花園神社 ( はなぞのじんじゃ 東京都新宿区 )
● 花園神社
祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 受持神(うけもとのかみ)
由緒 古来新宿の総鎮守として内藤新宿に於ける最も重要な位置を占め来たった神社である。
徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座して大和国吉野山より御勧請(おうつし)せられたと伝えられる
寛永年中以前の社地は現在の株式会社伊勢丹の地域にあり、東西65間、南北75間に亘った
神域であった。
朝倉筑後守此の地に下屋敷を拝領されるに及び、神社をも下屋敷の内に囲い込まれたので、
その由を御訴えに及び、現在の社地を代地に拝領したと伝えられる。
(8 拝殿)
(7 宝物殿/左)・・(6 神楽殿/中)・・(10 社務所/右)
(1 大鳥居/左)・・(12 町会神輿庫/中)・・(5 手水舎 4 山車庫/右)
(2 芸能浅間神社 /左)・・(3 威徳稲荷神社/中 右)
(9 納め大明神 /左)・・(11 唐獅子像/中 右)
● 内藤トウガラシとカボチャ 江戸・東京の農業
新宿御苑は、江戸時代高遠藩主内藤家の下屋敷でした。
当時、武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽
培していましたが、中でも軽くて肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評
判となり、新宿付近で盛んに作られるようになりました。
「新編武蔵風土記稿」(1828)には、「四ッ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る世に内藤蕃椒と呼べり」
とあり、当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言わ
れています。
このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、しかも上を向いて葉の上に出るような
形になるため、熟すと畑一面が真っ赤に見えたのです。
保存のできる調味食品として、庶民に喜ばれましたが、明治に入ると都市化により栽培も激減し、産
地も西の方に移っていきました。
この地域ではカボチャの栽培も盛んで、「内藤カボチャ」とか「淀橋カボチャ」ともいわれていました。
平成9年度 JA東京グループ 農業協同組合法施行50周年記念事業
● 案内コース
(1) (1)大鳥居-→石柱(下宿茶屋中)-→(12)町会神輿庫-→
-→(2)芸能浅間神社-→二宮金次郎像-→(3)威徳稲荷神社
(2) (8)拝殿-→(10)社務所-→(7)宝物殿-→(9)納め大明神
(3) 靖国通りからの参道-→(11)唐獅子像-→(5)手水舎-→
-→(4)山車庫 -→(6)神楽殿-→石碑(雷電稲荷神社)-→
-→八町桜(おおやまざくら)-→(13)西鳥居
アクセス
電車の場合
東京メトロ丸の内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」E2出口 徒歩0分
JR・小田急線・京王線「新宿駅」東口 徒歩7分
バスの場合
都営バス 品97系統 新宿西口行き 「新宿三丁目」徒歩3分
早77系統 早稲田行き 「新宿伊勢丹前」徒歩3分
車の場合
首都高速4号新宿線 新宿出口より5分
(花園神社HPを参考にし、境内案内図をお借りしました)
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