はアバを頂点とした光量の強弱と解釈可能です。アババイ↔︎あわい。大野本解説で古語拾遺の説は丸谷才一によって批判されているが)。
始皇帝の阿房(Afang Epan アーパン)宮は太陽ではなく北極星信仰ですが調べれば調べるほど阿房宮がアバ宮だった可能性はあります。

おまけ(主な関連ヘブル語及びアラム語):
イאִיは島、海辺の意味
ヨ、ヤーיהは神
伊予אי は神の島という意味(アレフ ヨード 川守田英二によれば縄文土器にあるという)
(参考:ヘブライ語縄文土器 https://youtu.be/Yhj-GGAWtBw?si=GyduFozcQ82rH7fp )

アヌ

אנו

(穴太)は我々
オッヘルאוֹהֶל(麻植)は天幕(正確には幕屋だがGoogle翻訳に従う)
ネギ נָגִיד(禰宜)、ネギッドはリーダー
イズモיצומו、出雲は最先端の意(進撃さん説)
ヤマトיה עומת は神の民
ヤットサーはヤマトサーで進め神の民よ
(サーには指導者説、喜び説もある サッソンששוןで喜び)
吉野川 ヨシュアיהושׁע川 (by香川宜子さん)

伊予は神の島
徳島もユダヤ如徳亜の島
阿波もアバ父
徳島はずっとユダヤ


追記(当時の船について):
タミル語を調べていたら紀元1世紀にインドから伽耶国へ嫁いだという許黄玉(ホ・ファンオク)の乗っていたという船が帆船だった説に突き当たりました。
少なくとも卑弥呼の年代でインド、ギリシア、インドネシアでは帆船が主流だったと思われます。
はやくて紀元前2世紀~遅くて紀元後3世紀の使われていた硬貨に帆船が描かれています。
アジアの帆船はギリシアよりは遅れるが古墳時代後期には日本の北九州でも確認されるくらいなのでそこまで遅くない。
許黄玉の遺跡にも後代の作である帆船の絵が飾られています。


Seafaring Archaeology of the East Coast of India and
Southeast Asia during the Early Historical Period
Sila Tripusti

https://www.researchgate.net/publication/318740957_Seafaring_Archaeology_of_the_East_Coast_of_India_and_Southeast_Asia_during_the_Early_Historical_Period


https://www.researchgate.net/publication/318740957_Seafaring_Archaeology_of_the_East_Coast_of_India_and_Southeast_Asia_during_the_Early_Historical_Period/fulltext/597af19d0f7e9b0469ebb8ad/Seafaring-Archaeology-of-the-East-Coast-of-India-and-Southeast-Asia-during-the-Early-Historical-Period.pdf?origin=publication_detail&_tp=eyJjb250ZXh0Ijp7ImZpcnN0UGFnZSI6InB1YmxpY2F0aW9uIiwicGFnZSI6InB1YmxpY2F0aW9uRG93bmxvYWQiLCJwcmV2aW91c1BhZ2UiOiJwdWJsaWNhdGlvbiJ9fQ


The Figure 13: Satavahana coins showing ship with masts.

The Satavahana (2nd century BC to 3rd century AD), 
Salankayanas (AD 300-440) and Pallava period (6th to 9th century AD) coins (Figs. 13 and 14) depict ships with masts (Sarma, 1980) which pro- vide evidence of use of wind in open sea navigation. 



