2026年7月19日日曜日

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅

子どもの頃、歴史の授業で誰もが習った『邪馬台国』。弥生時代の日本に存在したといわれる国で、邪馬台国の女王・卑弥呼はあまりにも有名です。日本人であれば誰もが知っている邪馬台国ですが、実はその国が日本のどこにあったのかは、江戸時代から議論が行われてきました。こうしたなか、「邪馬台国は阿波(徳島県)だった」という考察が脚光を浴びています。
そんなわけで、歴史ファンの間で大注目の徳島。そんな徳島の邪馬台国にまつわる場所を巡る3日間のツアーが開催されていたので、参加してきましたよ!

忌部神社でいただく阿波の献上料理

徳島市二軒屋町にある『忌部神社』。歴史ファンであれば『忌部(いんべ)』という名は聞いたことがあると思いますが、忌部氏は古くから朝廷の祭祀を担当してきた氏族です。そして、天皇即位の際の大嘗祭(だいじょうさい、おおなめまつり)で備えられる麻の織物『麁服(あらたえ)』を作るのが、阿波忌部の役割となっています。かつての大嘗祭では、吉野川市にある忌部神社で麁服が織られ、徳島市の忌部神社の宮司が斎主となって神事が行われました。

今回のツアーでは、そんな忌部神社でお参りをした後に、かつての大嘗祭で天皇に献上したとされる『阿波の献上料理』をいただきました。詳細なレシピは残っていないため、当時の食材から献立を予想して作った料理ですが、忌部神社でいただくと古の大嘗祭に思いを馳せることができます。

阿波の卑弥呼伝説が眠る場所

今回のツアーの2日目と3日目は、古代阿波の面影を感じられる様々な場所を巡りましたが、当記事ではその中から邪馬台国と卑弥呼にまつわるスポットを3つご紹介します。

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)

卑弥呼を語る説の中には、天照大神(あまてらすおおみかみ)と卑弥呼は同一人物だという説もあります。そして、徳島市から車で45分ほどの神山町にある『上一宮大粟神社』は、天照大神が須佐之男(スサノオ)との戦いで一時撤退した場所だといわれているのです。つまり、それが正しいならば、上一宮大粟神社は戦いに傷ついた卑弥呼が心身を癒しにやってきた場所ということ。歴史ファンにとっては、かなりのパワースポットということになりますね!

所在地:徳島県名西郡神山町神領西上角330

大御和神社(おおみわじんじゃ)

2箇所目は徳島市国府町にある『大御和神社』です。その御神紋は「鍵」でり、こくじと国家の鍵を守護したと伝わっています。このことから、古代では徳島の地が日本の中心であったと考えられ、日本最古の国とされる邪馬台国も徳島にあったのではないかと言われているのです。

所在地:徳島県徳島市国府町府中644
https://oomiwa-jinjya.jp/

天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)

3箇所目は阿波の卑弥呼伝説の大本命といえる場所です。それが、大御和神社と同じ徳島市国府町にある『天石門別八倉比売神社』。こちらの御祭神は大日霊女命(おおひるめのみこと)別名天照大神であり、『卑弥呼=天照大神』説が正しければ、卑弥呼が祀られた神社ということになります。そもそも、天石門別八倉比売神社がある国府町の『国府』とは国の行政府のことであり、このこともかつてこの地が日本の中心であったことを示しているといえるかもしれません。
また、天石門別八倉比売神社は阿波史跡公園の中にあり、周辺には約200もの古墳が存在しています。天石門別八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部に社殿があり、後部は奥の院となっています。その奥の院には石積みの祭壇が置かれていて、一説によるとその祭壇こそが卑弥呼の墓だとされているのです。そのことから、阿波の地がかつての邪馬台国だったのではないかといわれています。

所在地:徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531

卑弥呼サミット vol.4

なお、ツアーの初日には、「邪馬台国は阿波だった」と地域を盛り上げているイベント『卑弥呼サミット』が行われました。今回で4回目の開催となる当イベントでは、都市伝説界のレジェンド・山口敏太郎さんなどをゲストに迎え、講演やパネルディスカッションで阿波の卑弥呼伝説について議論を行っていました。

様々な情報や史実を提示していただき、徳島県には古代から文明があり、邪馬台国があったかもしれないと感じることができる、興味深い内容でした。
※詳しく知りたい方はYouTubeチャンネル『邪馬台国は阿波だった!』をチェックしてみてください。

今回のツアーは旅行代理店などの現地視察を目的としたツアーだったわけですが、今後、一般の方が参加できる阿波の歴史ツアーも増えていくと思います。今後開催されるツアーに参加したり、今回紹介したスポットをぜひ自分の足でまわってみてください。きっと、はるか昔の女王からパワーを貰えるはず。

