2025年11月3日月曜日

本と末

本と末

本と末の思想が表れた例をさらに追記する。真心と礼儀について。『論語』八イツ篇に次の記述がある。

書下し文
林放礼の本を問う。子曰く。大なるかな問うこと。礼はその奢らんよりはむしろ倹せよ。 喪はその易めんよりはむしろ悼め。

現代語訳
林放が礼の根本を尋ねた。孔子が言われた。大きいね、その質問は。礼はぜいたくであるよりむしろ質素にし、 弔いは万事整えるよりはむしろいたみ悲しむことだ。

真心が本であり礼が末であると述べている。 礼があっても真心がなければ虚礼になる。

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本と末


本と末の思想が表れた例をさらに追記する。真心と礼儀について。『論語』八イツ篇に次の記述がある。

書下し文
林放礼の本を問う。子曰く。大なるかな問うこと。礼はその奢らんよりはむしろ倹せよ。 喪はその易めんよりはむしろ悼め。

現代語訳
林放が礼の根本を尋ねた。孔子が言われた。大きいね、その質問は。礼はぜいたくであるよりむしろ質素にし、 弔いは万事整えるよりはむしろいたみ悲しむことだ。

真心が本であり礼が末であると述べている。 礼があっても真心がなければ虚礼になる。

同じく八イツ篇に次の言葉がある。

書き下し文
子曰く、人にして仁ならずんば礼を如何。人にして仁ならずんば楽を如何。

現代語訳
孔子が言われた。人として仁でなければ、礼があっても何になろうか。 人として仁でなければ、楽があっても何になろうか。

儒教は礼儀と音楽で人々を導くという思想がある。 音楽で人々が和合して礼儀でけじめをつける。 音楽が和であり礼儀が敬である。まとめて礼楽という。

孔子は礼楽は大事だがその根本には仁がないといけないという。 礼楽は仁に対しては末ということになる。

同じく八イツ篇から次の記述を引用する。

書下し文
子夏問ひて曰く。巧笑倩たり美目ヘンたり。 素をもって絢となす。とは何の謂ぞやと。 子曰く、絵事は素を後にすと。 曰く、礼は後なるかと。子曰く、予を起こす者なり。 商や始めて共に詩を言うべきのみと。

現代語訳
子夏が質問した。「詩経に『笑顔はかわいく、目元は美しい。 紅白粉でさらにきれいに。』とありますが何の意味でしょうか。」 孔子が言われた。「絵は最初色をつけてその後白粉で仕上げるようなものだ。」 子夏が言った。「礼は後ということでしょうか。」 孔子が言われた。「私を啓発してくれるのは商だよ。それでこそいっしょに詩を語ることができるね。」

若干分かりにくいが解説すると、美人はもともと顔が美しく、化粧をしてさらにきれいになる。 美人であることが「本」であり化粧が「末」と言っている。 化粧が「末」なのと同じように礼は「後」すなわち「末」であると言っている。 商とは子夏の名前。 孔子の返答に対し子夏が打てば響くように返答したのを褒めた。 美人が化粧するからいいのであって不美人が化粧するのは本末転倒なのか(笑)

綾小路きみまろという漫談家がいる。日本の中高年のスターである。 漫談の会場には60代くらいのおばちゃんがたくさん来る。彼は漫談を始めるに当たりおばちゃんたちを歓迎する。 その口上。「よくぞいらっしゃいました。そんなお顔に化粧して。」日本のおばちゃん大爆笑。 彼はおばちゃんたちに美人という「本」が欠けているのに化粧という「末」が充実しているのを笑いにしているのだ(笑) ・・・すみません。冗談です。わるふざけが過ぎました(笑)。

以上のように真心が根本で礼儀が末端というのが儒教の正統思想である。 それに反する思想もある。荀子である。『荀子』性悪篇から引用する。

書下し文
人の性は悪にしてその善なる者は偽なり。

現代語訳
人間の本性は悪であり善は後天的作為から生まれる。
書下し文
人の性は悪にして必ず師法を待ちて然る後に正しく、礼儀を得て然る後に治まる。

現代語訳
人間の本性は悪であって必ず教師による規範によってこそはじめて矯正され、 礼儀によってはじめて治まるのである。

儒教の正統思想は「仁」→「礼」の順番だが荀子は「礼」→「仁」とする。 礼が根本だとする礼中心主義である。荀子は正統思想とは逆であり異端である。

『近思録』に次の言葉がある。程伊川の言葉。

書下し文
荀子は極めて偏駁なり。ただ一句の性悪、大本すでに失えり。

現代語訳
荀子は極端に偏っている。人の本性が悪だと述べた一言で根本がすでに失われている。

荀子が異端であるというのは私も同意する。しかし荀子は扱いが難しい。 正しいことを言う時と間違えたことを言う時があり、真理と誤謬が混在している。 「ここは正しいな、ここは間違いだな。」と取捨選択して読めば大丈夫だが。 偉い人が言っているからと素直に書いてあることを信じる人は読まないほうがいいかもしれない。 私が荀子を引用する時は上記の性悪篇以外は基本的に正しいことを言っている部分のみを引用しているつもりである。

荀子は「太本を失えり」という言葉の通り、本末を理解していないところがある。 しかし部分的には正しく理解している。 例えば強国篇に次の言葉がある。

書下し文
人君たる者、礼を貴び賢を尊べばすなわち王たり。 法を重んじて民を愛すればすなわち覇たり。 利を好みて詐多ければすなわち危うく、 権謀傾覆幽険なればすなわち亡ぶ。

現代語訳
君主たる者が礼を重視して賢者を尊重していけば王者になれる。 法律を重んじて民を愛すれば覇者になれる。 利益を好んでいつわりが多いのであれば国は危うく、 権謀をめぐらし陰険であれば国が亡ぶ。

「礼を重視し賢者を尊重」→「法律を重んじて民を愛す」→「利益を好んでいつわりが多い」→「権謀をめぐらし陰険」 となり、左のほうが物事の根本に近く右に行くほど末端である。 礼儀→法律→利益→権謀と本末の流れがある。 根本を押さえた者がうまくいくと指摘している以上、 荀子は本末をある程度理解していると言って良い。

儒教の正統思想では次の本末の階梯があると思う。 天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀

つづき王者・覇者と本末

荀子の言葉で王者と覇者が出てきた。知らない人のために一応違いを述べておく。 王者と覇者の区別、王覇の区別も本末と関係がある。

王者は道徳で人々を従わせ正しい方へ導く。これを王道という。 それに対して覇者はある程度武力を背景としそれに頼りながら人々を正しい方向へ導く。 これを覇道という。 荀子はそれに対して亡君、強者という概念も持ち出す。 これは権力を用いて私利私欲をみたす者である。

子供だった頃の学校の先生たちを思い出してほしい。 「この先生は人間として正しいか」を子供は本能的に気づくものだ。 道徳的に正しい先生で「この先生に従おう」と思ったことはないだろうか。 その先生は生徒を心服させたのだ。王者に近い。

怖い先生もいただろう。私が小さい頃は体罰もあった。 怖い先生だが正しい方向に生徒を導く先生はいなかっただろうか。 これが覇者に近い。

先生の中には自分の行いを正当化しているが実は私利私欲のために生徒を叱ったり威圧したりする先生もいただろう。 これが強者に近い。生徒は子供とはいえ教師が私利私欲のために怒っているのか生徒のために怒っているのか本能的に気づく。

『孟子』公孫丑章句上に次の記述がある。

書下し文
孟子曰く、力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有するを要す。 徳を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず、湯は七十里を以てし、文王は百里を以てせり。 力を以て人を服する者は心服せしむるに非ざるなり。力足らざればなり。 徳を以て人に服せしむる者は中心より悦びて誠に服せしむるなり。七十子の孔子に服せるが如し。 詩に西よりし東よりし南よりし北よりし服せざるなしといえるはこれこの謂いなり。

現代語訳
孟子が言った。力で仁の代用をするものは覇者である。覇道は必ず大国でないとできない。 徳によって仁政を行うのが王者である。王道は大国である必要ない。湯王はわずか七十里四方。 文王はわずか百里四方。そこから始めて王者となった。武力で人民を服従させるのは表面だけで心からの服従ではない。 力が足りないのでやむなく服従しただけだ。徳によって人々を服させるのは心の底からよろこんで本当に服従するのである。 孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。詩経に「西からも東からも南からも北からもやってきて 武王に心服しない者はなかった」というのはこのことを言ったものである。

