2024年10月17日木曜日

ユダヤ系同士の覇権争いであることを明確にする|ゴールドライフオンライン

ユダヤ系同士の覇権争いであることを明確にする|ゴールドライフオンライン
ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国
https://renaissance-media.jp/articles/-/1556

第二章 渡来人に支配された古代ヤマト

7.ユダヤ系同士の覇権争い

考えても仕方がないので、まずは宗像氏を調べてみる。同氏が祀る三女神のうち、市寸島比賣命を中心にして、その血縁関係から探っていきたい。

前著(『魏志倭人伝の中のユダヤ出雲大社に隠された「ダビデの星」』)では、丹後一宮の籠神社にはその絵馬の中に、夫婦神として、天照国照彦火明命(饒速日)と並んで立つ比賣のお姿があった。既にここでは、宗像氏と出雲国首長の一人である饒速日(スサノヲの子)とが、婚姻によって結ばれていることを理解した。

そして市寸島比賣命は、秦氏の松尾(まつのお)大社ご祭神としてのお姿を見せてくれる。同大社のご祭神は、大山咋神(おおやまくい)と中津島姫(なかつしまひめの)命(市寸島比賣命の別名)である。『古事記』にあるように、「次に市寸島比賣(いちきしまひめの)命は、胸形の中津宮に坐す」女神であることから、「中津島姫」は宗像三女神の二番目の神=市寸島比賣命のことである。

では大山咋神はというと、相殿のご祭神である中津島姫命(市寸島比賣命)の子どもとしては登場していない。二柱のご祭神の場合、普通は夫婦か親子である。相並ぶお二方が血縁関係にないということは考えにくいが、大山咋神の父は大歳神、母は天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)という聞き慣れないお名前である。『古事記』「大年神の神裔」によって、その系図を示す。

宗像氏を調査中であるが、先に「大歳神」と「天知迦流美豆比売」のことを確認する。『消された覇王』(小椋一葉/河出書房新社・1988年)から、ニギハヤヒのことを調べた一文である。彼(ニギハヤヒのこと:筆者注)がスサノオの子供のオオトシであることを突き止めたのは、京都の大原野灰方町にある大歳(おおとし)神社の記録からであった。

社名から明らかなように、祭神は大歳神である。記録によると、代々石棺や石材を造っていた古代豪族の石作連(やざこむらじ)が祖神を祀った神社だとされ、「石作連は火明命の子孫で、火明命は石作連の祖神という」と、はっきり記されている。

念のため石作連について調べてみると、岐阜県岐南町に石作(いしつくり)神社があり、記録に「石作連は尾張氏と同祖で天火明命の裔孫である」と書かれていた。京都の八坂神社にスサノオの八人の子供が祀られている。そのうち第五子に「大年神」の名前が見える。

スサノオの出身地である島根県にはオオトシを祀る神社が多い。飯石郡三刀屋町にも大歳神社があるが、『神国島根』(島根神社庁発行)によると、「須佐之男命出雲に於て大歳を生み給い…………………」と書かれている。オオトシがスサノオの子供だったことはまちがいない。

こうして、ニギハヤヒは、またの名をオオトシと言い、スサノオの子供であることが判明したのである。オオトシ=ニギハヤヒということが分かると、先の系図も変化する。

ニギハヤヒと市寸島比賣命とが夫婦神であることを考慮すれば、②を市寸島比賣命とすれば、②と③は松尾大社の祭神である中津島姫命と大山咋神にぴったり重なってくる。しかし天知迦流美豆比売が、中津島姫(市寸島比賣)であるという証拠は見当たらない。これは筆者が知らないだけかもしれないが、常識的には天知迦流美豆比売=中津島姫(市寸島比賣)であって、系図も以下のようになる。

言うまでもなく松尾大社の祭神は②と③の母子神であるから、①の父神ニギハヤヒも近くに鎮座しているに違いない。先に引用した部分には「京都の大原野灰方町にある大歳(おおとし)神社」とあって、その祭神オオトシがニギハヤヒであることは、もう証明済みである。

