2026年5月1日金曜日

📜 墨子 巻四第十四篇 『兼愛上(けんあい・じょう)』|けんたろ

📜 墨子 巻四第十四篇 『兼愛上(けんあい・じょう)』|けんたろ

📜 墨子 巻四第十四篇 『兼愛上(けんあい・じょう)』

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【解題】 「兼愛」とは、「兼(ひろ)く愛(あい)する」、すなわち自他を区別せず、すべての人を公平に愛すること。 墨子は、天下の混乱の原因を「不相愛(互いに愛し合わないこと)」にあると診断する。 人は自分と他人を区別するからこそ、他人の家を盗んで自分の家を利し、他国を攻めて自国を利しようとする。もし、他人の身を自分の身のように、他国を自国のように思うことができれば、盗みも戦争も消滅するはずである。 儒教の「仁」が親族から始まる差別的な愛(別愛)であるのに対し、墨子の「兼愛」は無差別・平等の愛を説く、墨家思想の核心部分である。

【原文】

子墨子言曰、聖人以治天下為事者也、必知乱之所自起、焉能治之。不知乱之所自起、則不能治。 譬之如医之攻人之疾者然。必知疾之所自起、焉能攻之。不知疾之所自起、則弗能攻。 治乱者何独不然。必知乱之所自起、焉能治之。不知乱之所自起、則不能治。

聖人以治天下為事者也、不可不察乱之所自起。 当察乱何自起。起不相愛。 臣子之不孝君父、所謂乱也。子自愛不愛父、故虧父而自利。弟自愛不愛兄、故虧兄而自利。臣自愛不愛君、故虧君而自利。此所謂乱也。 雖父之不慈子、兄之不慈弟、君之不慈臣、此亦天下之乱也。 父自愛不愛子、故虧子而自利。兄自愛不愛弟、故虧弟而自利。君自愛不愛臣、故虧臣而自利。 是何也。皆起不相愛。

雖至天下之為盗賊者、亦然。 盗愛其室、不愛其異室、故窃異室以利其室。 賊愛其身、不愛人、故賊人以利其身。 此何也。皆起不相愛。

雖至大夫之相乱家、諸侯之相攻国者、亦然。 大夫各愛其家、不愛異家、故乱異家以利其家。 諸侯各愛其国、不愛異国、故攻異国以利其国。 天下の乱物、具此而已矣。 察此何自起。皆起不相愛。

若使天下兼相愛、愛人若愛其身、猶有不孝者乎。 視父兄与君若其身、悪施不孝。 猶有不慈者乎。 視子弟与臣若其身、悪施不慈。 故不孝不慈无有。 猶有盗賊乎。 視人之室若其室、誰窃。視人身若其身、誰賊。 故盗賊无有。 猶有大夫之相乱家、諸侯之相攻国者乎。 視人之家若其家、誰乱。視人之国若其国、誰攻。 故大夫之相乱家、諸侯之相攻国者无有。

若使天下兼相愛、国与国不相攻、家与家不相乱、盗賊无有、君臣父子皆能孝慈。 若此則天下治。

故聖人以治天下為事者、悪得不禁悪而勧愛。 故天下兼相愛則治、交相悪則乱。 故子墨子曰、不可以不勧愛人者、此也。

【書き下し文】

子墨子(しぼくし)言(い)いて曰(いわ)く、聖人(せいじん)は天下(てんか)を治(おさ)むるを以(もっ)て事(こと)と為(な)す者(もの)なり、必(かなら)ず乱(らん)の自(よ)りて起(お)こる所(ところ)を知(し)りて、焉(ここ)に能(よ)く之(これ)を治む。乱の自りて起こる所を知らざれば、則(すなわ)ち治むること能わず。 之を譬(たと)うれば医(い)の人(ひと)の疾(やまい)を攻(おさ)むる者のごときが然(しか)り。必ず疾の自りて起こる所を知りて、焉に能く之を攻む。疾の自りて起こる所を知らざれば、則ち攻むること能わず。 乱を治むる者、何(なん)ぞ独(ひと)り然らざらんや。必ず乱の自りて起こる所を知りて、焉に能く之を治む。乱の自りて起こる所を知らざれば、則ち治むること能わず。

