【 千姫 は キリシタンだった ?! 】


● [ 全国かくれキリシタン研究会 会報 ]
大会30回記念号 ( 第28号 )
━━ が、発行されました。
10本の研究発表 ・ 第30回 京都大会報告 など、貴重な内容になっています。
・ 千姫は キリシタンと証明、川島恂二氏が見た骨壺内部など
( 飯島 進 )
・ ジョアン ・ ロドリゲス ・ ツヅによる 茶の湯報告
( スムットニー祐美 )
・ 「 筝曲六段 」 と 「 琉球筝曲 六段菅撹 」 の同一性について
( 髙田重孝 )
・・・・・・・
※ 申し込み希望される方は、
TEL. 093 - 961 - 3715 安東会長まで
1冊 1, 500円 + 郵送料です。

千姫 ( 弘経寺 ・ 蔵 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%A7%AB
「 千姫はキリシタンと証明 ・ 川島恂二氏が見た骨壺内部など 」
( 飯島 進 )
● 「 千姫 」 というのは、徳川家康の孫であり、徳川秀忠と江 ( ごう )
の長女ですが、7歳で、豊臣秀頼と 政略結婚をさせられ、
豊臣家滅亡後は、桑名藩主の嫡男の 本多忠刻と結婚 ( 19歳 )。
その後、本多家が 姫路に移封となりましたので、姫路城での生活となりました。
1626年 ( 29歳 ) に、夫 ・ 忠刻や 母 ・ 江が 続いて亡くなり、
江戸城での生活となりました。
1666年、69歳で亡くなり、
墓所は、東京 ・ 小石川の 伝通院と、茨城県常総市の 弘経寺に
あります。
● “ 千姫は キリシタンだったのではないか ” ━━ と話題になりましたのは、
千姫関係の場所に、キリスト教の痕跡が 多く見られるからです。
① 伝通院 ・ 千姫墓石の戒名
「 天樹院殿 栄誉源法松山 大禅定尼 」 の 「 禅 」 の部分に
十字架が 彫り込まれています。

② 弘経寺の 千姫墓石の戒名
「 天樹院殿 榮譽源法 松山大姉 」 の 「 木 」 の部分8か所に、
△形の下に ♰ や 縦棒が刻まれています。
△ は、 “ 三位一体 ” を現わしているかのようです。

③ 姫路城の 「 に の門櫓の屋根 」 には、 “ 十字紋瓦 ” があります。

● 以上の状況だけでは、 “ 千姫は キリシタンだった ” とは 言えないかもしれませんが、
1997年、弘経寺の 千姫墓石が、傾いて、骨壺が見えて 姿を現した時に、住職から、
“ かくれキリシタンのことを よく研究されていた ” 川島恂二さんに
連絡があり、骨壺を 見せていただきました。
壺を開けてみますと、頭蓋骨が見え、その下に、[ 銀の匙 ] が入って
いました。 ( 7 ~ 8cm )


その後、調べてみますと、この 銀の匙 ( さじ ・ スプーン ) が、
カトリック教会で ミサをあげる時に使われるものと 同じ物だという
ことが わかりました。
現在のミサでは 使われてはいませんが、
[ 第2バチカン公会議 ] 以前のミサで、使われていたようです。
千姫の骨壺の、頭蓋骨の下に置かれていた、
神父が ミサで使う “ 銀の匙 ”
千姫がキリシタンであった 事を証明する、貴重な物と言えるかも
しれませんが、
千姫の墓石といい、骨壺といい、
千姫が 1666年に亡くなった後のものになります。
1666年 ( 寛文6年 ) と言えば、
江戸幕府による [ キリスト教禁教 ] が 過酷を極めていき、一人の
宣教師も いなくなってしまった状況でした。
“ 千姫は キリシタンだった ?! ”
※ くわしくは、飯島進さんの論文を、是非 ご覧になってください。


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