①のニギハヤヒはまるで母子神を優しく見守るように、松尾大社南方5〜6㎞のところに坐して、大原野の大歳神社祭神となっていたのである。ニギハヤヒは出雲系首長の一人であるので、秦氏がお祀りする松尾大社の直接的な祭神とはなり難い。実際の松尾大社の祭神は中津島姫命であるから、秦氏がお祀りする理由は、姫の血筋である。

そして彼女の子の大山咋神である。因みにニギハヤヒを祀るのは三輪山であり、そのオオモノヌシこそニギハヤヒである。

天孫と出雲の戦い(国譲り)が、ユダヤ系同士の覇権争いであることを明確にするために、宗像氏が秦氏の一族か、または秦氏そのものであることを証明した。これでやっと、国譲り戦の真相に迫ることができる。

ヘブライ語対照表 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

イヅモ、イツモיצומוitsumo最先端、最果て、最高、極度
https://www.historyjp.com/dictionary/

サムエル記上7章1samuel07

サムエル記上7:6(08)ו:יצומוヴァ・ヤツゥームーそして[彼等は]断食しました接続詞+動詞・クァル(基本)・(ワウ接続)未完了・三人称・男性・複数
http://wordbyword.holy.jp/li-1samuel07.html

サムエル記上7章1samuel07

ו:יצומו, ヴァ・ヤツゥームー, そして[彼等は]断食しました, 接続詞+動詞・クァル(基本)・(ワウ接続)未完了・三人称・男性・複数. サムエル記上7:6(09), ב:יום, バ ..

http://wordbyword.holy.jp/li-1samuel07.html

slowslow2772さんによるXでのポスト 出雲



 
 
slowslow2772
⁦‪@slowslow2772‬⁩
‎「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」
‎יצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一
‎…
‎「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

‎「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かた?
‎⁦‪historyjp.com/article/538/‬⁩
 
2024/10/18 2:21
 
 

「八雲立つ出雲」の信仰祈願 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

「八雲立つ出雲」の信仰祈願 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究


続く「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」を意味するיצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一であることから、それが語源となった可能性があります。その「イツモ」には最先端の意味があることから「出」があてられ、続く「モ」には「雲」の漢字があてられたと想定できます。

「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

「ヤクムタツェイツモ・ヤエガキ・ツマゴェルメニ・ヤエガキツコル・ソノヤエガキヲ」

「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語が当てられたのではないでしょうか。その内容は、人々の先頭に立って現れる神を称え、救い主として出現することを待ち望むという信仰の告白とも考えられます。そして神は立ち上がり、大きくなって壁のような存在として人々を守り、そこから語り告げ、雲のような存在にも捉えられたが故、日本語では「雲」の字が当てられたと想定されます。


https://www.historyjp.com/article/538/

「八雲立つ出雲」の信仰祈願

ヘブライ語で読み解く和歌から浮かびあがる意外な真相!

「八雲立つ出雲」の不思議

「八雲立つ 出雲」(ヤツメサスイツモ) は、古事記の中でも最初に記載されている歌であり、それが日本最古の和歌とも言われてきた所以です。その歌詞は、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」と綴られています。古事記によれば、スサノオノミコトとクシナダヒメが新居を求めた際に、雲が立ち上がるのを見て、スサノオがこの歌を詠んだと伝承されています。

この歌の趣旨は、スサノオが出雲の地に宮を建てた際、幾重にも重なった八重に湧き出る雲が立ち上がっていたことから、その流れに沿って八重垣と呼ばれる垣を作り、二人を囲いつつ、妻クシナダヒメを守り、出雲の地においてスサノオは妻と共に住まわれた、と解釈するのが通説です。しかしながら、歌詞の中には難しい表現も含まれていることから、簡単には結論が出ません

例えば、歌の中では3回も繰り返して「八重垣」が用いられているだけでなく、「八雲」という言葉から歌が始まっていることから、この短い句の中だけで「八」の文字が4回も使われています。そこまで「八」という文字を強調するには、何かしら理由があるはずです。また、歌の中には「妻籠め」や「八重垣」など、日本語で読んでも不明瞭な意味の言葉が含まれています。雲の垣を表現するのに何故、「八重(ヤエ)」という言葉が使われたのかなど、日本語では理解が困難です。よって、それらの解釈においてもさまざまな見解があるようです