「力を以て仁を仮る」というのは、覇者にも道徳的な威厳はあるが不足しているので他者を十分に心服させられない。 そこで道徳的な威厳を武力による威厳で仮に代用している、という意味である。そのため覇者たるには大国である必要がある。 しかし王者は道徳による威厳で他者を心服させるので、武力による威厳を必要とせず大国を有する必要はないという。

王者と覇者の区別は実は本末の思想が背景にある。 王者は徳が充実しているため根本がより充実している。 覇者は徳があるが不足しているためより末端の武力によって威厳を補わないといけない。 強者は徳がなく末端である武力のみによって私利私欲をみたす。 本末の思想が背景にあるのがわかるだろう。

『荀子』王制篇に次の記述がある。

書下し文
王はこれが人を奪り、覇はこれが与を奪り、強はこれが地を奪る。 これが人を奪るとは諸侯を臣とすることなり。 これが与を奪るとは諸侯を友とすることなり。 これが地を奪るとは諸侯を敵とすることなり。 諸侯を臣とする者は王。諸侯を友とする者は覇。諸侯を敵とする者は危うし。

現代語訳
王者は人心を取得し、覇者は同盟国を取得し、強者は領土を取得する。 人心を取得するとは諸侯を臣下にすることであり、 同盟国を取得するというのは諸侯を友とすることであり、 領土を取得するというのは諸侯を敵とすることである。 そこで諸侯を臣下とする者は王者になれるし、 諸侯を友とする者は覇者になれるが、 諸侯を敵とする者は危険である。

王者は人心を得る。諸侯を臣下とすると言うのは諸侯を心服させるのであって、 決して武力を背景としで直接的間接的に脅して臣下とするのではなく利益で釣って臣下とするのでもない。ここは誤解されやすいので強調しておく。

やはり王者ほど根本たる人心を取得し、覇者がそれに続き、そして強者が末端である土地を取得しているのが分かるだろう。

『荀子』の王覇篇に次の記載がある。

書下し文
国を治る者は義立てばすなわち王たり。信立てばすわわち覇たり。権謀立てばすなわち亡ぶ。

現代語訳
国家を治める者は道義を第一にすれば王者となり、信用を第一にすれば覇者になり、権謀を第一にすれば亡君となる。

これも似たような内容を述べている。道義、信用、権謀のうち、道義が根本に近く、信用がそれに継ぎ、権謀が末端である。

荀子の言葉は次のように続く。

書下し文
仲尼は置錐の地も無きに、義を志意に誠にし義を身行に加えてこれを言語に著したれば、済の日には天下に隠れず名は後世に垂れたり。

現代語訳
孔子は錐の先ほどの土地も持たなかったが、その精神を道義でかため、その実践も道義により、それを言葉に表したために、 完成の後には隠れようもなく名声は後世に伝わった。
書下し文
湯は亳を以てし武王は鎬を以てして皆な百里の地に起こりしも、天下は一と為り諸侯は臣と為りて、通達の属も従服せざることなかりしは他の故無し。義を為せしを以てなり。・・これ義の立てばすなわち王たりと言いし所なり。

現代語訳
湯王は亳から起こりし武王は鎬から起こった。始めは百里四方の小国だったがついに天下統一され諸侯は臣服して、 ゆきつくかぎりの範囲の人々がすべて服従したのは他でもない、道義を行ったからである。 ・・道義を第一にすれば王者となるというのはこれを言ったのである。

孔子は現実では失敗者だった。しかし何の権力も持っていなかったのに後世の多くの人を心服させた。それは孔子の道義が原因である。現実世界では王者にはなれなかったが王者に近いと言える。

湯王や武王も小国からスタートし王者になった。先の孟子の「王道は大国である必要ない」という言葉と荀子の言葉は一致している。道義が充実しているからである。

荀子はつづいて覇者について次のように述べる。

書下し文
徳は未だ至らずと雖も、義は未だ成らずと雖も、然れども天下の理はほぼ聚まり、刑賞否諾は天下に信ぜられ、 臣下は暁然として皆なその契るべきを知り、政令すでに陳れば利敗を観ると雖もその民を欺かず、 約結すでに定まれば利敗を観ると雖もその与を欺かず。かくの如くなれば則ち兵は強く城は固くして、敵国もこれを畏れ、 国は一に極則は明らかにして与国もこれを信じ、僻陋にある国と雖も威は天下を動かさん。五覇これなり。 ・・これ信の立てばすなわち覇たりと言いし所なり。

現代語訳
徳はいまだ十分ではなく、道義は完全には行えないといえども、天下の道理はほぼそこに集中し大義を持っており、 その賞罰や諾否は正しいものとして天下に信じられ、臣下はみなはっきりと主君が契約するに足る信頼できる人物と知っており、 政令がすでにしかれたからには、利害を見ても利害に従って民衆を欺いたりはせず、約束がすでに定まったからには利害を見ても利害に従って同盟国を欺くようなことはしない。もしそのようであれば、兵は強く城は固く、敵国も畏れ、国は統一され、 根本原則も明白で同盟国も信頼し、たとえ辺鄙な国であってもその威厳は世界を動かすだろう。五覇がそれである。 ・・信用を第一にすれば覇者になるというのはこれを言ったのである。

斉の桓公などはこれにあたる。 覇者は王者ほど道義を体現していないので、大国である必要がある。 孟子は覇者は「力を以て仁を仮る」「武力の威厳で道徳の威厳を代用する」と述べた。荀子と孟子はこの点では意見が一致している。

荀子は続いて亡君、強者について次のように述べている。

書下し文
国を挙げて以て功利を呼せしめ、その義を張りその信を為すことを務めずして、唯だ利をのみ求め、 内は則ちその民を詐ること憚らずして小利を求め、外は則ちその与を詐わることを憚らずして大利を求め、 その有する所以を修正することを好まずして啖啖然として常に人の有を欲す。かくの如くなれば則ち臣下百姓も詐心を以てその上を待たざる無し。上はその下を詐り下はその上を詐らば則ちこれ上下の分かるるなり。 かくの如くなれば則ち敵国もこれを軽んじ与国もこれを疑い権謀は日々に行われて国は危削を免れず、 これを極ればすなわち亡ぶ。斉の閔王と薛公とはこれなり。

現代語訳
国民のすべてに功利を第一のこととさせ、自分の道義を伸ばし自分の信用を築くことには努めないで、ただ利益のみを求め、国内では小利を求めて、その民衆をだまし、外では大利を求めて同盟国をあざむき、財物を保有するための正しい手段を修めることを好まないで、いつもがつがつし他人の財産を欲する。このようであれば臣下、民衆もいつわる心で上位者に対するようになる。上位者が下の人々をいつわり下の人々が上位者をいつわるというのは上下が分離することである。もしそのようであれば敵国も軽視し、味方の国も疑い、盛んに権謀が行われて国家も危うくなり勢力が削られることを免れず、これの行きつく先は国が亡ぶことになる。斉の閔王と薛公がこれである。

斉の閔王と薛公について私はよく知らないので董卓や袁術のこととしておく。

それでは完全な王道というものは存在するのか。 人心を取得し道徳の威だけで人々を導くような人物。 『孟子』梁恵王章句上に次の記述がある。

書下し文
地、方百里ならんにもすなわち以て王たるべし。 王もし仁政を民に施し刑罰を省き税斂を薄くし深く耕し疾く耨らしめ壮者暇日を以て その孝悌忠信を修め、入りては以てその父兄に仕え、出でては以てその長上に仕えしめば、 杖を掣げて以て秦楚の堅甲利兵をうたしむべし。彼らはその民の時を奪い耕耨して以て その父母を養うを得ざらしむれば父母は凍餓し兄弟妻子は離散すべし。 彼らその民を陥溺せしめんとき、王往きてこれを征たばそれ誰が王と敵せん。 故に仁者に敵なしと言えり。

