2026年3月11日水曜日

AlzhackerさんによるXでのポスト

 
 
Alzhacker
⁦‪@Alzhacker‬⁩
🏛️終末の衝突——三つの黙示録が中東で激突する時
—アレクサンドル・ドゥーギン

現代中東の戦火は、もはや領土や資源をめぐる世俗的な争いではない。それは、三つの終末論が互いに激突する聖戦(クルセード)であり、ジハードであり、そして世界の終わりを告げる最終戦争でもある。
 
2026/03/11 12:16
 
 
🏛️終末の衝突——三つの黙示録が中東で激突する時
—アレクサンドル・ドゥーギン

現代中東の戦火は、もはや領土や資源をめぐる世俗的な争いではない。それは、三つの終末論が互いに激突する聖戦(クルセード)であり、ジハードであり、そして世界の終わりを告げる最終戦争でもある。 イランとイスラエルの衝突は、その深層において、それぞれが信じる「最後の時」の解釈が武力衝突にまで昇華した現象だ。

➢アマレク討伐——ネタニヤフの聖戦

ベンヤミン・ネタニヤフが繰り返し口にする「アマレク」という言葉は、多くの西洋人の耳には旧約聖書の古い物語に過ぎない。しかし彼にとって、それは極めて現実的な政治的・軍事的標的だ。

アマレクとは、エジプト脱出後のイスラエル民族を後方から襲撃した敵であり、神は「アマレクの記憶を天地の下から完全に消し去れ」と命じたとされる(申命記25章)。さらに重要なのは、サウエル王がアマレク討伐を命じられながら、最良の家畜とアガグ王を生かしておいたために王位を剥奪されたという物語だ。これは「徹底殲滅」を神が求めるという宗教的枠組みを提供している。

ネタニヤフは、ハマスとの戦いにおいても「アマレク」という言葉を用いた。今、その対象はイランに拡大された。彼の連立政権には、極端な宗教シオニストが参加している。ベングビールやスモトリッチのような閣僚は、神殿山でのユダヤ人礼拝を主張し、最終的には第三神殿の建設を目指す。彼らにとって、現在の戦争はメシア到来の前提条件なのである。

ユダヤ教の伝統では、メシアの到来前にイスラエルは「約束の地」を完全に支配しなければならない。そのためには、内部の敵も外部の敵も一掃される必要がある。ネタニヤフ自身は必ずしも個人的に極端な宗教信者ではないかもしれない。しかし彼は、政治的生存のために、これらの終末論者たちと手を組み、彼らのレトリックを利用している。そして今や、そのレトリックが現実の政策となって、中東を焼き尽くしている。

➢ ラプチャー——ホワイトハウスの終末ゲーム

これと並行して、ワシントンでは別の終末論が権力の中枢に入り込んでいる。トランプ政権の国防長官ピート・ヘグセスをはじめとするキリスト教シオニストたちは、中東の戦火を熱狂的な目で見つめている。

彼らが信奉するのは「ディスペンセーション主義」と呼ばれるプロテスタントの終末論だ。これは19世紀にジョン・ネルソン・ダービーによって体系化され、その後『スコフィールド参考聖書』を通じてアメリカの福音派に広まった。その核心は次のようなものだ:

1. ユダヤ人がイスラエルに帰還し、国家を再建することは聖書預言の成就である
2. やがて反キリストが現れ、七年間の艱難時代が始まる
3. その前に、真のキリスト教徒は「携挙」によって天に引き上げられる
4. ハルマゲドンの戦いの後、キリストが再臨し、千年王国を樹立する

この終末シナリオにおいて、イスラエルは単なるアメリカの同盟国ではない。それは神の計画の中心的な舞台装置なのである。だからこそ、多くのアメリカ福音派は無条件でイスラエルを支援する。たとえイスラエル政府が非人道的な行為を行おうとも、それは「預言の成就」の一部として肯定的に捉えられる。

さらに危険なのは、この終末論が「艱難時代が早く来るほど、携挙も早く来る」という発想を生むことだ。つまり、中東の混乱と戦争は、自分たちの救済を早めるものとして歓迎されるのである。この心理が、ワシントンの中東政策に無意識のうちに影響を与えている可能性は否定できない。

