式内社分布(3)-その密度ならびに式内社以外の神社
延喜式にある式内社は、「弘仁式社」の次に「貞観式社」を、そして末尾に貞観式以降の社を機械的に記したものらしいことです(虎尾俊哉著 「延喜式 」吉川弘文館 新装版 1995 日本歴史叢書 P112)。所謂式内社以外の神社が、当時どのくらいあったかを考えてみます。
谷川健一著「白鳥伝説」集英社1987年に、「三代実録」貞観八(866)年正月の記事が紹介されていましたので、それを下の表にまとめてみました。三代実録のその数は、38社、一方式内社は8社(香取2社は含めず)となり、この時代には式内社以外にも数多くの神社があったことがわかります。
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出雲国風土記 神社数 | ||||
風土記社数 | 延喜式 | |||
天平五(733)年 | 延長五(927)年 | |||
郡名 | 神祇官有 | 神祇官無 | 郡計 | 式内社数 |
意宇 | 48 | 19 | 67 | 48 |
嶋根 | 14 | 45 | 59 | 14 |
秋鹿 | 10 | 16 | 26 | 10 |
楯縫 | 9 | 19 | 28 | 9 |
出雲 | 58 | 64 | 122 | 58 |
神門 | 25 | 12 | 37 | 27 |
飯石 | 5 | 16 | 21 | 5 |
仁多 | 2 | 8 | 10 | 2 |
大原 | 13 | 16 | 29 | 13 |
能義 | 1 | |||
総計 | 184 | 215 | 399 | 187 |
その他古い神社の数を知るのに参考になるものとして、国内神名帳があります。これは貞観5(863年)年太政官符において、諸国に対して神社帳を作成してその写しを式部省に提出するように命じたもので、現在18ヶ国のものが残されているそうですが、現存するものは、ほとんど中世期の書写で加筆・追記が行われて元々ののままではないそうです。
「上野国神名帳の神社」というサイトによると、「上野国神名帳」は国司が国内神459座に班幣のため作成した国帳が原型で、「総社本」「一宮本」「群書類従所収本」の三本の異本が今に残されており、前ニ者には、それぞれ549座、後者には、579座があるそうです。また、そのサイトには「神名帳の製作年は不明だが、総社神社では1298年に写されていることや総社神社の創建の伝説から平安時代後期には既に存在していたのではないかと思われる。」とあります。そこにある社数は、後に加えられたものがあるとしても、式内社の数(12座12社)と比較しても非常に多く、貞観時代の社が数多くあったことが知られます。
その他の所、例えば長門国の日本海側にはほとんど式内社はありませんが、出雲・石見・壱岐に多くの式内社が分布しているのを見ると、ここが神社の空白地帯と考えるよりも、中央から見て重要な社がないか、またはその地の者が式内社への登録への努力を怠った地域であったことが推測されます。
延喜式のできた10世紀には、東北日本北部・北海道・沖縄を除いて、全国津々浦、人が住んでいれば神社があったと考えるのが妥当でしょう。
しからば、神社はいつ頃からあったと考えみます。
有富,純也氏学位論文「古代国家支配理念の研究(要旨)」(東京大学学位論文データベース)に[日本律令国家は、儒教イデオロギーという中国の理念を取り入れる一方で、中国には存在しない独自の制度、班幣制度を創出することによって支配の正当化をはかった。・・・・・・このような行為を律令国家は神祇官を設置し、祈年祭や月次祭などを行うことで、大規模に実施した。 そのため律令国家は、各地に存在した宗教施設を発展させるなどして社殿を建築し、ヤシロあるいは神社と認定した。おそらく、在来の宗教施設に建築物が伴うようになったのは、律令国家が幣帛・神宝を社殿に収納するために建設したものであったと思われる。社殿を持つ神社を各地に創出することによって、律令国家は班幣制度を充実させ、幣帛や神宝の威力で各地の農耕を推進した。」とあるように、元々が、「神」だけであったものが、祭祀を行う場所に施設をもうけたのが神社でしょう。大和政権は全国統一のために中国からの思想を取り入れ、今まであった宗教に対し、班幣制度を作り、神社という施設を設けて各地の支配を確立していったのでしょう。その過程で、今、神社の施設の代表である鳥居も、それまであった鳥居的なものを様式化し、道教的な朱色が塗られることになったのであろうと考えています。