現代語訳
たった百里四方の国でも王者となることができます。 王様がもし仁政を行って刑罰を軽くし、税金の取り立てを少なくし、 田地を深く耕し草取りを早めにさせ、若者には農事のひまなときに孝悌忠信の徳を教え込み、 家庭ではよく父兄に仕え社会ではよく目上に仕えるようにさせたなら、ただのこん棒だけでも 堅固な鎧兜、鋭利な武器で身を固めた秦や楚の精鋭にも勝てるでしょう。 ところが彼らは正反対で時をかまわず人民をこき使い農耕に精を出して父母を養うことも 出来ぬようにさせています。父母は飢え凍え妻子兄弟は離散しています。 いわば彼らは人民を穴に突き落とし水に溺れさすような虐政をしています。 そのときに王様がこれを征伐したならば誰がはむかうでしょうか。 仁者に敵はないのです。

孟子は「仁者無敵」と述べている。 仁者の軍はこん棒だけでも敵に打ち勝つという。 孟子はあまりにも理想主義的で現実無視である。

孟子の記述が完全な王者とすると、 実際には完全な王者は存在しない。 王者の典型である周の文王ですらその子武王が殷を討伐した。 現実には王道と覇道が混在する。

ただし周の文王は王道の要素が非常に大きかった。 多くの人々が文王に心を寄せ殷の紂王を去った。 王道が9割で覇道が1割くらいだろう。 王道がほとんどで若干覇道で補ったというところ。

逆に覇道の典型とされる曹操ですら、王道の側面は確かにあった。 荀彧荀攸程昱陳登たち心ある人々が曹操の道義に共感して従った。 王道3割覇道7割くらいか。 王道と覇道が混在し王道の要素が大きい者ほど後世の評価は高くなる。 後世の評価は大雑把に正しくなる傾向にある。

世界史で最も人心を取得した人物は誰だろうか。ムハンマド、イエス、仏陀であろう。 過去から現在に至るまで実に何十億もの信者がおり信者たちは彼らに心服している。 この心服が王道の本質である。徳によって人々を心服させる。

先の『孟子』公孫丑章句上の 「徳を以て人に服せしむる者は中心より悦びて誠に服せしむるなり。七十子の孔子に服せるが如し。」 「徳によって人々を服させるのは心の底からよろこんで本当に服従するのである。 孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。」 というのはこれと同じである。ムハンマド、イエス、仏陀の信者たちは彼らに心服している。

彼らであれば完全な王者たりえただろうか。 彼らですら不可能である。彼らですら生前において彼らを理解しなかった人たちと戦わねばならなかった。 イエスはイエスを理解しないパリサイ人が存在したし、ムハンマドも戦った。

王道と覇道が混在するのが現実である。しかし王道の割合が大きいほど偉大とされる。 ムハンマド、イエス、仏陀が偉大とされるのは彼らが何十億の人々を心服させ最も王道に近いからである。 彼らは最も根本が充実しているからである。

つづき天下の害 末が勝つ

『近思録』克治に次の記述がある。

書下し文
天下の害は末の勝つに由らざる無し。峻宇彫牆は宮室にもとづき、 酒地肉林は飲食にもとづき、淫酷残忍は刑罰にもとづき兵を窮め武を涜すは征討にもとづく。

現代語訳
天下の害はすべて末が勝つことによる。贅沢な宮殿は一般の住居からはじまり、 酒池肉林は一般の飲食からはじまる。度の過ぎた残酷さは刑罰からはじまり、 やたらと武器を用いるのは軍備からはじまる。

本は重要だが末も必要である。しかし末が勝ち過ぎると天下に害が及ぶという。 我々が生きていれば物質的生活というものがある。 我々は人間であり天使ではないから物質的生活は必要である。 住居も必要だし食べ物も必要だ。 国が存在する以上刑罰も必要だし、軍備も必要である。

私は安心できる住居や健康なおいしい食べ物も人間生活の根本だと思うが、 昔の儒教の思想では末端とされる。 刑罰も軍備も必要だが儒教では末端である。

住居が行き過ぎると昔の王公は過度に贅沢な宮殿を建てるようになり、 食事が行き過ぎると酒池肉林になる。 刑罰は必要だが行き過ぎると残忍になり 武力も行き過ぎるとやたらと武力を振りかざすようになる。 末が勝ち過ぎると天下に害が及ぶようになるという。

同じく『近思録』克治に次の記述がある。

書下し文
およそ人欲の過ぎたる者は皆捧養にもとづく。 その流れ遠きときはすなわち害をなす。 先王のその本を定むるは天理なり。 後人の末に流るは人欲なり。

現代語訳
人の過度の欲はすべて物質的生活に基づく。 それが行き過ぎると害をなす。 先王がその根本を定めたのは天理により、 後世の人が末端に流れたのは人欲による。

すでに述べたように我々は人間である以上物質的生活がある。 それが行き過ぎると害を及ぼすという。 そして末端が行き過ぎるのは人欲に流れる事であるという。 それに対し根本は天理に近いという。 物事の根本は最終的に天につながる。これはすでに説明した通りである。 「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」 の階梯があり、根本に行くほど天理に近くなる。

荀子は礼を中心とし仁徳は礼によって生まれるとした。 「礼儀→仁徳」である。本末転倒である。

私は儒教が社会に与えた影響史を知らないが、 荀子のような思想は礼でがちがちに固められた社会を作る危険性がある。 葬式の時にわざと泣くような。 礼は仁に対して末であるから荀子の礼中心主義、性悪説は「末が勝つ」思想と言って良い。

『近思録』総論聖賢に次の言葉がある。

書下し文
荀子は才高ければ、その過ち多し。揚雄は才短ければ、その過ち少なし。

現代語訳
荀子は才能が優れているので過ちも多い。揚雄は才能が足りないので、その過ちは少ない。

荀子は才能豊かである。読んでいて「この人頭いいな・・!!」と感嘆する箇所は非常に多い。 しかし「この人間違えてるな」と思う箇所も多い。 才能豊かなので影響力が大きく、間違えている箇所もあるので害も大きいのである。 間違えた思想が大きい影響力を持つ。

揚雄は漢代の人。私は詳しく知らないが、新釈漢文大系によると人間の本性を善悪半々と考えた人らしい。 才能が足りないので害も少ないと述べている。

このくだりはあるいは『中庸』の次の言葉を述べているかもしれない。

書下し文
子曰く、中庸はそれ至れるかな。民よく久しくすること少なし。

現代語訳
孔子が言われた。中庸はすぐれている。これを行う人は少ない。
君子は中庸す。

すべての場合ではないかもしれないが、多くの場合最もちょうどよい中庸というものがある。 多ければ多いほどいい、少なければ少ないほどいいという場合も時にはあるだろうが、多くの場合はちょうどよい中庸がある。 さらに引用する。ここでは「道」=「中庸」となっている。

書下し文
子曰く、道の行われざるや、我これを知れり。知者は之を過ぎ愚者は及ばざるなり。 道の明らかならざるや、我これを知れり。賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。

現代語訳
孔子が言われた。道が世の中に行われないと私は知っている。知者はやりすぎてしまい、愚者はそこまで到達しない。 道が世の中に明らかになっていないと知っている。賢者はやりすぎてしまい、能力がない人はそこまで到達しない。

知者はちょうどよい中庸を超えてやりすぎてしまい。愚者はそのちょうどよい中庸まで到達しない。 荀子が知者にあたり揚雄が愚者に当たる。 愚者は能力がないのでほとんどの場合、少しプラスになるか少しマイナスになるかであるが、知者は能力があるのですごくプラスになるかすごくマイナスになるかのどちらか。荀子は知者の典型。非常に優れた内容を語るが、間違えているところも多い。 社会に対する悪影響も大きかったかもしれない。

他にも末が勝つ例を挙げる。 ビジネスでは金儲けは必要である。 「良い技術・アイデアがある。」→「社会の役に立つ」→「商品・サービスが売れる」→「利益が上がる」 と本末の連鎖がある。根本は「社会に役立つ技術・アイデアがある」で末端が「収益が上がる」である。 金儲けは必要だが、根本を忘れ金儲けのみに走るようになると「末が勝つ」状態になり「天下の害」となる。