一見して日本語では意味が不可解であっても、日本語の発音のままヘブライ語で解釈してみると、意外にも最初から最後まで読み通すことができるだけでなく、言葉の意味合いにおいても何ら矛盾なく、作者のメッセ―ジをくみ取ることができます。果たしてヘブライ語で読む歌の意味とは、いかなるものなのでしょうか

「八」は「神」を象徴する言葉

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」の和歌をヘブライ語で読むにあたり、まず大切なポイントは、「八」「ヤ」を「神」と理解することです。「ヤ」という言葉は、ヘブライ語で神を意味する「ヤ―ウェー」の頭文字であり、イスラエル人にとっていつの日も、「ヤ」は神を意味する言葉なのです。

それ故、「ヤ」が繰り返し4回も使われているということは、歌のテーマに関わるだけに、極めて重要です。しかも、そのうち3回は、「八重」「ヤエ」という正に、ヘブライ語の神の名「ヤ―ウェー」そのものが、「ヤエ」と歌われているのです。「八重」と「八」を「神」と理解することにより、この歌の趣旨が明確になってきます。

「八雲立つ」の意味

次に、「八雲立つ」という歌詞に注目です。日本語では八つの雲が立ち上がるようなイメージの言葉に捉えることができます。しかしながらヘブライ語では、「神が立ち上がり、出てくる」というさらに具体的な意味の言葉として解釈できます。

「ヤ」は「神」、そして「クモ」「雲」の発音は、ヘブライ語で「立ち上がる」を意味するקום(kum、クム)とほぼ同じであることから、それが語源と考えられます。すると「ヤクム」は「神が立ち上がる」の意味となります。そして「ヤクム」が多少訛り、「八雲」の漢字があてられたと想定できます。

次の「立つ」は、「出てくる」「出てきて」を意味するתאצא(tatze、テツェ) が語源になっていると推測されます。その後半2文字、צא (tza、ツァ)は「出る」「現れる」を意味することから、「タツェ」は日本語では「出てくる」と解釈できます。そして「ヤクム」と「タツェ」が合わさって「ヤクムタツェ」となり、「神が立ち上がり出てくる」という意味の言葉になったと考えられます。その「ヤクムタツェ」が多少訛り、「八雲立つ」という文字が当てられたのではないでしょうか。

「ヤクムタツェ」「八雲立つ」の言葉の意味は、表面上の日本語では、八つの雲が立ち上がることを意味しますが、言葉の背後に潜むヘブライ語では、「神が立ち上がって出てくる!」という祈りの言葉として解釈できます。その意味合いはわかりやすく、言葉ひとつひとつの内容をより細かく理解できるだけでなく、続く言葉との繋がりも明確であることから、ヘブライ語の歌詞が語源となり、それに日本語が当てられたという順番で創作された歌と推測されます。

「出雲」に象徴される最先端の地

続く「出雲」「イヅモ」は、ヘブライ語で「先頭」「最先端」を意味するיצומו(itsumo、イツモ) の発音が「出雲」とほぼ同一であることから、それが語源となった可能性があります。その「イツモ」には最先端の意味があることから「出」があてられ、続く「モ」には「雲」の漢字があてられたと想定できます。

その後の「モ」に「雲」があてられた理由は一見不透明です。何故なら、「モ」と表現できる漢字は複数あるからです。「モ」に「雲」をあてて「出雲」とすることにより、前段の「八雲」に続き、繰り返し「出雲」と、「雲」の漢字が繰り返され、「雲」が強調されていることになります。つまり、「ヤクム」の「クム」に「雲」を当てた経緯は、「クム」と「クモ」の発音が酷似していたことだけでなく、何かしら「雲」にこだわる意図があったと考えられます。

「モ」に「雲」を当てた理由は、もしかすると最先端に立つ「イツモ」の神が「雲の神」のような存在であったからかもしれません。それが「出雲」と表記された理由ではないでしょうか。つまり「八雲立つ」の神とは、「立ち上がり出てくる」だけでなく、群集の最先端を行く雲のような存在だったのです。それ故、「最先端」を意味する「イツモ」という言葉が用いられ、「出雲」の漢字が当てられたのです。

