2026年10月13日火曜日

トーマスは中国で布教活動を行ったのか?



https://christianhistoryinstitute.org/magazine/article/ch156-thomas-in-china 

Did Thomas evangelize China?

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(ABOVE: Kongwangshan sculptures—Quizlet.com)

江蘇省連雲港市にある孔望山摩崖造像(Kongwangshan Cliff Carvings)、およびイエスの十二使徒の一人である使徒トマス(多黙) を巡る言及は、「西暦1世紀(後漢時代)に聖トマスが中国へ渡来し、キリスト教の福音を伝えた」とする非公式のキリスト教起源説(トマス中国伝道説) に関係しています。 [1, 2, 3, 4, 5]
近年、一部の学者や神学者らがこの説の物証として孔望山の彫刻を挙げたことで、キリスト教史や考古学界で物議を醸しました。 [1, 2]

Some recent publications assert that Thomas not only evangelized in India but also as far east as ancient China. These claims cite a Syro-Malabar (eastern Catholic tradition rooted in the Malabar Coast of India) liturgical prayer that remembers Thomas, through whom “the Chinese and the Ethiopians were converted to the truth.”


その記述は、インドの**シロマラボル教会(Syro-Malabar Church)**などが属する東シリア(カルデア)典礼の伝統において、聖使徒トマスを記念する祝日の「聖務日課(Breviary)」に実際に含まれている祈祷文です。 [1]
1667年にイエズス会士アタナシウス・キルヒャーが著書『中国図説(China Illustrata)』の中でラテン語に翻訳して紹介したことで広く知られるようになりました。 [1]
典礼文に記されたトマスの功績
東シリア典礼の「聖トマスの祝日の第二ノクティルヌ(夜課)」には、以下のような賛歌(ガザ)が含まれています。 [1]
  • 「聖トマスを通じて、偶像崇拝の誤謬はインドから消え去った」
  • 「聖トマスを通じて、中国人とエチオピア人は真理へと回帰した」
  • 「聖トマスを通じて、天の王国は翼を得て中国へと昇っていった」 [1]
17世紀ドイツのイエズス会士アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)が1667年に出版した地誌・博物学書『中国図説』(通称 China Illustrata)において、使徒トマスはアジア宣教の起源を証明する極めて重要な人物として扱われています。 [1, 2]
本書における使徒トマスと『中国図説』の主な関わりや描かれ方は以下の通りです。
1. アジア・中国への福音伝道の起源
  • キルヒャーは『中国図説』の中で、キリストの十二使徒の一人である聖トマスが、最初のインド伝道者としてアジア、そして中国(カタイ)にまで赴き福音を伝えたというキリスト教の伝統的な歴史観(聖トマス伝承)を展開しています。 [1, 2]
  • これは、キリスト教が17世紀のイエズス会宣教師(マテオ・リッチら)によって初めてもたらされたのではなく、古代にすでにアジアへ到達していたことを歴史的に裏付けるための重要な論拠とされました。 [1, 2]
17世紀のドイツの天才的イエズス会学者アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602–1680)と、イエスの十二使徒の一人である使徒トマス(聖トマス)の関連についてお調べですね。 [1, 2, 3]
キルヒャーはその著書『中国図説』(China Illustrata, 1667年刊)の中で、使徒トマスによる東方(インドや中国)へのキリスト教布教の伝承について大きく取り上げています。 [1, 2]
特に有名なのが、インドのマイラプール(メリアポア)にあるとされる「聖トマスの奇跡の十字架」の記述と、それを描いた銅版画の挿絵です。 [1, 2]
キルヒャーの記述と伝承の背景
  1. 東方への宣教伝承: 初期キリスト教の伝承において、使徒トマスはイエスの復活後に東方へと旅立ち、インドにキリスト教をもたらした(のちにチェンナイ近郊のマイラプールで殉教した)とされています。
  2. 奇跡の十字架: キルヒャーは『中国図説』の中で、マイラプールで発見されたという、古い文字(パフラヴィー文字)が刻まれた石の十字架を紹介しました。これは「トマス・クロス」とも呼ばれ、使徒トマスがインドに福音をもたらした証拠として、当時のヨーロッパのキリスト教世界で非常に重視されました。
  3. 中国への福音伝播の仮説: イエズス会は、中国(西安)で発見された「大秦景教流行中国碑」(ネストリウス派キリスト教の碑文)などの研究を進めていましたが、キルヒャーは使徒トマスによるインド宣教がさらに中国にまで及んでいた、あるいはその影響が東アジアに伝わっていたという歴史的連続性を立証しようと試みていました。 [1, 2, 3, 4, 5, 6]
キルヒャーの『中国図説』に収録された使徒トマスの十字架の図版は、大航海時代以降にヨーロッパ人がアジアで発見した初期キリスト教の「痕跡」を視覚的に伝える象徴的な資料として、当時の知識人に大きな影響を与えました。

