2026年7月15日水曜日

イザナギ イザナミ

 伊邪那美尊が高越山に葬られ、伊邪那岐尊が会いに行き、黄泉比良坂から逃げる話になっていますが、高越山から黄泉比良坂にどうやって来るかが疑問でした。日本書記の異伝で高根の芝小屋で伊邪那美尊と伊邪那岐尊お会いして問答をし、合意の上、伊邪那岐尊が黄泉比良坂にお入りになり、高越山から芝小屋まで尾根道で来られることが判明しました。黄泉比良坂の出来事は阿波ヤマト財団の設立記念パーティーで阿波古事記研究会より配布された三村副会長著の小冊子に詳しいので参照頂きたい。#黄泉比良坂

https://x.com/kamiyamafudoki/status/1789225241895637204?s=61



アマテラスとスサノオの誓約 - Wikipedia

アマテラスとスサノオの誓約 - Wikipedia

アマテラスとスサノオの誓約

第七段一書(第三)

素戔嗚尊は自身の田が悪田だったため、姉の田の畔を壊したり溝を埋めたりする乱暴を働いたが、姉の日神は素戔嗚尊を咎めることなく、天石窟(あまのいはや)に籠もってしまった。

天児屋命らの働きにより日神は外に戻ったが、諸神は素戔嗚尊を責めた。素戔嗚尊は底根之国(そこつねのくに)に追放されることになったが、「どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と天に戻って来た。天鈿女命がこれを見て日神に報告した。

日神は「弟が来た理由は良い心によってではあるまい。きっと我が国を奪おうというのだ。」と言って武装した。素戔嗚尊は誓(うけ)ひて「私が善からぬことを思って戻って来たのならば、私が今珠を囓んで生む子は必ず女であろう。そうしたら、女子を葦原中国に降してほしい。もし清い心があれば、必ず男を生むであろう。そうしたら、男子に天上を治めさせてほしい。また姉上の生む子も、この誓(うけひ)と同じとしよう。」と言った。

先に日神は十握劒を囓み、云云(しかしかいふ、省略の意)。

続いて素戔嗚尊はぐるぐると回しながら、その髻に巻いていた五百箇御統之瓊(いほつのみすまるのたま)の緒を解き、玉の音を揺り鳴らしながら天渟名井の水で濯ぎ浮かべた。その玉の端を噛んで以下の六柱の男神を生んだ。

  • 左の髻に巻いていた玉を噛んで、左の手のひらに置く:正哉吾勝勝速日天忍穂根尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほねのみこと)
  • 右の玉を噛んで、右の手のひらに置く:天穂日命(あまのほひのみこと)
  • 次に:天津彦根命(あまつひこねのみこと)
  • 次に:活目津彦根命(いくめつひこねのみこと)
  • 次に:速日命(ひのはやひのみこと)
  • 次に:熊野大角命(くまののおほくまのみこと)

素戔嗚尊は「私は本当に清き心をもって戻って来たのです。既に姉上にお会いする目的は済んだので、根国へ参ります。私が清き心を以て生んだ子を、姉上に奉ります。」と言って降っていった。[6]

解説

文献 うけいの提案者 結果 モノザネ 勝利基準、宣言者 男神をアマテラスのものとしたか、理由
古事記 スサノヲ ス:男 アの珠 事後、ス、女 ○、アマテラスがモノザネ主張
日本書紀第六段本文 スサノヲ ス:男 アの御統 事前、ス、男 ○、アマテラスがモノザネ主張
日本書紀第六段一書(第一) アマテラス ス:男 スの御統 事前、ア、男 ×
日本書紀第六段一書(第二) スサノヲ ス:男 アの剣 事前、ス、男 ?(結末は省略)
日本書紀第六段一書(第三) アマテラス ス:男 スの統の瓊 事前、ア、男 ○、アマテラスが男ならば日神の子とすると予め誓約
日本書紀第七段一書(第三) スサノヲ ス:男 スの統の瓊 事前、ス、男 ○、スサノヲが男ならば天上を治めさせてほしいと予め誓い
古語拾遺 - スの曲玉