ヘグセス国防長官は、キリスト教右派の集会で繰り返し「私たちは終わりの時に生きている」と語ってきた。そのような人物が、アメリカの核兵器のボタンに指をかけているのだ。

➢ 隠されたイマーム——イランが待つ者

このユダヤ教とキリスト教の終末論に対して、イランはシーア派イスラムの終末論をもって立ち向かう。

シーア派十二イマーム派の教義では、西暦874年に幼少のまま隠遁した第12代イマーム、ムハンマド・マフディーが「隠れ状態」にあり、終末の時に「マフディー」(導かれた者)として再臨すると信じられている。彼は世界を不正と抑圧から救い、正義を打ち立てる。

1979年のイラン革命は、単なる政治的革命ではなかった。アヤトラ・ホメイニは、マフディー再臨の前提条件として「イスラム政府」を樹立しようとした。ホメイニの後継者たちは、イラン自体をマフディー到来の準備段階と位置づけてきた。

そして今、イラン人は確信し始めている。自分たちがまさにその「終わりの時」に生きていると。その証拠として、彼らは見ている——世界で最も強力な国家(アメリカ)と、中東における非イスラム勢力(イスラエル)が団結して、イスラム共和制を破壊しようとしている。これは預言に登場する「ダッジャール」(反キリスト)の出現に他ならない。

預言的伝統において、ダッジャールは終末の直前に現れ、偽りの奇跡で人々を惑わし、世界支配を目指すとされる。彼はユダヤ人の支援を受けるとも言われる。イラン人の目には、トランプとネタニヤフの同盟はまさにダッジャールとその支援者の姿に映る。

クムの神学校で、高名なアヤトラ、アブドラ・ジャワディ・アモリは筆者にこう語った。「私たちは待機の文化に生きている」。それは単なる受動的な待機ではない。主体的に「終わりの時」に備えることだ。そして今、その時が来たとイラン人は信じる。攻撃で殺された子どもたちの映像が、毎日のようにテレビで流れる。それは彼らの信仰を確信に変える。

➢黙示録の衝突

これら三つの終末論が同時に活性化され、互いに激突するとき、そこには妥協の余地はない。

ユダヤ教終末論にとって、イランは抹殺すべき「アマレク」である。キリスト教終末論にとって、中東戦争は「携挙」への切符である。イスラム終末論にとって、アメリカとイスラエルは倒すべき「ダッジャール」である。

それぞれが互いを「悪」と見なし、自らを「善」と確信する。それぞれが歴史の最終章に自分たちが生きていると信じる。そしてそれぞれが、神の計画を成就させるために、躊躇なく戦う。

国際法も、国連も、外交も、こうした深層心理の前には無力である。なぜなら、終末論的信者は現世の法よりも神の法を優先するからだ。妥協は神への不忠誠と見なされるからだ。

かつて政治学者サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突」を論じた。しかし今、私たちが見ているのは「終末論の衝突」である。これは文明の衝突よりもはるかに根深く、はるかに危険だ。なぜなら、そこにはこの世のものではない絶対性が付与されているからだ。

ホルムズ海峡でタンカーが炎上し、テルアビブでサイレンが鳴り響き、テヘランで何百万人が「死ねアメリカ」と叫ぶとき、その背後では三つの黙示録が轟音をあげて激突している。そしてその衝突が、私たち全員を巻き込む最終戦争へと、世界を引きずり込もうとしている。

孔子の論語 衛霊公第十五の二十四 己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ | ちょんまげ英語日誌

孔子の論語 衛霊公第十五の二十四 己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ | ちょんまげ英語日誌
英訳文
Zi Gong asked, "Is there any words that I have to obey my whole life?" Confucius replied, "It is thoughtfulness. Do to others as you would be done by."
https://blog.mage8.com/rongo-15-24

孔子の論語 衛霊公第十五の二十四 己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ

孔子の論語の翻訳413回目、衛霊公第十五の二十四でござる。

漢文
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也。

書き下し文
子貢(しこう)問うて曰わく、一言にして以て終身(しゅうしん)これを行うべき者ありや。子曰わく、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことな勿(な)かれ。

英訳文
Zi Gong asked, "Is there any words that I have to obey my whole life?" Confucius replied, "It is thoughtfulness. Do to others as you would be done by."

