山田洋次
残したい日本
芸術新潮1987.6
●町並
鹿児島県知覧の武家屋敷、
別府鉄輪の温泉街、
山口県長府の武家屋敷
●宿
木曾街道奈良井
●市
那覇市の市場(市とはいえないかもしれませんが)
●街道・道
舗装されていない街道を見たことがありません
●祭り
唐津おくんち祭り、富山県八尾の風の盆
●史跡旧蹟
対馬厳原(いずはら)の宗氏の墓所、城址
●自然の景観
沖縄のすべての海岸――特に石垣島のサンゴ礁
●その他
有名なものしか思いあたらなくて、残念ですが、これ以上日本古来の風物が消えていくのはやりきれないことだ、といつも思っています
寅さんには土の道がよく似合う
西伊豆の雲見。
幻想的なその名前にふさわしい絵のような美しい風景を、 海沿いの小高い峠道から見下ろした時の驚きは、いまも忘れられない。――あれは確か昭和四十二年、ハナ肇主演の映画 「いいかげん馬鹿」のロケハンの時だ。
青い水を湛えた入江のほとりに、肩を寄せ合うように並ぶ 瓦屋根の家々。すり鉢のように部落をとりかこむ斜面の段々 畑には、びっしりと植えられた花。
踏み固められた細い坂道をスタッフが降りてゆくと、花畑 の手入れをしていた主婦に丁寧な挨拶をされ、私たちはあわ てて帽子を脱いだものだった。
ならず者の主人公が、 放浪の旅暮しのなかでせつなく遠い 故郷を思い焦がれる、というこの作品のテーマは、雲見とい う素敵なロケ地を発見したことで、どれほどわかり易く表現 し得たかわからない。
それから三年ほどたって、たまたま松崎にゆく用があり、 私は懐しさにかられて近くの雲見を訪れた。
三年前は建設中だった自動車道路が完成していて、かつて は船でゆくか山道を歩いてゆくしかなかったのが、タクシー であっという間にゆけるようになっていた。
そして雲見はすっかり変ってしまっていた。
おりからの民宿ブームで、家々は増改築がされ、屋根の上 には色とりどりの看板が並んでいた。花の栽培より、民宿の 方が収益が上るということなのだろう、手入れの行き届いて いた段々畑には、雑草が生い茂っていた。大勢の客が出入り するようになったせいだろう、よその人に挨拶をする、とい う習慣もうすれていた。
三年前に見たあの風景は、まさしく幻想のようにかき消え たのだった。風景だけではない、先祖から引継いだ生活慣習 や、人情や、多分穏やかな人の気持も。
昭和四十四年に寅さんシリーズがはじまるのだが、そのは じめの頃、トランク片手に寅さんがブラブラ歩く田舎道は、 必ず土の道だった。長い年月をかけて人々が踏み固めた道の もつ味わいが、この映画には必要不可欠のものだったのだが、 五十年代に入るとその土の道が急激になくなってきて、この 分じゃ今に土の道が重要文化財になってしまうのではないか、 などとスタッフが冗談を言い合っていたのだが、六十年代に は、もう日本中の道路が舗装になってしまい、やむなく寅さ んは、アスファルトやコンクリートの上を、草履をベタベタいわせながら歩くしかなくなっている。
昨年、寅さんシリーズのロケハンで京都を訪れたときのこと。
タクシーの窓から古い町並みを眺めながら、さすが京都だね、とスタッフと感心しあっていたら、年配の運転手さんが 突然口をはさんで、不機嫌な声で次のようなことをいった。
――こんな古くさい家、夏は暑いし冬は寒いし、なにかに
つけ不便でならんのやけど、それをみんなじっとこらえて
暮しとるのや。辛抱強いのや、京都の人間は。



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