2026年1月27日火曜日

キルギス共和国のこと – 一般社団法人 霞関会 太古、キルギス人と日本人は兄弟民族であったが、魚の好きな人々が東に去って日本人となり、肉の好きな我々は残った

キルギス共和国のこと – 一般社団法人 霞関会


在キルギス特命全権大使 山村 嘉宏

1.キルギス人とは

 キルギスというと、私には忘れがたい思い出がある。

 40年ほど前、モスクワで語学研修中であった私が知人の結婚披露宴に招かれたときのことである。私の隣に座った可憐な日本人女性に話しかけたのであるが、彼女は日本語を解しなかった。キルギス人だったのである。そのあと向かい合わせに座った日本人商社員の夫妻も、彼女を私の妻と勘違いした。それほどキルギス人と我々はよく似ている。

 私が2016年7月に当地に赴任して以来、あきれるほど頻繁に耳にする伝説によると、「太古、キルギス人と日本人は兄弟民族であったが、魚の好きな人々が東に去って日本人となり、肉の好きな我々は残った」。日本民族は、南方と大陸からそれぞれ移動してきた2つの塊をルーツとするようだが、一説では、大陸から来た集団の発祥の地はシベリアのバイカル湖周辺ということで、しかりとすれば、バイカル湖西岸で生まれたとされるキルギス民族と近しかったという説をあながち伝説とは決めつけられないかもしれない。キルギス人も我々同様、蒙古斑をもつ。

https://www.kasumigasekikai.or.jp/2018-12-20-3/

キルギス共和国のこと

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2026年1月26日月曜日

甲信越地方の山々に響く「伊那節」 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

甲信越地方の山々に響く「伊那節」 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

甲信越地方の山々に響く「伊那節」

祈りと祝福を唄う「あばよ」の囃子詞

伊那節の囃子詞「アバヨ」の意味は?

江戸時代、長野県の伊那地方で耕作されたお米を木曾に輸送する際、その道中で唄われたのが「御嶽山節」と呼ばれた民謡です。そして時が経つにつれて「御嶽山節」は伊那流の盆踊り唄として変化を遂げ、1908年頃には伊那節と呼ばれるようになりました。

伊那節では、「アバヨ」という囃子詞が唄われます。この掛け声のような囃子は、木曾の道中にて行き来する馬子らの挨拶に言葉のルーツがあるといわれています。

今日では「あばよ!」という言葉は「さようなら」を意味します。この言い回しは決して綺麗ではありません。むしろ、乱暴な言葉遣いとして受け止められることが多く、しかも「さようなら」を意味することから、一種の捨て台詞のような使い方になってしまいがちです。

そのような一見、下品な表現ともとられがちな「アバヨ」という言葉が、甲信越地方を代表する伊那節という民謡の囃子詞で用いられ、大勢の民が「アバヨ」と連呼するのです。よって「アバヨ」が「さようなら」を意味するようではいささか不自然であり、何か違う思いが込められていた可能性があります。はたして、何らかの言葉のからくりがあり、遠い昔から「アバヨ」は、別の意味で唄われていたのでしょうか。

「父なる神」を意味する「アバヨ」

「アバヨ」の「アバ」は、ユダヤ教に言葉の起源があると考えられます。旧約聖書はヘブライ語と、その兄弟語であるアラム語で書かれています。そのアラム語で「父」を意味する言葉が、אבא(abba、アバ) であり、ヘブライ語でもほぼ同等の綴りであるאב(ab、アバ) と書きます。この「アバ」という言葉は祈りの言葉として知られ、神に祈り求める時、そして「父なる神!」と祈る時に使われる言葉です。

よってイエスキリストもオリブ山で地にひれ伏し祈った際、「アバ、父よ」と声をあげたのです(マルコ14章36節)また、使徒パウロもローマ人への手紙において、祈る時に「アバ、父よ」と神を呼ぶことの重要性について説明されています(ローマ書8章15節)。

日本に一番近いお隣の国、韓国では、「お父さん」のことをハングルで「アッパ」と言います。もしかすると、この「アッパ」も語源も聖書に書かれている「アバ」にあるのかもしれません。イスラエルからの渡来者の多くは、朝鮮半島を経由して日本に渡来してきたことから、朝鮮半島も古代、イスラエル文化の影響を強く受けたと想定されます。よって「アッパ」の語源がヘブライ語やアラム語であったとしても、何ら不思議はありません。

