2026年3月6日金曜日

第70話 畿内ヤマト説はあり得ない!




《 說文解字第二篇 上 》

【說也。】
台說者、今之怡悅字。說文怡訓和。無悅字。今文尙書。舜讓于德不台。見漢書王莽傳、班固典引。而五帝本紀本之作舜讓于德不台懌。自序曰。唐堯遜位、虞舜不台。惠之早霣、諸吕不台。皆謂不爲百姓所悅也。古文禹貢。袛台德先。鄭注。敬悅天子之德旣先。
【从口。㠯聲。】
与之切。一部。按湯誓、高宗彤日、西伯戡黎皆云如台。殷本紀皆作柰何。釋詁台予同訓我。此皆以雙聲爲用。何予台三字雙聲也。

台    『 説文解字 第二篇 上 』

【喜ぶこと。】
台説とは、現在の怡悦の字である。説文では怡を和と解す。悦の字はない。今文尚書に「舜は徳に譲らず台せず」とある。漢書王莽伝・班固の典引に見られる。五帝本紀の原本は「舜が徳を譲り、悦ばれなかった」と記す。自序曰く「唐堯が位を譲り、虞舜は悦ばれなかった。恵帝が早世し、諸呂は悦ばれなかった」と。いずれも「民衆に喜ばれなかった」という意味である。古文の禹貢には「ただ徳を先んじて悦ばせる」とある。鄭注は「天子の徳を敬い悦ばせることを先に置く」と釈す。
【口に㠯の声を従う。】
与之と読む。一部。湯誓・高宗彤日・西伯戡黎はいずれも如台と記す。殷本紀はいずれも柰何と作す。釈詁に台予は我と同訓とあり。これらは全て双声を用いる。何予台三字は双声である。
このページのURL= https://kaiun-do.me/siryousitu/shuowen/?my_chid=w0220890


台    『 説文解字第十二篇 上 』

【四方を見渡すために高く築かれたもの。】
釈名曰く。観、観るなり。上より望み見るなり。観は必ずしも四方ではない。その四方より突出して高い者を、これを台と謂う。大雅・経始霊台。釈宮・毛伝曰く。四方にして高いを台と謂う。伝意、高くして四方でない者を観と謂い、闕と謂う。釈名。台、持つなり。土を築き堅く高くして自ら勝つこと能うを、持つと謂う。古の臺は持と同読。心は霊臺。物を持てることを言う。淮南子に「その神が居る所は、臺𥳑にして大淸に遊ぶ」と注に「臺は持なり」とある。また「臺に鑑む所無し、これを狂生という」と注に「臺は持なり」とある。これらは皆臺と作れば通じる。あるいは古文の握と作られる。古文の握は臺の形に似ている。
【至の字に高の字を省略して作られる。室屋と同じ意味である。】
按:台に必ずしも屋があるわけではない。李巡が『爾雅』に注して言うには「台の上に屋があるものを謝という」。ならば屋のないものは台と呼ぶ。高く築くだけでよい。室屋と同じ意味と言うのは、室屋篆の下にいずれも「至の字に止まるもの」とあるからである。これがその意である。
【㞢は声。】
徒哀切。一部。


《 說文解字第十二篇 上 》

【觀四方而高者也。】
釋名曰。觀、觀也。於上觀望也。觀不必四方。其四方獨出而高者、則謂之臺。大雅。經始靈臺。釋宮、毛傳曰。四方而高曰臺。傳意高而不四方者則謂之觀、謂之闕也。釋名。臺、持也。築土堅高能自勝持也。古臺讀同持。心曰靈臺。謂能持物。淮南子。其所居神者、臺𥳑以游大淸。注。臺、持也。又臺無所鑒、謂之狂生。注。臺、持也。此皆作臺自可通。或作古文握。古文握與臺形相似。
【从至。从高省。與室屋同意。】
按臺不必有屋。李巡注爾雅曰。臺上有屋謂之謝。然則無屋者謂之臺。築高而已。云與室屋同意者、室屋篆下皆云从至者所止也。是其意也。
【㞢聲。】
徒哀切。一部。

0 件のコメント:

コメントを投稿

逆さづりになって踊る「橋がかり」に大歓声 千曲市「雨宮の御神事」 コロナ禍を経て、9年ぶり通常開催 https://youtu.be/GVRrgWtDQTw?si=9o8AuSZcmsstOHKu @YouTubeより

 逆さづりになって踊る「橋がかり」に大歓声 千曲市「雨宮の御神事」 コロナ禍を経て、9年ぶり通常開催 https://youtu.be/GVRrgWtDQTw?si=9o8AuSZcmsstOHKu @YouTubeより https://youtu.be/GVRrgWtDQTw?...