谷川健一著「白鳥伝説」集英社1987の「自然神の貌を持つ東北の神々」(P326)という項に、陸奥国の式内社の中に、「安福麻河伯神社」、「日高見神社」、「和我叡登挙神社」など自然を対象とした名称のもの、また「遠流志別石神社」「於呂閉志神社」などのアイヌ語起源と考えられるものが混じっていることを指摘しています。我住む武蔵の国の式内社にも、「阿伎留神社」とか「阿豆佐味天神社」のような大和言葉ではないような名前を冠した神社がいくつかみられます。
式内社分布(1) 式内社分布(2) 式内社分布(3)
(図はすべて、クリックすることにより大きく見ることができます)
2014.11.20 追記
永留久恵「古代日本と対馬」大和書房 日本文化叢書4 1985
「延喜式」の「臨時祭」の記事、「取卜部堪事者任之。其卜部,取三國卜術優長者。伊豆五人,壹岐五人,對馬十人。」が紹介されて、「対馬は、亀卜の盛んなところで、宮廷卜部の主力は対馬からでた」(p99)としている。これで式内社が、上記三国に異常に多い理由がわかる。
しかし、永留久恵は、「なぜこの三国から卜部が出たのか、という論を進めていくと、朝廷の祭祀と深い関係を持った二島(伊豆は別にして)の特殊の事情があったからで、その起源は神話時代にさかのぼる。」(p127)とし、さらに突っ込んで「・・・朝鮮への渡航基地として、特に重要視された事情が考えられるが、それだけでなく、日本の王朝に取って、これ等の地方が忘れ難い望郷の国であったのかもしれない」(p156)としている。
東京に生まれ育った者にとっては、ほとんど意識の中にない「対馬」であるが、いろいろ調べていくと大変興味のある島で、是非とも一度訪れてみたいところとなった。
・延喜式:905年(延喜5年)編纂開始、927年(延長5年)完成。967年(康保4年)施行。
・貞観式:貞観年間編纂、貞観13年(871年)に奏進され、同年10月施行。
・弘仁式:弘仁11年(820年)に弘仁格・弘仁式同時に撰進、天長7年(830年)改めて撰進、同年施行
・国内神名帳:貞観5年(863年1)諸国に対して神社帳を作成を命、18か国の神名帳が残存、ただし、現存神名帳のほとんどが中世期の書写、中世期の加筆・追記がある。
上図は、QGISのヒートマップ機能で作成した式内社の密度分布図です。旧国の境界線は、岡山大学今津勝紀研究室のものを使いました。そこからダウンロードされた「.shpファイル」をQGISで開くと、普段見慣れているものと違い、なんとなく九州、東北が歪んで見えます。
「プロジェクトのプロパティ」を見ると、空間参照システムが、「JGD2000 EPGS4612」となっています。その「EPGS4612」は「European Petroleum Survey Group(EPSG)」という団体が空間参照系の各空間参照系にコード番号を振って整理しているものです。「http://www.spatialreference.org/」というサイトに、「EPSG:4612」は、「WGS84境界:122.4900、19.0100、160.0900、45.9200 投影境界:122.4900、19.0100、160.0900、45.9200 スコープ:3Dシステムの水平成分。最終改訂:2007年8月27日 エリア:日本」とあります。これはどうも小縮尺のものに使うようだと考え、適当なものはないかと探してみました。
「プロジェクト」から「プロジェクトのプロパティ」「CRS]と進み、「オンザフライCRS変換を有効にする」にチェックを入れ、「JGD2000 /UTM zone 54 EPSG:3100」を選ぶと、東日本用の横メルカトール投影になり、西日本は歪むようだけれど、まあそれほど正確が要求されるものでもないし、大縮尺の時は、それなりに考えようということで、上記の地図を作っています。
・「ジオパシフィックのホームページ」:「QGISの本」「空間参照系」とすすむと、空間参照系の解説がのっています。
・「EPSGのホームページ」は、EPSGコードの本家本元のホームページです。「Online Registry 」から「名前」に「JAPAN」といれると日本に関したものが得られます。
・「spatialreference.org」というサイトでも、「検索」の窓に「JAPAN」といれると日本に関したものがさがせます。。
・「自然環境保全のための周辺技術」というブログの「GISのための測地成果、測地系、楕円体、投影座標系、EPSGコードのまとめ」に日本周辺のコードがまとめられています。
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