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キルヒャーの独創的で夢幻的な業績の数々は、澁澤龍彦ら知識人に影響を与え続け、ウンベルト・エーコには「全著作を所有するためならば全てを投げ打つ覚悟がある」とまで言われた。キルヒャーの奇怪な図像から、奔放な想像力の世界を再生したロングセラー。
1986年の邦訳初版から、40年弱の時を経て図像を全面リマスター&20ページ増補!!

アタナシウス・キルヒャー
[1608-80]
ドイツ、フルダ近郊生まれ。イエズス会士。珍奇なものの蒐集家かつ、「驚異博物館」の所有者である一級の学者。膨大な著作は、古代エジプト、支那、磁気学と磁石、天上界・地下界、光と影、暗号の秘密などに及ぶ。代表作の一つ『普遍音樂』は工作舎より邦訳。

【目次】
1 失われた知識の探求
第1章 遅れてきたルネサンス人
第2章 綺想者の生涯
第3章 古代神学と比較宗教

2 万物遊覧
第1章 ノアの方舟:空想動物と分類学のこころみ
第2章 バベルの塔:巨大建築と言語の史学
第3章 ラティウム:ラテン民族の原風景を訪ねて
第4章 中国:中国文明エジプト起源説
第5章 エジプトのオイディプス:神聖文字の解説と秘教の系譜
第6章 音楽:自動演奏機とコンピュータの初歩
第7章 普遍的魔術師:宇宙の磁石としての神
第8章 地下世界:火成論、自然発生説、反錬金術

3 アタナシウス・キルヒャー頌
第1章 略伝と驚異博物館 澁澤龍彦
第2章 『シナ図説』の想像力 中野美代子
第3章 三人のキルヒャリアン:キルヒャー自然学の継承 荒俣宏

キルヒャー図像拾遺
[資料]アタナシウス・キルヒャーをめぐる参考文献一覧
訳者あとがき 川島昭夫

Recently a few Christian authors have picked up on this prayer and made it part of their arguments for an early Christian presence in China.

Two such proponents of Thomas visiting China are Wang Weifan, a Chinese seminary professor, and Pierre Perrier, a Catholic layman from France. The latter has gone so far as to give a precise chronology of Thomas’s visit to China, claiming that in AD 64 he traveled up the Yellow River from Lianyungang via Xuzhou and Kaifeng to Luoyang, where he founded a church in 68 before returning to India and martyrdom in 72.


THE EVIDENCE?

These authors base their theory on rock carvings on Kongwang, a mountain in Lianyungang, which they date to the first century and interpret as images of Thomas, the Virgin Mary, and the Chi-Rho symbol; Han Dynasty tomb carvings in Xuzhou that purportedly show biblical stories as well as a Passover lamb and the Christian fish symbol; a claim that the medieval Jewish community in Kaifeng actually goes back to the early Christian period; and reinterpreting the history of the Buddhist White Horse Monastery in Luoyang, which they see as originally a Christian church founded by Thomas.

However, these claims have no basis in fact. The Lianyungang carvings may date to the first century, but they are generic Chinese figures, and no Chi-Rho symbol is to be found. This Greek abbreviation would have been meaningless to Semitic-speakers like Thomas! The Han-era tombs of Xuzhou have typical Chinese decorations of the period with nothing to indicate Christian influence. Furthermore the Jewish community in Kaifeng was founded only in the tenth or eleventh century. And, finally, no evidence exists that the White Horse Monastery in Luoyang was ever anything other than a Buddhist temple. The truth is that we have no evidence of a Christian mission to China in the earliest centuries.


EXCHANGING AND EVANGELIZING

Both overland and maritime trade did exist between China and the West in Roman times. Yet this trade was segmented: Romans and Arabs sailed as far as India; Indians or Malaysians took the goods from there inland, or farther across the Bay of Bengal to Malaysia; Malay or Chinese traders then took the products to the ports along the South China Sea, and then inland. The overland route was just as compartmentalized. Chinese goods were passed on to Kushans (in modern Afghanistan), who sold them to Parthians and Arabs, who in turn passed them on to merchants from the Roman Empire. As far as we know, virtually no traders went continuously from the Mediterranean to China.

