| |
| |  |  | |  |  | 分かった事がある。
私は間違っていた。
つい近日まで、集合意識が外の事に対応する事で世界を変えられると思っていた。
ナグハマディ文書という物を見つけて、内容を把握した。
1945年にエジプトで見つかった13冊の写本だ。
初期のキリスト教と物質世界について書いてある。 | | | | 2026/03/10 18:49 |
| |
| |
分かった事がある。
私は間違っていた。
つい近日まで、集合意識が外の事に対応する事で世界を変えられると思っていた。
ナグハマディ文書という物を見つけて、内容を把握した。
1945年にエジプトで見つかった13冊の写本だ。
初期のキリスト教と物質世界について書いてある。
これを見て確信した。
戦争やディープステートや人口削減計画などは
「物質世界に注意を向けておく為の陽動」だ。
彼らの目的は、
「人間が自分の内側に目を向ける事」
から気を逸らす事、それ自体だと分かった。
私はエプスタイン文章以降、物質世界で起こっている事を憂いて投稿を繰り返していた。
精神世界の事もそれなりに知っていたが、自分の内部の事と自分の外部の事は、どうしても切り離して考えていた。
自分の内面が現実世界に反映される体験が半々だから確信が持てなかった為だ。
だが今は一番重要なのは外の世界でなく、
「自分の内面」だと理解した。
ナグハマディ文書の中身を要約する。
高次元と低次元があり、
低次元である物質世界は牢獄である。
根源意識である至高神からソフィアという神聖な存在が生まれ、ソフィアは配偶者を介さずに何かを生み出そうとした結果、神性の欠如した醜い存在「デミウルゴス」を生み出した。
デミウルゴスは自分が唯一の神だと誤信し、彼はアルコンという存在を作り出し、不完全な物質世界と人間を造り出した。
アルコンは物質世界の管理者で、人間の霊的覚醒を妨げ、無知を維持する存在。
物質世界と人間の創造の過程で、ソフィアが持っていた高次の「光(霊)」が物質の中に混じり込み、人間の肉体に閉じ込められた。
人間の「グノーシス(覚醒)」は、この閉じ込められた光を元の光の世界へ帰還させるプロセス。
ナグハマディ文書というのはグノーシス主義の聖典だ。
「グノーシス」とはギリシャ語で
「知恵」や「認識」を意味する。
グノーシス主義というのは、「人間の内面にある霊的な覚醒」を通じて自己の本質や宇宙の真理を「直接知る」というものだ。
盲目的な信仰ではなく、自分が何者であるかを知るという「自己認識(グノーシス)」こそが、魂を解放する鍵であると考える。
これは仏教では「悟り」と呼ばれる。
それを体験することによって魂が解放される。
物質世界が牢獄とも言えるが、ナグハマディ文書を見て思うのは肉体そのものが牢獄ということだ。
グノーシス主義において、救いとは「罪を許されること」ではなく、「忘却からの目覚め」を指す。
人間は自分が光の世界から来たことを忘れ、この世のしがらみに囚われることが苦しみ(無知)の原因だという。
それを自分の内面を見つめることで「再発見」する。
グノーシス主義は初期キリスト教と密接に関わっていたが、後に正統派教会から「異端」として退けられた。
キリストのグノーシス的文書である『トマスによる福音書』がナグハマディ文書に含まれる。
これはキリストの言葉だけで構成されていて、自己の内なる神性を発見することに焦点を当てている。
救いは外部の教会や儀式にあるのではなく、自分自身の内側にある「光」に気づくことにあると説いている。
これはカトリック教会には都合の悪い文書だ。
長い歴史の中で異端視されてかき消された、キリストの教えの本質的部分だ。
人間の霊的覚醒を妨げるアルコンがいつキリスト教を乗っ取ったのかは分からないが、つまりキリストの教えはここに集約されているはずだ。
ずっとキリスト教だけ違和感があった。
必ず自己の神性について説いているはずなのにそれが強調されていない。だが、やはりそう説いていた。
やはりいわゆる悪魔という次元間の存在が私達に求めているものは、ただこの物質世界にとどまっておくように、霊的な覚醒を妨げ続けていたいということだけのようだ。どの方面から確認してもそうなった。
だから、私たちはただ、自分の内面を探索する必要がある。
つまり瞑想を行う。
デトックスし、体を動かし、自然に触れ、恐怖を乗り越え、物欲を制し、食欲を制し、性欲を制し、wifiを切って、電磁波を避ける。
あらゆる執着を手放し、最後に自分を手放す。
脳の中にある霊的覚醒のアンテナである松果体を覚醒させるためにできることを行う。
瞑想の方法は様々な本の中に書いてあるだろうから省略する。
人によっては二週間で悟り体験に至る人もいるという。
お釈迦様で6年かかったというけども、今はネットがあるしやり方についてはだいぶ研究が進んでいる。
「悟ろう」とすると悟れないジレンマがある。
「悟ろうとする自分」を手放さないといけない。
7つのチャクラを開通させ、正しい瞑想の姿勢をとり、正しい呼吸法を実践し、思考を観察する。
最後に思考を観察している主体を観察する感覚に注意を向けると、悟りが起こるという。
アーユルヴェーダなど詳しく見ていくと正しいやり方がわかってくるはず。
簡単じゃないだろうが、至った人は沢山いるようなので、難しすぎるというわけではなさそうだ。
多くの人が悟りに至ると、量子的につながっている私たち人間は連鎖的に悟りに至りやすくなると聞いた。
現実世界に生きながらにして、霊的に覚醒できるなら、恐れるものは何もないだろう。
エプスタイン文書は良いきっかけになった。
霊的な者たちが人間の霊的な覚醒を妨げているということを浮き彫りにしてくれた。
認識されると、それを解くのはとても簡単になる。
認識されてない時は幾千もの糸から世界を探すような作業になる。
無知のことを仏教で無明(むみょう)という。
これだけの事を認識していながらも、私はまだ無明の世界にいる。
でもすべきことは分かったし、もう間違えない。
True Man Show から最後のジムキャリーの言葉を借りて。
おはよう! それと、もし会えなかったら、こんにちは、こんばんは、おやすみ!
Good morning! And in case I don't see ya, good afternoon, good evening, and good night!