2026年7月24日金曜日

UFOと日本人(1):江戸時代に漂着した謎の美女と円盤型乗り物―「うつろ舟」伝説の謎を追って | nippon.com

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UFOと日本人(1):江戸時代に漂着した謎の美女と円盤型乗り物―「うつろ舟」伝説の謎を追って

享和3年(1803年)、常陸(ひたち)国(茨城県)の海岸に円盤のような乗り物が漂着し、その中から見慣れぬ服装の美女が箱を抱えて現れた。言葉は通じず、舟の中には謎の文字が書かれていた―江戸時代のさまざまな文書に記された「常陸国うつろ舟奇談」の背景には、実際に不思議な漂着事件があったのか。岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授は、長年「うつろ舟」研究に取り組んでいる。専門の光情報工学とはかけ離れた研究になぜ取り組むようになったのだろうか。

実態のあるミステリー

「もともとは1995年のオウム事件が発端です。教祖・麻原彰晃の予言や空中浮揚などで注目されたカルトの幹部メンバーは、理系のエリートたちでした。それで、大学で“超常現象”を科学的に考察させるための講義を始めることになり、教材としてアメリカのUFO情報や日本の伝承など、さまざまな資料を集め始めました。その過程で出会ったのが『うつろ舟』伝説です」と田中氏は言う。「米国でUFO伝説が生まれるはるか前、江戸時代の日本の文書に描かれた乗り物が、なぜか空飛ぶ円盤に似ている。これは面白いと思いました」

UFOが初めて注目されたのは、1947年6月24日、米国人実業家ケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を目撃したとメディアが報じた「アーノルド事件」だ。その後、世界各地で目撃情報が相次ぐ。中でも、47年7月、ニューメキシコ州ロズウェル近郊にUFOが墜落したとされる「ロズウェル事件」が有名だ。「でも、結局回収されたといわれるUFOの残骸も、宇宙人の死体も見つかっていない。目撃者の曖昧な証言があるだけです。同様に、世界中のUFO情報は全て“実態のないミステリー”です。ところが、『うつろ舟』伝説は、いくつもの古文書を手掛かりに調査できるという意味で、研究者にとって“実態のあるミステリー”なんです」

甲賀忍者が記した具体的な漂着地

江戸時代には、全国各地に似たような「うつろ舟」(「うつぼ舟」とも呼ばれる)伝承があった。田中氏が研究対象としているのは、1803年 (日付は資料によって異なる)、常陸国の浜辺で起きたと記し、美女と奇妙な乗り物の絵図が描かれたいくつもの古文書だ。中でも『南総里見八犬伝』の作者、曲亭馬琴が文人サークル「兎園(とえん)会」で集めた風変りなうわさ話を記録した『兎園小説』(1825年)や長橋亦次郎(またじろう)による『梅の塵(ちり)』(1844年)が早くから知られていた。その他『鶯宿(おうしゅく)雑記』『弘賢(ひろかた)随筆』、日本に漂着した異国船や国外へ漂流した日本人の記事などを記録した『漂流記集』などがある。

最初はロシアの捕鯨船の海難事故が脚色されて伝わったのではないかと仮説を立てていたが、該当しそうな海難事故を記録した公文書は見つからない一方で、次から次に新しい資料が見つかり、さまざまな背景を探ることにのめり込んでいった。これまでに常陸国うつろ舟伝説の関連文書は11種類見つかっているが、その中に特に興味深い仮説に結び付く二つの文書がある。ともに事件が起きた1803年の記録だとされている。

松平定信の家臣だった駒井乗邨(のりむら)の『鶯宿雑記』(1815年ごろ)から(国会図書館蔵)
松平定信の家臣だった駒井乗邨(のりむら)の『鶯宿雑記』(1815年ごろ)から(国会図書館蔵)

幕臣で能書家でもあった屋代弘賢(やしろ・ひろかた)の『弘賢随筆』(1825年)から。弘賢は兎園会のメンバー(国立公文書館蔵)
幕臣で能書家でもあった屋代弘賢(やしろ・ひろかた)の『弘賢随筆』(1825年)から。弘賢は兎園会のメンバー(国立公文書館蔵)

一つは、茨城県水戸市在住の古文書収集家が所有する「水戸文書」だ。田中氏は絵図の女性の衣服が、茨城県神栖(かみす)市の養蚕信仰の寺、星福(しょうふく)寺の蚕霊(さんれい)尊の衣服に似ていることに気付いた。もともと茨城県には養蚕の誕生にまつわる「金色姫伝説」があり、星福寺の仏像も金色姫をモチーフにしている。天竺(てんじく=インド)から繭の形をした丸木舟に乗った姫が常陸国に漂着し、面倒を見てくれた地元の夫婦への恩返しに、養蚕の技術を授けて昇天したという言い伝えだ。これまでに見つかっている11種の文書に描かれた女性の衣服には違いがあり、金色姫との関連を強くうかがわせる描写は「水戸文書」のみだという。鹿島灘でうつろ舟のうわさが出た時に、当時の星福寺の人たちが寺のプロモーションに利用した可能性があると、田中氏は考えている。