アインシュタインが言った。

異性に心をひかれるのは善いことだ。しかしそれが人生の目的になってはいけない。

異性に心をひかれるのは重要だが「末」である。それが人生の目的になるのは末が勝つことだという。

恋愛に性欲はつきものである。しかし真心が本であって性欲が末である。 真心がなく性欲のみに走るのは「末が勝つ」ということになる。

国にとって武力は必要だ。しかし根本は正義であって武力は末である。 武力は正義のための武力である。董卓のように武力だけに走り横暴になるのはこれも末が勝つと言うべきだろう。

金儲けや性欲、横暴に走るのは『近思録』にあった通りすべて人欲である。 それに対し「社会に役立つ技術アイデア」「恋愛の真心」「正義」は根本であり天理に近い。


末の重要性

根本が重要であり、根本が備われば自然と末端が充実すると述べた。そして根本が忘れられ末端のみに走るようになると害が生じると述べた。では末端は不要か。

一見今までの論述と矛盾するようだが、末を軽視してはいけない場合は非常に多い。

劉備の人生を例に解説する。「人徳」→「人材」→「土地」→「財産」→「大業」の本末の連鎖はすでに解説した。人徳があると自然とそれを慕って有能な人材が集まり、有能な人材が集まると自然と領土が増え、領土が増えると税収が上がり財産が増え、財産が増えると民の生活を安定させられる。大業が完成する。これは曹操の人生に当てはまる。

劉備は根本たる人徳を備えていた。しかし彼は勇敢な豪傑ばかりを信頼し合理性を持つ知者を軽視した。知者が集まらなかった。「人徳」の段階から「人材」の段階に移行しなかったのである。そのため「人材」の後の「土地」にも到達せず領土は拡大しなかった。彼が大業を成したのは孔明と言う知者を得てからである。

確かに大業をなさなくても偉大な徳という根本を持っていた劉備は偉大である。しかし大業を成すという末端も重要である。それをしないと劉備の徳により民の生活を安んじることができない。末端を軽視してはいけない例の典型だ。

ビジネスでも同じだ。「社会に役立つアイデア・技術がある」→「良い商品・サービスがある」→「営業がうまくいく」→「売上が上がる」という本末の連鎖がある。

根本たる良いアイデア・技術を持っているのはとても素晴らしい。しかし最終的に末端たる売上げにつながらないと世の中にその価値を届けることができない。ビジネスとしては成立しない。それはアイデア倒れである。やはり末端も重要であるのが分かる。

『耳をすませば』というアニメで小説家志望の少女が出てくる。名を雫という。彼女がバイオリン職人の爺と雫の会話が印象的。

爺は雫にエメラルドの原石を見せる。

爺「緑柱石といってね。エメラルドの原石が含まれているんだよ。」
雫「エメラルドって、宝石の?」
爺「そう。雫さんもその石みたいなものだ。まだ磨いてない、自然のままの石。私はそのままでもとても好きだがね。しかし、ヴァイオリンを作ったり、物語を書くというのは違うんだ。自分の中に原石を見つけて、時間をかけて磨くことなんだよ。手間のかかる仕事だ。」

雫の個性という原石が小説づくりの根本。それを磨いて作品ができる。その内容が十分あれば芥川賞をもらう。有名になり発行部数が伸びて印税が手に入る。

「個性」→「作品」→「芥川賞」→「売上」という本末の連鎖がある。

根本たる個性が最も大事であるが原石で終わってしまってはあまり意味がない。優れた作品を作る必要がある。さらに芥川賞をとれば評判になり多くの人に作品を届けることもできる。やはり末端を軽視してはいけない。

ここで注目すべきは爺の次の言葉。「自然のままの石。私はそのままでもとても好きだがね。」

大多数の人は芥川賞をとって有名になった後でしかその小説を評価しない。少数の人は優れた作品ができた時点でその小説を評価する。さらに少数の人が原石の時点で評価する。この爺は原石の時点で評価する優れた目利きである。この爺は作者宮崎駿の分身である。宮崎駿は恐らく優れた目利きである。

アイドルでも大多数の人は有名になってから評価する。少数の人はそのアイドルが育ってから評価する。本当に目利きの人だけ原石の時点で評価する。

劉備も同じである。多くの人は劉備が大きな領土を得た後でないと彼を評価しない。しかし曹操のような英雄はそれ以前から劉備が原石であった時点で評価している。「天下の英雄は君と余だ。」と曹操はうだつの上がらない劉備に対して言った。原石の時点で評価した人は優れた目利きとして名を残す。

『荀子』天論篇に次の言葉がある。

書下し文
天に在る者は日月より明らかなるは無く、地に在る者は水火より明らかなるは無く、物に在る者は珠玉より明らかなるは無く、人に在る者は礼儀より明らかなるは無し。故に日月は高からざれば則ち光輝も盛んならず、水火は積まざれば則ち輝潤も博からず、珠玉は外に著われざれば則ち王公も以て宝と為さず、礼儀は国家に加わらざれば則ち功名も明らかならず。

現代語訳
天にあるものでは日月が最も明らかであり、地上のものでは水火が最も明らかであり、物のうちでは珠玉が最も明らかであり、人間の中では礼儀が最も明らかなものである。そこで、日月は高くなければその光輝も盛んではなく、水火は積み上げなければその輝きと潤いを広く施せず、珠玉も地上にあらわれなければ王侯によって宝とされない。

太陽や月のように光り輝くものも沈んでいてはいけない。天高くのぼらなければ地上をくまなく照らすことはできない。同じように偉大な人徳をもつ劉備も大業をなさなければその人徳で多くの民衆を救うことができない。世の中に役立つアイデア・技術もビジネスとして成功しなければ多くの人に価値をもたらし社会貢献をすることはできない。優れた個性を持った小説家も芥川賞をとらなければ多くの人に読んでもらい自分の感動を伝えることができない。

この荀子の言葉は儒教としては珍しく末端の重要性を述べている箇所である。現実主義者たる荀子らしい言葉だ。

私のスタンスは「根本は重要だが末端も重要である。しかし根本のほうが末端より重要だ」となる。恐らくこれが正しい。以下私の造語。

根本なき末端は空虚であり、末端なき根本は現実化しない。

根本なき末端とは例えば董卓のように根本たる人徳を持たない者が末端たる強力な軍事力を持った場合である。これは空虚であり害である。さらに長続きしない。

社会貢献をまったく伴わないビジネスも同じだ。根本たる「社会に役立つアイデア・技術」なしに末端である売上だけ生じるビジネス。根本なき末端であり空虚であり長続きしない。

内容のない売れた小説も同じ。個性という根本なしに売上という末端だけが充実する。これも空虚であり長続きしない。

逆に末端なき根本は例えばうだつの上がらない劉備である。末端たる大業に至らなければその偉大な人徳は現実世界で意味を持ちえない。末端なき根本は現実化しない。

アイデア・技術だけあってビジネスとして成功しない企業も同じ。末端なき根本だ。末端たる売上に至らなければ現実世界で意味を持ちえない。

原石のままの小説家も同様。根本たる個性だけあっても優れた作品を仕上げそして売れなければ現実化しないのである。

理想主義者ほど根本を重視し、現実主義者ほど末端を重視する。

小説家の例で「個性」→「作品」→「芥川賞」→「売上」の本末の連鎖を挙げた。理想主義者は根本を重視する。小説家の作品が出来上がっていなくてもその個性だけで評価する人もいる。個性とは人間性である。それよりやや現実的な人は優れた作品を見て評価する。作品とは芸術性である。さらにより現実的な人は芥川賞をとった後に評価する。芥川賞は名誉である。個性作品などの内容よりも名誉を重視する人はこれにあたる。最も現実的な人は売上や印税で評価する。売上とは金だ。「・・で、いくら稼いだの?」という質問をする。

「個性」→「作品」→「芥川賞」→「売上」とは「人間性」→「芸術性」→「名誉」→「金」と言い換えられる。

私のスタンスをついでに書いておくと私は作品を評価する場合が多い。内容を理解できない場合は芥川賞をとったと聞いて「へ~すごいんだ。」と思うが、多くの場合は作品を見て評価を決める。作品になる前の個性だけで評価できるときもあるがなかなかできない。