聖人は天下を治むるを以て事と為す者なれば、乱の何(いずく)より自りて起こるかを察(さっ)せざるべからず。 当(まさ)に乱の何より自りて起こるかを察すべし。不相愛(ふそうあい)より起こる。 臣子(しんし)の君父(くんぷ)に孝(こう)ならざるは、所謂(いわゆる)乱なり。子(こ)は自(みずか)ら愛(あい)して父(ちち)を愛せず、故(ゆえ)に父を虧(そこ)ないて自ら利(り)す。弟(おとうと)は自ら愛して兄(あに)を愛せず、故に兄を虧ないて自ら利す。臣(しん)は自ら愛して君(きみ)を愛せず、故に君を虧ないて自ら利す。此(これ)所謂乱なり。 父の子に慈(じ)ならず、兄の弟に慈ならず、君の臣に慈ならざるも、此れ亦(ま)た天下の乱なりと雖(いえど)も。 父は自ら愛して子を愛せず、故に子を虧ないて自ら利す。兄は自ら愛して弟を愛せず、故に弟を虧ないて自ら利す。君は自ら愛して臣を愛せず、故に臣を虧ないて自ら利す。 是(これ)何(なん)ぞや。皆不相愛より起こる。

天下の盗賊(とうぞく)為(た)る者に至(いた)ると雖も、亦た然り。 盗(とう)は其(そ)の室(しつ)を愛して、其の異室(いしつ)を愛せず、故に異室を窃(ぬす)み以て其の室を利す。 賊(ぞく)は其の身(み)を愛して、人を愛せず、故に人を賊(そこ)ないて以て其の身を利す。 此れ何ぞや。皆不相愛より起こる。

大夫(たいふ)の相(あい)家(いえ)を乱し、諸侯(しょこう)の相国(くに)を攻(せ)むる者に及ぶと雖も、亦た然り。 大夫は各(おのおの)其の家を愛して、異家(いか)を愛せず、故に異家を乱して以て其の家を利す。 諸侯は各其の国を愛して、異国(いこく)を愛せず、故に異国を攻めて以て其の国を利す。 天下の乱物(らんぶつ)、具(つぶさ)に此のみ。 此れ何より自りて起こるかを察するに、皆不相愛より起こる。

若(も)し天下をして兼(か)ねて相愛(あい)し、人を愛すること其の身を愛するが若くせしめば、猶(な)お不孝(ふこう)なる者有らんや。 父兄と君を視(み)ること其の身の若くなれば、悪(いずく)んぞ不孝を施(ほどこ)さん。 猶お不慈(ふじ)なる者有らんや。 子弟(してい)と臣を視ること其の身の若くなれば、悪んぞ不慈を施さん。 故に不孝不慈有ること無し。 猶お盗賊有らんや。 人の室を視ること其の室の若くなれば、誰(たれ)か窃(ぬす)まん。人の身を視ること其の身の若くなれば、誰か賊(そこ)なん。 故に盗賊有ること無し。 猶お大夫の相家を乱し、諸侯の相国を攻むる者有らんや。 人の家を視ること其の家の若くなれば、誰か乱さん。人の国を視ること其の国の若くなれば、誰か攻めん。 故に大夫の相家を乱し、諸侯の相国を攻むる者有ること無し。

若し天下をして兼ねて相愛せしめば、国と国と相攻めず、家と家と相乱さず、盗賊有ること無く、君臣父子皆能(よ)く孝慈ならん。 此くの若くんば則ち天下治まる。

故に聖人の天下を治むるを事と為す者は、悪得(あにとく)んぞ悪(あく)を禁(きん)じて愛を勧(すす)めざらんや。 故に天下兼ねて相愛すれば則ち治まり、交(こも)ごも相悪(にく)めば則ち乱る。 故に子墨子曰く、以て人を愛することを勧めざるべからざるは、此れなり、と。

