菊花紋
皇室の16弁菊花紋は、後鳥羽上皇が執権北条義時追討の院宣を下した承久の乱(1221年)の時に用いて定着したとされている。後鳥羽上皇は菊の紋を自らの紋として、紋を入れた刀を出陣する武士に下賜して勝利を鼓舞した。しかし朝廷軍は幕府軍に敗れ、多くの皇族が配流(はいる)された。後鳥羽上皇は隠岐に流され1239年に当地で崩御、皇室の権威は大きく低下して鎌倉幕府の武家政治が確立することになる。
菊花紋は後の天皇も採用し定着していったが、菊花紋の起源は後鳥羽上皇より遥かに古い。
菊の紋の名前からすると日本独自の紋に感じるが、メソポタミアで世界最古の都市文明を築いたシュメールの王の紋で、古代オリエントの多くの王家で使用された。

そして「菊の紋」ではなく「太陽の紋」だと考えられる。神武天皇の東征の途中で兄の五瀬命が戦死した。神武天皇は「自分は日神(ひのかみ)の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは天道に逆らっている。太陽を負い、日神の威光をかりて敵に襲いかかるのがよいだろう。」と言った。オリエントの菊花紋の由来も太陽である。
日本の神話には太陽(日)を名前に使っている例は多い。
彦火明命(天照御魂神)、饒速日、天忍日、天照大神、天穂日、天日鷲、対馬の天日神、天日方奇日方、天日矛などがあり、名前の最後に「日子」「日女」は多くのマレビトに使われている。後に国名自体も日本になった。
イスラエルの首都エルサレムに神殿を築いたのは3,000年前のソロモン王だが、神殿は何度も侵略を受けては再建された。現在残されたヘロデ門に16菊花紋がくっきりと彫られている。
神社とユダヤ教の幕屋の構造は共通性がよく云われている。

アッシリアのアッシュールバニパル2世(BC7世紀)の彫刻には手首のバンドに菊花紋が彫られている。(大英博物館蔵)
アッシリアを滅ぼした新バビロニアの都バビロンの遺跡(メソポタミア、イラク)には、2,600年前にネブカドネザル2世が建設したイシュタル門があり、王族の菊花紋がきれいに描かれている。
復元されたイシュタル門の像、ライオンの下に菊花紋が描かれている。

エジプトにも菊花紋がある。3,300年前のツタンカーメン王墓から青銅器製菊花紋が出土。
3,000年前のプセンネス1世の墓に納められていた金の皿はきれいなロータス(ハスの花)の形。ハスは太陽の出ている時間にだけ花が開くので太陽の象徴、創造と再生の象徴。
ロータスの皿

菊の紋は人の往来と共に交易品の中にも紋に関わる商品があったと考えられる。オリエントから倭国にまで渡来したマレビトがいたのか・・・
素戔嗚の先祖がオリエント(ペルシャのスーサ)から来たという説もありますがねぇ・・・
菊花紋は後鳥羽上皇独自の紋でオリエンタルの紋とは偶然の一致という説まである。
現在菊花紋を使用しているのは日本の皇室と一部の神社などである。菊花紋を基にして変形された菊水などの家紋は今も存在する。
ユダヤ教のシナゴーグ(教会)の祭壇にも菊花紋とダビデの星が飾られている。
伊勢神宮内宮に向かう道路両側に燈篭がたくさん並んでいるが、燈篭の上部には菊花紋、少し下にはカゴメ紋(ダビデの星)が彫られている。私も20年前に伊勢まで確認に行きました。
神社のお神輿の形はユダヤの「契約の箱」とよく似ている。
神社とユダヤ教の神官の正装もよく似ている。
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9月23日(火)は秋分の日です。 2013年9月12日投稿の「春分と秋分の太陽信仰」をご参照ください。
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