奈良と福岡は相似形 ~地形地図から邪馬台国を探す~
地形の相似と「都城の向き」から邪馬台国の位置を絞れないか
新しい都を作るとき、過去に栄えた都の構造を参照し、意図的に"見立て"を行う例があります。江戸が京都をモデルにし、鬼門の上野を比叡山に見立て、寛永寺を配し、不忍池を琵琶湖に見立てた、という話はその典型です。
ここから先は、歴史の「断定」ではなく、地理条件から仮説を立てて候補地を狭める試みです。手順は単純で、次の3つを順に重ねます。
地形の相似:筑紫平野(福岡・佐賀)と、大阪湾〜奈良盆地(近畿)に"反転相似"が見える
防御地形の条件:都は「攻め込まれにくい場所=狭隘部の奥、背後を山に守られる場所」へ置かれがち
都城の向き(座向):纏向の"向き"を手がかりに、筑紫側でも向きの条件を課す
結論を先に言うと、上の条件を(乱暴にでも)同時に満たしそうな地点として、私は現時点では 福岡県うきは市〜吉井町あたりを強く意識しています(もちろん暫定です)。
1. 出発点:筑紫平野は「反転した近畿」に似ていないか
福岡県の地図を見ていて、左右反転すると"大阪湾+奈良盆地"の構造に酷似して見えることに気づきました。
ここで注意が必要なのは順序です。もし筑紫に邪馬台国があり、纏向(大和政権初期の都とされる)が後なら、「近畿が筑紫に倣った」可能性のほうが論理としては自然になります。私はこの"順序の逆転"も含めて、地形の対応を一度まじめに眺めたい、という立場です。
2. 前提の置き方:九州起点説(古田説・宝賀説)は「検証の導線」として扱う
古田武彦は、天孫降臨の地を一般に言われる宮崎ではなく、「筑紫の日向の襲の高千穂峰」という記述に従い、福岡(糸島市の日向=ひなた)側に上陸したと捉えます。そこから九州王朝説へつなげ、神武はその傍流だとしました。
宝賀寿男も前段の読みはほぼ同じですが、九州王朝説ではなく、瓊瓊杵尊の降臨で成立した政権そのものを邪馬台国とみなし、神武東征の時期を2世紀初め頃に置きます。
私はここで、どちらかの説を"採用宣言"するというより、「筑紫起点で大和へ波及した」可能性を検証する導線として参照します。つまり、地形を比べるための「問題設定」です。
3. 私がやりたいこと:纏向の位置関係を筑紫に当てはめる
つまり、やりたいのはこれです。
大阪湾〜奈良盆地、そして纏向遺跡の位置関係を確かめ、筑紫の地形に当てはめたとき、邪馬台国の候補地を"地理条件"で絞れるのではないか。
以下、比較用の地図を置きます。上が筑紫平野、下が反転させた近畿です。
福岡・佐賀を中心とする筑紫平野(邪馬台国の推定地)注釈(見方):ここでは「邪馬台国推定地」というより、筑紫平野という"器"(湾・平野・山地に囲まれた奥行き)を観察するために置いています。
大阪湾から奈良盆地を含む近畿の反転地図注釈(見方):こちらは大阪湾〜奈良盆地を含む近畿を左右反転した図。以降、「狭隘部(通路)→奥まった盆地端→背後の山」という"都城に向く地形の型"がどこに現れるかを見ます。
4. 防御地形の条件:「狭い通路の奥」に都が置かれる型
このままだと分かりにくいので、線や図形を入れて比較します。
私がここで見たいのは、次の構図です。
天孫族が朝鮮半島経由で上陸した、という神話的記述をそのまま史実化する意図はありませんが、少なくとも「渡来勢力が拠点を置くなら、攻め込まれにくい場所を選ぶ」という一般論は成り立ちます。纏向は、地形だけ見てもその傾向が強い。
この見立てが正しい(=大和が筑紫の何かを参照して拠点を構えた)なら、筑紫側でも同様に「奥まった端+背後の山」という条件に寄るはずで、私には うきは市〜吉井町あたりがまず目に入ります。
5. 纏向を"点"として入れる:対応の精度を一段上げる
次に、纏向を図上に置いてみます(赤の丸印)
福岡・佐賀を中心とする筑紫平野(邪馬台国の推定地)注釈(確認ポイント):筑紫側でも「最奥」「山裾」「背後の山」という条件に"点"を落とす準備です。
大阪湾から奈良盆地を含む近畿の反転地図(纏向遺跡)注釈(確認ポイント):丸(纏向)が「盆地の中心」ではなく、端(隅)側に寄っている点が重要です。都城が"真ん中"にあるとは限らない、という条件がここで入ります。
さらに面白いのは、図の左下に、九州は有明海、近畿は琵琶湖が現れる点です。博多湾側が筑前、有明海側が筑後。近畿側でも琵琶湖方面が山城(山背)で、前後関係が揃って見える。もちろん偶然の可能性はありますが、「偶然かもしれない」を言いながら観察しておく価値はあります。(星印の方向)