現代語訳
子貢(しこう)が尋ねました、
「一生守り続けるべき、そんな言葉がありますか?」
孔子は、
「思いやりだな。自分がされて嫌な事を他人にしてはいけない。」
と答えられました。

Translated by へいはちろう

子貢(しこう:姓は端木、名は賜、字は子貢。詳細は公冶長第五の九に。)

顔淵第十二の二でも、「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」とおっしゃっているでござるな。

また公冶長第五の十二で子貢が自分から同じような事を言い出した時は、「お前には無理だ。」と一刀両断されておられるでござる。

衛霊公第十五の英訳をまとめて読みたい御仁は本サイトの論語 衛霊公第十五を英訳を見て下され。

長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は? | ハフポスト NEWS

長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は? | ハフポスト NEWS

長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は?

「原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべき」と市議会では保存を求めていた。長崎原爆の日に振り返る。

原爆で破壊された浦上天主堂(1945年9月撮影)
原爆で破壊された浦上天主堂(1945年9月撮影)

Bernard Hoffman via Getty Images

8月9日は「長崎原爆の日」。7万人以上が亡くなる結果となった長崎への原爆投下の日だ。平和祈念像が原爆の犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとなっているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内には存在していた。

それが爆心地からわずか500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。もし現存していれば世界遺産になっていたことが確実と言われている。

熱線と爆風で甚大な被害を受けたが、建物の一部が残っていた。しかし、終戦から13年後に解体撤去され、鉄筋コンクリートの建物に作り直された。一体、何があったのか。「幻の世界遺産」の謎を追った。

■浦上天主堂とは?

原爆投下前の浦上天主堂(永井隆著「浦上天主堂」より)
原爆投下前の浦上天主堂(永井隆著「浦上天主堂」より)

長崎市北部に位置する浦上地区は、戦国時代末期にイエズス会領になっていたこともあり、カトリックの信者が多い地域だった。その後、江戸幕府のキリシタン禁教令によって、4度に渡る「浦上崩れ」という激しい弾圧を受けるが、地元住民はキリスト教への信仰を捨てなかった。「潜伏キリシタン」として明治時代まで信徒が存続していた。

江戸末期から明治初期に起きた「浦上四番崩れ」が欧米から批判されたことを受けて、ようやく1873年に明治政府がキリスト教の信仰の自由を認めた。

釈放された浦上の信徒たちの間で、天主堂の機運が盛り上がった。1895年にフレノ師が設計、ラゲ師に引き継がれ、20年後の1914年に完成した

これが、石とれんが造りのロマネスク式大聖堂「浦上天主堂」だ。高さ25メートルの双塔の鐘楼を備え、「東洋一の大聖堂」と謳われるほどだった。

長崎市への原子爆弾投下に伴って発生したキノコ雲。

しかし、1945年8月9日午前11時2分、米軍が長崎市の上空に投下した原爆「ファットマン」によって、浦上天主堂は、一瞬にして崩壊。一部の外壁だけが残された。西田三郎、玉屋房吉の二人の神父と、奉仕作業をしていた信徒十数人が天主堂と運命をともにした

ドーム部分が倒壊した浦上天主堂(1946年1月撮影)
ドーム部分が倒壊した浦上天主堂(1946年1月撮影)

Galerie Bilderwelt via Getty Images

■市議会は保存決議をしていた

福間良明さんの著書「焦土の記憶」(新曜社)によると、原爆で倒壊した浦上天主堂はしばらく廃墟の状態だったが、被爆翌年の1946年末には木造平屋の仮聖堂が建築された。

解体前の浦上天主堂
解体前の浦上天主堂

Bettmann via Getty Images

1949年のザビエル祭までにはガレキも取り除かれ、正面右側と右側面の一部側壁のみが残された。だが、復員や引き揚げ、転入によって増加した5000人の信徒を収容するにはあまりにも狭かった。

そこで浦上天主堂の「カトリック浦上教会」は、1954年に「浦上天主堂再建委員会」を発足。長崎県を管轄する長崎司教区の山口愛次郎司教が1955年5月から翌年2月にかけて、募金のためにアメリカとカナダに訪問。その後、再建の具体策を固めて1958年2月に信者達に説明会を実施した。

天主堂の解体撤去が濃厚になったことに、長崎市議会からは「原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべき」などと反対意見が続出。2月18日の臨時議会で天主堂の保存を求める決議が全会一致で可決された。

しかし、市議会の要請も空しく、教会は同年3月から解体工事を実施した。被爆した浦上天主堂は解体撤去され、鉄筋コンクリート製の新しい天主堂が作られた。外壁の一部だけが爆心地公園に移築された。

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「原爆の廃墟は平和のためというより、無残な過去の思い出につながり過ぎる。憎悪をかきたてるだけのああいう建物は一日も早く取りこわした方がいい」

(週刊新潮 1958年5月19日号より)
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■背景にはアメリカ側の意向が?