~そのほかにも・・・~

〇立岩神社(徳島県名西郡神山町鬼籠野元山746)

なぜロシアは戦争が下手なのか?指導者が全員「戦争ヘタ」な理由 督戦隊

2026年7月16日木曜日

食前食後の和歌 江戸時代の国学者である本居宣長の詠んだ和歌。 ☆いたただきます 「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の めぐみえてこそ」 歌意 「食物や草木の恵みは神様のおかげです。」 ☆ごちそうさま 「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」 歌意 「朝夕食事を頂くときは神様に感謝しましょう。」

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉 | 大稲荷神社「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」 「朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを 思へ世の人」 本居宣長と『玉鉾百首』

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉 | 大稲荷神社

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉

2025年08月21日

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉

食事の前に — 「いただきます」の意味

日本では食事の前に「いただきます」と言います。この言葉には、単なる挨拶以上の深い意味が込められています。

神社の伝統では、食前に「食前感謝詞(しょくぜんかんしゃのことば)」を唱える習わしがあります。

まず、先導役が「静座、一拝一拍手」と告げ、全員で一拝一拍手をします。次に、先導役が節をつけて「たなつもの」と唱え、それを合図に全員で和歌を詠みます。

「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」

そして一同で「いただきます」と唱え、食事を始めます。

この和歌では、五穀やあらゆる作物は、天照大御神の御恵みによって育まれるものであり、人の力だけで得られるものではありません。だからこそ、毎日の食事のたびに神の恵みを思い起こすことが大切だと説いています。

食事の後に — 「ごちそうさま」の意味

食後には「ごちそうさま」と言います。この言葉も、単に食べ終わった合図ではなく、食べ物と恵みに感謝する祈りの言葉です。

伝統的には「食後感謝詞(しょくごかんしゃのことば)」が唱えられます。

先導役が「端座、一拝一拍手」と告げて一同で礼をし、先導役が「朝よいに」と節をつけて唱えます。これを合図に、全員で和歌を詠みます。


「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」


「朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを 思へ世の人」


本居宣長と『玉鉾百首』


その後、全員で「ごちそうさまでした」と声を揃え、食事を終えます。

この和歌には、食事のたびに、食物を司る豊受大御神の御恵みに感謝しなさい、という意味が込められています。

本居宣長と『玉鉾百首』

ここで詠まれる二首の和歌は、江戸時代の国学者・本居宣長が著した短歌集『玉鉾百首(たまぼこひゃくしゅ)』に収められたものです。

今日でも神社関係の研修会では、食事の際にこの作法が守られており、食事を前に「いただきます」、食事を終えて「ごちそうさま」と感謝を捧げる伝統が受け継がれています。

感謝の心を受け継ぐために

現代は一年を通して食材が手に入る便利な時代ですが、食べ物は決して人間の力だけで生まれるものではありません。自然の恵み、神の加護、多くの人々の労によって私たちの食卓は成り立っています。

「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、そうした恵みへの感謝を表す大切な言葉です。和歌を唱えるかどうかにかかわらず、感謝の心を忘れずに食事をいただくことこそ、先人から受け継ぐべき精神なのです。

なぜ消された?知られるとまずい謎の島の正体に驚愕【善入寺島】川田駅近くの山に登って山頂にある種穂忌部神社から見ると善入寺島がトンボのトナメのように見えます。 古代からはだいぶ地形が変わっていますが代々山頂から中州が何らかの形で見えた可能性はあります。

2026年7月15日水曜日

イザナギ イザナミ

 伊邪那美尊が高越山に葬られ、伊邪那岐尊が会いに行き、黄泉比良坂から逃げる話になっていますが、高越山から黄泉比良坂にどうやって来るかが疑問でした。日本書記の異伝で高根の芝小屋で伊邪那美尊と伊邪那岐尊お会いして問答をし、合意の上、伊邪那岐尊が黄泉比良坂にお入りになり、高越山から芝小屋まで尾根道で来られることが判明しました。黄泉比良坂の出来事は阿波ヤマト財団の設立記念パーティーで阿波古事記研究会より配布された三村副会長著の小冊子に詳しいので参照頂きたい。#黄泉比良坂

https://x.com/kamiyamafudoki/status/1789225241895637204?s=61



アマテラスとスサノオの誓約 - Wikipedia

アマテラスとスサノオの誓約 - Wikipedia

アマテラスとスサノオの誓約

第七段一書(第三)

素戔嗚尊は自身の田が悪田だったため、姉の田の畔を壊したり溝を埋めたりする乱暴を働いたが、姉の日神は素戔嗚尊を咎めることなく、天石窟(あまのいはや)に籠もってしまった。

