2025年10月15日水曜日

兵庫県/ご縁/会津への夢街道 山鹿素行


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山鹿素行の胸像 (赤穂城)

 山鹿素行が設計した二の丸門の脇に建立。
 会津出身の儒学者・軍学者/素行は、赤穂藩に通算20年ほど居住し、赤穂藩士へ与えた影響は大きかった。
 家老/大石良雄 (内蔵助) は素行の教えを直接受けており、用意周到に一致団結して主君の仇を討った行動は、素行の教え「死節論」そのものであった。
 忠臣蔵になくてはならない「一打ち二打ち三流れ」という「山鹿流の陣太鼓」は映画などでの創作であるが、いかに素行の影響が大きかったかの証であろう。
 墓は、宗参寺にある。

大石神社

 明治33(1900)年、大石内蔵助以下四十七士・浅野家三代などを祀る神社として創建。
 大正元(1912)年、社殿が竣工。
 毎年12月14日に赤穂義士祭が開催。
 大石神社は、京都にもある

 参道には義士の石像が並んでいる。
 当然、会津生れの堀部安兵衛の石像もある。

大石邸長屋門

 「この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。 門口約二十六・八メートル、奥行約四・八メートルの建物で、屋根瓦には双ツ巴の大石家の家紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。 かっては、内蔵助と主税の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちが たたいたのも この門である。
 安政三年 (一八五六年) に大修理が行われ、大正十二年 国の史跡に指定された。
 更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費三、一三八万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。
                            赤穂義士会

赤穂城

 鶴ヶ城と同じく日本100名城 (60番) の1つ。
 文正元~文明15(1466~1483)年、岡光広が築城。
 加里屋城、大鷹城とも。
 赤穂藩主/浅野長直は軍学者/近藤正純に改築を命じ、山鹿素行を招聘し砲撃戦を考慮した最新鋭の城に造り直された。
 明治6(1873)年、廃城。
 昭和46(1971)年、国の史跡に指定。
 ▲(赤穂市上仮屋)

 《浅野家時代の赤穂藩》
 藩庁を赤穂城として、播磨国赤穂郡の周辺を領有した藩。
 正保2(1645)年、池田家に代わり、浅野長直 (5万3千石) で入府。
 13年を費やし、新たな赤穂城を築き、城下町を整備。
 2代目藩主は、浅野長友。
 元禄14(1701)年、3代目藩主/浅野長矩 (内匠頭)が江戸城中で旗本/吉良義央への刃傷事件を起こし、長矩は切腹、浅野家は改易となる。
 元禄15(1702)年、家臣による吉良邸討ち入りが起こる。
 長矩の弟/浅野長広は減封されたが、後に旗本に召し抱えられた。

花岳寺

 

JR播州赤穂駅前

 正保2(1645)年、入府した浅野長直が菩提寺として創建、大石家の菩提寺でもあった。 浅野家改易後も歴代藩主/永井家・森家の菩提寺となる。
 元文4(1739)年、赤穂浪士三十七回忌に義士墓が建立。
 ▲義士墓拝観も有料 (赤穂市加里屋1992)
  播州赤穂駅の南口にも、大石内蔵助の銅像がある。
 右手に采配を持ち、台座には「義魂」と刻印。

 ▲(赤穂市加里屋328)

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