再建された浦上天主堂(2018年撮影)
再建された浦上天主堂(2018年撮影)

leodaphne via Getty Images

 長崎市長の諮問機関である原爆資料保存委員会が1949年に発足した。この委員会は毎年9回に渡り「浦上天主堂を保存すべき」と答申を出していた。51年に当選した田川務市長も当初は、保存に前向きな素振りも見せていた。

しかし、長崎市は1955年にアメリカのセントポールと、日本と海外では初の姉妹都市提携をした。これを受けて訪米して以降、浦上天主堂の解体撤去に前向きとなった。以下は、田川市長の1958年2月の臨時議会での言葉だ。

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「私は卒直に申し上げます。原爆の悲惨さを物語る資料としては適切にあらずと。平和を守るために存置する必要はないとこれが私の考え方でございます。この見地に立ちまして、今日浦上天主堂が早く元の姿に復興して、信者の将来の心のよりどころとして再建したいというこの希望に対しましては、私としては全幅の支援をし一日も早くそうした教会堂が出来上がることをこい願っております」

(平和文化研究 第32集 「旧浦上天主堂被爆以降の存廃に関する公的な議論」より)

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田川市長や山口司教が原爆遺構の撤去に前向きだった背景に、アメリカからの働きかけがあったと見る人は多い。ジャーナリストの高瀬毅さんは以下のように書いている。

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遺構撤去に米国の「圧力」があったのではないか。そういう疑惑はいまも長崎市民の中にくすぶっている。決定的な記録は、これまでのところ見つかってないが、「撤去」せざるを得ない状況や時代背景が、あの時代に集中的に生まれていたことは確かだった。ソ連との間で熾烈な核開発競争を展開する米国にとって、原爆の傷跡を示す天主堂は、目障りだったことは十分に考えられる。

(週刊金曜日 2017年8月18日号より)

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■幻の世界遺産に…

広島市の「原爆ドーム」も保存か撤去かをめぐって議論が起きていた。「悲惨な思いがよみがえる」として取り壊す案もあったが,1966年に広島市議会は永久保存を決議。被爆から51年後の1996年には、世界遺産に指定された。人類史上初めて使用された核兵器による負の遺産として、平和を願うシンボルとしての価値が評価されたのだった。

被爆当時の浦上天主堂が現存していたら「確実に世界遺産になっていたのに……」と、悔やむ声は今も根強い。青森公立大学教授の横手一彦さんは次のように著書で書いている。

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天主堂は、被爆後の13年間、最も象徴的な被爆遺構であった。そして、半ば崩れ落ちた煉瓦壁や、鼻先や指先を爆風に吹き飛ばされ、熱線に傷ついた聖像たちは、あの瞬間の恐怖を、無言のうちに語り続けたに違いない。天主堂は、原爆の極限的な破壊をありのままに示した歴史遺産になったであろう。しかし、今となっては、それは幻の世界遺産なのである。

(「長崎 旧浦上天主堂 1945-58 ― 失われた被爆遺産」岩波書店)

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熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にある
熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にある

John S Lander via Getty Images

2018年6月30日、バーレーンで開かれた世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。長崎周辺でカトリック教徒が「潜伏キリシタン」として、数々の弾圧にも信仰を曲げずにいたことが評価されたのだ。

しかし、その中に「潜伏キリシタン」の象徴ともいえる浦上天主堂の名前はなかった。戦後に再建された鉄筋コンクリート製の建物ということで、候補から外されたからだった。

シュメールの生活botさんによるXでのポスト

 
 