「八雲立つ出雲」の語源は、ヘブライ語の「ヤクムタツェ・イツモ」であり、「神よ、立ち上がり先頭へ出てきて!」という意味の言葉であった可能性が見えてきました。そして「神」とは「雲」のような存在であったことから、「八雲立つ出雲」のように、「雲」の文字が連続して使われたと推測されます。よって、「イツモ」「出雲」という言葉は、神が雲のように現れた後、先頭に立って導かれていく神の姿を象徴するだけでなく、出エジプトの時代、神がイスラエルの民を日夜、雲で導いたという伝承を彷彿させる言葉としても理解できるのです。

古代、遠いアジアの大陸から東の島々となる日本列島の新天地に到達した渡来者は、列島を見出した後、船団で巡り回る途中、日本海側の最北端のエリアとなる出雲に着岸したと推測されます。そこは、「雲」のように民を導かれる神が示された最初の聖地であったことから、最先端という意味も込めて「出雲」の国と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

「八重垣」とは「神が立つ壁」

「八重垣 妻籠めに 八重垣作る その八重垣を」の一句も、同様に日本語とヘブライ語、2つの言語で読むことができます。「八重垣」をヘブライ語で読むと、まず、「ヤエ」という言葉が際立ちます。何故なら「ヤエ」という発音は、ヘブライ語で神を指す名称だからです。そして「ガ」は、「上がる」「増える」を意味する動詞のגאה(gaah、ガ) が語源と考えられます。この「ガ」という言葉には「誇り」「立派」という意味もあります。

その「ガ」に「壁」を意味するקיר(kir、キー)を合わせると、「誇り高き壁」「立派な壁」を意味する「ガキー」という言葉になります。よって、「ヤエ」と「ガキ―」を合わせて「ヤエガキー」とすると、「神の誇り高き壁」の意味となります。それが「垣根」のような存在に例えられたことにより、「八重垣」という漢字が当てられたと推測できるのです。

「ガキ」という言葉は、ヘブライ語でもうひとつの解釈ができます。ヘブライ語では「嘆く」を意味するבכי(bekhiy、ベキ) という言葉があります。「ベキ」の発音は、「ガキ」に似ています。「嘆きの壁」と呼ばれているエルサレム城壁の名称にも使われている言葉です。すると「ヤエガキー」には、単に「神の誇り高き壁」の意味だけでなく、人々の嘆きを象徴するエルサレム神殿の「嘆きの壁」としてのニュアンスも含まれているのかもれません。

「八重垣」とは神の姿を匂わす立派な壁であり、その雄大な姿は雲のように例えられたことでしょう。そして時には、「嘆きの壁」に象徴されるような神聖な壁の意味も込められていたのかもしれません。「八重垣」を神に纏わる壁と想定することにより、「八雲立つ八重垣」の歌詞には、神への篤い信仰心が潜んでいた可能性が見えてきます。

「妻籠めに」は祈りの言葉!

「妻籠めに」もヘブライ語で読むことができます。「ツマ」はヘブライ語で「大きくなる」「出現する」を意味する צומח(tsomeakh、ツォメッ) が語源と考えられます。次の「ゴメニ」は、「救い」「救い主」を意味するגואל(goel、ゴェル) にמני(meni、メニ) の語尾を足した、「私の救い主」の意味をもつ「ゴェルメニ」という言葉が語源と考えられます。これらの言葉を合わせると、「ツマ・ゴェルメニ」となり、日本語の「妻籠めに」に酷似した発音となります。

すると「妻籠めに」の意味はヘブライ語で「私の救い主が出現する」となります。その言葉は正に、「八重垣」の意味を後押ししているようです。ヤーウェ神の誇り高き壁が、私の救い主として出現することを指していると考えることにより、一連の歌詞の意味が繋がります

また、代替案として「ツマゴメニ」をヘブライ語で、צומא גו מני(tsuma go meni、ツマゴメニ)と読むこともできます。「ツマ」を「のどが乾く」を意味するצומא (tzuma、ツマ) と想定することにより、「ツマゴメニ」という言葉には、神の救いを切望するあまりに「私は渇く」、つまり信仰の思いに魂いが渇き救いを求める、という思いとしても解釈できます。

