福音書には収録されてない最古層のイエスの語録伝承を知る上で極めて重要な『トマスによる福音書』22節には、どのような人が神の国に入ることができるのかについて、イエス自身の口から以下のような興味深い主張が展開されています。
「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、あなたがたが、一つの目のかわりに目(複数)をつくり、一つの手のかわりに一つの手をつくり、一つの足のかわりに一つの足をつくり、一つの像のかわりに一つの像をつくるとき、そのときにあなたがたは、[王国に]入るであろう」(p.272)
ここで並列される諸々の二項対立(内部/外部、上/下、男性/女性、単数/複数…)が「一つになる」(合一)時、その時にイエスの公的宣教の中心概念だった「バシレイア」(神の王国)の本質が開示されると解釈することができると思います。
錬金術ではこの合一されたものを「賢者の石」、「メルクリウス」などと表現し、ヘーゲルはさらに二項関係にギリシャ哲学以来の「反省」概念を与えて思弁的論理学として精緻化しました。
フォイエルバッハが『将来の哲学の根本命題』において「思弁哲学は、神の現実化として、神の肯定であるとともに、神の廃棄すなわち否定であり、有神論であるとともに無神論である」(岩波文庫、p.27)と述べた文脈で息衝いているのも、史的イエスによるこの思弁的なもののプロトタイプに他なりません。
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