シュメールの生活bot
⁦‪@enlil_anzu‬⁩
薬草と呪文を携えて:バビロニアにおける医師の姿
x.com/enlil_anzu/sta…
 
2026/03/11 18:08
 
 
バビロニアの治癒女神グラへの賛歌(紀元前1400年頃)には、次のような記述が見られる
『私は医者です。治療を行うことができます。
あらゆる薬草を携え、病を追い払い、
健康をもたらす呪文の入った革袋を身にまとい、
回復をもたらす呪文を持ち歩き、
人類に治療法を授けます。
私の清らかな包帯は傷を和らげ、
私の柔らかな包帯は病人を楽にします。』
この賛歌からは、医師が日々町中を医療用具と薬草を携えて歩き回り、人々に治療を施していた様子がうかがえる

ngjpadtwuuさんによるXでのポスト

 
 
ngjpadtwuu
⁦‪@ngjpadtwuu‬⁩
分かった事がある。

私は間違っていた。

つい近日まで、集合意識が外の事に対応する事で世界を変えられると思っていた。

ナグハマディ文書という物を見つけて、内容を把握した。

1945年にエジプトで見つかった13冊の写本だ。

初期のキリスト教と物質世界について書いてある。
 
2026/03/10 18:49
 
 
分かった事がある。

私は間違っていた。

つい近日まで、集合意識が外の事に対応する事で世界を変えられると思っていた。

ナグハマディ文書という物を見つけて、内容を把握した。

1945年にエジプトで見つかった13冊の写本だ。

初期のキリスト教と物質世界について書いてある。

これを見て確信した。

戦争やディープステートや人口削減計画などは
「物質世界に注意を向けておく為の陽動」だ。

彼らの目的は、

「人間が自分の内側に目を向ける事」

から気を逸らす事、それ自体だと分かった。

私はエプスタイン文章以降、物質世界で起こっている事を憂いて投稿を繰り返していた。

精神世界の事もそれなりに知っていたが、自分の内部の事と自分の外部の事は、どうしても切り離して考えていた。

自分の内面が現実世界に反映される体験が半々だから確信が持てなかった為だ。

だが今は一番重要なのは外の世界でなく、

「自分の内面」だと理解した。

ナグハマディ文書の中身を要約する。

高次元と低次元があり、
低次元である物質世界は牢獄である。

根源意識である至高神からソフィアという神聖な存在が生まれ、ソフィアは配偶者を介さずに何かを生み出そうとした結果、神性の欠如した醜い存在「デミウルゴス」を生み出した。

デミウルゴスは自分が唯一の神だと誤信し、彼はアルコンという存在を作り出し、不完全な物質世界と人間を造り出した。

アルコンは物質世界の管理者で、人間の霊的覚醒を妨げ、無知を維持する存在。

物質世界と人間の創造の過程で、ソフィアが持っていた高次の「光(霊)」が物質の中に混じり込み、人間の肉体に閉じ込められた。

人間の「グノーシス(覚醒)」は、この閉じ込められた光を元の光の世界へ帰還させるプロセス。

ナグハマディ文書というのはグノーシス主義の聖典だ。

「グノーシス」とはギリシャ語で
「知恵」や「認識」を意味する。

グノーシス主義というのは、「人間の内面にある霊的な覚醒」を通じて自己の本質や宇宙の真理を「直接知る」というものだ。

盲目的な信仰ではなく、自分が何者であるかを知るという「自己認識(グノーシス)」こそが、魂を解放する鍵であると考える。

これは仏教では「悟り」と呼ばれる。
それを体験することによって魂が解放される。

物質世界が牢獄とも言えるが、ナグハマディ文書を見て思うのは肉体そのものが牢獄ということだ。

グノーシス主義において、救いとは「罪を許されること」ではなく、「忘却からの目覚め」を指す。

人間は自分が光の世界から来たことを忘れ、この世のしがらみに囚われることが苦しみ(無知)の原因だという。

それを自分の内面を見つめることで「再発見」する。

グノーシス主義は初期キリスト教と密接に関わっていたが、後に正統派教会から「異端」として退けられた。

キリストのグノーシス的文書である『トマスによる福音書』がナグハマディ文書に含まれる。

これはキリストの言葉だけで構成されていて、自己の内なる神性を発見することに焦点を当てている。

救いは外部の教会や儀式にあるのではなく、自分自身の内側にある「光」に気づくことにあると説いている。

これはカトリック教会には都合の悪い文書だ。

長い歴史の中で異端視されてかき消された、キリストの教えの本質的部分だ。

人間の霊的覚醒を妨げるアルコンがいつキリスト教を乗っ取ったのかは分からないが、つまりキリストの教えはここに集約されているはずだ。

ずっとキリスト教だけ違和感があった。

必ず自己の神性について説いているはずなのにそれが強調されていない。だが、やはりそう説いていた。

やはりいわゆる悪魔という次元間の存在が私達に求めているものは、ただこの物質世界にとどまっておくように、霊的な覚醒を妨げ続けていたいということだけのようだ。どの方面から確認してもそうなった。

