684年10月
《壬辰(十四日)に、人定(午後十時ごろ)になって大きな地震がおこり、国中の男女が叫びあい、逃げまどった。山は崩れ、川はわきかえり、諸国の国郡の庁舎、百姓の家屋や倉庫、寺院・神社の破壊されたものは数知れず、人民や家畜も多く死傷した。このとき、伊予湯泉(道後温泉)が埋もれて出なくなり、土左国では田五十余万頃(約一二〇〇ヘクタール)が海に没した。
古老は、 「このような地震は、かつてなかったことだ」
と言った。この日の夕、鼓の鳴るような音が東の方角に聞こえた。
「伊豆嶋(伊豆大島か)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、もう一つの島になりました。鼓のような音がしたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのです」 と言う人があった。甲午(十六日)に、王卿たちに禄物を賜わった。》『日本書紀』中公文庫より
文章前半で被害があったはずの阿波徳島の地名を意識的に隠している。当時阿波が首都だった証拠である。
追記:
徳島県名西郡神山町神領字本野間100番地
北緯33度58分02秒 東経134度21分02秒
《今迄の歴史家は魏志倭人伝の会稽東治を、呉の国の「会稽」とし、邪馬壹国が太平洋上なるので、この書は信用できない、と言われた。しかし魏の史書に記された魏国が朝鮮半島等東方を治める役所である「会稽東治」(BC223年秦の始皇帝が楚国を滅ぼし下相県現在の宿遷市宿城区古城街道一帯。旧黄河河道に置いた下相城跡(北緯33.9度)が2006年発掘された。そこに邪馬壹国は会稽東治(北緯33.9度)の真東にあると書いてある。なおその少し前BC232年、のち西楚の覇王となる英雄項羽の生誕地です(項羽故里と呼ばれています)。》島勝伸一(しまかつしんいち)・NPO法人吉野川に生きる会代表理事
《今迄の歴史家は魏志倭人伝の会稽東治を、呉の国の「会稽」とし、邪馬壹国が太平洋上なるので、この書は信用できない、と言われた。しかし魏の史書に記された魏国が朝鮮半島等東方を治める役所である「会稽東治」(BC223年秦の始皇帝が楚国を滅ぼし下相県現在の宿遷市宿城区古城街道一帯。旧黄河河道に置いた下相城跡(北緯33.9度)が2006年発掘された。そこに邪馬壹国は会稽東治(北緯33.9度)の真東にあると書いてある。なおその少し前BC232年、のち西楚の覇王となる英雄項羽の生誕地です(項羽故里と呼ばれています)。》島勝伸一(しまかつしんいち)・NPO法人吉野川に生きる会代表理事
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