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中学の頃、国語の先生に一人、男女からモテていた先生がいた。女の先生である。だが、職員室から廊下を歩いてくる姿は、薄い藤色のカーディガンを羽織り、髪には小さな簪のようなピンを挿し、教室に入ると空気が少しだけ平安時代になる。男子の間では密かに古文アイドルと呼ばれていた。本人はそれを知っていたのか知らぬのか、教室に入るなり、にこりともせず、黒板に大きくこう書いた。
「推し 紫式部」
初回の授業である。
私は、この時点で少し危ない人が来たと思った。
先生は振り返り、真顔で言った。
「みなさん、紫式部はね、ただの昔の作家じゃありません。千年前に、人間のめんどくささを全部見抜いていた天才です」
クラスは笑った。
すると先生は、さらに目を輝かせて言った。
「私は紫式部の顔ファンではありません。文体ファンです」
やはり危ない人であった。古文というものは、本来、中学生にとって睡眠導入剤である。
「いとをかし」
「ありがたし」
「あはれなり」
黒板に書かれた瞬間、まぶたが自然と下りてくる。まるで平安の霧が教室にかかるのである。
だが、その先生は違った。
「いとをかしをとても趣があるって訳して終わる子、だめよ。それじゃ心が死んでる」
先生はチョークを置き、窓の外を見た。
「たとえばね、放課後の教室に西日が差していて、好きな人の机だけ少し光って見える。
誰にも言えないけど、なんか胸が変になる。その感じがいとをかしです」
その瞬間、古文が少しだけこちらを向いた。
次に先生は「いとあはれなり」と書いた。
「これはね、ただしみじみするじゃないの。
綺麗すぎて苦しい。
もう戻れないと分かっているのに、忘れられない。
そういう感情です」
そう言って、先生は源氏物語の一節を読んだ。
光源氏が誰かを愛し、誰かを傷つけ、自分でもどうにもならなくなる場面である。
「光源氏はイケメンだから偉いんじゃありません。むしろ、かなり面倒くさい男です」
女子が笑った。
男子も笑った。
すると先生は、少し声を落として言った。
「でもね、人間って、正しい人だけを好きになるわけじゃないでしょう?」
教室が、急に静かになった。
その一言で、源氏物語は教科書から抜け出した。
千年前の貴族の恋愛ではなく、今の教室にもある、好き、嫉妬、後悔、言えなかった言葉の話になった。
先生はよく、古文単語を現代の感情に置き換えた。
「つれなしは、冷たい、じゃ弱いわね。LINEを読んでるのに返事が来ない感じです」
クラスがざわついた。
「心もとなしは、不安。既読がつかない夜です」
男子が「わかる」と言った。
「おぼつかなしは、相手の気持ちが見えなくて苦しいこと。つまり、平安時代にも既読スルーはあったのよ。通知が遅かっただけ」
古文が急に、生き物になった。
助動詞の授業も異次元だった。
普通なら「き、けり、つ、ぬ、たり、り」と唱えて終わるところである。だが先生は、それを恋愛ドラマの時間軸に変えた。
「きは、自分が直接見た過去。つまり私は見たです。けりは、あとから気づいた過去。ああ、あの人は寂しかったのかという発見です」
先生は黒板にこう書いた。
花咲きき。
花咲きけり。
「上は、花が咲いたのを見た。下は、気づいたら花が咲いていた。たった一文字で、世界の見え方が変わるの」
そこで初めて古文の恐ろしさを知った。
古文とは、昔の言葉を暗記する科目ではない。
人間の心が、どの角度から過去を見ているかを読む科目だったのである。
ある日、先生は『枕草子』を持ってきた。
「春はあけぼの」
誰でも聞いたことのある一文である。
先生はそれを黒板に書くと、しばらく黙った。
「清少納言ってね、世界を見るのが上手すぎる人なの。今で言えば、日常の切り取りが異常にうまい投稿者です」
それを聞いて、クラスが少し前のめりになった。
「春は朝焼けがいい。夏は夜がいい。秋は夕暮れがいい。冬は早朝がいい。
これ、ただ季節を説明してるんじゃないの。世界のどこを見れば美しいか、教えてくれているの」
先生は窓を開けた。
冷たい風が入り、プリントが少し揺れた。
「みなさんもあるでしょう。帰り道の空が妙に綺麗だった日。雨上がりの匂い。