ビジネスでも「社会に役立つアイデア・技術がある」→「良い商品・サービスがある」→「営業がうまくいく」→「売上が上がる」という本末の連鎖がある。理想主義的な人ほどその会社の理念や思想にほれ込む。それよりやや現実的な人はその会社の商品やサービスにほれ込む。もっと現実的な人はその会社のブランド力や社会から受ける尊敬度などにひかれる。最も現実的な人は会社規模や売上を重視する。

先に「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」という本末の連鎖を挙げた。このうち左に行くほど根本に近く右に行く穂と末端に近い。よって理想主義者ほど左側を重視し、現実主義者ほど右側を重視する。

そもそも「根本」と「末端」というのも儒教や私自身が理想主義に寄っているので、左側を「根本」と呼ぶ。現実主義者は経済力や軍事力を「根本」と言うため右側を「根本」と言うはずである。この記事では左側を「根本」とする。

孔子は「天→人間本性→道→仁徳」を重視。もちろん礼もそれに続いて重視する。法、利益、武力は否定はしないがそこまで重視しない。孟子もこれに近いか。孔明は「仁徳→礼儀→法律→利益→武力」を重視。荀子は礼儀を重視する。韓非子は法。董卓は利益と武力のみ。後述する賈クは権謀が得意。

理想主義に過ぎて現実を無視する人は現実世界で成功しない。孟子がその典型である。逆に現実主義に過ぎて武力や利益のみを求める人は一時的に成功しても長続きしない。董卓がその典型である。

儒教などの普遍的思想は天の意思であるという意見がある。私は部分的に同意する。しかし思想は普遍的とはいえそれは思想家の思想でもある。人間の意見でもある。しかし歴史の結果は歴史の意思であり天の意思と言ってもいいかもしれない。その点からすると董卓は天の意思にそむく人間である。孟子は後世において大きな名声を得たため天の意思に部分的に則っていたといえるにしても現実世界で成功しなかったため天の意思と違う点もあったと結論すべきである。

では誰が天の意思に適うか。三国志で言えば曹操や孔明である。なぜか。それは彼らが理想と現実の中間を行ったからである。

『近思録』総論聖賢に次の言葉がある。

書下し文
諸葛武侯は儒者の気象有り。

現代語訳
諸葛孔明には儒者の風格がある。

さらに次の言葉がある。

書下し文
孔明は礼楽に近し。

現代語訳
孔明は礼楽を興す人物に近い。

礼楽を興すとは新しい道徳を興すという意味。孔明は儒教の本質を体現していた人物として評価されている。儒教的理想を持っていたのだ。

『礼記』楽記篇に次の言葉がある。

書下し文
礼楽の情を知る者は能く作る。礼楽の文を識る者は能く述ぶ。作る者をこれ聖と言い述ぶる者をこれ明と言う。

現代語訳
礼楽の本質を知る者は新しい礼楽を興すことができる。先賢の興した礼楽を理解する者はそれを受け継ぐことができる。 礼楽を興す人物を聖と言い、礼楽を受け継ぐ人を明と言う。

先の「孔明は礼楽に近し」というのは最大級の賛辞である。礼楽を興すのは聖人である。孔明はそれに近いというのだ。実際には孔明は「聖」=「聖人」ではなく「述べる者」であり「明」であると言える。

彼は理想を持っていただけでは無い。その理想を実現しえた。彼の治世は堯舜の治のようである。彼が現実世界でその理想を行えたのは彼が現実を知っていたからである。理想と現実の中間を行える人物であった。

曹操は小説である三国志演義の影響でゴリゴリの現実主義者と思われがちだが、史実ではそうではなかった。若い頃洛陽北部尉という警察部長に任命されたとき、法律を重視して法律違反する者は例え高位高官の人物でも全く容赦しなかった。当時の中国は法律が守られずたるんだ社会だった。曹操は自らの命の危険を顧みずにそれを正そうとしたのだ。彼は若い頃、その後の抱負を語った記録が残っており「私は天下の智者勇者にまかせ道義をもって彼らを制御するつもりだ。」と述べている。やはり道義を重視していたというのが分かる。しかし彼は現実無視の理想主義者ではなく非常に現実を重視していたのはあらためて言うまでもないだろう。

理想主義には良い意味での理想主義と悪い意味での理想主義があり、現実主義には良い意味での現実主義と悪い意味での現実主義がある。良い意味での理想主義は世の中をよくするための理想を持つ考え方である。悪い意味での理想主義は理想の実現の際に現実を無視する。良い意味での現実主義は現実をよく理解して現実を動かす。悪い意味での現実主義は世の中をよくするための理想を持たない考えである。曹操や孔明は良い意味での理想主義と良い意味での現実主義を備えていたと言って良い。

儒教は根本を重視し末端を軽視する。私は儒教の普遍性を信じる者だが、儒教にとらわれる気はないし、儒教のすべてに賛成というわけでもない。私は末端も大切だと思う。しかし末端を備えるためには根本を備えていないと意味がない。根本を備えた人が末端も備えると末端は大きな力を発揮する。しかし末端のみを求めると「末が勝つ」状況になり、害を及ぼす。

董卓のような根本を備えずに末端だけ備えた人物は尊敬できない。社会に役立つアイデア・技術という根本を備えずに利益と言う末端に走る企業も尊敬できない。劉備のように根本たる人徳を持っている人で末端たる大業を成さない人は尊敬できる。しかしもったいないと思う。曹操や孔明のように根本を持ち末端をも備えた人は尊敬でき、さらに世の中を良くできる。

E.H.カーの『危機の二十年』という政治学の古典がある。次の言葉がある。

理想主義者の典型的な欠陥は無垢なことであり、現実主義者のそれは不毛なことである。

悪い意味での理想主義と悪い意味での現実主義について的確に述べている。次の言葉もある。

未成熟な思考はすぐれて目的的であり理想主義的である。とはいえ目的をまったく拒む思考は老人の思考である。

理想主義は現実を知らない無垢な青年の思考であり、現実主義は目的や夢を持たない老人の思考だと述べている。続いてこれらに対比される成熟した思考について次のように述べる。

成熟した思考は目的と観察分析をあわせもつ。

目的は理想であり観察分析は現実である。成熟した思考は理想と現実の中間を行くのである。次の言葉が続く。

こうして理想主義と現実主義は政治学の両面を構成するのである。健全な政治思考および健全な政治生活は理想主義と現実主義がともに存するところにのみその姿を現すであろう。

曹操や孔明が成熟した思考の典型である。

成熟した思考は理想と現実の中間を行くと述べたが、もちろん単純に両極の中間と言う意味ではない。

もし単純に中間であれば「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」のうち「礼」が一番真ん中なので礼を重視する荀子が一番偉いということになる。もちろんそれはおかしい。荀子より孔子のほうが偉い。

E.H.カーが「成熟した思考は目的と観察分析をあわせもつ。」と言う通り、理想と現実の両方を重視する人が正しいと言うべき。

私のスタンスも述べておく。記事を書いてる本人のスタンスも知っておいたほうが良いかもしれないから。 私は「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」のうち一番右の「権謀」以外はすべて大切だと思っている。権謀は他人の罠に引っかからないために知っておく必要があるが積極的に用いるものではないと思っている。

さらに付け加えると私は若干理想主義のほうに寄っている。本と末、両方大切だがどちらかとれと言われれば本を取ると言うのが私のスタンス。E.H.カーの言葉には共感するが、別に彼の思想に全部賛成というわけでもないしそれに捉われるつもりもない。個々人が自分の信念に基づいてどのスタンスを取るか決めるべきだ。

劉邦は儒者嫌いだったが『劉邦』という宮城谷氏の小説で、劉邦が儒者を嫌う理由として、儒者は思想に捉われる点を挙げている。思想は読むべきだが捉われてはいけない。

『ヨギーニ』というヨガの雑誌の2019年3月号に次の言葉が書いてあった。この手の雑誌はプロのライターが書いていて、文章がうまいと思う。見習いたい。

師や先からの回答を鵜呑みにすると「気づきの成長」を止めてしまいます。先生の言葉はガイドであり、自分で気づきを得るための光です。自分の力で向かっていかなければいけないのです。そうすることで、主体的にものごとが見られるようになり、、心の声に耳を傾け、自分にとっての正しい選択ができるようになります。いい悪いというのはすべて個人論に過ぎません。「この食べ物が血圧にいい」と言われても、みんな同じ効果を得られるわけではありません。それぞれが違う肉体と言う器と、違う真我というモーターを持っているのです。