もう一つさらに重要なのは、甲賀流忍術を受け継ぐ忍術研究家・武術家、川上仁一氏が保有する「伴家(ばんけ)文書」だ。他の文書では漂着現場を「小笠原越中守(えっちゅうのかみ)の知行所」として、「はらやどり」浜など、特定できない地名を記しているが、同文書では「常陸原舎り濱(ひたちはら・しゃりはま)」という実在の地名が記されていた。伊能忠敬が1801年に測量し作成した地図、「伊能図」に記載された地名で、現在の茨城県神栖(かみす)市波崎舎利浜(はさき・しゃりはま)にあたる。「他の文書には矛盾があって、そもそも小笠原越中守の領地は鹿島灘周辺にはありません。ところが、『伴家文書』には小笠原の名前はない代わりに、実在の地名が載っている。川上先生に聞くと、伴家(甲賀忍者)が仕えた尾張藩主の参勤交代のために情報収集をしていたのではないか、という見立てでした。それならうそは書けませんから、文書の信ぴょう性は高いと言えます」

Scientists Compared Ancient Japanese DNA To Every Asian Civilization — T... https://youtu.be/Zye4YpKmY_o?si=P5Hft3TSXONgXRzd

2026年7月19日日曜日

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

邪馬台国は阿波だった!? 卑弥呼にまつわる徳島の地を巡る旅

子どもの頃、歴史の授業で誰もが習った『邪馬台国』。弥生時代の日本に存在したといわれる国で、邪馬台国の女王・卑弥呼はあまりにも有名です。日本人であれば誰もが知っている邪馬台国ですが、実はその国が日本のどこにあったのかは、江戸時代から議論が行われてきました。こうしたなか、「邪馬台国は阿波(徳島県)だった」という考察が脚光を浴びています。
そんなわけで、歴史ファンの間で大注目の徳島。そんな徳島の邪馬台国にまつわる場所を巡る3日間のツアーが開催されていたので、参加してきましたよ!

忌部神社でいただく阿波の献上料理

徳島市二軒屋町にある『忌部神社』。歴史ファンであれば『忌部(いんべ)』という名は聞いたことがあると思いますが、忌部氏は古くから朝廷の祭祀を担当してきた氏族です。そして、天皇即位の際の大嘗祭(だいじょうさい、おおなめまつり)で備えられる麻の織物『麁服(あらたえ)』を作るのが、阿波忌部の役割となっています。かつての大嘗祭では、吉野川市にある忌部神社で麁服が織られ、徳島市の忌部神社の宮司が斎主となって神事が行われました。

今回のツアーでは、そんな忌部神社でお参りをした後に、かつての大嘗祭で天皇に献上したとされる『阿波の献上料理』をいただきました。詳細なレシピは残っていないため、当時の食材から献立を予想して作った料理ですが、忌部神社でいただくと古の大嘗祭に思いを馳せることができます。

阿波の卑弥呼伝説が眠る場所

今回のツアーの2日目と3日目は、古代阿波の面影を感じられる様々な場所を巡りましたが、当記事ではその中から邪馬台国と卑弥呼にまつわるスポットを3つご紹介します。

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)

卑弥呼を語る説の中には、天照大神(あまてらすおおみかみ)と卑弥呼は同一人物だという説もあります。そして、徳島市から車で45分ほどの神山町にある『上一宮大粟神社』は、天照大神が須佐之男(スサノオ)との戦いで一時撤退した場所だといわれているのです。つまり、それが正しいならば、上一宮大粟神社は戦いに傷ついた卑弥呼が心身を癒しにやってきた場所ということ。歴史ファンにとっては、かなりのパワースポットということになりますね!

所在地:徳島県名西郡神山町神領西上角330

大御和神社(おおみわじんじゃ)

2箇所目は徳島市国府町にある『大御和神社』です。その御神紋は「鍵」でり、こくじと国家の鍵を守護したと伝わっています。このことから、古代では徳島の地が日本の中心であったと考えられ、日本最古の国とされる邪馬台国も徳島にあったのではないかと言われているのです。

所在地:徳島県徳島市国府町府中644
https://oomiwa-jinjya.jp/

天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)