『古事記』ではアマテラスは、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取り、先に生まれた女神はスサノヲの物から生まれたから彼の子だと宣言した。建速須佐之男命は自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったといい、天照大御神は彼を許した[8]。『古事記』と『日本書紀』第六段本文には、アマテラスが「モノザネ」を主張して男神を自身の子とするなど共通点が多いが、『古事記』では事前の勝利基準提示がなく、アマテラスがモノザネを主張した後でさらにスサノヲが「女=勝ち」という基準を突然提示することで勝利を収めている点に特徴がある[9]。『日本書紀』において「男=勝ち」という基準が共通していることからすれば、『古事記』における二神の基準も「男=勝ち」というものだったはずであり、だからこそアマテラスは事後に「モノザネ」を主張し互いの子を逆転させたのだと理解できる。だがスサノヲは事前に基準が提示されていなかったことを利用し、基準を逆転させ「女=勝ち」として勝利してしまったのである[10]

『日本書紀』第一と第三の一書では男神なら勝ちとし、物実を交換せずに子を生んでいる。すなわち、アマテラスは十拳剣から女神を生み、スサノヲは自分の勾玉から男神を生んで彼が勝ったとする(第三の一書で、スサノヲは六柱の男神を生んでいる)。第二の一書では、男神なら勝ちとしている他は『古事記』と同じだが、どちらをどちらの子としたかは記載がない。『古事記』と同様に物実の持ち主の子とするならば天照大神の勝ちとなる。

なお、『古事記』でスサノヲが勝ったとされる一方で、創造された子神の数はスサノヲが3柱であるのに対してアマテラスは5柱であった。

また、日本全国にある天真名井神社、八王子神社などでは、宗像三女神と、王子五柱の男神を五男三女神として祀る。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ③三貴神「スサノオ」「アマテラス」「ツキヨミ」と阿波の関係


https://awawa.app/pages/article_detail.php?report_no=9098&app_no=51&tab_no=0

恋塚建生氏の説/古事記には、スサノウ・アマテラス・ツキヨミが、阿波・徳島に居たと書いてある


前回のテーマの時にも触れたが、古事記は漢字の共通性(注1)から固有名詞等を導き出すように書かれていて、その物語の場所がどこか?ある程度わかるようになっている。また、作者である太安万侶は、下記①②③のキーワードを古事記に書くことにより、『古事記の舞台は阿波である』ことを、間接的に述べている。その3つのキーワードとは・・。

①オオゲツヒメの論理・・オオゲツヒメの論理とは。オオゲツヒメは『阿波の神様』であると古事記に書かれている。オオゲツヒメはスサノウに殺されるので、スサノウは阿波に居たということになる。スサノウとアマテラスは弟と姉の関係で、誓約により接触もあるので、アマテラスも阿波に居たことになる。スサノウ、アマテラスの両親はイザナギ、イザナミなので、もちろんイザナギ、イザナミも阿波に居たことになる。すなわち、古事記上巻の物語は、阿波・徳島であると言える。キーワードの②③については、文章が長くなるので、機会があれば後の課題の時に書きたいと思う。

以上のことから、間違いなく古事記上巻の舞台は阿波であることがわかるが、問題なのは三貴神の神話の舞台が、阿波のどこであるか、説明できなければいけないことだ。しかし、前に述べたような古事記の読み解きの方法論を使えば、徳島県人にはその場所を容易に理解できるはずである。まずは『スサノウ』スサノウは「根之堅洲國」に居たと古事記に記述されていて、後のオオクニヌシと鼠(ねずみ)が登場する。鼠は北を表すので、根(子・ね)之=北の、堅=方、洲國=州の国であり。「北方の洲の国」「きたがたのすのくに」と言う意味になり、現在の吉野川平野における、徳島市(沖の洲、中州、出来島他)北島町、松茂町、鳴門市の古代の地形を表している。