【現代語訳】

墨子先生は言われた。 「聖人が天下を治めることを仕事とするならば、必ず『混乱がどこから起きているのか』という原因を知らなければならない。原因を知って初めて、それを治めることができる。原因を知らなければ、治めることはできない。 これは、医者が人の病気を治療するのと同じである。必ず病気がどこから起きたのか(原因)を知って、初めて治療できる。原因を知らなければ治療できない。 社会の混乱を治めるのも、これと全く同じである。必ず混乱の原因を知らなければならない。

聖人は天下を治める者であるから、混乱の発生源を観察しないわけにはいかない。 では、混乱は何から起きているのか。それは『互いに愛し合わない(不相愛)』ことから起きている。 臣下や子が、君主や父に孝行しないこと、これがいわゆる『乱』である。 子は自分を愛するが父を愛さない。だから父に損害を与えて自分の利益とする。弟は自分を愛するが兄を愛さない。だから兄に損害を与えて自分の利益とする。臣下は自分を愛するが君主を愛さない。だから君主に損害を与えて自分の利益とする。これが『乱』である。 逆に、父が子に慈愛を持たず、兄が弟に慈愛を持たず、君主が臣下に慈愛を持たないのも、また天下の『乱』である。 父は自分を愛するが子を愛さない。だから子に損害を与えて自分の利益とする。(以下同文)。 これらはなぜ起きるのか。すべて『互いに愛し合わない』ことから起きている。

天下の盗賊に至っても同じである。 空き巣(盗)は、自分の家を愛するが、他人の家(異室)を愛さない。だから他人の家から盗んで、自分の家を豊かにする。 強盗(賊)は、自分の身を愛するが、他人の身を愛さない。だから他人を傷つけて、自分の身を利する。 これらはなぜ起きるのか。すべて『互いに愛し合わない』ことから起きている。

さらに、大夫(貴族)が互いに家を乱し合い、諸侯(国王)が互いに国を攻め合うに至っても、やはり同じである。 大夫はそれぞれの自分の家領を愛するが、他人の家領(異家)を愛さない。だから他人の家を乱して、自分の家を利する。 諸侯はそれぞれの自国を愛するが、他国(異国)を愛さない。だから他国を攻めて、自国を利する。 天下の混乱というものは、すべてこれに尽きる。 これらがどこから起きているか観察すると、すべて『互いに愛し合わない』ことから起きているのだ。

もし仮に、天下の人々が互いに等しく愛し合い(兼相愛)、他人を愛することを自分の身を愛するようにさせたなら、まだ不孝な者はいるだろうか。 父や兄や君主を、自分の身と同じように見なすのだから、どうして不孝を働くことがあろうか(いや、しない)。 まだ慈愛のない者はいるだろうか。 子や弟や臣下を、自分の身と同じように見なすのだから、どうして慈愛をかけないことがあろうか。 したがって、不孝や不慈は消滅する。

まだ盗賊はいるだろうか。 人の家を自分の家と同じように見なせば、誰が盗むだろうか(自分の家から盗むようなものだ)。人の身を自分の身と同じように見なせば、誰が人を傷つけるだろうか。 したがって、盗賊は消滅する。

まだ大夫が家を乱し、諸侯が国を攻めることはあるだろうか。 人の家を自分の家と同じように見なせば、誰が乱すだろうか。人の国を自国と同じように見なせば、誰が攻めるだろうか。 したがって、争いは消滅する。

もし天下の人々が互いに等しく愛し合えば、国と国は攻め合わず、家と家は乱し合わず、盗賊はいなくなり、君臣父子はみな孝行と慈愛を持つようになる。 このようになれば、天下は治まる。

だから、天下を治める聖人は、どうして『憎しみ』を禁止して『愛』を勧めないことがあろうか(いや、必ず勧める)。 天下が互いに愛し合えば(兼相愛)平和になり、互いに憎み合えば(交相悪)混乱する。 ゆえに墨子先生は言われた。 『人を愛することを勧めないわけにはいかない理由は、ここにあるのだ』」

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