後者の方がわかりやすいが後者はそこまで古くない。

紀元前からインド、東南アジア(ミャンマーインドネシア)は100km毎に港があり、
紀元前2世紀?のコインには帆船が描かれている。
1世紀にはインドアユタヤから伽耶へ許黄玉ホファンオクが皇后として嫁いでおり、
遺跡が一応ある。

後藤明論考:

https://rci.nanzan-u.ac.jp/jinruiken/publication-new/item/3935230b4b4130671c6efd14ec1ad906f2fa512e.pdf



ーーーーーー

素人考えではハングルの方がタミル語からの影響は少し強い。
だから朝鮮経由でタミル語は日本に来た。

ヘブライ語は徐福経由が第一候補だが応神天皇期に下るかも知れない。
黒潮で朝鮮を経由せずに淡路島、阿波に来たかも知れない。
タミル語もヘブライ語も沖縄は経由しているだろうが、これは朝鮮経由はないだろう。
ヤマトもヤがタミル語で太陽という説を見たが多分違う。
ヤマトはヘブライ語、アラム語説がしっくりくる。


一方でタミル語で父はappaです。少し似ています。語源は違うでしょうが、粟と父、この二つの系統は自分の考えでは日本で混同されているのです。
自分は阿波の場合、宗教的意味がヘブライ人によって付け加えられた父が語源と考えます。

以下
タミル語の箴言集『ティルックラル』(東洋文庫)冒頭より

《文字がアを始めとするように、世界は神を始めとする。》

《注 タミル語の字母表の配列は、他のインド諸語同様にサンスクリット語のそれ(サンスクリット語の字母表をもとに作られたわが国の五十音図を想起すればよい)と
ほぼ同じで、アから始まる。》

17 第1章
第一篇 法
アラム
第一章 神への讃歌
一文字がアを始めとするように、世界は神を始めとする。
あが
ニ純粋なる智をもつ者(神)の良き足を人が崇めないとしたら、
学んで得たことにいったい何の意味があろうか。
[蓮の] 花の上を渡りゆく荘厳なる[神の] 足下に身を寄せる人は、
天界において長く生きるであろう。

205 第1篇第1章
訳:
第一篇 -全体は三八章からなる。 Parimel によると、第一~四章は「序説」、第五~二四章は
「家庭生活」、第二五~三七章は「離欲(苦行)」、そして最後の第三八章は「運命」をそれぞれ
扱っている。
一文字がアを始めとするタミ ル語の字母表の配列は、他のインド諸語同様にサンスクリット語
のそれ(サンスクリット語の字母表をもとに作られたわが国の五十音図を想起すればよい)と
ほぼ同じで、アから始まる。なおタミル語の字母には、サンスクリット語を書写するときに用
いるグランタ文字を除けば、母音を表す一二 (a, i, u, e, o の長短、および二重母音の ai, au)、
一八の子音 (k, c, t, t, p, r およびそれらの各々に対応する鼻音,,,n,m,n, さらに y, r, 1,
v, !, !)、 それらの一八の子音各々に一二の母音を掛け合わせた二一六がある。 タミ ル語には、
サンスクリット語のように有声子音 (g,jなど)や無声・有声気息音 (kh, ch gh, jh など)
を表す字母はないが、位置によって有声音や若干の気息音が現れる。
五 暗闇と結びついた二種の行為暗闇とは迷妄。 善、悪の二つの行為とも迷妄より生ずる。
六五官―五種の感覚器官、すなわち仏教で言う目、耳、鼻、舌、身の五根で、身根とは皮膚感覚

参考:https://x.com/fumihiko1214/status/2001093627079221442?s=61
《…阿をウーと発音するのは、北方民族由来である。南部(洛陽・長安)などは、阿(ア)で間違いない。》

参考:宇山チャンネル
中国史最大のタブー。三国志を"民族構造"で読み解くと見えてくる事実…【東洋史入門⑦】 https://youtu.be/OUzXPi-jyns?t=8m20s

簡単に言えば叩く主体が父になり、叩かれて生まれたものが粟になったのです。

つまりタミル語説もヘブライ語説も両方正しいのです。
二系統で日本に伝わり、特に徳島県では後から来たヘブライ語系が強いということです。
例えばタミル語だとヤマトのヤは太陽らしいが(『日本語=タミル語 接触言語説』田中孝顕189頁)うまく説明できていると思えない。ただしヤマトから日本への表記の移行をうまく説明している。


