2026年7月30日木曜日

11月13日。細川忠興「家中の者どもは将棋の駒と思え」|久恒 啓一

11月13日。細川忠興「家中の者どもは将棋の駒と思え」|久恒 啓一

11月13日。細川忠興「家中の者どもは将棋の駒と思え」

細川 忠興(ほそかわ ただおき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。

足利氏の支流・細川氏の出身で、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて戦国の世を生き抜き、肥後五十二万石の基礎を築く。

関ヶ原の論功行賞で丹後12万石から黒田豊前国中津33万9,000石に国替のうえ加増した。前領主は黒田長政である。豊後杵築6万石は、そのまま細川領とされたので39万9,000石の大名となった。その後中津城から完成した小倉城に藩庁を移し、小倉藩初代藩主となる。

正室は明智光秀の娘・玉子で、細川ガラシャ夫人として知られている。 父・幽斎と同じく、教養人・茶人(細川三斎(さんさい))としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。茶道の流派三斎流の開祖である。

「天下の政治は、四角い重箱に丸い蓋をするようになさいませ」。2代将軍徳川秀忠に、天下の政治をどのようにすればよいか聞かれてこのように答えている。あまり細かいことを指摘するなという教えである。

父・細川幽斎はまれにみる才人であった。忠興は「齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり」と述懐している。忠興は努力の人であった。

冒頭の「将棋の駒」は息子へ忠隆が部下の統制について尋ねたときの回答である。つまり飛車や角などは重役陣であり、金銀は中枢を担う管理職であり。桂馬や香車は戦闘現場で働く指揮官である。それぞれが大事な役割を果たす大事な部下だ。「しかし、一番大事にしなければいけないのは歩だ。歩を大事にしない王はやがて窮地に陥る」と最後に述べている。先にあげた徳川秀忠に対する答えと同様に、トップの心構えとして出色の教えである。

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