E.H.カーの言葉も儒教の言葉も鵜呑みにするとかえって害を生む。思想にとらわれてしまう。

話がそれた。元に戻る。古代ギリシャの格言に次の言葉がある。

賢者にあっては金は良き召使であり、愚者にとっては冷酷な主人である。

賢者は金を本当の意味で自分を高めるため、世の中を良くするために使う。金は手段であるから「召使」であり、良いことに使うから「良き」召使である。愚者においては金は目的であるから「主人」であり、そういう人は寒々とした人生を送るので「冷酷な」主人である。

金は末端ではあるが根本を備えた賢者が使うと自分を本当の意味で高めたり社会を良くする会社を起こしたりできる。根本を備えない愚者が金を得ても世の中は良くならず当人にとっても必ずしもプラスにならない。要は根本を備えた者が末端も備えると末端は非常に大きなプラスの力を発揮する。末端を軽視してはいけない理由がここにある。根本を備えない者が末端を充実させるとそれはすでに述べた「末が勝つ」状況になる。金を主人とする人たちはこれにあてはまる。

『荀子』修身篇に次の言葉がある。

書下し文
君子は物を役し、小人は物に役せらる。

現代語訳
君子は外物を使うが、小人は外物に使われる。

古代ギリシャの格言の賢者は金を使い、愚者は金に使われる。 賢者は根本を持っている。根本を持っている人が末端たる金を得ると良き召使として金を使う。 愚者は根本を持たない。根本を持たない人が末端たる金を得ても金を主人としてしまう。

『論語』公冶長篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く、吾未だ剛者を見ず。或る人答えて曰く申トウと。子曰くトウは欲あり。焉んぞ剛たるを得ん。

現代語訳
孔子が言われた。「私は剛の者を見たことがない。」或る人が答えて言った。「申トウがいます。」孔子が言われた。「申トウには欲がある。剛の者とは言えない。」

申トウとはどのような人か分かってない。恐らく魏延のような威勢のよい人だったのだろう。ヤクザみたいな人。孔子は申トウには欲があるので剛の者とは言えないと答えた。

これに関して『論語集注』に次の言葉がある。

程子が言われた。「多欲であれば剛ではない。剛であれば多欲に屈しない。」謝氏が言った。「剛と多欲は正反対のものである。物の誘惑に勝つのを剛と言う。それゆえ常に万物の上に位置する。物に蔽われてしまうのを多欲と言う。それゆえ常に万物の下に屈する。」

これも古代ギリシャの格言と同じことを言っている。金の誘惑に勝つ人は金より上に位置する。そして金を手段として有効に使う。金は召使。剛の者である。多欲の人は金の誘惑に負ける。金より下に位置する。金に使われる。金は主人。金のために自分の志を捨ててしまうかもしれない。剛の者とは言えない。


孔明と賈ク

三国志で本と末について考える。孔明と賈クについて論じる。三国志に興味ない方は飛ばしていただければ。

賈クについて。裴注で賈クは酷評されている。例えば董卓が王允に殺された後の話。李・郭らはあきらめて軍隊を解散し故郷に引きこもろうとした。しかし賈クはそれは危険だとして反対。軍勢を率いて長安に攻め込むよう進言。これをきっかけとして見るも醜怪な李・郭の乱が始まる。

裴松之は賈クを「不仁」と決めつけ、やっと董卓が死んで天下が太平になりかけたのにそれを台無しにしたのは賈クの進言のせいだとして糾弾している。

しかし賈クが長安進撃を進言したのは、そうしないと賈クたちの命が危険だったからである。賈ク自身「此救命之計」と述べているように、これは正当防衛である。裴松之の糾弾ぶりはやや不自然と言って良い。

また賈クは荀彧荀攸と同列の列伝が立てられている。裴松之はその点に関し陳寿を批判している。荀彧荀攸のような高潔な人と賈クを同列にするな。郭嘉程昱と同列にしろと言う。

たしかに荀彧荀攸は高潔な人だ。しかし賈クも例えば李・郭の乱の時に、李カクの無道ぶりを諫め政治を正しい方向に匡正したとある。それなりに正しい人だったと言って良い。やはり裴松之の酷評ぶりはやや不自然。

なぜ裴松之が賈クを糾弾したか。簡単に結論から述べる。賈クが裴松之に嫌われた理由は明らか。『荀子』強国篇の言葉を再度引用する。

書下し文
人君たる者、礼を貴び賢を尊べばすなわち王たり。 法を重んじて民を愛すればすなわち覇たり。 利を好みて詐多ければすなわち危うし。 権謀傾覆幽険なればすなわち滅ぶ。

現代語訳
君主たるものは礼儀を重んじ賢者を重用すれば王者になれる。 法律を重んじて民を愛すれば覇者になれる。 利益を重んじて詐術が多ければ国は危うい。 権謀術数を用い陰険であれば国は滅ぶ。

賈クが裴松之に嫌われた理由は簡単だ。権謀術数が得意だから。 先に「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」という本末の連鎖を挙げた。 賈クはそのもっとも末端である権謀術数に長じていたからである。

賈クのような人は場合によっては必要かもしれないが、このような人があまりにはびこると、世の中は陰険になり足の引っ張り合いで滅ぶ。

日本は権謀術数を用いる人はいるが数はそんなに多くない。だから権謀術数がはびこって国が亡ぶというのはあまりピンとこないかもしれない。それに対し中国は昔から権謀術数を用いる人が多い。

10年ほど前ある中国の人が言っていた。日本人はひとりひとりはそんなに強そうではないが、協力し合い連携しあって大きい仕事をする。中国人はひとりひとりは強いが互いに足の引っ張り合いをする。中国人である裴松之も権謀術数の危険性を身にしみて痛切に感じていたのかもしれない。

裴松之は賈クが荀彧荀攸のような徳の高い人物と同列の伝が立てられたのを非常に怒っている。郭嘉程昱と同列にしろと言っている。明らかに賈クの権謀を好む性格その道徳性を問題視しているのが分かる。

章炳麟という清末の中国の思想家がいる。章炳麟の同時代人で清末革命を論じている志士たちの中に、賈クや陳平を尊敬し彼らを真似たいと思っている人たちが非常に多い、と章炳麟はその論文で歎いている。引用する。

現代に革命を言う者が陳平・賈クを至宝とするだけでなく、 自分自身も陳・賈の行動を真似たいと思っている。 彼らを非凡抜群の才能と思うとは、悲しいかな、悲しいかな。 現代中国に欠けているものは、知恵謀略ではなく貞節信義であり、 権謀術数でなく公正廉直なのだ。

清末の中国は深刻な国難であった。彼は国を深く憂えていたのだろう。同じく国を憂えていた当時の志士たちが、よりによって賈クを慕っていたというのは深刻だ。権謀より理想が大切だという章炳麟の嘆きはよく分かる。

裴松之も賈クを陳平と並べて批判している。彼の批判を要約。『漢書』においては張良と陳平が同列の伝が立っている。張良は人間性も高潔だが陳平はそれより明らかに劣る。しかし代表的な智謀の士が他にいなかったので仕方なく張良と陳平は同列の伝になった。

しかし曹魏では高潔な荀彧荀攸以外にも人間的に劣る郭嘉程昱がいるではないか。賈クは郭嘉と同列にしろと言って陳寿を批判する。陳平と似た人物と見ている点からして裴松之が賈クの権謀を嫌っているのは明らかだと思う。

曹丕が皇帝になった時、賈クは大尉になった。それを聞いた孫権は笑ったという。人間のスケールの大きい孫権からしたら、賈クのような人物は高位につくべきではないのかもしれない。

賈クは決して賄賂をとったり残酷なことをしたりと分かりやすい悪事を働く人間ではない。暴虐な李カクを諫め政治を正しい道に戻そうとしていた点からすると、個人的にはどちらかと言うと良心的な人間だったかもしれない。しかし権謀を行う人物である以上、長期的に見るとその意図とは裏腹に悪影響をたれ流す可能性がある。裴松之章炳麟孫権はそのような賈クの人間性を嫌ったのだ。