3箇所目は阿波の卑弥呼伝説の大本命といえる場所です。それが、大御和神社と同じ徳島市国府町にある『天石門別八倉比売神社』。こちらの御祭神は大日霊女命(おおひるめのみこと)別名天照大神であり、『卑弥呼=天照大神』説が正しければ、卑弥呼が祀られた神社ということになります。そもそも、天石門別八倉比売神社がある国府町の『国府』とは国の行政府のことであり、このこともかつてこの地が日本の中心であったことを示しているといえるかもしれません。
また、天石門別八倉比売神社は阿波史跡公園の中にあり、周辺には約200もの古墳が存在しています。天石門別八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部に社殿があり、後部は奥の院となっています。その奥の院には石積みの祭壇が置かれていて、一説によるとその祭壇こそが卑弥呼の墓だとされているのです。そのことから、阿波の地がかつての邪馬台国だったのではないかといわれています。

所在地:徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531

卑弥呼サミット vol.4

なお、ツアーの初日には、「邪馬台国は阿波だった」と地域を盛り上げているイベント『卑弥呼サミット』が行われました。今回で4回目の開催となる当イベントでは、都市伝説界のレジェンド・山口敏太郎さんなどをゲストに迎え、講演やパネルディスカッションで阿波の卑弥呼伝説について議論を行っていました。

様々な情報や史実を提示していただき、徳島県には古代から文明があり、邪馬台国があったかもしれないと感じることができる、興味深い内容でした。
※詳しく知りたい方はYouTubeチャンネル『邪馬台国は阿波だった!』をチェックしてみてください。

今回のツアーは旅行代理店などの現地視察を目的としたツアーだったわけですが、今後、一般の方が参加できる阿波の歴史ツアーも増えていくと思います。今後開催されるツアーに参加したり、今回紹介したスポットをぜひ自分の足でまわってみてください。きっと、はるか昔の女王からパワーを貰えるはず。

~そのほかにも・・・~

〇立岩神社(徳島県名西郡神山町鬼籠野元山746)

なぜロシアは戦争が下手なのか?指導者が全員「戦争ヘタ」な理由 督戦隊

2026年7月16日木曜日

食前食後の和歌 江戸時代の国学者である本居宣長の詠んだ和歌。 ☆いたただきます 「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の めぐみえてこそ」 歌意 「食物や草木の恵みは神様のおかげです。」 ☆ごちそうさま 「朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」 歌意 「朝夕食事を頂くときは神様に感謝しましょう。」

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉 | 大稲荷神社「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」 「朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを 思へ世の人」 本居宣長と『玉鉾百首』

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉 | 大稲荷神社

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉

2025年08月21日

いただきます、ごちそうさまの本来の言葉

食事の前に — 「いただきます」の意味

日本では食事の前に「いただきます」と言います。この言葉には、単なる挨拶以上の深い意味が込められています。

神社の伝統では、食前に「食前感謝詞(しょくぜんかんしゃのことば)」を唱える習わしがあります。

まず、先導役が「静座、一拝一拍手」と告げ、全員で一拝一拍手をします。次に、先導役が節をつけて「たなつもの」と唱え、それを合図に全員で和歌を詠みます。

「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」

そして一同で「いただきます」と唱え、食事を始めます。

この和歌では、五穀やあらゆる作物は、天照大御神の御恵みによって育まれるものであり、人の力だけで得られるものではありません。だからこそ、毎日の食事のたびに神の恵みを思い起こすことが大切だと説いています。

食事の後に — 「ごちそうさま」の意味

食後には「ごちそうさま」と言います。この言葉も、単に食べ終わった合図ではなく、食べ物と恵みに感謝する祈りの言葉です。

伝統的には「食後感謝詞(しょくごかんしゃのことば)」が唱えられます。

先導役が「端座、一拝一拍手」と告げて一同で礼をし、先導役が「朝よいに」と節をつけて唱えます。これを合図に、全員で和歌を詠みます。


「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す 日の大神の めぐみえてこそ」


「朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを 思へ世の人」


本居宣長と『玉鉾百首』


その後、全員で「ごちそうさまでした」と声を揃え、食事を終えます。

この和歌には、食事のたびに、食物を司る豊受大御神の御恵みに感謝しなさい、という意味が込められています。

本居宣長と『玉鉾百首』

ここで詠まれる二首の和歌は、江戸時代の国学者・本居宣長が著した短歌集『玉鉾百首(たまぼこひゃくしゅ)』に収められたものです。

今日でも神社関係の研修会では、食事の際にこの作法が守られており、食事を前に「いただきます」、食事を終えて「ごちそうさま」と感謝を捧げる伝統が受け継がれています。

感謝の心を受け継ぐために

現代は一年を通して食材が手に入る便利な時代ですが、食べ物は決して人間の力だけで生まれるものではありません。自然の恵み、神の加護、多くの人々の労によって私たちの食卓は成り立っています。

「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、そうした恵みへの感謝を表す大切な言葉です。和歌を唱えるかどうかにかかわらず、感謝の心を忘れずに食事をいただくことこそ、先人から受け継ぐべき精神なのです。

UFOと日本人(1):江戸時代に漂着した謎の美女と円盤型乗り物―「うつろ舟」伝説の謎を追って | nippon.com

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