2025年4月30日水曜日

信長に先んじた天下人・三好長慶の軍事拠点か 櫓備えた「西院城」とみられる遺構が初出土(産経新聞) - Yahoo!ニュース

信長に先んじた天下人・三好長慶の軍事拠点か 櫓備えた「西院城」とみられる遺構が初出土(産経新聞) - Yahoo!ニュース

信長に先んじた天下人・三好長慶の軍事拠点か 櫓備えた「西院城」とみられる遺構が初出土

織田信長に先駆けた天下人」と呼ばれ、その重要性が再評価されている戦国武将、三好長慶(ながよし)(1522~64年)が京に確保した軍事拠点「西院(さいいん)城」とみられる建物と溝の跡が、京都市右京区の阪急西院駅近くで出土したことが分かった。西院城は文献や絵図には登場するが、具体的な遺構が見つかったのは初めて。遺構からは、覇権を激しく争った「元祖天下人」らしい強気の姿勢もにじみ、関係者は「長慶の強権ぶりを知る史料」と評価する。 ■義昭上洛に合わせ焼失 西院城は、現在の西大路四条交差点の西に広がる小泉荘を基盤とした小泉氏が築き、長慶が16世紀中ごろ、室町幕府の将軍補佐役だった細川晴元と対立する中で城をさらに強化した。当時、京内に戦闘用の城が築かれるのは珍しく、唯一だったとの見方もある。 公家・山科言継(ときつぐ)の日記には天文19(1550)年4月、晴元が西院城を攻めたとの記述が残る。長慶死後の永禄11(1568)年、信長が後の15代将軍・足利義昭とともに上洛するのに合わせ、三好氏配下の小泉氏側が抵抗の意はないと自ら城に火をかけ、以後は再建されることはなかったという。 ただ、焼失後の天正2(1574)年、信長が上杉謙信に贈ったと伝わる狩野永徳作の洛中洛外図屏風(びょうぶ)(国宝)の中にも、「さいのしろ」の名で焼失前の西院城が登場する。 今回、民間団体の平安京調査会(京都市)が西大路四条交差点の西約300メートルに位置する共同住宅の建設予定地約180平方メートルを調査したところ、格子状に柱が立つ総柱建物と石組み溝の跡が出土した。一緒に出た土器などから長慶が活躍した時期の遺構と判明したという。 平安京調査会の吉崎伸調査部長は「町家とは雰囲気の違う大きな礎石を持った建物跡で、すぐに西院城のものだと分かった」と振り返る。 ■大型の礎石「高い建物が存在」 建物の規模は東西8・3メートル、南北4メートル。中央部の東西2・5メートル、南北4メートルは床張りで、東西両側に土間を配した特異な形であることも分かった。柱の礎石は地下式で0・6~1・0メートルと比較的深い場所に据えられ、中には0・4メートルを超える大型の石もあった。 吉崎部長は「柱が地下の深いところに届き、柱を支える礎石も大型。地上には櫓(やぐら)のような高い建物が存在していたとみられる」と推測した。

2025年4月29日火曜日

新井白石「外国之事調書」について

 書名:魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国 著者名:渡邉義浩 発行:中央公論新社


2 邪馬台国論争 論争の始まり 

 邪馬台国の所在をめぐる論争は、長い歴史を持つ。舎人親王らがまとめた『日本書紀』は、神功摂政三十九年、四十年、四十三年の各条に、倭人伝を引用し、神功皇后と卑弥呼を同一人物とし、邪馬台国を畿内大和と考えている。ただし、これらの引用は、『日本書紀』編纂当時のものであるという説と、後世の注記であるという説とが並立している。前者であれば、邪馬台国論争は、実に奈良時代にまで遡ることになる。  

 江戸時代には、邪馬台国の研究に先鞭をつけた松下見林の『異称日本伝』(元禄六〔一六九三〕年)が、『日本書紀』の考えに従って、「邪馬台」を「やまと」と読み、卑弥呼を神功皇后であるとした。それを継承する形で、邪馬台国の本格的な研究を始めた者が、新井白石である。白石は、「魏志は実録」と述べるように、倭人伝に全幅の信頼を寄せる。『古史通或問』(正徳六〔一七一六〕年)では、邪馬台国を大和とし、卑弥呼を神功皇后とする『日本書紀』を継承して、倭人伝に見える対馬国以下を当時の地名に比定した。ところが、のちに著した『外国之事調書』(享保七〔一七二二〕年)では、邪馬台国を筑後国山門郡であるとの自説を展開し、現在まで続く、邪馬台国九州説と大和説の嚆矢となったのである。 

 一方、本居宣長は、『馭戎慨言』(安永七〔一七七八〕年)のなかで、曹魏への使者は、「熊襲などのたぐひなりしもの」が、神功皇后と偽って私的に派遣したものである、とする。そして、投馬国から邪馬台国まで「水行十日、陸行一

ところが新井白石は、やがて『外国之事調書』において邪馬台国を筑後国山門郡(福岡県山門郡)に比定するようになり、邪馬台国九州説の中ではもっとも有力な邪馬台国山門郡説 ...