だから、私たちはただ、自分の内面を探索する必要がある。

つまり瞑想を行う。

デトックスし、体を動かし、自然に触れ、恐怖を乗り越え、物欲を制し、食欲を制し、性欲を制し、wifiを切って、電磁波を避ける。

あらゆる執着を手放し、最後に自分を手放す。

脳の中にある霊的覚醒のアンテナである松果体を覚醒させるためにできることを行う。

瞑想の方法は様々な本の中に書いてあるだろうから省略する。

人によっては二週間で悟り体験に至る人もいるという。
お釈迦様で6年かかったというけども、今はネットがあるしやり方についてはだいぶ研究が進んでいる。

「悟ろう」とすると悟れないジレンマがある。
「悟ろうとする自分」を手放さないといけない。

7つのチャクラを開通させ、正しい瞑想の姿勢をとり、正しい呼吸法を実践し、思考を観察する。

最後に思考を観察している主体を観察する感覚に注意を向けると、悟りが起こるという。

アーユルヴェーダなど詳しく見ていくと正しいやり方がわかってくるはず。

簡単じゃないだろうが、至った人は沢山いるようなので、難しすぎるというわけではなさそうだ。

多くの人が悟りに至ると、量子的につながっている私たち人間は連鎖的に悟りに至りやすくなると聞いた。

現実世界に生きながらにして、霊的に覚醒できるなら、恐れるものは何もないだろう。

エプスタイン文書は良いきっかけになった。

霊的な者たちが人間の霊的な覚醒を妨げているということを浮き彫りにしてくれた。

認識されると、それを解くのはとても簡単になる。
認識されてない時は幾千もの糸から世界を探すような作業になる。

無知のことを仏教で無明(むみょう)という。
これだけの事を認識していながらも、私はまだ無明の世界にいる。

でもすべきことは分かったし、もう間違えない。

True Man Show から最後のジムキャリーの言葉を借りて。

おはよう! それと、もし会えなかったら、こんにちは、こんばんは、おやすみ!

Good morning! And in case I don't see ya, good afternoon, good evening, and good night!

菊花紋 : 古代史探訪

菊花紋 : 古代史探訪

菊花紋

 皇室の16弁菊花紋は、後鳥羽上皇が執権北条義時追討の院宣を下した承久の乱(1221年)の時に用いて定着したとされている。後鳥羽上皇は菊の紋を自らの紋として、紋を入れた刀を出陣する武士に下賜して勝利を鼓舞した。
 しかし朝廷軍は幕府軍に敗れ、多くの皇族が配流(はいる)された。後鳥羽上皇は隠岐に流され1239年に当地で崩御、皇室の権威は大きく低下して鎌倉幕府の武家政治が確立することになる。

 菊花紋は後の天皇も採用し定着していったが、菊花紋の起源は後鳥羽上皇より遥かに古い。
 菊の紋の名前からすると日本独自の紋に感じるが、メソポタミアで世界最古の都市文明を築いたシュメールの王の紋で、古代オリエントの多くの王家で使用された。
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 そして「菊の紋」ではなく「太陽の紋」だと考えられる。神武天皇の東征の途中で兄の五瀬命が戦死した。神武天皇は「自分は日神(ひのかみ)の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは天道に逆らっている。太陽を負い、日神の威光をかりて敵に襲いかかるのがよいだろう。」と言った。オリエントの菊花紋の由来も太陽である。

 日本の神話には太陽(日)を名前に使っている例は多い。
 彦明命(天照御魂神)、饒速、天忍天照大神、天穂、天鷲、対馬の天神、天方奇方、天矛などがあり、名前の最後に「子」「女」は多くのマレビトに使われている。後に国名自体も本になった。

