2025年10月20日月曜日

神鳥前川神社|当神社の由緒や境内、交通案内【神奈川県横浜市】



神鳥前川神社|当神社の由緒や境内、交通案内【神奈川県横浜市】

仙元社(せんげんしゃ)

仙元社は霊峰富士の神様、木花咲耶姫命をお祀りしている神社です。
多くのところでは「浅間」の字をあてますが、当神社のものは「仙元」との表記が由緒に残っています。
富士山は我が国一の高さと美しさを誇ることから古来より人々の間で生命力の象徴とされ、また木花咲耶姫命は出産の際、火事に見舞われたにも拘わらず、母子共に無事であったことから安産の御神徳があるとされています。
当神社内の安産にまつわるものとしては最も古く、これ以後この周りに守護犬・子産石等がお祀りされるようになりました。

https://www.shitodomaekawa.com/shrine

神鳥前川神社|当神社の由緒や境内、交通案内【神奈川県横浜市】

当神社は文治三年(1187年)五月、武蔵国桝形城主・稲毛三郎重成により創建されました。
重成は敬神の念篤く、所領稲毛に稲荷社を建立すると共に霊的な夢のお告げを受け、武神・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)およびその妃・弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)を御祭神としてこの地に祠を建て白鳥前川神社と名づけたと言い伝えられて居ます。
白鳥というのは御祭神、日本武尊が伊勢の国煩野(ノボノ)にて逝去の際、神霊化され白鳥になられたという故事により、また前川とは神域の真下を鶴見川支流の恩田川が流れており、弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)の入水の故事に重ね合わせて名付けられたものです。それがいつの頃よりか白鳥が転じて神鳥と書くようになり、これを「シトド」又は「シトトリ」と読むようになり、今日に至って居ります。
境内周辺の鬱蒼とした樹木や社前を流れる清らかにして盛大な川の流れは畏敬の念を与え、遠近にその名を知られるようになりました。 以来、武門武家の崇敬が厚く、現在当社に面する田奈町の小字「馬場」という地名は、その寄進による馬場の跡だと伝えられて居ります。

天正十年(1582年)火災により社殿が焼失し、当時この地を治めていた上杉景虎(謙信の子)が社殿を新しく建立寄進し、かつ毎年春秋の上納金より三貫文を社料として免租するという内容の古文書が残されて居ります。
また、現在八坂神社、 稲荷神社としてお祀りされている旧本殿はその後再建されたものであり、拝殿及び覆殿は文化九年(1812年)当時 の地頭岡本玄治法眼を始め橋本、船橋宋迪、朝岡、星合鍋五郎等の寄進で再建せしものであると棟札に記されて居ります。
明治43年12月23日、当所曲り坂7439番地(現・しらとり台第三公園付近)に祀られていた 無格社・神明社祭神伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)を合祀するに際し、拝殿が手狭になるため、 本殿を拝殿と別棟の覆殿下に収め、同時に玉垣・舞殿・社務所等の改修を計画、着工致しましたが覆殿の造営が予定通りには完成せずに終わり、 その後昭和29年に、茅葺屋根を腐食防止のため金葺にする工事が施されました。
その後昭和63年5月に現在の神社殿の建設・御遷座が行われ現在に至って居ります。

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