天児屋命らの働きにより日神は外に戻ったが、諸神は素戔嗚尊を責めた。素戔嗚尊は底根之国(そこつねのくに)に追放されることになったが、「どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と天に戻って来た。天鈿女命がこれを見て日神に報告した。

日神は「弟が来た理由は良い心によってではあるまい。きっと我が国を奪おうというのだ。」と言って武装した。素戔嗚尊は誓(うけ)ひて「私が善からぬことを思って戻って来たのならば、私が今珠を囓んで生む子は必ず女であろう。そうしたら、女子を葦原中国に降してほしい。もし清い心があれば、必ず男を生むであろう。そうしたら、男子に天上を治めさせてほしい。また姉上の生む子も、この誓(うけひ)と同じとしよう。」と言った。

先に日神は十握劒を囓み、云云(しかしかいふ、省略の意)。

続いて素戔嗚尊はぐるぐると回しながら、その髻に巻いていた五百箇御統之瓊(いほつのみすまるのたま)の緒を解き、玉の音を揺り鳴らしながら天渟名井の水で濯ぎ浮かべた。その玉の端を噛んで以下の六柱の男神を生んだ。

  • 左の髻に巻いていた玉を噛んで、左の手のひらに置く:正哉吾勝勝速日天忍穂根尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほねのみこと)
  • 右の玉を噛んで、右の手のひらに置く:天穂日命(あまのほひのみこと)
  • 次に:天津彦根命(あまつひこねのみこと)
  • 次に:活目津彦根命(いくめつひこねのみこと)
  • 次に:速日命(ひのはやひのみこと)
  • 次に:熊野大角命(くまののおほくまのみこと)

素戔嗚尊は「私は本当に清き心をもって戻って来たのです。既に姉上にお会いする目的は済んだので、根国へ参ります。私が清き心を以て生んだ子を、姉上に奉ります。」と言って降っていった。[6]

解説

文献 うけいの提案者 結果 モノザネ 勝利基準、宣言者 男神をアマテラスのものとしたか、理由
古事記 スサノヲ ス:男 アの珠 事後、ス、女 ○、アマテラスがモノザネ主張
日本書紀第六段本文 スサノヲ ス:男 アの御統 事前、ス、男 ○、アマテラスがモノザネ主張
日本書紀第六段一書(第一) アマテラス ス:男 スの御統 事前、ア、男 ×
日本書紀第六段一書(第二) スサノヲ ス:男 アの剣 事前、ス、男 ?(結末は省略)
日本書紀第六段一書(第三) アマテラス ス:男 スの統の瓊 事前、ア、男 ○、アマテラスが男ならば日神の子とすると予め誓約
日本書紀第七段一書(第三) スサノヲ ス:男 スの統の瓊 事前、ス、男 ○、スサノヲが男ならば天上を治めさせてほしいと予め誓い
古語拾遺 - スの曲玉

『古事記』ではアマテラスは、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神はスサノヲの物から生まれたから彼の子だと宣言した。建速須佐之男命は自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、天照大御神は彼を許した[8]。『古事記』と『日本書紀』第六段本文には、アマテラスが「モノザネ」を主張して男神を自身の子とするなど共通点が多いが、『古事記』では事前の勝利基準提示がなく、アマテラスがモノザネを主張した後でさらにスサノヲが「女=勝ち」という基準を突然提示することで勝利を収めている点に特徴がある[9]。『日本書紀』において「男=勝ち」という基準が共通していることからすれば、『古事記』における二神の基準も「男=勝ち」というものだったはずであり、だからこそアマテラスは事後に「モノザネ」を主張し互いの子を逆転させたのだと理解できる。だがスサノヲは事前に基準が提示されていなかったことを利用し、基準を逆転させ「女=勝ち」として勝利してしまったのである[10]

『日本書紀』第一と第三の一書では男神なら勝ちとし、物実を交換せずに子を生んでいる。すなわち、アマテラスは十拳剣から女神を生み、スサノヲは自分の勾玉から男神を生んで彼が勝ったとする(第三の一書で、スサノヲは六柱の男神を生んでいる)。第二の一書では、男神なら勝ちとしている他は『古事記』と同じだが、どちらをどちらの子としたかは記載がない。『古事記』と同様に物実の持ち主の子とするならば天照大神の勝ちとなる。

なお、『古事記』でスサノヲが勝ったとされる一方で、創造された子神の数はスサノヲが3柱であるのに対してアマテラスは5柱であった。

また、日本全国にある天真名井神社、八王子神社などでは、宗像三女神と、王子五柱の男神を五男三女神として祀る。

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ https://www.awanavi.jp/archives/topics/69263 邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を...