また阿波の北方・南方という呼び名は、現在も使用している呼び名でもあるので、県民の方には納得できるはずである。すなわち・・ スサノウ「須佐之男」とは古事記神話的には、上記の地域を治めた男神という意味である。つぎに『アマテラス』。アマテラスは古事記の記述が「天照大御神」であるので簡単に説明できる。天=(そら)であり、剣山系沿いの地域『ソラ』木屋平、一宇、つるぎ、美郷、神山、佐那河内をさす。照=女性、(イザナギの左目から生まれた。目とは女(め)オオヒルメの(め)、御神=治める神、すなわち高天原(ソラの地域)を治める女神となる。

最後に『ツキヨミ』。ツキヨミは、橘12神マップ【禊払いの神々】(注2)にも記載しているとおり、三貴神をはじめ禊払いの神々は、橘湾の小戸で生まれたことになっているが、三貴神のなかで、ツキヨミだけが後の古事記神話の逸話がなく、不思議な神様でもある。しかし、これも阿波・徳島の地名と場所がわかると、その理由もはっきりしてくる。その地名と場所とは・・・橘湾のすぐそこ、 阿南市新野町月夜である。 月=女神(イザナギの右目から生まれた、目とは女(め)、月讀=月齢を読む。すなわち、暦を作り農作業などに応用して国を治めている女神と言う意味・・ ツキヨミは新野町月夜に今もいる。(注3)

((注1)序文に記述されているが、古事記は音・訓が混ざっていて、同音異字・同訓異字などから、文字が変化する。(例)高志→崇 または比喩などで表現している 。
(注2) 橘12神マップ【禊払いの神々】 平成28年2月29日発行。 
(注3)阿南市新野町月夜 『月夜御水庵・大師』跡 写真 *ツキヨミ庵と読める *屋根にあった寺紋は三日月。

2026年7月14日火曜日

2026年7月12日日曜日

四大文字世界から五大文字圏へ。 (参照:鈴木董『文字世界で読む文明論』講談社現代新書、P16)

 https://x.com/honnoinosisi555/status/2076286688499032303?s=61


こういう図は眺めているだけで、心躍る。


四大文字世界から五大文字圏へ。

(参照:鈴木董『文字世界で読む文明論』講談社現代新書、P16)


「楔形文字の場合は、死文字となり子孫を残さなかったのに対し、ヒエログリフは、シナイ半島でごく簡略化されたシナイ文字となり、これが表意文字としてではなく表音文字として、セム系のフェニキア人に受容されてフェニキア文字となった」(『文字世界で読む文明論』P61)


2026年7月11日土曜日

長宗我部元親書状(ちょうそかべ もとちか しょじょう):徳島市公式ウェブサイト

長宗我部元親書状(ちょうそかべ もとちか しょじょう):徳島市公式ウェブサイト

長宗我部元親書状(ちょうそかべ もとちか しょじょう)

更新日:2019年5月29日

 四国出兵の後、長宗我部元親から蜂須賀正勝に送られた書状。文中において元親は、秀吉の赦免が得られたことについて、正勝の取りなしによるものと丁重な謝辞を述べる。また、秀次から使者があったことについても触れられ、この書状の伝達役も秀次家臣の白江定成となっているため、秀次に対しても正勝による口利きがあったことがうかがい知れる。そして元親は、今後においてより一層の「指南」を、正勝に望んでいるのである。四国に覇を唱えた大名が平身低頭して懇願するほどに、「秀吉の片腕」としての正勝の影響力は絶大なものがあったのだろう。

イザナギ イザナミ

 伊邪那美尊が高越山に葬られ、伊邪那岐尊が会いに行き、黄泉比良坂から逃げる話になっていますが、高越山から黄泉比良坂にどうやって来るかが疑問でした。日本書記の異伝で高根の芝小屋で伊邪那美尊と伊邪那岐尊お会いして問答をし、合意の上、伊邪那岐尊が黄泉比良坂にお入りになり、高越山から芝小...