誰かの笑い声だけが廊下に残っている感じ。あれを見逃さない人が、文章を書く人です」
その日から、私は夕方の空を見るたびに、少しだけ清少納言を思い出すようになった。
紫式部の授業になると、先生はほとんど暴走した。
「みなさん、紫式部は陰キャです」
教室が笑う。
「でも、ただの陰キャではありません。観察力が刃物です。
人の綺麗なところも、醜いところも、全部見えてしまう。だから苦しい。
でも、その苦しさで物語を書いた」
先生は『源氏物語』を、恋愛小説としてだけ教えなかった。
下に続く⇩
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「これはね、権力の物語でもあるの。美しい人が愛される。身分の高い人が守られる。でも、声の小さい人、弱い立場の人、忘れられる人もいる。紫式部はそこまで見ていた」先生は黒板に、光源氏の名前を書き、その周りに女性たちの名前を書いた。藤壺。紫の上。葵の上。六条御息所。夕顔。それは人物相関図というより、傷の地図だった。
「誰か一人を主人公として読むと、見えないものがあります。物語は、視点を変えると加害者も被害者も入れ替わるの」
その言葉は、中学生には少し重かった。
だが、不思議と忘れられなかった。
先生は、古文を点数のために教えていたのではない。
人の心を、一方向から決めつけないために教えていたのである。
テスト前になると、先生は急に現実的になった。
「いい?
古文は才能じゃありません。
まず主語を探しなさい。
誰が、誰に、何を思っているのか。
恋も古文も、主語を間違えると全部こじれるの」
男子が笑う。
先生は続けた。
「敬語は身分関係を見るためのライトです。
給ふが出たら、誰に敬意が向いているかを見る。
敬語は昔の人の上下関係センサーなの」
助動詞も、敬語も、係り結びも、先生の手にかかると急に物語の道具になった。
「ぞ・なむ・や・か・こそが出たら、作者がそこを強く見てほしいという合図です。
現代で言えば、そこだけ太字にしているの」
なるほど、と思った。
係り結びとは、平安時代の強調表示だったのである。
ある日の放課後、吾輩は忘れ物を取りに教室へ戻った。
先生が一人、窓際で源氏物語を読んでいた。
いつもの明るい声ではなかった。
小さく、ほとんど祈るように読んでいた。
「先生、本当に紫式部が好きなんですね」
そう言うと、先生は少しだけ笑った。
「好きというより、助けられたのよ」
それ以上は言わなかった。
だが、その時の横顔だけは覚えている。
アイドルみたいに明るく、少し変で、授業中はいつも華やかな先生にも、誰にも見せない夜があるのだと思った。
大人になってから、古文の授業を思い出すことがある。
仕事で疲れ、人間関係に削られ、言葉が雑になってしまいそうな夜。
ふと「いとあはれ」という言葉が浮かぶ。
昔は訳語でしかなかったそれが、今では心の避難所のように感じられる。
綺麗だけではない。
正しいだけでもない。
人間は、寂しくて、愚かで、誰かを傷つけ、それでも誰かを思ってしまう。
紫式部は、千年前からそれを見ていた。
そして、あの先生はそれを中学生に見せてくれた。
古文とは、古い言葉を読むことではない。
今の自分では言えない気持ちに、千年前の誰かが先に名前をつけてくれていたと知ることだった。
思い返すと、本当に先生に恵まれた学生時代であった。
数学の先生は、点の取り方を教えてくれた。
音楽の先生は、点数にならない心の守り方を教えてくれた。
そして、あの古文の先生は、時間を越えて人間を読む方法を教えてくれた。
あの人は、少しやばかった。
紫式部の話になると目の色が変わり、源氏物語の人物をまるで同級生の噂話のように語り、清少納言を日常描写の怪物と呼んだ。
だが、間違いなく天才であった。
あの教室で起きていたのは、ただの古文の授業ではない。
騒がしく、不器用で、まだ自分の感情に名前をつけられない中学生たちが、千年前の言葉に手を引かれながら、自分の心の奥へ降りていくための、小さな時間旅行だった。
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