その「父よ」を意味する「アバ」に、「神」を指す「ヤ」、または「ヨ」という言葉を語尾に付け足すと、「アバヤ」、「アバヨ」になります。すると「父」と「神」が合わさり、「父なる神」を意味するようになります。その「アバヨ」というヘブライ語が引用され、伊那節の囃子詞になったと推測されます。よって伊那節の「アバヨ」とは、民謡の唄の中でひたすら「父なる神よ!」と祈り求める思いが込められた囃子詞と考えられるのです。

「アバヨ」が「さよなら」になった経緯

では、元来「父なる神」を意味する「アバヨ」が何故、日本語では「さようなら」を意味する挨拶の言葉として用いられるようになったのでしょうか。その理由は、ユダヤ人の挨拶言葉から理解することができるかもしれません。

ユダヤ人の挨拶には、神に纏わる表現が用いられています。たとえば「こんにちは」は、ヘブライ語でשלום(shalom、シャローム) と言います。この言葉には従来、「平安」「調和」「繁栄」などの意味が込められています。それ故、「シャローム」と挨拶を交わすことにより、相手に対して「(神様からの)平安がありますように」という祈りの願いが含まれることになります。

また別れの際にも同様に「シャローム」という言葉を用いて、שלום(シャローム) またはהיה שלום(haya shalom、ハヤシャローム) と言います。「こんにちは」の「シャローム」と同様に、「神の平安がありますように」という意味で言葉を掛け合うことにより、人々の幸福を願うのです。ユダヤ人が挨拶する際に交わす言葉の背景には、常に神の存在があります。

その神とは「父なる神」のことです。だからこそユダヤ人が祈る時には「父なる神よ!」という呼び求めからはじまることが多く、イエスキリストも同様に、「父なる神よ」と祈ったのです。よって、「シャローム」「平安を!」という言葉には常に神の存在があり、「父なる神よ、平安を与えたまえ!」という意味が込められていたのです。

「シャローム」、「平安」とは「父なる神」への祈りでもあることから、その言葉の背景には常に「アバヤ」、すなわち「父なる神よ!」という祈り求める呼び名が込められていたのです。よって、「シャローム」とは、「アバヤ・シャローム」、「父なる神よ、平安を!」という祈りの言葉と理解することができます。

こうして別れる際に用いられてきた「シャローム」という言葉には、「アバヨ・シャローム」という祈りの意味が込められていたことから、「アバヨ」も挨拶の意味として使用されるようになったと考えられます。そしていつしか、「さようなら」を意味する言葉としても使われるようになったと推測されます。「父なる神よ!」「アバヨ」とは、いつも神に祈り求める思いを込めた言葉として、「シャローム」という挨拶の言葉に連なり、語られるようになったと思われます。その名残が、今日の現代語で使われている「アバヨ」、「さようなら」の意味につながっているのではないでしょうか。

伊那節

わしが心と 御岳山の
胸の氷は 胸の氷は いつとける
ア ソリャコイ アバヨ

胸の氷は 朝日でとける
娘島田は 娘島田は ねてとける
ア ソリャコイ アバヨ

伊那節の元唄となる「御嶽山節」より

伊那節

ハァー天竜下れば しぶきに濡れる
(ハオイヤ)
持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠
(ハ ソリャコイ アバヨ)

正調伊那節より

囃子詞に秘められた謎 | 日本シティジャーナル

囃子詞に秘められた謎 | 日本シティジャーナル
囃子詞に秘められた謎 | 日本シティジャーナル
https://www.nihoncity.com/article/0706japan/

囃子詞に秘められた謎

江戸時代、長野県の伊那地方を中心として作られたお米を木曾に輸送する際、その道中で歌われた御岳山節は、いつしか伊那流の盆踊り唄として変化を遂げ、最終的には1908年に伊那節と命名されました。この伊那節には、「アバヨ」と言う囃子詞が含まれていて、それはヘブライ語で「父なる神」を意味することは前述した通りです。今日「アバヨ」は「さようなら」を意味する挨拶の言葉として用いられていますが、なぜでしょうか。

