https://search.yahoo.co.jp/search?p=山田隆一「集落遺跡からみた古墳時代前期社会の研究——近畿における広域流通の視点から」(関西大学博士論文、2019年、312頁)&ei=UTF-8
ば、山城では水垂遺跡、近江東部では下長遺跡、近江北部では黒田遺跡など、昨遺跡と同じような流通拠点としての集落が立地している。それらの集落を核として、ネットワークが存在したことが推定できる。
4) 大阪府内陸部の脚台式製塩土器はいまだ少ないが、庄内新相以降に、備讃瀬戸地域からも塩が運びこまれたことを示している。他地域系土器が持ち込まれた背景には、さまざまの物資、技術、情報の流通があるが、そこに塩が含まれていたことは確かである。地の大阪湾岸地域ばかりでなく、備護瀬戸地域からも塩をかき集めた、と考えられる。
大阪の前期古墳には、阿波や讃岐的な要素が指摘できる。阿波との関連では、結晶片岩を使用した竪穴式石槨が多いことは一例である。しかもその地域は、阿波系土器が濃密に分布する地域と一致する。摂津東部では、茨木川流域に茨木市将軍山古墳と紫金山古墳、芥川流域に高槻市弁天山C1号墳と闘鶏山古墳がある。また中河内では、旧大和川流域の遺跡群に造営母体が想定できる玉手山古墳群と松岳山古墳群では、玉手山7号墳と同9号墳、茶臼塚古墳に結晶片岩の使用が確認されている。
讃との関連では、鷺の山石材を使用した松岳山古墳の長持形石棺と玉手山3号墳の
石と考えられる安福寺の刳抜式石がある。また積石塚である茶臼塚古墳と、積石を部分的に採用した松岳山古墳も讃岐の積石塚との関連でとらえようとする考え2)もある。
本稿では、中田遺跡の「白石」、久宝寺遺跡の阿波系の焼成前穿孔童、溝昨遺跡の結晶片岩と朱関連遺物を紹介したが、これらは古墳の築造あるいはその祭祀に関わる物資である。土器の搬入と同時にそれらの物資や情報も持ち込まれたのであろう。そして、阿波・讃岐の土器の数量が吉備に次ぐ程度に多いことからみて、両地域との関係が大変強かったことがわかる。
今回、中河内地域に塩が持ち込まれていることを紹介した。中河内での製塩土器の時期と分布は、備護瀬戸の他地域系のそれと全く同じであり、塩が持ち込まれた物資の一つであったことを示している。また備讃瀬戸の製塩土器を多く含む兵庫県長越遺跡の事例は、備讃地域から中河内につながる交流の中間地域でのあり方を示していると考えられる。
ところで、塩はもちろん日常生活における必需品であるが、いっぽうで労働財源としての価値のあることが指摘”されている。首長層の指揮下に行われる耕地開発や治水・灌漑、古墳や首長居館の築造などの土木工事に際して徴発した民衆への労働財源として塩が給付されたと想定されている。筆者も中河内にみられた製塩土器の状況は、近畿の首長層によって、労働の対価として集められた塩の概要を示していると考えたい。つまり製塩土器の
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