阿→波
↓🌞↑
房←安
ここに何かつながりを感じないわけにはいきません。

おまけ(主な関連ヘブル語及びアラム語):
イאִיは島、海辺の意味
ヨ、ヤーיהは神
伊予אי は神の島という意味(アレフ ヨード 川守田英二によれば縄文土器にあるという)
(参考:ヘブライ語縄文土器 https://youtu.be/Yhj-GGAWtBw?si=GyduFozcQ82rH7fp )

アヌ

אנו

(穴太)は我々
オッヘルאוֹהֶל(麻植)は天幕(正確には幕屋だがGoogle翻訳に従う)
ネギ נָגִיד(禰宜)、ネギッドはリーダー
イズモיצומו、出雲は最先端の意(進撃さん説)
ヤマトיה עומת は神の民
ヤットサーはヤマトサーで進め神の民よ
(サーには指導者説、喜び説もある サッソンששוןで喜び)
吉野川 ヨシュアיהושׁע川 (by香川宜子さん)
バイבַּיִתは家
家の光オールバイ、
אור בית で灯台。父の家アババイאב בית でも灯台?
家の父が光っている?
https://youtu.be/gMPdNBlTpZ8?si=KSpvhnNvatTXI70V
バイvayはタミル語で尖る(大野本99頁)という意味合いなので再考が必要。
放射線状の光はタミル語の方が説明が容易かも知れません。

アワの語源は二つあると思います。二つともシュメールからですが、一つはユダヤ教によって変容しています。ただしアラム語はタミル語より古いらしいので影響は相互的です。
前者が粟で後者が阿波の語源です。


アラム語は文字としてはタミル語より古いらしいので影響は相互的かも知れません。

Omizan SakamotoさんによるXでのポスト推古天皇:ヌガダンベ 継体天皇:ウォポント 雄略天皇:ワカタケロ 神武天皇:ピコ・プォプォンタイミ このあたりもなかなか未来人っぽい

2026年5月27日水曜日

さちさんによるXでのポスト

1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 (朝日文庫) | ベアテ・シロタ・ゴードン, 平岡 磨紀子 |本 | 通販 | Amazon


https://www.amazon.co.jp/1945年のクリスマス-日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝-朝日文庫-ベアテ・シロタ・ゴードン/dp/4022618574

1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 (朝日文庫) 文庫 – 2016/6/7 


日本の女性が幸せになるために必要なことは何か。
23歳の若さで日本国憲法GHQ草案の作成に加わり、
現在の人権条項の原型を書いた女性の自伝。
50年ものあいだ口にすることができなかった、
日本国憲法草案作成9日間の迫真ドキュメント! 

【目次】
『1945年のクリスマス』文庫版出版によせて/ジョン・ダワー
ジョン・ダワーから ベアテ・シロタ・ゴードンを偲ぶ会へ送られたメッセージ

プロローグ 再会――1945年12月24日
I.焦土の日本に帰る
II.父と母の町・ウィーン
III.乃木坂の家の日々
IV.大戦下のアメリカで暮らす
V.日本国憲法に「男女平等」を書く
VI.既婚女性とやりがいのある仕事
VII・新しい道 アジアとの文化交流
エピローグ ケーディス大佐と日本を訪れて――1993年5月
ベアテさんとの出会い――あとがきにかえて/平岡磨紀子

母 ベアテ・シロタ・ゴードンのこと
――文庫版によせて/ニコール・ゴードン
『1945年のクリスマス』以降のベアテさん
――文庫版出版にあたって/平岡磨紀子

参考文献
ベアテ・シロタ・ゴードン関連年譜
主な活動記録

【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がなぜ阿波に?「伊比良咩神社」

【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がなぜ阿波に?「伊比良咩神社」 https://kohun-jinjya.blog/ibirame-jinjya/ 【阿波の神社を行く!】日向にいた時の神武天皇の妻を祀る神社がな...