6. 追加の絞り込み①:都城の向き(座山・座向)
地形の"型"だけでは物足りないので、次は都城の向きです。風水では座山・座向という言葉を使います。纏向は三輪山を座山として、東西軸から5度南に向き、二上山に正対する形をとる。都が東を背に西へ向く、かなり特殊な形です。大阪湾側からの通路が二上山の麓を通るため、「大阪湾に正対している」と言ってもよい、という見方がここで成立します。
この条件を相似で持ち込むなら、筑紫側ではこうなります。
この条件が入ると、いわゆる有力候補の久留米は(少なくともこの枠組みでは)弱くなります。背後に山を取りにくいからです。朝倉も、博多湾から見て平野のドン突きではない点、山を背負うと南西向きになりやすい点が気になってきます。
久留米市・朝倉市における仮定注釈(この図の役割):ここは「久留米・朝倉は違う」と断定する図ではなく、"向き(北西正面/南東背後)"という制約を入れると、候補地の優先順位が変わることを示す図として置きます。
7. 追加の絞り込み②:「やまと」「まほろば」は地理条件の言い換えではないか
次に、『古事記』の歌です。
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし
『古事記』私はまず、「やまと」という言葉が奈良固有の地名に限らず、一般名詞的に使われた可能性を疑いました。福岡・佐賀にも山門(やまと)など「やまと」が存在するからです。「やま」は山、「と」は平地を指すので、「山の平地」=言い換えれば 山のふもとの平地になりやすい。纏向は確かに三輪山のふもとです。
「まほろば」は一般に「素晴らしい場所」と説明されますが、古田武彦は原型を「まへらま」と見て、「へらま」を"脇"として解釈します。中心ではなく端。ここでも纏向が奈良盆地の隅にある、という観察とよく噛み合います。
纏向の都は、奈良盆地の端にある。重なりあった青い垣根の山々、それらに囲まれた都は、とても美しい
(筆者訳)この読みが妥当なら、地理条件としてはこう言い換えられます。
ここまでで、候補地は「筑紫平野の端」「山裾」という条件で、さらに狭まります。
8. 追加の絞り込み③:「ま・ほ・ろ」=磐座のヒント?
ただ、古田が写本年代を根拠に「まへらま→まほろば」を論じる一方、「まほろば」と書き換えた根拠も無視できません。そこで私は、語を分解して別の可能性も考えました。
すると「まほろば」は、形容(素晴らしい)というより、地形・信仰に接続し、"磐座のある山のふもと"という探索条件を示している可能性が出てきます。
※「語の分解に関しては別記事を参照
https://note.com/ijourney/n/n88a11bbec7a1
9. 実際に検索してみる:巻向〜三輪山は磐座だらけ/筑紫側はどうか
まず、巻向〜三輪山地域を「磐座」で検索すると、見事に出ます。三輪山は磐座だらけです。
巻向~三輪山地域を「磐座」で検索注釈:纏向の座山(三輪山)を「磐座」という観点で見ると、条件が具体化します。つまり「山裾」だけでなく"磐座が集中する山裾"という、より細い探索軸が立つ。
考えてみれば、神武天皇の名に「磐余(いわれ)」が入ること自体、磐座信仰を強く連想させます。ならば筑紫側でも、磐座がある山裾を追えば都城の位置に近づけるかもしれない。
次に、筑紫平野の東隅を「磐座」で検索してみます。
筑紫平野の東隅を「磐座」で検索注釈:この段階では「見つかった=都」ではありません。"都城のありそうな地形(端+山裾)"に、磐座という信仰地形が重なるかを見ています。
うきは市あたりにも「岩」が見えるので、その周辺を拡大し、「遺跡」で検索してみました。……どこを掘っても何か出てきそうな場所ですね(今回はここまで)。
うきは市あたりの拡大地図。「遺跡」で検索注釈:この図は「遺跡が多い→都」と言うためではなく、"候補地に対して、遺跡分布をさらに精査する入口"として置いています。
まとめ:現時点の「探索条件」と暫定候補
ここまでの話を、断定ではなく"探索条件"として整理します。
この条件で見たとき、私は現時点では うきは市〜吉井町あたりを第一に疑っています。もちろん、これが正しいなら、次は「地形が似ている」で止めず、遺構・遺跡の質(規模・年代・配置)で検証しなければなりません。
(今回は以上。お付き合いいただきありがとうございました)
※固有名詞である「纏向遺跡」に合わせ、本稿では「纏向(まきむく)」という表記を使用しています。ただし、地図上の地名を指す場合は、地名・駅名である「巻向」を使用しています。