賈クは末技が得意であったため裴松之に嫌われた。権謀術数は一見効果的のように見えて、長い目で見れば世の中を腐敗させていく。他人の罠に引っかからないためにある程度習熟する必要はあるが、積極的に用いるのは問題がある。

書下し文
君子の道は闇然として而も日々章かに、
小人の道は的然として而も日々に亡ぶ

現代語訳
君子の道は人目をひかないのに 日に日にその真価が表れてくるが、
普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら 日に日に消え失せてしまう

賈クの知略は「小人の道」の典型。彼の知略は実に正確で鋭く鮮やかで、時によっては必要だ。「的然」としていて非常に人目をひく。しかしそれは末技だ。長期的には道徳的に悪影響を及ぼす。「日々に亡ぶ」とはこれを指している。

賈クの知略がいかに鮮やかだったかを書いていく。知ってるよという方も多いだろうが、復習がてら。

賈クは曹操に仕えたが、曹操が馬超と戦った時の賈クの策。馬超と同盟している韓遂と馬超の間を離間する。曹操が韓遂に手紙を送り、その手紙をあらかじめ部分的に墨で消したり、書き改めたりしておいた。馬超が手紙のことを知って韓遂に確認する。

馬超「曹操から手紙が届いたらしいな。見せてみろ。」
韓遂「これだ。」
馬超「何で消したり改めたりしてあるんだ?」
韓遂「なぜだろう。最初からこうなっていたんだ。」
馬超「・・・」

内容がばれないように韓遂が手紙を書き改めたと馬超は疑いを抱く。離間に成功した。賈クの権謀術数ぶりが分かる記述だ。かなり酷い策と言える。

これも賈クが曹操に仕えた時。二人の息子、長子曹丕と年少の曹植の後継者争いに関し曹操を説得する有名な場面。

曹操「後継者問題をどう思う?」
賈ク「・・・」
曹操「私が質問してるのに答えないのはなぜだ?」
賈ク「ちょっと考え事をしておりまして・・」
曹操「いったい何を考えていたのだ?」
賈ク「袁紹父子と劉表父子について考えていました。」
曹操は大笑し後継者問題は解決した。

袁紹も劉表も年長の息子より年少の息子を後継者にしようとして家が滅びた。いまだに記憶に生々しい袁紹・劉表の相続争いをあげて説得するのは見事。押しつけがましくないのに完璧に説得する。実に鮮やか。

曹操に仕える前、張繍に仕えていた時。この時は曹操と敵対関係。曹操が攻めてくる。しかしなぜか突然曹操が退却する。張繍はそれを追撃する。
張繍「退却する相手を追撃するのは定石だ。いくぞ。」
賈ク「やめたがいい。」
張繍「いや行ってくる。」
→張繍は負けて戻ってくる。
張繍「お前の言ったとおりだったな。」
賈ク「もう一度追撃しなさい。」
張繍「え?マジ?じゃあ行ってくる。」
→張繍は大勝。
張繍「最初なんで負けたの?2回目何で勝ったの?訳わかんないんだけど。」
賈ク「曹操が戦わずして退却したのは国元で何かあったから。退却するとは言っても曹操ほどのいくさ上手なら、精鋭を率いてしんがりをしている。だから最初は負けた。しかし曹操は急いでるから一度追撃を退けたら備えをしないで急いで帰る。だから2回目は勝てた。」
張繍は感服したという。

「小人の道は的然として而も日々に亡ぶ。」「普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら 日に日に消え失せてしまう。」 という言葉はまさに賈クのためにある言葉だ。

賈クの智謀はたしかに鋭い。こんなに読みが正確な人物が会社に一人いたら重宝するだろう。だからこそ曹操は賈クを重用したのであり、劉邦は陳平を重んじた。賈クに関する『魏書』の記述は熟読に値する。その鋭い読みは読んでいて非常に勉強になる。 しかし尊敬は出来ない。長い目で見れば悪影響が多い。

賈クと対照的なのが孔明。孔明は権謀術数のような末技は用いず、根本を重視した。先の荀子の言葉の「礼儀を重んじて賢者を重用すること、法律を重視して民を愛すること」はまるで孔明のことを述べているかのようである。裴注に「袁子曰。亮持本者也。」とある。「孔明は物事の根本を備えていた。」という意味。

先ほどの『中庸』の言葉。「君子の道は闇然として而も日々章か。」「君子の道は人目をひかないのに 日に日にその真価が表れてくる。」孔明は「君子の道」の典型。君子は根本を重視する。『論語』学而に「君子は本を務む」「君子は根本について努力する」とある。一見ぼんやりとしているがその効果はボディブローのようにじわじわと効いてくる。

梁の殷芸の「小説」に以下の有名な話がある。

桓温が蜀を征したとき、孔明に仕えたことのある百歳の老人がいたという。桓温「諸葛丞相は、今で言えばだれでしょうか。」桓温は自分と言ってほしかったのだろう。しかし老人は次のように言った。「諸葛公の在世中は他人と違うところに気づきませんでした。しかし公が歿せられてからは、あのような人は見たことありません。」

孔明の治世は根本を重視するため『中庸』にある通り、人目をひかなかったというのだ。しかし彼の政治は『中庸』にある通り日に日に真価が表れ理想的な治世をもたらした。彼の死後も蜀が姜維による無理な外征を続けながらもしばらく生きながらえたのは、孔明の善政の遺産だろう。

我々はこの老人をバカにして笑ってはいけない。我々も「孔明は演義では超人的な知者だけど正史ではただの有能な官吏だよ。」とか言う。我々も根本を重視し一見当たり前を行う孔明の叡智に気づいていないのだ。正史の孔明は実は過小評価されやすいのである。

ついでに言うと趙雲も似ていて過小評価されやすい。「趙雲は演義では超人的な勇者だけど正史ではただの有能な部将だよ。」と言われる。一見当たり前を行う趙雲の偉業に気づかない。孔明と趙雲は価値観も行動も似ており非常に相性が良かったと推測される。常に行動を共にしているため、恐らく連携していたと思う。


ここでさらに一見前言を撤回するようなことを言う。すでに述べた通り本と末は「本」→「末」の流れであって決して逆ではない。末が本より重視されれば末が勝つ状況となりすでに述べたように害になる。

しかし私はここであえて「末」→「本」の流れの可能性を考えたい。儒教では本来あってはならない考えかもしれない。「末が勝つという邪道」と「末の有効活用」の境界線を探りたいのだ。邪道すれすれになる場合もあるので書くか迷ったが書いてみた。恐らく孔子がこの文章を読んだら宰我なみに批判すると思う。

例えば心臓マッサージである。ここでの本末の連鎖は以下の通り。

「心臓が正常である」→「心臓が動く」→「血液が循環する」→「酸素栄養が全身にいきわたる」

ここで何らかの事故で心臓が止まったとする。そして心臓マッサージをする。心臓を外部の物理的な力で動かし心臓を正常な状態に戻す。「心臓が正常である」→「心臓が動く」が本来の本末の流れだが、「心臓を動かす」→「心臓を正常にする」という「末」→「本」の流れになる。人工呼吸も同じ。肺に物理的に空気を入れることで肺を正常に戻す。

バイクの「押しがけ」という方法がある。これも似ている。ここでの本末の流れは以下の通り。

「バイクのエンジンが正常」→「タイヤが動く」→「バイクが動く」→「目的地に到着」

エンジンが故障して動かなくなったとする。その場合、物理的に人の力でバイクを押してタイヤを動かす。タイヤを動かすことでエンジンを正常に戻すという本来と逆の方法。これを「押しがけ」という。「バイクのエンジンが正常」→「タイヤが動く」という本来の本末の流れに対し「タイヤを動かす」→「エンジンを正常に戻す」という「末」→「本」の逆のパターン。

心臓マッサージと押しがけの両方に共通しているのは、心臓が止まったりエンジンが止まったり危機的な状況に陥った時に一時的に「末」→「本」の流れによって危機を脱出するという点。