ユダヤ人の挨拶には、神に纏わる表現が多用されています。たとえば「こんにちは」はヘブライ語で「シャローム」と言い、挨拶する相手に対して「神様からの平安がありますように」という祝福の言葉から接する意味があります。また別れの際にはさらに、神や主という言葉を用いて「神が共におられますように」ということもあります。つまり「父なる神」というフレーズ自体、別れの挨拶に登場しても何ら不思議ではなく、むしろユダヤ人にとってはごく当たり前の表現なのです。それ故「アバヨ」は意図的に「さようなら」を意味する言葉として使われるようになったと考えられます。

同じく長野県には木曾節と呼ばれる著名な盆踊り唄があります。今ではお座敷騒ぎに一役買う単なる民謡に思われがちですが、この民謡のルーツには、熱い信仰の思いが秘められています。木曾の御岳山は、元来、霊山として有名で、信仰者が集って修行を重ねる修験道を兼ね備えた山でした。その御岳教では、信者によって歩き綴られた修験道があり、そこで祈祷を捧げる行者によって歌われたのが、この木曾節です。この民謡の歌詞にある「中乗り」とは一般的に船頭と考えられていますが、神の言葉を信者に告げる「中座」(神の依代)を指すという説もあります。その行者が御嶽山への道中で歌った木曾節の囃子詞が、「ナンチャラホイ」です。

ヘブライ語で「ナ」は「祈り」を意味する(na、ナ)です。その語尾に子音の(メム)を付加した言葉が(ナアム)であり、「予言する」「預言者として語る」という意味を持っています。次に「チャラ」ですが、それと同じ発音を持つヘブライ語に「前に進む」「栄える」を意味する(チャラ)と言う言葉があります。また「ホイ」は、「ああ」という嘆きの意味を持つ(ホイ)ではないかと考えます。つまり、「ナンチャラホイ」とは、御岳山に登る行者が修行の道中で、「ああ、この世が良くなりますように!」と願いを込めて唱える、祈りの言葉だったのです。この面白い言葉の響きは、いつしか庶民にも口ずさまれるようになり、「ナンチャラ」はもっと語呂の良い「ナンジャラ」に訛っていったのでしょう。

新潟民謡の岩室甚句では、「弥彦参り」という語句が登場し、その直後「ヨシタヤ」という囃子詞が続きます。ヘブライ語には「神殿」を意味する(ヒコル)という言葉があり、「ヤヒコ」は「神の神殿」を指します。すなわち「弥彦参り」は、神の宮にお参りに行くという意味になります。「ヤシタヤ」の繰り返しは「神の御救い」を意味する(ヤシャー)、(ヤシャヤ)が多少訛って「ヤシタヤ」となったのでしょう。神社にて神の救いを切に待ち望む祈りの想いが、岩室甚句には秘められていたのです。

(文・中島尚彦)

囃子詞に秘められた謎 | 日本シティジャーナル

囃子詞に秘められた謎 | 日本シティジャーナル

囃子詞に秘められた謎

江戸時代、長野県の伊那地方を中心として作られたお米を木曾に輸送する際、その道中で歌われた御岳山節は、いつしか伊那流の盆踊り唄として変化を遂げ、最終的には1908年に伊那節と命名されました。この伊那節には、「アバヨ」と言う囃子詞が含まれていて、それはヘブライ語で「父なる神」を意味することは前述した通りです。今日「アバヨ」は「さようなら」を意味する挨拶の言葉として用いられていますが、なぜでしょうか。

ユダヤ人の挨拶には、神に纏わる表現が多用されています。たとえば「こんにちは」はヘブライ語で「シャローム」と言い、挨拶する相手に対して「神様からの平安がありますように」という祝福の言葉から接する意味があります。また別れの際にはさらに、神や主という言葉を用いて「神が共におられますように」ということもあります。つまり「父なる神」というフレーズ自体、別れの挨拶に登場しても何ら不思議ではなく、むしろユダヤ人にとってはごく当たり前の表現なのです。それ故「アバヨ」は意図的に「さようなら」を意味する言葉として使われるようになったと考えられます。

同じく長野県には木曾節と呼ばれる著名な盆踊り唄があります。今ではお座敷騒ぎに一役買う単なる民謡に思われがちですが、この民謡のルーツには、熱い信仰の思いが秘められています。木曾の御岳山は、元来、霊山として有名で、信仰者が集って修行を重ねる修験道を兼ね備えた山でした。その御岳教では、信者によって歩き綴られた修験道があり、そこで祈祷を捧げる行者によって歌われたのが、この木曾節です。この民謡の歌詞にある「中乗り」とは一般的に船頭と考えられていますが、神の言葉を信者に告げる「中座」(神の依代)を指すという説もあります。その行者が御嶽山への道中で歌った木曾節の囃子詞が、「ナンチャラホイ」です。