しかしもう一つの「外国之事調書』では福岡県の山門郡(現在のみやま市や柳川市あたり)であるとして、先の邪馬台国比定地を覆(くつがえ)した。白石の没後に生まれた ...

しかしのちに「外国之事調書」で筑後国山門郡説を説いた。以降、江戸時代から現在まで学界の主流は「畿内説」(内藤湖南ら)と「九州説」(白鳥庫吉ら)の二説に ...

新井白石「外国之事調書」邪馬台国を筑後国山門郡に比定; 本居宣長「偽僣説」卑弥呼は、神功皇后の名を騙った九州の女酋長; 白鳥庫吉(東京帝国大学)

右歴史中所見本邦国県名  新井白石



「外国之事調書」IXについて


https://dl.ndl.go.jp/pid/12223441/1/207


新井白石の洋学と海外知識



書誌情報

著者

宮崎道生 著

出版者

吉川弘文館

出版年月日

1973







。。。。。。

以下が重要。

「外国之事調書」関連



https://dl.ndl.go.jp/pid/12256813/1/236?keyword=「外国之事調書」%E3%80%80山門


新井白石の研究 増訂版



書誌情報

著者

宮崎道生 著

出版者

吉川弘文館

出版年月日

1984.6


https://dl.ndl.go.jp/pid/12256813/1/236









2025年4月28日月曜日

Amazon.co.jp: 新訂 西洋紀聞 (東洋文庫0113) eBook : 新井 白石, 宮崎 道生: 本


新訂 西洋紀聞 (東洋文庫0113) Kindle版 


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宝永5年(1708),キリスト教禁令下の日本に潜入をはかった宣教師シドチと,彼を尋問した白石。その息づまる対決は,一編の奇しきドラマであり,東西文化交流史上の事件だった。自筆本からの初の覆刻。

西洋紀聞 宮崎 道生(著) - 平凡社 | 版元ドットコム

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西洋紀聞 宮崎 道生(著) - 平凡社

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476 図版ページ

価格情報なし

ISBN
初版年月日
1968年1月
登録日
2016年4月13日
最終更新日
2016年4月13日

紹介

附録: 『西洋紀聞』関係史料 新井白石日記, 新井白石書翰 (抄) 羅馬人処置献議・天主教大意, 出島蘭館日誌, 今村源右衛門日記, 柳営日次記, 断片・西洋紀聞, ヨハンバツテイスタ物語, 長崎注進邏馬人事, 華夷変態, 外国之事調書, 采覧異言, 岡本三右衛門筆記, 阿蘭陀風説書, 徳川実紀 (文昭院殿御実紀) 長崎実録大成, 長崎覚書, 島津家譜 (吉貴伝) 柴芝園漫筆, 月堂見聞集, 長崎夜話草, シドチ書翰, マニラ大司教ディエゴ・カマチヨ書翰, シドチ関係海外文書, シドチ囚獄関係諸記, 『西洋紀聞』諸写本の序・跋, 正徳切支丹禁令, 三眼余考.参考: 大槻文彦博士白石社版「校訂序言」, 村岡典嗣氏岩波版「解説」 解説 (宮崎道生) 年表, 文献案内

目次

目次
本文
巻上 / p3
巻中 / p29
巻下 / p66
注 / p99
附録-『西洋紀聞』関係史料
一 新井白石日記 / p185
二 新井白石書翰(一)-聞部詮房宛 / p188
三 羅馬人処置献議・天主教大意 / p193
四 出島蘭館日誌 / p201
五 今村源右衛門日記 / p205
六 柳営日次記 / p213
七 断片・西洋紀聞 / p216
八 ヨハンバツテイスタ物語 / p223
九 長崎注進邏馬人事 / p239
一〇 華夷変態〔附〕邏媽人疑状 / p278
一一 外国之事調書 / p302
一二 采覧異言 / p311
一三 岡本三右衛門筆記 / p322
一四 阿蘭陀風説書 / p350
一五 徳川実紀-文昭院殿御実紀 / p358
一六 長崎実録大成 / p361
一七 長崎覚書 / p363
一八 島津家譜-吉貴伝 / p364
一九 紫芝園漫筆 / p365
二〇 月堂見聞集 / p366
二一 長崎夜話草 / p367
二二 シドチ書翰 / p369
二三 マニラ大司教ディエゴ・カマチヨ書翰 / p371
二四 シドチ関係海外文書 / p377
二五 新井白石書翰(二)-小瀬復庵宛 / p381
二六 新井白石書翰(三)-室鳩巣宛 / p387
二七 新井白石書翰(四)-安積澹泊宛 / p388
二八 シドチ囚獄関係諸記 / p390
二九 『西洋紀聞』諸写本の序・跋 / p397
三〇 正徳切支丹禁令 / p402
三一 三眼餘考 / p406
〔参考〕
1 大槻文彦博士白石社版「校訂序言」 / p411
2 村岡典嗣氏岩波版「解説」 / p415
解説 / p419
年表 / p457
文献案内 / p471
あとがき / p475

上記内容は本書刊行時のものです。

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