危機的状況で本来の道理からそれて事態を収拾するという考えは実は儒教にもある。「権」という言葉で示される。『孟子』離婁章句上に次の文章がある。

書下し文
淳于コン曰く、男女授受するに親らせざるは礼か。孟子曰く、礼なり。曰く嫂溺れれば則ち之を救うに手を以てするか。曰く、嫂溺れるに救わざるは、是豺狼なり。男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺れれば則ち之を救うに手を以てするは権なり。曰く、今天下溺れる。夫子の救わざるは何ぞや。曰く天下溺れれば之を救うに道を以てし、嫂溺れれば之を救うに手を持ってす。子、手を以て天下を救わんと欲するか。

現代語訳
淳于コンが言った。「男女が物のやり取りをするのに直接手渡しをしないのは礼儀ですか?」孟子が言った。「礼儀です。」淳于コン「兄嫁が水に溺れていれば手をとって助けますか?」孟子「兄嫁が溺れているのに救わないような人は動物と一緒です。物のやり取りをするのに直接手渡しをしないのは礼儀ですが、兄嫁が水に溺れていれば手をとって助けるのは臨機応変のはからいである権道です。」淳于コン「現在天下は溺れています。あなたがその権道をもって原則にこだわらず臨機応変の処置で天下を助けないのはなぜですか?」孟子「天下がおぼれれば道で助けます。兄嫁が溺れれば手でもって助けます。天下を助けるのに道ならぬ方法で助けよというのですか。」

ここで重要なのは「権」という言葉。臨機応変という意味。非常に重要な言葉だが問題ある言葉でもある。

「男女が物のやり取りをするのに直接手渡しをしない」というのはもちろん手渡しすると手と手が触れるからである。それを避けるため。これが礼儀であり原則である。しかし兄嫁が水でおぼれていればそんなこと言ってられないので手で兄嫁の手を引っ張って助ける。危機的状況では原則から外れても問題を解決する必要がある。これを「権」と述べている。

淳于コンはなかなか鋭い。当時の中国は統一されておらず、天下が溺れている状況であった。しかし孟子は真面目な人で正道を守り正道からはずれてまで天下を救おうとはしない。孟子は偉大な人なので淳于コンは孟子の言う「権」によって天下を救えばいいではないかと言う。淳于コンの言い分にも一理ある。孟子も返答に困っているようにすら見える。

三国志にも「権」という言葉は出てくる。劉備は赤壁の戦いの後、電光石火の勢いで荊州南部を制圧する。劉琦を荊州刺史としたので大義名分があったため躊躇がなかった。しかし劉備は益州攻略には非常に時間がかかっている。大義名分がなかったからだ。同時代の人々への信義と後世の君子たちの批評を畏れてであろう。実際『近思録』では荊州制圧は評価され、蜀攻略は批判されている。

しかし当時は乱世であり、我々が生きている治世の時代とは違う。 ホウ統引注の『九州春秋』から引用する。大義名分がないため益州攻略に動こうとしない劉備に対してのホウ統の言葉。

原文
統曰権変時、固非一道所能定也。兼弱攻昧、五伯之事。逆取順守、報之以義、事定之後、封以大國、何負於信?今日不取、終爲人利耳。

現代語訳
ホウ統が言った。今は臨機応変の手段をとらなければいけない権変の時です。正義だけを固く守っても物事を定められません。弱い者を併合し暗愚な者を攻めとるのは五覇のわざです。道義に逆らって武力で攻略し道義に従って道徳で治めれば十分であり、道義で彼らに報い、事が定まった後大国に封じてあげれば信義に背くことにならないでしょう。ここで益州を取らなければ他人に取られるだけです。

「権」という言葉が出てきている。「権変時」とある。『孟子』の「権」と同じ意味だ。確かに劉備が益州を取らなければ曹操によって奪われていただろう。ホウ統の意見にも一理ある。

心臓マッサージやバイクの押しがけも緊急時において「末」→「本」の手段を取るのであって「権」の一例である。しかしもちろん本来は「本」→「末」の流れが原則であるのはいうまでもない。

似たような例だが、景気対策としての公共事業を挙げる。ここでの本末の流れは以下の通り。

「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」→「金が循環する」

「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」という部分が実体経済が正常であるということである。「実体経済が正常」→「金の循環」と言ってもいい。「実体経済が正常」が本であり「金の循環」が末である。

しかし経済恐慌になった場合、公共事業を行う。これは「金の循環」を強制的に行うことで「実体経済の正常化」を行う手続きである。「末」→「本」の流れである。

「実体経済が正常」→「金の循環」という「本」→「末」の流れはアダムスミス的な考え方である。「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」→「金が循環する」というのは「本」→「末」の流れ。すでに述べたように「本」→「末」の流れには「自然な力」が働く。儒教や老子はその自然な力を重視する。経済には自然な力が働き、あまり人の手により触らない方がうまくいくという考え方だ。

それに対し「金の循環」→「実体経済の正常化」という考え方はケインズ的な考えである。「末」→「本」の考え方である。現在ではケインズの考えは常識だが「本」→「末」の流れに反する考え方のため最初に提唱されたときは恐らく突拍子もない考え方だったろう。

あるブログで経済学に関し次のように述べていた。「経済学ではいままで内容のある学説は二つしかない。基本的には経済に手を加えないほうが良く、しかしたまには手を加えたほうがいいという二説だ。」非常に乱暴な説だが、一理ある。アダムスミスとケインズの学説が最も優れているという意味だ。

他にも例を挙げる。我々は面白いから笑う。コメディをテレビで見る場合。本末の流れは以下の通り。

「面白い」→「視聴者が笑う」→「視聴率が上がる」→「収入があがる」

我々は面白いから笑う。「面白い」が本であり「笑う」が末である。「面白い」→「笑う」という本末の流れがある。しかしドリフなどコメディではあらかじめ笑うべきところに笑い声が録音されていたりする。我々視聴者は笑い声が入っているとより面白いと思う。これは「笑うから面白い」という流れであり「末」→「本」の流れになる。

これもある意味邪道である。面白さを追求する理想主義的な芸人は根本を重視するので、笑い声の録音には冷淡だろう。しかし視聴率を重視する現実主義者のプロデューサーは末を重視し笑い声の録音に積極的かもしれない。

我々は悲しいから泣く。しかし心理学では「泣くから悲しい」と言われることがある。ジェームズ=ランゲ説という。あくまで本来は「悲しい」が本で「泣く」が末なのだが、泣くことで一層悲しくなるという「末」→「本」の流れもある程度あるかもしれない。ただあくまで本来は「悲しいから泣く」のである。

「地位が人を作る」という言葉がある。高い地位につくと人格が修養されるという意味。本来であれば「立派な人格を持っているから高い地位につく」という流れになる必要がある。「立派な人格」→「高い地位」。「立派な人格」が本で「高い地位」が末である。しかし「地位が人を作る」は逆。「高い地位」→「立派な人格」。もちろん「地位が人を作る」は良いことで重要なのだが、高い地位につけば人格も良くなるのを当てにして変な人を高い地位につけるのは間違いである。あくまで「立派な人格」→「高い地位」が正しい。

もう一つ例を挙げる。スポーツの試合などで緊張する時がある。
「自信がある」→「本番でも平然としていられる」
「自信がない」→「本番で緊張する」

これも本末の流れ。「自信がある」が「本」。「本番でも平然としていられる」が「末」。では「自信がない」→「本番で緊張する」の場合に「末」→「本」は試せないか。緊張しているときに平然を装ったり緊張を抑える。すると「自信は生じる」となるか。これはならない。逆に緊張を抑えれば抑えるほど緊張は高まっていく。緊張を抑えるより緊張するに任せたほうがいい。そっちの方がまだましである。逆に程よい緊張になって調子が良くなる可能性もゼロではない。

「末」→「本」の例を挙げてきた。コメディの笑いのようなそれなりに効果のあるもの、心臓マッサージや押しがけのように緊急時にのみ効果のあるもの、緊張の抑制のように悪影響のあるものなどがある。効果があるかどうかはケースバイケースと言うべきであり、全体に共通した基準などは発見できなかった。ただ強調しておきたいのは「本」→「末」が本来のあり方であるという点。

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