ヘブライ語で「ナ」は「祈り」を意味する(na、ナ)です。その語尾に子音の(メム)を付加した言葉が(ナアム)であり、「予言する」「預言者として語る」という意味を持っています。次に「チャラ」ですが、それと同じ発音を持つヘブライ語に「前に進む」「栄える」を意味する(チャラ)と言う言葉があります。また「ホイ」は、「ああ」という嘆きの意味を持つ(ホイ)ではないかと考えます。つまり、「ナンチャラホイ」とは、御岳山に登る行者が修行の道中で、「ああ、この世が良くなりますように!」と願いを込めて唱える、祈りの言葉だったのです。この面白い言葉の響きは、いつしか庶民にも口ずさまれるようになり、「ナンチャラ」はもっと語呂の良い「ナンジャラ」に訛っていったのでしょう。

新潟民謡の岩室甚句では、「弥彦参り」という語句が登場し、その直後「ヨシタヤ」という囃子詞が続きます。ヘブライ語には「神殿」を意味する(ヒコル)という言葉があり、「ヤヒコ」は「神の神殿」を指します。すなわち「弥彦参り」は、神の宮にお参りに行くという意味になります。「ヤシタヤ」の繰り返しは「神の御救い」を意味する(ヤシャー)、(ヤシャヤ)が多少訛って「ヤシタヤ」となったのでしょう。神社にて神の救いを切に待ち望む祈りの想いが、岩室甚句には秘められていたのです。

(文・中島尚彦)

阿波の語源


ご無沙汰しております。
最近、阿波(アワ)の語源はユダヤ教のアバ(父の意味)にあると確信を持つに至りました。
以下簡単に説明させていただきます。

長野県の伊那節のアバヨは中島尚彦氏が言うように、アバヨシャローム(父なる神よ平安あれ)の前半部分が残ったのでしょう。
アラム語のアバはキリストが死の前日の祈りに使っています。ユダヤ教で重要な言葉です。
アジア各地に伝わります。
特に羌族のそれは他のヘブライ語と共存するので特に重要です。

岡山、茨城の地名阿波(アバ)は共に崇神天皇期に由来を持ちます。
その時のアバが方言周圏論的に残ったと思います。この場合中心が阿波です。
ANYAさんが言っていたように穀物は地名からつけたのでしょう。
自分としては日本で太陽信仰と繋がったと考えます。これはアババイなどの用例と繋がります。阿波踊りも天の父を意識した振り付けと思います。
ミトラ教の影響もあり得ます。
この説を考慮すると、古事記、古語拾遺のアマテラス復活の箇所の読みがスムーズになります(古事記では穀物の粟が紹介され、古語拾遺ではあはれ、アッパレの語句が紹介されます)。

ご無沙汰しております。


ご無沙汰しております。
最近、阿波の語源はユダヤ教のアバ(父の意味)にあると確信を持ちました。

長野県の伊那節のアバヨは中島尚彦氏が言うように、アバヨシャローム(父なる神よ平安あれ)の前半部分が残ったのでしょう。
アラム語のアバはキリストが死の前日使っています。ユダヤ教で重要な言葉です。
アジア各地に伝わります。
特に羌族のそれは特に重要です。

岡山、茨城の地名阿波(アバ)は共に崇神天皇期に由来を持ちます。
その時のアバが方言周圏論的に残ったと思います。この場合中心が阿波です。
ANYAさんが言っていたように穀物は地名からつけたのでしょう。
自分としては日本で太陽信仰と繋がったと考えます。これはアババイなどの用例と繋がります。阿波踊りも天の父を意識した振り付けと思います。
ミトラ教の影響もあり得ます。
この説を考慮すると、古事記、古語拾遺のアマテラス復活以降の箇所の読みがスムーズになります。

キルギス共和国のこと – 一般社団法人 霞関会 太古、キルギス人と日本人は兄弟民族であったが、魚の好きな人々が東に去って日本人となり、肉の好きな我々は残った

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