| 一、薄氷を踏む | ||
| かねてから、中国の数千年前の古い言葉が今なお日本で使われていることに興味をもち続けている。11月の初旬、妻を伴って、上京。新幹線の車中で、11月8日(土)の日経新聞を広げる。 | ||
| 「追加緩和、物価2%へ執念 議論5時間“薄氷”の決着」 | ||
| の見出しに、この“薄氷を踏む”は詩経だったと思いつき、そのルーツを辿ってみた。 | ||
| 出典は詩経の中の小雅。 | ||
| 「敢エテ暴虎セズ 敢エテ馮河セズ 人、其ノ一(いち)ヲ知ッテ、其ノ他ヲ知ル莫シ 戦戦兢兢トシテ、深渕ニ臨ムガ如ク 薄氷ヲ踏ムガ如シ」 |
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| 「小雅」というのは、当時の朝廷での租業として唱われたものの一部である。直訳すると、 | ||
| 決して虎を素手で摶(う)たない、川を徒歩で歩いて渡らない。誰もがそのことを知っている。しかし、その外の危険は(いっこうに)知らない。かかる小人(小役人)から身を守るためには、戦々兢々として、深い渕に臨んで薄氷を踏むように慎重でなければならない。 | ||
| この句の前文には、天の麗しい威厳は天下にあまねく行きわたるものである。それなのに、よこしまで偏ったものはいつになったら止むのだろうか・・・小人は集まって他人の非難をして、あやまった偏った政策に走る・・・不安がある。 | ||
| といった説明がある。 | ||
| 従って、当時の宮廷(お役所)には、小人が多い。これらの人に中にあって、自分を失わないように戒め、慎んでいかねばならぬ、という意味であろう。 | ||
| 11月8日の日経新聞の「議論4時間、薄氷の決着」を、この詩経の意味と比較してみるのも一興でしょうが・・・ | ||
| 詩経は、周の時代に編纂されたもの、時代的には紀元前1000年頃と言われいる。そこから現在まで約3000年、日本で「薄氷ヲ踏ム」という教訓的な語句が使われているのに、改めて“驚き”を感じている。 | ||
| 二、鳩居堂 | ||
| 上京後、妻の誘に応じ、銀座へ、鳩居堂に入る。 | ||
| そうだった、鳩居堂の語源は、詩経の冒頭「國風」の中の召南からだろうと推測していた。 | ||
| この「国風」は周の国王から封じられた各国の民謡を集めたもので、召南とは、周という国の南の地方。 | ||
| 「鵲巣」はその地方に伝えられる祝婚歌。 | ||
| 維(これ)鵲(かささぎ)に巣あり 維(これ)鳩(ふふどり)に居(す)まう。 之の子、于(ここ)に歸(とつ)ぐ 百両もて之を御(むか)えん |
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| ここは情緒豊かな海音寺潮五郎訳を引用する。 | ||
| かささぎの巣 かささぎの巣に鳩が入ったとばい 殿様の家に奥方がきなさるとばい 車百臺(だい)そろえ迎へに行かすげなたい |
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| おめでたい限りである。鳩居堂は繁昌するだろう。永遠に。 | ||
| もうひとつ、私の好きな詩がある。 | ||
| 「桃夭」 | ||
| 桃の夭々(えうえう)たる 灼々(しゃくしゃく)たり その華 之の子于(ここ)に歸(とつ)ぐ、その室家に宜しからん |
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| 若木の桃 | ||
| 日うらら、若木の桃に花咲く この子とつぐよき妻とならん |
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| この詩の主意は桃の木、桃の花が嫁の美しさの象徴であるのみならず、そのような娘を迎え入れることのできる結婚、円満な結婚と、一族の繁栄を慶ぶことにある。 | ||
| 三、鹿鳴館 | ||
| 東京は丸の内、帝国ホテルの近くに鹿鳴館があったと聞いている。その鹿鳴館の名前の由来も、詩経の「小雅」である。 | ||
| 「鹿鳴」 ??(いういう)と鹿鳴き野の苹を食(は)む 我に嘉賓有り、瑟を鼓き笙(しょう)を吹かむ 筺(きょう)を消し承(ささ)げて是に將(すす)む 我に同行を示せ |
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| もう少しわかりやすい通釈をすると、 | ||
| ゆうゆうと(祖霊の死者の)鹿が鳴き、 野の苹を食む。 我がもとに降りしは祖先の御霊 いざ琴を弾き笙を吹こうぞ 笙を吹き簧を弾いて、かごの御供えを捧げ祀らん 我に正しき道を示し給へ |
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| 鹿鳴館の名称はこの詩経から引用された。 | ||
| 明治時代に諸外商条約改正を急ぎ、鹿鳴館を建て諸国の大使、要人を招き夜会を催し、心ある国民のマユを潜めさせたのであろうか。 | ||
| この鹿鳴館は、明治16年、総工費18万円、ルネサンス方式の迎賓館で、井上馨のきも入りで完成。世の注目を浴びたが鹿鳴館も饗宴も明治20年で終わる。創始者井上馨が世論の攻撃を浴びたからである。 | ||
| 今日、鹿鳴館も歴史のヒトコマとして残されているだけになっている。 |
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