『孟子』64滕文公上―孟子と滕の文公の対話(11)井田法について
*井田法(せいでんほう)とは、殷の助の制度の中でも最も重要な、公田の設置を行うための土地の区分法です。
滕(とう)の文公は、井田法について、臣下の畢戦(ひつせん)を送って、孟子に質問させた。
孟子は言った。
「あなたのご主君は、まさに仁政を行おうとされています。そこで、あなたを選んで、一任されたのです。ですから、あなたは、必ずこの役目に尽力しなければなりません。
さて、仁政は、まず土地の境界を定めることから始まります。
土地の境界が正しくなければ、土地を“井”の字のように九分轄する井田の区画も均等でなくなります。
すると、穀物の取り立てから、俸禄までもが不公平になっていきます。
ですから、逆に言えば、暴君や腐敗した役人は、まずその土地の境界をデタラメにしておいてから、暴利を貪ろうとするわけです。
ということは、土地の境界が正しければ、田畑の分配や、俸禄の制定も、座ったままでもできてしまう、ということでもあります。
さて、滕の領地は小さいですが、それでも君子となる人物はいるでしょうし、野人となる人物もいるでしょう。君子がいなければ、野人を治めることはできませんし、野人がいなければ君子を養うことはできません。
*野人とは、農民や一般の庶民という意味です。
ですから、郊外では助の制度を行なって、税率を九分の一とします。
そして、国の中心地域では、十分の一を自ら納税するようにさせるのです。
さらに、卿、そしてそれ以下の大夫、士には、必ず祭祀のための費用を賄う圭田(けいでん)を与えます。圭田は五十畝です。
また、一家の成人男子で未婚の者には二十五畝を与えます。
こうすれば、死者を弔うことができるようになり、移住するにも、この郷里から出ていく者はいなくなるでしょう。
さて次に、一つの郷里につき、田を井の字のように分けて、それを八つの家で分かち合います。
そして、外出するにも、この八つの家が、友となって、行動をともにするようにします。そのうえで、盗賊への守りや見張りも、力を合わせて助け合い、病人が出れば互いに看護しあうようにします。
そうなれば庶民同士、親睦を深めていくことになるでしょう。
さて、井田法とは、具体的には、まず一里四方を一井とします。
井は、全体で九百畝あります。その中の一箇所を公田として指定します。
八つの家は、いずれも百畝ずつを家ごとの所有とし、共同で公田を管理するのです。
このように、公の事を明確にすることで、ようやく個人の事が治まるようになります。
これが、野人を、君子と分けなければならない理由です。
ここまで述べてきたことは、野人と君子が協力していくための、大まかな骨子にすぎません。
この骨子に、思いを込めて、発展させることができるかどうかは、それはあなたのご主君と、あなたご自身にかかっているのです。」
*以上、『孟子』64滕文公上―孟子と滕の文公の対話(11)井田法について
*現代語訳に満足できず、『孟子』を漢文訓読で読みたいという人はこちら
【原文】
使畢戰問井地。孟子曰、「子之君將行仁政、選擇而使子、子必勉之。夫仁政、必自經界始。經界不正、井地不鈞、穀祿不平。是故暴君汙吏必慢其經界。經界既正、分田制祿可坐而定也。夫滕壤地褊小、將為君子焉、將為野人焉。無君子莫治野人、無野人莫養君子。請野九一而助、國中什一使自賦。卿以下必有圭田、圭田五十畝。餘夫二十五畝。死徙無出鄉、鄉田同井。出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦。方里而井、井九百畝、其中為公田。八家皆私百畝、同養公田。公事畢、然後敢治私事、所以別野人也。此其大略也。若夫潤澤之、則在君與子矣。」
*この記事の訳は、原則として趙岐注の解釈にしたがっています。
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