バビロニアの世界地図(紀元前7世紀)
知られている最も古い世界地図は、紀元前600年頃のバビロニアの世界地図(Imago Mundi)である[3]。この地図は北が上として描かれており、その説明文が付いている。二重の円が描かれており、内円の内側が陸地、外円と内円の間が海(後の古代ギリシアで言うオーケアノス)、外円の外側が対岸の陸地である。ただし「対岸の陸地」は想像上のものであり、その説明も空想的内容になっている。内円の上半分に描かれた横長の長方形がバビロンである。中央付近で南北に描かれた2本の線は、左がユーフラテス川、右がチグリス川と考えられている。ただし実際のバビロンにはチグリス川は流れていないので、この平行線はユーフラテス川の両岸であるとする考えもある。チグリス川の上流は山となっており、チグリス川下流の三日月模様はペルシア湾、内円下部の細長い長方形は湿地帯、内円の内側に書かれたたくさんの小円は他の有力都市を表している[4][5]。つまり、この地図は世界地図を意図したものではあるが、現実世界と一致しているのはバビロンと周辺都市、周辺地理のみである。
アナクシマンドロスとヘカタイオス(紀元前6世紀)

ギリシアの地理学者ミレトスのヘカタイオス(紀元前476年頃死去)は、ギリシャの自然哲学者アナクシマンドロス(紀元前546年頃に死去)の地図を元にして、世界地図を描いた[4]。ただし、当時のままの地図は伝わっておらず、現存するのは当時の資料の断片からの再現図である。この地図によれば、世界の東端はインドであり、インダス河の存在も描かれている。地中海の描写はかなり正確である。一方で、周囲を海が囲っている点などは従来の世界地図と同じである[4]。
ヘロドトス(紀元前5世紀)

ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前485年頃-前420年頃)の時代になると、空想を入れる習慣が少なくなった。一番の特徴は、世界を取り囲む円海であるオーケアノスの存在を否定したことである。ヘロドトスはエジプト、ペルシア、スキタイなどを訪れており、カスピ海が内海であることなどが正確に書かれている。一方でヨーロッパに関しては、イステル川(ドナウ川)の流れですら不正確である[4]。
エラトステネス図(紀元前3世紀)

地球の大きさを測ったことで知られるエラトステネス(紀元前276年-前194年)は、地球が球形であることを前提に地図を作っており、地図作成に測量を利用した。エラトステネスの地図そのものは伝わっていないが、ストラボン(紀元前63年頃-紀元23年頃)が著作に一部を引用しているため、およその様子が分かっている。
エラトステネスの時代には、アレクサンドロス3世(在位紀元前336年-前323年)の遠征記録が伝わっていたため、インド付近までの地理が詳しくなっている。ただし東南アジアの描写はない[7]。また、ヨーロッパについては、今日で言うグレートブリテン島などが描かれている。 また、地図には経緯線に相当する線が描かれている。ただし、今日の世界地図とは異なり、経緯線の間隔は一定ではない[4]。
プトレマイオス図(2世紀)

クラウディオス・プトレマイオスは150年頃の著書『ゲオグラフィア』(地理学)に世界地図を掲載した。この地図では、等間隔に引かれた経緯線が描かれている。(なお、等間隔の経緯線を初めて用いたのはヒッパルコスである[4]。)技法としては、円錐図法が使われたことに特色がある。
内容としては、アフリカが赤道付近まで描かれている。また、東方はインドより先のマレー半島まで描かれている。当時は時差を求められるほど正確な時計が無く、加えて地球の大きさにポセイドニオスが求めたかなり小さ目の値を用いたため、東西方向の距離が実際よりも長めに描かれている[4]。この地図ではインド洋が内海として描かれているが、これについてはアフリカとインドでワニやゾウなどの共通の動物がいたことからの誤解であるとする説[4]、プトレマイオスは正しい地図を作っていたがその写本が誤ったとする説[5]などがある。プトレマイオスの業績は傑出しており、その誤りと共に後々の世界地図にまで引き継がれた。
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