Generation by generation Christians did spread the gospel eastward, and individual Christians may have penetrated China. We have no evidence, however, of a Christian church in China in the first five centuries. Rather, Christianity’s entrance into China was an extension of the larger picture of Christianity’s slow permeation of Mesopotamia and Central Asia via the areas along the Silk Road.

By Glen L. Thompson

[Christian History originally published this article in Christian History Issue #156.0 in 2025]

Glen L. Thompson, retired professor emeritus of church history at Asia Lutheran Seminary and author of Jingjiao: The Earliest Christian Church in China

トーマスは中国で布教活動を行ったのか?

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(上: 孔王山の彫刻 — Quizlet.com)


近年の出版物の中には、トマスはインドだけでなく、東は古代中国にまで福音を伝えたと主張するものがある。これらの主張は、Syro-Malabar シロ・マラバル教会(インドのマラバル海岸にルーツを持つ東方カトリック教会)の典礼祈祷文を引用しており、その中でトマスは「中国人とエチオピア人が真理に改宗した」と記されている。

最近、数人のキリスト教著述家がこの祈りを取り上げ、中国における初期キリスト教の存在を主張する論拠の一つとして用いている。

トマスが中国を訪れたという説を支持する人物として、中国の神学校教授である王維凡氏と、フランス出身のカトリック信徒であるピエール・ペリエ氏が挙げられます。ペリエ氏は、トマスの中国訪問について詳細な年代記を提示しており、西暦64年に連雲港から黄河を遡り、徐州、開封を経て洛陽に至り、68年に教会を設立した後、72年にインドに戻り殉教したと主張しています。


証拠は?

これらの著者は、連雲港の孔王山にある岩絵を根拠に、その理論を構築している。彼らは岩絵を1世紀のものとし、トマス、聖母マリア、キリストのモノグラム(カイロー)のシンボルと解釈している。また、徐州にある漢王朝時代の墓の彫刻には、聖書の物語や過越祭の子羊、キリスト教の魚のシンボルが描かれているとされている。さらに、開封の中世ユダヤ人コミュニティは実際には初期キリスト教時代にまで遡ると主張し、洛陽にある仏教の白馬寺の歴史を再解釈し、そこは元々はトマスによって設立されたキリスト教の教会だったとしている。

しかし、これらの主張には事実に基づいた根拠がありません。連雲港の彫刻は1世紀のものかもしれませんが、それらは一般的な中国の図像であり、キリストのモノグラム(カイロー)のシンボルは見当たりません。このギリシャ語の略語は、トーマスのようなセム語話者にとって意味不明だったでしょう。徐州の漢代の墓には、当時の典型的な中国の装飾が施されており、キリスト教の影響を示すものは何もありません。さらに、開封のユダヤ人コミュニティは10世紀か11世紀になって初めて設立されました。そして最後に、洛陽の白馬寺が仏教寺院以外の何物でもなかったという証拠は存在しません。真実は、初期の数世紀にキリスト教の宣教が中国に行われたという証拠は全くないということです。


交流と伝道

ローマ時代には、中国と西欧の間には陸路と海路の両方の貿易が存在していた。しかし、この貿易は分断されていた。ローマ人やアラブ人はインドまで航海し、インド人やマレーシア人はそこから商品を内陸部、あるいはベンガル湾を越えてマレーシアまで運んだ。その後、マレー人や中国人の商人が商品を南シナ海沿岸の港まで運び、そこから内陸部へと運んだ。陸路も同様に細分化されていた。中国の商品はクシャーナ朝(現在のアフガニスタン)に渡され、クシャーナ朝はそれをパルティア人やアラブ人に売り、パルティア人やアラブ人はそれをローマ帝国の商人に渡した。我々の知る限り、地中海から中国へ途切れることなく航行する商人はほとんどいなかった。

世代を経るごとにキリスト教徒は福音を東方へと広め、個々のキリスト教徒が中国にまで進出した可能性はある。しかし、最初の5世紀に中国にキリスト教会が存在したという証拠はない。むしろ、キリスト教の中国への伝来は、シルクロード沿いの地域を経由してメソポタミアや中央アジアにキリスト教がゆっくりと浸透していったという、より大きな流れの一部であったと言えるだろう。

グレン・L・トンプソン著

[この記事は元々、Christian History誌の2025年発行第156.0号に掲載されたものです]

グレン・L・トンプソンは、アジア・ルーテル神学校の教会史名誉教授であり、『京教:中国最古のキリスト教会』の著者である。

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