「八重垣作る」の背景に潜む「雲の柱」

その祈りの理由が、次の「八重垣作る」という句に秘められています。「作る」は、「岩」のצור(tsur、ツ) と、「声」の קול(khol、コル) という2つのヘブライ語が合わさった言葉で、「岩の声」を意味します。発音も「ツコル」となり、「作る」とほぼ同じです。

「岩」を意味する「ツ」という言葉は、「神」の意味でも用いられているヘブライ語であることにも注目です。「岩なる神」という言葉のとおり、イスラエル人にとって、「ツ」「岩」は「神」なのです。また、「ツ」には「創造する」「作る」という意味もあります。よって「岩の声」は「神の声」という意味に捉えることもでき、神聖なる神の声が聞こえてくるというニュアンスも込められているかもしれません。

すると「八重垣作る」という言葉は、「神の誇り高き壁」に結び付く「神の声」というテーマに紐付けて理解することができます。神が立ち上げた壁から「神の声」が聞こえてくるようなイメージです。それはもしかすると、出エジプト記に記載されている「雲の柱」を暗黙の内に指していたのかもしれません。何故なら、「雲の柱」は壁のような存在であり、その雲の中から救いの神が現れ、モーセを通じてイスラエルの民に語りかけたことが聖書に記されているからです。歌の中で3度も「八重垣」という言葉が繰り返され、しかも歌が「八雲」、「神が立ち上がる」というヘブライ語で始まっていることからしても、「ツマゴェルメニ、ヤエガキツコル」「妻籠めに八重垣作る」の背景には「雲の柱」が存在すると想定しても不思議ではないようです。

旧約聖書のテーマに繋がる和歌の真相

「八雲立つ 出雲 八重垣 妻籠めに八重垣作る その八重垣を」。この著名な和歌は、元来ヘブライ語で書かれた歌であった可能性が見えてきました。「八雲」「ヤクム」とはヘブライ語で、神が立ち上がることを意味することから、この歌の主人公は「神」であることがわかります。そして歌の趣旨は、神への信仰に結び付いていたことを理解することにより、最初から終わりまで一貫して、神を讃える歌として、読み通すことができます。その歌の意味は、以下のとおりになります。

「神が立ち上がり、先に行く。神が立つ壁 私は救いに乾く 神が立つ壁の神の声 神が立つ壁」

「ヤクムタツェイツモ・ヤエガキ・ツマゴェルメニ・ヤエガキツコル・ソノヤエガキヲ」

「八雲立つ」の歌は、元来ヘブライ語で書かれ、その発音に合わせて日本語が当てられたのではないでしょうか。その内容は、人々の先頭に立って現れる神を称え、救い主として出現することを待ち望むという信仰の告白とも考えられます。そして神は立ち上がり、大きくなって壁のような存在として人々を守り、そこから語り告げ、雲のような存在にも捉えられたが故、日本語では「雲」の字が当てられたと想定されます。

およそ3200年前、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は、指導者モーセによってカナンの地へと導かれました。広大な荒野をさまよい歩く民の先頭には、常に神の雲が出現したことが、旧約聖書出エジプト記 に書かれています。「神の雲」は導きの象徴であり、その「動く」雲を見上げながら、群集は見知らぬ荒野を旅し続けたのです。そして神は天空に現れた雲の中から人々に語られたのです。

出エジプト記に綴られているこれらの不思議な出来事と、イスラエルが体験した数々の奇跡は、天岩戸神話に関連している可能性があります。神が立ち上がり、出てくるというモチーフは、岩間から立ち上がって出てくることを願い求められた天照大神の天岩戸神話にも通じる内容だからです。そして天照大神は雲隠れしたかのごとく岩の陰に潜んでいたことから、その声はまさに、雲の中からの語りかける声のように聞こえたのではないでしょうか。

「八雲立つ」の和歌は、ヘブライ語と日本語を見事にブレンドし、神への信仰を歌うために創作された、古代文学の結晶と言えます。

最古の和歌とスサノオの物語 | こども教室 ≪もんじゅ≫

最古の和歌とスサノオの物語 | こども教室 ≪もんじゅ≫

最古の和歌とスサノオの物語

日本最古の和歌をご存知でしょうか。以下の歌がそれです。

【和歌】 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を
【読み】 やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
【意味】 雲が幾重にも湧く出雲の地で、妻との新居によい場所を見つけた。妻のために垣根を幾重にも造ろう。