 イスラエルの首都エルサレムに神殿を築いたのは3,000年前のソロモン王だが、神殿は何度も侵略を受けては再建された。現在残されたヘロデ門に16菊花紋がくっきりと彫られている。
 神社とユダヤ教の幕屋の構造は共通性がよく云われている。
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 アッシリアのアッシュールバニパル2世(BC7世紀)の彫刻には手首のバンドに菊花紋が彫られている。(大英博物館蔵)

 アッシリアを滅ぼした新バビロニアの都バビロンの遺跡(メソポタミア、イラク)には、2,600年前にネブカドネザル2世が建設したイシュタル門があり、王族の菊花紋がきれいに描かれている。   
  復元されたイシュタル門の像、ライオンの下に菊花紋が描かれている。
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 エジプトにも菊花紋がある。3,300年前のツタンカーメン王墓から青銅器製菊花紋が出土。
 3,000年前のプセンネス1世の墓に納められていた金の皿はきれいなロータス(ハスの花)の形。ハスは太陽の出ている時間にだけ花が開くので太陽の象徴、創造と再生の象徴。
     ロータスの皿
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 菊の紋は人の往来と共に交易品の中にも紋に関わる商品があったと考えられる。オリエントから倭国にまで渡来したマレビトがいたのか・・・
 素戔嗚の先祖がオリエント(ペルシャのスーサ)から来たという説もありますがねぇ・・・
 菊花紋は後鳥羽上皇独自の紋でオリエンタルの紋とは偶然の一致という説まである。

 現在菊花紋を使用しているのは日本の皇室と一部の神社などである。菊花紋を基にして変形された菊水などの家紋は今も存在する。

 ユダヤ教のシナゴーグ(教会)の祭壇にも菊花紋とダビデの星が飾られている。
 伊勢神宮内宮に向かう道路両側に燈篭がたくさん並んでいるが、燈篭の上部には菊花紋、少し下にはカゴメ紋(ダビデの星)が彫られている。私も20年前に伊勢まで確認に行きました。
 神社のお神輿の形はユダヤの「契約の箱」とよく似ている。
 神社とユダヤ教の神官の正装もよく似ている。
                    *****

 9月23日(火)は秋分の日です。 2013年9月12日投稿の「春分と秋分の太陽信仰」をご参照ください。

2026年3月10日火曜日

藤木稟さんによるXでのポスト

 
 
藤木稟
⁦‪@fujiki_rin‬⁩
仏教が日本に伝わったのは6世紀半ばですが、神道と本格的に結びついたのは奈良時代です。

当時生まれたのが「神身離脱説」。
日本の神々もまた苦しみを抱え、仏の教えを求めているという考え方でした。

この発想から、神社の境内に寺を建てる「神宮寺」が各地に誕生します。
 
2026/03/11 7:45
 
 
仏教が日本に伝わったのは6世紀半ばですが、神道と本格的に結びついたのは奈良時代です。

当時生まれたのが「神身離脱説」。
日本の神々もまた苦しみを抱え、仏の教えを求めているという考え方でした。

この発想から、神社の境内に寺を建てる「神宮寺」が各地に誕生します。
宇佐八幡宮が東大寺の大仏建立を助けたという話は、その象徴的な例です。

しかし平安時代中期になると、関係は大きく変わります。

「本地垂迹説」という思想が広まり、
仏こそが本来の姿(本地)、
日本の神々は人々を救うために現れた仮の姿(垂迹)だと考えられるようになりました。

この理論によって、
天照大御神=大日如来
八幡神=阿弥陀如来
など、多くの神が仏や菩薩と結び付けられていきます。

神社の境内には仏像が置かれ、僧侶が神事を行うことも珍しくありませんでした。
宗教の理論的主導権は長い間、仏教側にあったのです。

この状況が大きく変わるのは1868年。

明治政府が出した「神仏分離令」により、神道と仏教は強制的に分けられます。
その結果、各地で廃仏毀釈が起こり、神宮寺の多くが廃止されました。

1300年以上続いた神仏習合の世界は、ここで大きく終わりを迎えます。

つまり日本の宗教史は、
「神と仏が混ざっていた時代」の方が、はるかに長いのです。

AlzhackerさんによるXでのポスト

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