作者はスサノオノミコトです。古事記や日本書紀に出てくる伝説の神さまです。クシナダ姫を妻に迎え、新居を出雲の地に定めた際に、詠んだ歌です。夏なのでしょう。抜けるような青空に、幾重にも重なる白雲を前にして、丘の上に立った新婚夫婦の希望に満ちた表情がありありと浮かびます。

でも、スサノオノミコト(以下、スサノオ)がここに至るまでは紆余曲折と波乱万丈がありました。以下に「スサノオ物語」を少しばかり紹介します。

アマテラス大御神(おおみかみ)を姉に持ち、天界でも一目置かれたスサノオでしたが、その乱暴狼藉ぶりが目に余り、姉のアマテラスは頭に来るやら、周囲の神々に申し訳ないやらで、岩屋の戸を閉じて隠れてしまいます。いわゆる天の岩屋戸(あまのいわやど)の神隠れです。太陽神でもあるアマテラスが姿を消したので天界は暗くなり、神々が集まって相談し、策を練ります。岩屋戸の外でどんちゃん騒ぎをすることにしました。中には裸踊りをする女神まで出て大盛り上がりになると、アマテラスは「なにが起きているの」と思い、戸をそうっと開けてのぞき見をします。待ってましたとばかりに戸がこじ開けられ、アマテラスは引きずり出されます。これで明るさが戻ったと一同大喜びの大団円となったわけですが、騒動の発端をつくったスサノオは天界「高天原(たかまのはら)」から追放されました。恐らくアマテラスは性格が明るい高天原一番の姉ご肌だったのでしょう。若いにもかかわらず、周囲からは「姉さんがいてくれなきゃ、みんな困っちゃうよ」と頼りにされていたと思われます。

一方で堕神として地上界をさまよっていたスサノオは、八頭八尾のヤマタノ大蛇(おろち)に苦しめられている親娘に出会いました。スサノオは娘のクシナダ姫を許嫁にして、親子のために大蛇と戦うことを決意しました。「おれだって高天原の神のはしくれだ」と、自分を追い払った神々に自分の義行を見せつけてやろうと思ったのでしょう。クシナダ姫をクシに変化(へんげ)させて護符がわりに自分の髪に挿し、大蛇と血みどろの戦いを繰り広げ、見事勝利を収めたのです。すると不思議なことに、大蛇の体内から太刀が出てきました。見事な宝剣です。姉のアマテラスに迷惑をかけ通しだったことを気に病んでいたスサノオは、姉にそれを贈りました。自分の粗暴な行ないをかばい続けてくれていた姉へのせめてもの恩返しでした。後にこの剣は、草薙(くさなぎ)の剣と呼ばれ、天皇家の三種の神器の1つとなりました。

そして、晴れてクシナダ姫と結ばれたスサノオは新居を探して、出雲の地で「妻ごみ」(妻がこもる場所、つまり新婚家庭)にちょうどよい場所を見つけ、新居の造営にとりかかりました。好き放題をし過ぎて故郷では居場所がなくなってしまったスサノオが妻を娶り、初めて安息の地を見つけたのです。冒頭の歌は、その時のものです。その土地を見て、スサノオが「すがすがしい」と口にしたことから、その地は「すが」と命名され、今でも須賀という地名で残っています(島根県雲南市)。スサノオの物語には、まだまだ続きがあるのですが、ブログで書くには長くなってしまうので、ここまでにしておきます。

日本では「世界最古の長篇小説」とも呼ばれる『源氏物語』がありますが、それよりさらに300年ほど遡ると、このスサノオの物語をはじめとして民俗性あふれる神話や歴史が満載された『古事記』が編纂されています。712年のことです。一昨年の2012年は、『古事記』編纂1300年ということで、『古事記』関連の書籍が多く出版されました。日本人は子どもの時分から、もっと日本神話を読んで楽しまなければ、もったいないと思います。≪もんじゅ≫では、お子さまたちにそうした神話に少しでも親しんでいただくよう、「天の岩屋戸」や「ヤマタノ大蛇」など、一部の抜粋を子どもたちに紹介しています。

   門樹

ユダヤ系同士の覇権争いであることを明確にする|ゴールドライフオンライン

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